五木寛之のレビュー一覧
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小説というよりもポエム、
自己啓発というよりもスピリチュアル、
そんな本。
「食って寝るだけの人生なんて嫌だ」
「あいつらと私は違う」
“意識高い系”という言葉が一時期流行ったが、「意識が高いこと」、それ自体は何の問題もない。問題があるとするなら、「私はあいつらとは違う」と、周囲を下にみるような態度をとるときだ。はみ出しものでかまわないが、だからといって、私以外のその他を蔑めば、愛のない人となる。
では、周囲に手を差し伸べることが「愛」か。裕福な人が貧しい人を支援すれば、それが「愛」なのか。
──ぶっちゃけ、「胡散臭い本である」と、私はそう思った。
その印象は最終章を読むことで少し変 -
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天国の中に天国はない。
地獄の中に天国があり、濃い闇を見て背後の光に気付き、夜があるから朝が来る。
「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」と包括的に生きること。
親鸞の「寂しさから逃げてはいけない、寂しさはあなたを育てる運命」という言葉は印象に残った。
干天の慈雨に感謝して寛容に生きろということを伝えたかったのかなと思った。
今生きている世界では大多数の人が周りとの比較や自己顕示欲に囚われていることが事実。
そのため、私も生にランクの違いはなく、それぞれの想いを抱えて今日まで生きていることが偉業なのだと思いたい、思っているが、どこか隅の方で自分が他人より幸せではないと感じたり、幸せに -
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なんとか前向きに生きたいと思う。しかし、プラス思考はそう続かない。頑張ることにはもう疲れてしまった―。そういう人々へむけて、著者は静かに語ろうとする。「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」と。この一冊をひもとくことで、すべての読者の心に真の勇気と生きる希望がわいてくる
…………
言ってることはわかるが、やはり背景が古いので、何となく心には響かない。
当時の人々には響いたであろうが。
今の世代には難しいかなぁ。
戦争の頃の話を持ち出されても、想像ができない自分がいる。随所に -
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ネタバレボケは自然の流れの中にある。
親鸞は75歳頃から和讃(歌詞)を書き始めて90で死ぬまで書き続けた。
鼻歌を歌う=ボケてる人で鼻歌を歌う人はいない。
「人は軽気がよき」(蓮如)最後まで軽薄なくらい活動的に生きる。
衰えは、聴力、視力、咀嚼力、歩行力からくる。
ときどき遠くを見て、焦点距離をあわせるトレーニングをする。目をパチクリさせる。上目遣いに見る。上瞼を上げる。
物忘れはほっておかない。執念深く思い出す。
認知症のリハビリ療法には、回想法で昔の話を思い出すトレーニグがある。
一日に3人、知らない人と口を利く。
オレオレ詐欺は寂しいから引っかかる。
聞こえないことをほっておかない。 -
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92歳にしてなお執筆をつづける著者がこれまで接してきた著名人の言葉を綴った本。
目次を見れば十分。
ことばにまつわるエピソードも短い。
もっと深いと思ってた。
はじめに
寺山修司
ぼくはあなたよりも、あなたが読んでいる本に興味があるんだ
徳大寺有恒
命、お預かりします
小林秀雄
人間は生まれた時から、死へ向かってとぼとぼ歩いていくような存在です
八千草薫
激しい豪雨ではなく日本らしい雨期になって欲しいです
秋山庄太郎
鍛えれば歯茎でスルメでも噛めるんだ
三木 卓
ぼくらは同じ刻印を背おった人間だから
藤子不二雄(A)
みんな薄情なんだなあ
犬養道子
世の中はちょっとルーズ -
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周りから遅れを取らないように、気がつけば人生の喜びを後回しにしてまで必死に生きていた日常に、新たな活力を与えてくれた本。
ジョナサンは決して、同調圧力に飲まれることなく、「飛ぶ喜び」を追求する。その生き様に、私ももっと毎日を、自身の人生の喜びを追求するように生きていいのだと励まされた。
また、落ち込んだり、感動したり、また反省したり、一喜一憂するカモメの姿は、愛らしくもあり、私たちも共感できる部分が多々あるのも面白い。
ストイックに飛行の練習を繰り返すカモメの描写を読むと、無性に私も物事に熱中して努力をしたくなってきた。
とはいえ、一日中好きなことをしているわけにはいかないし、嫌でも生きるため