あらすじ
「歓ぶ」「惑う」「悲む」「買う」「喋る」「飾る」「知る」「占う」「働く」「歌う」日々の何気ない動作、感情の中にこそ生きる真実がひそんでいる。究極の「マイナス思考」からの再出発を提唱する著者が、そこから始まる新たな希望への有様を全て盛り込んだ、現代人必読の書。
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Posted by ブクログ
小学校だったかの時に、教科書で読んで「人は皆泣きながら生まれる」っていうのに視点が変わって面白かったのでそのまま買って、なんとなく手離せなくて持っていた。エントロピーの法則とかもなんか引っかかって。けど、あれ、今なんか手離せるとすんなり思ったので。さらっと捲ったけどお喋りの上手な人の雑談を目の前で聞いてる感じがした。すごい聞きやすく話すなあ…と吃驚しておもしろいかんじ。でもこういうのは考えすぎちゃってなんか当時動きづらかったような気がする…今思うことだけども。
『道教というのは、海のような思想なんですね。きれいな水も濁った水も、流れてくるものすべて受け入れて、その中でもう一遍新しい水を水蒸気として出したり、新しい生命をはぐくむ、そういう包容力のある世界が海だ。』
『「真のユーモアの源泉は哀愁である」と。~本当のよろこびというものを知る人間は、深く悲しむことを知っている人間なのではないか。』…『<暗愁>…心に重く深い悲しみや憂いを秘めているほど、逆に<楽しみ>をつよく求めるものではないか。』
「日本人の旅びとよ、あなたは急きすぎる。そんなに急ぐと大事な時間を見失いますよ」…イランの<売り買い>の文化…『ぼくらは物を買うことを心から楽しまなくては』
『その人の歳に応じて、ある作品に縁があるかないかが大事なのです。~一定の価値を持った作品が、一定の感動をすべての人に与えるというふうに考えるのはまちがっていると思います。』…相性ってあるよなあとなんとなく。
知…生きる歓びや方向、自信。また、より深い絶望、悲しみ。
『さらに、もっとも私たちが注意しなければならないことは、安易にマスコミから流れだす情報をうのみにして、なにかすべての真実を知ったつもりになってしまうことでしょう。~なにか変だな、と心の片隅でふっと感じた時には、その感覚を信じて、大きく自分の目をみひらき、世間で言われている一般的な知識というものに疑いの目をむけなければならない。<王様は裸だ!>というのは<知>というものにとらわれない子供のいきいきした視線をほめたたえる言葉ではないでしょうか。~言葉は矛盾しますが、バランスをとって生きていかなければなりません。』
梓巫女…名前がかわいい…。
『木を伐る前のお祈りをするといった、そういう習慣があったわけです。』
『生きている、ということは、とりもなおさず、他から生かされている、ということでもあります。』
・・・・・
『忘れたくて忘れているのではないか。』
『<倶会一処>…死ぬということは、別れるだけでなく、あの世でふたたび出会うことでもある~そして物語の水脈は人間の歴史とともに常に絶えることがありません。』
『永遠に生き続けようとする遺伝子こそが生命の主人公で、人間というもはその乗り物にすぎない、というユニークな説も紹介されました。』
『世の中には人間よりも動物のほうをもっと愛している人も、いないわけではありません。~愛の姿はさまざまです。~いずれにせよ、<愛する>というのはこちら側の行為です。自分がそうせずにいられないから愛するのです。~こっちが勝手に愛するわけですから、見返りを要求するほうが変でしょう。愛する、というより、愛させてもらう、といったほうが正確な気がしないでもありません。~相手がそれに十分にこたえてくれない、また、誠意を示してくれない、裏切られた、などと私たちは勝手に傷つくのです。子供を産むのももともと自分たちの勝手からです。』
「鎌倉の自宅から駅まで歩くあいだが退屈なんで、なにかおもしろいことはないかと考えたんだ、そしたら、あるときふと、いいアイデアがうかんでね。花の種をいろいろ買ってきて、それをポケットに入れて家を出ることにしたんだよ。駅への行き帰りに、歩きながら道の脇の立派なお屋敷の庭に、パッ、パッとポケットの中の種をまく。人が見ていないときに垣根ごしにこっそりとね。そうしたら、やがて道の両側のりっぱなお屋敷の庭に、マツバボタンやらヒマワリやら、いろんな草がニョキニョキはえてきてさ。やがてとってもきれいな花が咲いた。あれは楽しかったねえ。まるで自分が花坂爺さんにでもなったようないい気分だったなあ」
「わが校の子供は、ひとりで天国に行ってはいけません。おおぜいのお友達を誘って行きましょう」
「なんでボランティアに参加したんですか」~「おもしろいから」…メディアにも相性ってあるよな、と思う。テレビも作られているものであるから。好みの問いがあるかどうかかなあ。
『たぶん人が丘にのぼりたがるのは、丘のむこうがわの世界を見たいからでしょう。』
『なぜかと言えば物を書く人間には先輩も後輩もないからです。~僕は基本的に解説はつけるべきではないと思っている。だけど、もしも解説が必要ならば、いわば食後のデザートのような、作品を読んだ後味をさらに充実させ、楽しさを倍加できる、そんな解説がついていれば素敵だと思うね。』
<ひらがなで考えたらええんよ>…田辺聖子さん…うわ、かっわい…とちょっと目を押さえた…。
「あきらめきれぬと あきらめた」
『違うから手をつなぐ。違わなければ手を繋ぐ必要もない。』
『もしいきなり殴りかかってきたとしたら、むしろそのほうがどれほどすっきりしたかもしれません。しかし、同じ表現の仕事にたずさわる相手が、自分の目の前に土下座している――、そういう状況はじつにいやなものです。そこではいやおうなしに、こちらが強者の立場にさせられてしまうのですから。』
「わたしは生活を馬鹿にするひとをいっさい信用しません」
「寝るより楽はなかりけり。寝るより楽はなかりけり。」~「浮世の馬鹿がおきて働く」…絵になるなあ、と思った。小説読んだみたいだなと…。
『南アジアのある先住民の社会では、一日のことを「ひとつの昼」と「ひとつの夜」と呼ぶところがあるそうです。私たちが一日と簡単に呼んでしまうものを二つのまったくちがった世界と考えるわけです。』
「がんばりなさい」~「ありがとう。でも、もう私はいいんです」…これはこれで素敵だと思うけれど。