五木寛之のレビュー一覧
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ネタバレ人種差別という言葉、普通に生活していれば聞かない言葉だ。
その言葉を聞くと、自分とは関係のない、むしろ宗教に似たいかがわしさを感じる。
しかし、かつて戸籍に登録されない人たちが日本には存在していた。
海の上、船で一生を終える「家船(えぶね)」
山の中で移動しながら生きていた「山咼(さんか)」
前半では戦後まで存在していた彼らの存在を炙り出す。
後半では江戸時代の階級、士農工商のさらにその下にいた穢多・非人に焦点を当てる。
関東一円の穢多を取りまとめていた穢多頭の称号「弾左衛門」とその下で非人を管理していた「車善七」筆頭四人の存在。
本人は穢多の被差別民ながら旗本ほどの石高と穢多に対する裁判権を持つという二面性を持っていた。
かつて日本に存在していた被差別民たちの存在が忘れ去られる前に書き記される。
日本には明治維新前後、そして戦前前後の二回、文化の断絶が起きている。
かつて何があったのか、失われた記憶記録を炙り出す作業は日本文化の流れを知るために必要なことだと思う。
かつての被差別民の存在を示すことで、現在は差別が表面に浮かび上がることがない平和な世の中になったことを実感できる。
ただし、それは北から南まで日本国民が均一化したことを意味する。
人と違うことをすると社会から爪はじきにされるという構造は昔から変わらないのかもしれない。 -
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ちくま文庫が、五木寛之の過去の著作から「隠された日本」というシリーズを組んで、今年度くらいから月1ペースで文庫本を出している。「歴史の基層に埋もれた、忘れられた日本を掘り起こす」がコンセプトらしい。
五木寛之さんは全く読んだことなかったけれど、そのシリーズ第1弾「中国・関東 サンカの民と被差別の世界」は大変おもしろく読んだ。なので、今回の「大阪・京都 宗教都市と前衛都市」も、せっかく大阪にいるしと思って期待して読み始めたが、、、ちょっと期待はずれ。
「サンカ~」の方は、被差別の世界に詳しい沖浦氏が登場したり、いろんな当事者の方への取材がベースにあったりしたのに対し、「大阪・京都編」は、かつて住んでたときの印象や、誰それがこう言ってたとか、こういう話を聞いたことがあるとか、典拠が曖昧な上に作家の「感性」と「想像力」で語っている感じ。別に論文じゃないんだからいいのだけど、私の求めていた歯応えはなかった。軽いエッセイ。
五木さんとおしゃべりして、「そういう捉え方もありますね~」という感想は持てるけど、なにか知識が増えたような充足感はない。
それにしても人が大阪について語るとき、「ステレオタイプな大阪のイメージ」というのが前提にあって、「それはテレビが広めた偏ったイメージでしかない、本当の大阪は…」と言って、結局また「大阪人とはこういうものなのです」と新たな型を提唱して終わる、というパターンに陥りがちな気がする(大阪に限らないか…)。 -
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久しぶりに五木寛之を読んでみた。
いつ以来だろう、彼の小説を読むのは------
高校時代に初めて読んで嵌り、大学に入ってからもかなり読んでいた。
社会人になってからは殆ど読んだ記憶がないので、四半世紀ぶりくらいになるのかもしれない。
あの頃は、純文学、大衆小説、推理小説と三つに色分けされていて、推理小説は別格でエンタメ小説として分類されていたが、彼のような大衆小説は、純文学より一段低いものとみなされていた。
でも、それがとても面白かったんですね。
もっとも、人気があって作品が売れたからこそ、“大衆小説”として純文学界から蔑まされていたということもあったのだけれど。
「蒼ざめた馬を見よ」「さよならモスクワ愚連隊」「青年は荒野をめざす」など、細かい内容は忘れてしまったが、とにかく僕を夢中にさせる何かがあった。
極めつけは「青春の門」だ。
この大長編小説は、僕を東京へ誘う、言わば僕の人生に大きな影響を与える小説になったのだ。
さて、この作品「レッスン」は、1990年代の女性誌に連載された恋愛小説。
五木寛之の小説ってこんな感じだったかなあ、と別の意味で新鮮な驚きを覚えた。
現代のエンタメ小説と比較しても、地の文が非常に平易である。比喩もありきたりだ。会話文に至っては、非常に古めかしい。20年前の作品、或いは女性誌の連載向けに創作したということを考慮しても、もどかしさを感じる文体である。
年上の魅力的な女性に憧れるモータージャーナリストが主人公。
その女性との邂逅から別れまでが淡々と綴られている。
軽い性描写などもあるのだが、さほど官能的ではない。
主人公が考える性に対する観念も非常に古めかしい。
(バージンの女性とSEXしてしまったら、責任を取って結婚しなければならない、などと今の若い男性はまさか思わないでしょう?)
今風の小説からは甚だ遠いところに存在するような作品である。
うーむ。
軽く読めて、ストレスは感じないのだが、今の僕にはあまり相容れない作品だった。
かつてあれほどのめり込んだ五木寛之の魅力とは何だったのだろう?
あらためて昔の作品を読んで検証したくなった次第である。 -
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ふーむ。
林三郎の書生となって、飛躍するかと思ったら、
林みどりとの間だけに 縮小してしまった。
おい。おい。
それで、オリエのマネージャーになると言うのは、
ふーむ。なんじゃそれ。
という感じだね。
ブルジョアジーとプロレタリアートという図式のなかで
今の時代の流れをつかみきれないものがあるのだろう。
それで、再起 なのだろうか。
信介の行動原理は、敵が明確であれば、立ち向かう時に、
勇気をふるい、たたかう。
歴史の中の個人、歴史との関わり合い、
貧乏であったという過去の生い立ちから、
プロレタリアート意識なるものに、そぐわない何かがある。
食べて、生活するだけでは、物足らない。
オリエは、そのことに満足する。
好きな歌を歌って、自分で生きていければ、良しとする。
ずっと、信介のことを想い続けてきた。
しかし、信介は、オリエだけを見るのでなく、
遠くを見ている。また、別のオンナに魅力を感じたりする。
タエ、オリエ、梓先生、英子、カオル、トミちゃん、
五木寛之は、オッパイの大きな女が好きなようである。
そして、お見舞いに登場したミドリ。
結局は、母親への思いが深く横たわる。
クラシックというのが、知的素養なのだろうか。
むつかしい本を読むということ。
英治と英子。
カオルと石井。
信介とオリエ。
緒方とトミちゃん。
それにしても、信介はなぜ緒方に魅力を感じたのだろう。
理論的とは言えず、明確な主張があるとも言えない。
図式的な階級闘争論。
五木寛之が 挫折した 理由が この再起篇にはありますね。 -
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青春の門 堕落篇 五木寛之(著)
北海道の演劇活動が失敗し、緒方、トミちゃんも東京に行った。
オリエは、ホステスをしながら、歌をうたっていたが、
その歌いぶりに、井原プロのオトコにスカウトされる。
オリエは、東京に行くことを決意する。
信介も、英治にあったりして、オリエのピンチを
助けてもらう。
英治は、意外とお茶目。手先が器用だね。
そして、北海道から、東京に舞台が移る。
トミちゃんのたくましさ、旺盛な勉強しようとする意欲。
それに、圧倒されながら、信介は、学校に通うことにする。
オリエの自分で切り開こうとする、しっかりした姿勢に、
信介は、ヤキモチを焼き、喧嘩さえしてしまう。
梓先生は、歌声喫茶のリーダーとして、生き生きしていた。
オリエの歌と比べて、信介のなかでは、
歌声運動の方が希望があるように見える。
デモを見ながら、取り残されていると思う信介。
東京での生活。
学校に戻り、緒方に誘われて、基地反対闘争に参加する。
その闘争の学生リーダーであり、成田にあうことで、
信介は、何か充実感をあじわう。
しかし、スパイに対する査問で、信介は、疑問に思う。
そのうえ、信介は見張りをする役を受け持つが、
疲れで、眠ってしまい、逃げられる。
探しに行くが、スパイをしていたグループに叩きのめされる。
ボクシングの竜に助けられるが、早稲田の竜は右翼とされ、
信介は、緒方に、詰問され、緒方と別れることに。 -
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創造活動をしながら,巡業する劇団活動。
北海道から 南下する予定だったが、
北海道 函館,そして,札幌で 終わってしまう。
劇をどのようにつくるのか?
激しい論議がありそうで,核心に迫らない。
港の沖仲仕に ヤクザが介入。
そういえば,山口組はこれで,事業を確立したはず。
昼ご飯が高いと反乱するが、結果として 尻すぼみに。
あまり,戦略もなく、挫折。
トミちゃんは強姦され,丸玉食堂の親父は アーナキストとしてめざめる。
有効な方法がないところに、小説になっていない。
なぜか,血液の比重がたらないように
物語も 比重がたらないような気がする。
青春の門が 2000万部も売れたと言うが
時代背景が あったのだろう。
プロレタリアート ブルジョアジー という言葉が
今では、ほとんど,死語に近い状況となっているが
1970年代は まだ輝かしかった。
伊吹信介は 悩む 青年のなった。
理屈じゃなか。さっぱり,すっきりと行かない。
オリエを探しまわりながら、あえばケンカばかり。
難しいもんですね。オトコとオンナは。 -
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学生時代に読んだが,いまの歳になって、
この本を 読むとは思わなかった。
伊吹信介 が 記憶していることから、
18歳となり 大学に行く ところで、おわる。
昭和という時代が,雰囲気として立ち上る。
みんなが 飢えから 解放されようとしていた。
しかし,時代の動きが あまりにも,排除されているような気がする。
私小説的な手法になりすぎている。
信介は 重蔵の息子であることに誇りを持ち
父親に助けられながら,自分であろうとする。
図抜けた存在ではないが,義理 という言葉が
妙に似合う 若者である。
年長者に対する言葉遣いなど いまの時代からみると
難があるが,許される範囲であるかもしれない。
塙竜五郎のキップの良さと重蔵との信頼関係。
長太の直情さ、金さんの階級意識、などが絡み合うなかで
伊吹信介は 素直に成長していく。
最初に意識したオンナが 義理の母であるタエだった。
そして,気がつかないが おさななじみ オリエ が2番目で、
女性であると意識したのが 梓先生だった。
オリエの恋心が わかるようで、わかりにくく、
煮え切らないところがある。
オトコとオンナは理解し合えないものだから,仕方がないのかもしれない。
さて、伊吹信介 18歳 東京で
本当にしたいことがわかるのだろうか。