五木寛之のレビュー一覧
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ネタバレちょうど、地震や津波、原発問題で心が揺れているこの時期に、タイムリーな本でした。めぐりあわせ。今回のことで、生き方に悩む人はぜひ一度読んでみてください。
「それ以来、私は、地震や津波が来たりして政府が『動くな』と言ったら、すぐに逃げるつもりですし、逆に逃げろと言ったら動くまいと思っています。どれだけ国を愛していても、政治のシステムが民衆を最優先するとは考えませんし、たとえば新型インフルエンザは心配ない、と言われたら逆だろうと考える。」
「・・生き延びて、引き揚げてこられた人間は全部悪人なのだ、そういう意識は一生、自分の中から消えることはありません。こうして生きている自分も悪人なのだと覚悟し -
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タイトルとおり人と人との関係をテーマにしたエッセイ。
夫婦だったり、他人だったり、友達だったり。色々な距離感の人について述べられております。全体を通じて感じるのは「他者に過度に期待しちゃだめ」といったことでしょうか。確かにその通りで見返りを求めての行動は本物ではない気がします。ある人を助けるような行為もやりたいからやる、それをやっている自分が好きというモチベーションで動くべきで、決してその人からの感謝を期待して動くべきではないということですね。
以下抜粋
「慈」の愛と、「非」の愛。
言葉を換えれば、励ましと慰めとなるでしょうか。慈の愛は、人々を立ち直らせ、勇気づけ、元気づける愛。そして、高い -
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「歓ぶ」「惑う」「悲む」「買う」「喋る」「飾る」「知る」「占う」「働く」「歌う」という日々の感情の中を通して生きるヒントを見つけていく本。
その中でも印象的だった言葉をいくつか・・・
「惑う」
階段をのぼっていくときに文化は出てこない。のぼりつめて、ゆっくりおりはじめるときに、文化は生まれる。惑いながら、迷いながらおりていくとき、きっと、なにかを生み出すにちがいない。
惑っている人間にしか見えない大事なものがあるにちがいない。惑って立ち止まった人間にしか、美も、真実も、見えないのではないか。
「悲しむ」
深く悲しむものこそ本当のよろこびに出会うものだと思います。暗さのどん底におりてゆく人間こ -
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一遍は古風なラップ。狂乱の念仏踊り。ドストエフスキーは饒舌体ライブ哲学。私は無宗教。それってアイデンティティないし。IDパスはいつだって英数半角4字以上。クリスマス。お盆お月見。墓参り。合掌。あなたはいったい何を精神的な拠り所としていますか?たぶん多くの日本人がもじもじするだろう。もし今からみんな和服で世間を歩き出したらそれが普通だったら。それは面白いかも。と誰でも一回は思ったことがあるはず。刀はまずいけどね。どうしても日本人らしさってのが自分たちになくってずっと戸惑っている。だけど和服を着たら何か変わるような気がしないでもない。涼しいと思う。気持ちが。ね。まずは。
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日本中色んなところへ行ったけれど、岩手・秋田・山形にはまだ足を踏み入れたことがなく、そういうこともあって、九州生まれの私にとって東北は何だか奥が深くてまだまだ底知れない感じがする地方なのだけれど、巡礼の旅の第7巻は東北のお寺を巡りながら松島や中尊寺以外は聞いたこともなく、益々その感を深くする。
そこかしこに伝わる慈覚大師円仁の存在の大きさを認めながら、朝廷の“平定”によって新しい文化としての仏教が東北に入り込み、明らかに異相のものが東北の風土の中に根付いていく過程を見る。
そしてそこには京都や奈良の煌びやかな仏教文化とは異なる東北ならではの質朴なる仏教の有り様が。
私たちは、中央の人々の目から -
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文春文庫の浅田次郎が選んだ短編集に「見上げれば 星は天に満ちて」というのがあって、そこに載っている井上靖の「補陀落渡海記」はかつて和歌山県の補陀落山寺で行われていた観音菩薩信仰の一つの儀式をモチーフにした物語で、とてもインパクトがあるお話だった。
百寺巡礼の旅は四たび関西に戻って、熊野は青岸渡寺の項に補陀落山寺も登場し、しばしそこに描かれた高僧の心の葛藤を思い起こす。
しかし同じ関西とは言っても高野山から熊野から、京都や奈良へもよう行かん身にはとても遠いよねぇ。
相変わらず四方八方に広がる話。道成寺の名は聞いててもそれ以上は知らない安珍・清姫の絵解きの楽しみ。
鶴林寺の太子像の凛々しさに驚き、