五木寛之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本が呼ぶのか自分が呼び寄せるのか、そのときにベストな本と出会うことがたまにある。タイトルや表紙に惹かれる本は大概当たりだったりする。この本がまさにそれだった。
斜に構えれば主人公の辿る道筋にいちいち難癖を付けたくもなる。しかし、舞台は60年代なんだからこれでいいのだ。当時に生きていなかったから、いくら現在の尺度で判断しようとしても無駄だ。
変などんでん返しもなく、純粋に最後までトントン拍子にストーリーが進んでいって読んでいて気持ちがよかった。
その順調な展開が、時が経てばずいぶん青臭いと苦笑するかも知れない。だけど、青臭さを感じられることを大真面目に言葉にできたこの小説が生まれた時代がうらやましいことに変わりはない。
60年代や70年代辺りに、ジャズ喫茶でコーヒーを片手にこの本に熱中して異国に夢を求めて旅する主人公に憧れていた若者がいたかも知れない。そんな過去の若者たちとの交錯に思いを馳せられるのもまたよかった。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
そろそろ覚悟をきめなければならない。
「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。
希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることである。
これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか。
たとえこの先が地獄であっても、だれもが生き生きした人生を歩めるように、人間存在の根底から語られる全七章。
[ 目次 ]
第1章 時代を見すえる
第2章 人生は憂鬱である
第3章 下山の哲学を持つ
第4章 日本人に洋魂は持てない
第5章 他力の風にまかせること
第6章 老いとは熟成である
最終章 人間の覚悟
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
無数の病をかかえつつ、50年病院に行かない作家が徹底的に研究し実践しつくした、常識破りの最強カラダ活用法、満載。
[ 目次 ]
第1章 不信と不安の時代に折れずに生き抜く知恵(健康は人生の目的 「身体語」をマスターする ほか)
第2章 私の「気やすめ」養生法(私はこんなふうに養生につとめてきた 非常識といわれても ほか)
第3章 私の実感的養生法(できるだけ病院にいかないという生きかた きょう一日の養生を考える ほか)
第4章 腰痛との長い付き合い(腰痛が訴える命の悲鳴 腰痛かかえて東北紀行 ほか)
第5章 私が感じる素朴な疑問(ストレスは本当に悪玉か? 現代はストレスが激化しているのか? ほか)
私自身の体験と偏見による養生の実技100
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
■『生きるヒント』以来、五木寛之の本を読んで「意志」を持つことの再認識。
○どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。
私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が
国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれる
とも思わない。(P7)
○国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところで
国は私たちを守ってくれない、と「諦める」ことこそ、私たちがいま覚悟
しなければならないことの1つだと思うのだ。(P9)
■これは会社にも、組織にも、コミュニティにも当てはまる。
○これまでの自分をいったん捨てさったところから、新しい生活がはじまる。(P14)
■わかるというということは、昔の自分が一度死んで、新しい自分(新しい行動規範で動く自分)
が誕生したという点で、事件なのだということ。
○戦後五十年は躁状態。現代は避けようのない鬱の時代。(P40-46)
○人間は、最後は一人で死んでいきます。夫婦であれ親子きょうだいであれ、他の人と一緒に
死ぬことはできません。だれでも最後は一人なのです。しかし、そのことが分かっている
人間同士が身を寄せ合って一緒に何かをしていくからこそ共同作業というのは尊いのだと、
考えなければなりません。(P94)
○人間はDNAの二重螺旋構造のように、善と悪の両方を内包して、悩みながら生きていく
しかないのであって、少なくとも、そういう悪を抱えて生きているという意識のかけら
ぐらいは持つべきだろうと思います。(P160)
○トルストイが言ったように、「知識人や芸術家は一介の農夫に学ぶべき」なのだという
気もしています。いかに優れた知識やセンスを持っていても、彼らが自然とともに
生きていく中で養い、体得している情念にはかなわないものがあると思うのです。(P165)
○親鸞は、弟子一人もつくらず、と言いましたが、それは結局のところ、人は一人でいく、
ということなのではないか。(P172)
○自分の親もきょうだいも、夫婦も子どもも、自分の一部ではない。むしろすべての人々が
兄弟、家族であると考える。それは逆に人間は最後は一人という考え方と同じです。
人生は孤独で、憂いに満ちています。あらかじめ失うとわかったものしか愛せません。(P190)
■一人でいることが当たり前。友達、家族がいるのは、尊い奇跡。