五木寛之のレビュー一覧

  • 親鸞(しんらん) 完結篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    60越えて京に戻って来たところからスタート、かなり伝奇的になってきて面白くなって来た。実は親鸞=イーサン・ハントでもよかったんでは、と思うが親鸞=チャールズ・エグゼビアな感じです。親鸞自身は親鸞なままなんですが、回りが普通の人でなさすぎるのでミラクルな事に(あははは)。ものすごくおもろいです。

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    2016年06月03日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    越後でのゆるめの生活、施療院をはじめるが為政者の交代とともに親鸞は脇へ、さらに鉄杖の自殺、法然の訃報。関東からの勧誘をうけて移動。関東での生活の終盤は恵信の帰越後、そして浄寛の死。京に戻る決意をするところまで。
    激動篇と名がついているものの、あまり激動ではないように感じる。布教的な活動はほとんど描かれず、親鸞の内面と政治的な動きや敵味方分かれてのスパイというかニンジャ合戦的なアクションが面白い。とはいえ、楽しく物語りを追うだけでそれなりに親鸞の考えが的確に理解できるしくみになっている。理解する、というのと信心するというのは全くの別モンだということも実感できるのが面白い。そんなんでええんか?親鸞

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    2016年06月03日
  • 親鸞(しんらん) 完結篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    覚蓮坊と竜夫人の闘い
    一般世間の人を代表する長男夫婦と親鸞の心理的距離関係
    親子の絆と念仏に対する正しい姿勢の中で苦悩する親鸞
    入寂前に、他力を実感し、他力本願を自分自身の中で完成させる。
    陰謀とアクション、親子の葛藤、親鸞と若き日の親鸞と関わりのあった人々、そして他力本願、複雑に絡み合い、最後には穏やかになる。

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    2016年05月29日
  • 親鸞(しんらん) 完結篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    他力本願とは何か?
    非常に分かりづらく、法然、親鸞が生きていた当時から、誤解・曲解があり、京を中心とした西日本では布教が制限され、やむを得ず北関東を中心に東日本で布教活動をしていたことが描かれる。
    特に「他力」についての、理解は難しく、悪行をなしても念仏すれば浄土にいけると理解されたりするが、作者は親鸞と唯円との会話で「他力本願とは何か?」「他力の本質」を表わそうとしている。

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    2016年05月29日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    越後に到着してから雨乞法要が終了するまで。越後出身の恵信尼が親鸞の唯一の妻女という設定。外道院や長治、鉄杖など魅力的な登場人物が出てくるがかなり駆け足気味で激動というよりも激流、あれよあれよというまに流されてしまっていて、親鸞なにやっとんねん、と突っ込みたくなる。地方に根付いた原始信仰の中に新しい宗教がはいっていく難しさを感じさせてくれてとても興味深い。

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    2016年05月29日
  • 親鸞(しんらん) 完結篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    親鸞のことを快く思わない者がいて、そこからの嫌がらせを受けるっていう、この物語に通底する流れは相変わらず。でも本巻は、身内の揉め事とかも絡ませてきたり、親子の葛藤が描かれたりもして、ちょっとバラエティ豊かな感じ。次でいよいよ完結だけど、どんな高みにたどり着くのか、結論が楽しみです。

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    2016年05月28日
  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    割と普通とは反対の考え方をしていて面白かった。
    明るく明るくと、プラスに考え過ぎず的なのも、なんだか良かった。
    明るくないとさも悪いみたいな、ネガティブは悪いこと?みたいな意見は「確かに。そういう世の中になってきているのが、問題かもな」と思わなかった考えが生まれたりした。最後の12章が良かった。

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    2016年05月19日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    ちょっと中だるみ感あり。もちろん親鸞その人がぶれまくっていてもいけない訳で、その信念の部分が動かせない以上、突拍子もない展開は望むべきでないのは分かる。ただ、降りかかる災難とか、それに対しての行動変容とか、結構なパターン化に陥っている気が… あと細かい部分だと、各章の結びで、ほとんど同じ文章でくくられているところ、複数箇所ありません?なんか気になっちゃいました。

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    2016年05月13日
  • 新老人の思想

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    世代間ではなく、老人世代同士で負担を分かち合うとの提言が新鮮で覚悟を感じる。言葉の端々にユーモアがあり、楽しく読める。

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    2016年05月10日
  • 下山の思想

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    登山は登り、頂点、下りで完成する。下りをマイナスと捉えず、必要不可欠な要素で大切にすべきとの示唆に共感。

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    2016年05月08日
  • はじめての親鸞

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    五木寛之氏の親鸞についての講義録。
    氏の親鸞についての著作は、多々目にすることが
    ありますが、この本も、他に劣らず面白い本であったと
    思います。
    氏が以前の書籍等で語っていることも含めて
    親鸞の人となりというか、歴史というか、などが
    うまく伝わってくるような内容だったと思います。

    特に、最後の質疑応答の部分がなかなか面白いと思います。
    例えば、親鸞の言っていることも、年齢によって、
    内容が変わっていて、それぞれが厳密にいうと
    矛盾するところがあるようで、そこに完全なる整合性を
    求めることは無意味であるととらえているところとか。
    浄土真宗とキリスト教の一神教的な考え方の同一性や違い
    についてな

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    2016年04月29日
  • 異端の人間学

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    日本人のロシアに対する昨今の関心の低さを憂う二人による博覧強記の対話。
    ウクライナ問題を考える上で必要な教養と時代の理解。
    ロシア市民にとって切っても切り離せない存在である詩と文学。
    知られざる異端とされた宗教の歴史。(日本には”隠れ念仏”はあった)
    現代の国際問題・外交問題の背景にある歴史や思想の理解を深める上で、近代文学をもっと触れようと思った。

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    2016年04月23日
  • 無力 MURIKI

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    五木寛之による、他力でも自力でもない無力(むりき)を説いた一冊。

    実際、自力でできることは限られるし、運などの他力に左右されることも多いので、非常に参考になった。

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    2016年04月11日
  • 蒼ざめた馬を見よ

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    戦後20年ばかりに書かれたものであり、戦争の名残が全体的に残っている。残っているというかそれに常に囚われているという方が近いかもしれない。つまり全体に暗く重い印象が付きまとっている。

    短編集はあまり好きではなかったが、本短編集はそれぞれの作品に何か共通するようなものを感じたし、多くを語らないことの効果も感じた。
    多くを語らない良さを感じたのは、作家の芸によるものか読み手の心情変化によるものかは分からないが新しい感覚だった。

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    2016年04月09日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    親鸞の俗っぽいところに共感を感じさせる。
    人に、南無阿弥陀とは何か、を問われ、また自分にも問い続ける。完結篇は、京が舞台。歴史に名を刻むべく行いが見られるはず。

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    2016年01月19日
  • 林住期

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    古代インドは人生を4区分する。学びの学習期、働きの家住期、そのあとに林住期と遊行期を迎える。定年後は林住期の時期にいる。気持ちが落ち込み生気を失いがちだ。五木氏はそうではなく、新しいスタートだという。それまでの、学校、家庭、会社、社会にしばられてきた生き方をリセットして、本当に自分がやりたいことを始める時期だ。趣味、社会奉仕、大学再入学等々いろいろあるはずだ。▼わたしも、その考え方に同意する。会社や社会や家族にしばられた考え方でなく、本来の自分自身の考え方で生きる。そんな時期だと思う。言葉通り林の中で静かに生きるのもよい。▼本の最後に解説者の立松和平氏が、林住期に重要なのは、「放下」であると説

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    2015年12月17日
  • 人間の覚悟

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    生きているだけで価値がある、というのは、実は人は生まれた時から何らかの関係を持っていて、そこで繋がりがあるから価値があるのだと思います。
    僕は、純粋に『生きているだけで価値がある』とは思いません。やっぱり、何か自分にしかできない事やアイデンティが持てないと価値が見出だせないと思います。で、生きていれば誰かと某かの関係を築き、刺激し合ったり、心地よくなったり、深く関わり合ったり、その関係の連続性が、現代では見えづらくなっているのではないでしょうか。その事に気付き、他力を信じる事が、著者の言いたい事なのだと思います。

    熊木杏里の『一千一秒』という曲の歌詞に、
    いつまでもあなたの傍らで
    冬の後の春

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    2015年12月02日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    友だちに借りた五木寛之の「親鸞」を読んでいますと、
    親鸞が説法の中で、当時、庶民の間で流行った歌、
    つまり今様(いまよう)を詠い出すシーンがあります。
    調べてみますと、これは梁塵秘抄の中に収められている歌なんですね。

    その梁塵秘抄は後白河法皇が巷で歌われている歌が
    このまま廃れてしまうのをおそれ、書き留めたものだとされています。
    また、万葉集は詠み人知らずや防人の歌なども文字を知らない人たちが歌ったものを
    大伴家持などが書き留めたものだとされています。
    詩人、安東次男は
    『この時代の歌は、現代のように目で読むために作られた歌ではない』
    何度も口に出し繰り返しているうちに
    このような歌が出来上

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    2015年11月12日
  • 自分という奇蹟

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    閉塞感が漂い、なんだか嫌な事件も多い気がする最近。著者は、これからは励ましではなく、癒しの時代だといいます。明るく前向きに、だけではなく、悲しみをしっかりと受け入れることで人は元気を取り戻せる。わかる気がする。このご時世、前向きなだけな人ってあまり信じられない気もする。そういえば、今年観た映画「インサイドヘッド」のテーマも同じようなものだったか。

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    2015年10月24日
  • 生きるヒント5 ―新しい自分を創るための12章―

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    ネタバレ

    小学校だったかの時に、教科書で読んで「人は皆泣きながら生まれる」っていうのに視点が変わって面白かったのでそのまま買って、なんとなく手離せなくて持っていた。エントロピーの法則とかもなんか引っかかって。けど、あれ、今なんか手離せるとすんなり思ったので。さらっと捲ったけどお喋りの上手な人の雑談を目の前で聞いてる感じがした。すごい聞きやすく話すなあ…と吃驚しておもしろいかんじ。でもこういうのは考えすぎちゃってなんか当時動きづらかったような気がする…今思うことだけども。

    『道教というのは、海のような思想なんですね。きれいな水も濁った水も、流れてくるものすべて受け入れて、その中でもう一遍新しい水を水蒸気

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    2015年10月05日