五木寛之のレビュー一覧
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「歓ぶ」「惑う」「悲む」「買う」「喋る」「飾る」「知る」「占う」「働く」「歌う」という日々の感情の中を通して生きるヒントを見つけていく本。
その中でも印象的だった言葉をいくつか・・・
「惑う」
階段をのぼっていくときに文化は出てこない。のぼりつめて、ゆっくりおりはじめるときに、文化は生まれる。惑いながら、迷いながらおりていくとき、きっと、なにかを生み出すにちがいない。
惑っている人間にしか見えない大事なものがあるにちがいない。惑って立ち止まった人間にしか、美も、真実も、見えないのではないか。
「悲しむ」
深く悲しむものこそ本当のよろこびに出会うものだと思います。暗さのどん底におりてゆく人間こ -
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一遍は古風なラップ。狂乱の念仏踊り。ドストエフスキーは饒舌体ライブ哲学。私は無宗教。それってアイデンティティないし。IDパスはいつだって英数半角4字以上。クリスマス。お盆お月見。墓参り。合掌。あなたはいったい何を精神的な拠り所としていますか?たぶん多くの日本人がもじもじするだろう。もし今からみんな和服で世間を歩き出したらそれが普通だったら。それは面白いかも。と誰でも一回は思ったことがあるはず。刀はまずいけどね。どうしても日本人らしさってのが自分たちになくってずっと戸惑っている。だけど和服を着たら何か変わるような気がしないでもない。涼しいと思う。気持ちが。ね。まずは。
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日本中色んなところへ行ったけれど、岩手・秋田・山形にはまだ足を踏み入れたことがなく、そういうこともあって、九州生まれの私にとって東北は何だか奥が深くてまだまだ底知れない感じがする地方なのだけれど、巡礼の旅の第7巻は東北のお寺を巡りながら松島や中尊寺以外は聞いたこともなく、益々その感を深くする。
そこかしこに伝わる慈覚大師円仁の存在の大きさを認めながら、朝廷の“平定”によって新しい文化としての仏教が東北に入り込み、明らかに異相のものが東北の風土の中に根付いていく過程を見る。
そしてそこには京都や奈良の煌びやかな仏教文化とは異なる東北ならではの質朴なる仏教の有り様が。
私たちは、中央の人々の目から -
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文春文庫の浅田次郎が選んだ短編集に「見上げれば 星は天に満ちて」というのがあって、そこに載っている井上靖の「補陀落渡海記」はかつて和歌山県の補陀落山寺で行われていた観音菩薩信仰の一つの儀式をモチーフにした物語で、とてもインパクトがあるお話だった。
百寺巡礼の旅は四たび関西に戻って、熊野は青岸渡寺の項に補陀落山寺も登場し、しばしそこに描かれた高僧の心の葛藤を思い起こす。
しかし同じ関西とは言っても高野山から熊野から、京都や奈良へもよう行かん身にはとても遠いよねぇ。
相変わらず四方八方に広がる話。道成寺の名は聞いててもそれ以上は知らない安珍・清姫の絵解きの楽しみ。
鶴林寺の太子像の凛々しさに驚き、 -
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…五木寛之、彼自身の死生観を形成する“実体験”が
大きくその生き方を方向付けている。
死と向き合い己をよく知ることこそ、生きるということなのだ。
戦後の朝鮮よりの引き揚げに際し、
想像を絶するような苦難に満ちた経験を積み重ねる。
母親に関する想いの強さゆえ、時代の中で混迷し
叩きつけられたかのように、悲劇という光景が
原体験として刻み込まれてしまった…
僕らの時代、今を生きる僕らには、想像すらできないであろう
時代の凄まじさは、人を強くもし弱くもする。
その境目は、やはり人としての真理…死生観を持つに至るかどうか…
死生観は、とても大きな大きな思想の一つだと思う。
人は -
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冬の京都では「非公開文化財特別公開」ということで普段は見ることが出来ない庭園や仏像が公開されるイベントがあり、この間は東寺を訪れ五重塔の中を見せていただいた。道すがら、第3巻の東寺の項を今一度確認する。
有難いことにご案内付きで、大日如来に見立てられた心柱を中心に如来像や菩薩像にお参りする。あわせて講堂や金堂でも団体さんへの説明に紛れ込んで、そこにおわす立体曼荼羅の二十一尊や薬師三尊に手を合わす。何故か泣きたいような不思議な気持ちが湧いてくる。
前にも来たこと有るにもかかわらず五重塔の外観以外は全く印象に残っていなかったのに、歳を取るということに加え、このシリーズを読んで仏様に対する心持ちが深 -
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第1巻の奈良のお寺をどこも訪れないままに早一月経って第2巻は北陸へ。
19番目の明通寺から読みました。
昔、敦賀に住んでいた頃に大阪からのお客様を、そのもっと昔、逆の立場で私がしてもらったようにお連れしたお寺で、鬱蒼とした杉木立の中の三重塔が目に浮かび暫し懐かしさに浸りました。
次の神宮寺の項と合わせて、かつて若狭地方が日本の表玄関として文化の入り混じりの中心地であったことが良く知れます。
今回も筆者の筆は縦横無尽で、その寺に纏わる話から話題は色々な方面に飛びますが、『宗教的感覚が豊かでいきいきとした社会をつくる』こと、『目に見えない言葉の大切さ、役に立たない言葉の大切さ』があることなど、そこ -
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イタリアのセンスを偏愛する五木さんと、そこに30年以上暮らし古代ローマ史に打ち込む塩野さんの対談集です。2人が古都ローマを散策し、人生の宝物について談笑する。ブランド・買い物・住まい・靴・車・ワイン・年齢・ 健康法・政治・宗教・教育などなど、カフェでのユーモアあふれる歓談が載っています。特に2人が対談しているホテル、エデンの最上階のレストラン、テッラッツァから眺められる元メディチ家の屋敷の写真、本の中に散りばめられている様々な美しい写真にうっとり。また塩野さんのエッセイものからはわからない塩野さんの考え方がわかって楽しい♪あと、塩野さんの書斎の写真や塩野さんがデザインなさった机、それに塩野さん