あらすじ
かつてインドに「仏教」はなく、「ブッダの教え」「ブッダの考え」があった。はたして「ブッダの教え」とはいったいなんだろうか。「仏教」とは違うのだろうか。人々が仏教に求めているものとは何なのか、仏教はそれにどう答えてくれるのか、著者の考える仏教のすがたをまとめた文章に、河合隼雄氏、玄侑宗久氏との対談を加えた一冊。
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Posted by ブクログ
真宗の仏教徒である五木寛之さんのエッセイ。玄侑宗久さんとの対談などもあります。
現代に即して仏教には変わるべきところがあるという話が面白く、共感できた。
確かに極楽の描写は昔のひとにとってはさぞ魅力的だったと思うけど、美しい色彩はあちこちの公園やイルミネーションで見られるし、妙なる音楽もダウンロードしてイヤホンで聞ける。そして、お釈迦さまが「無記」としたあの世のことについても語るべきなのではないかと。老いと死に関わる仕事が増える世の中、仏教からはどうやってアプローチするのがいいんだろう。
Posted by ブクログ
著者の仏教にかんするエッセイのほか、臨床心理学者の河合隼雄、作家で禅僧の玄侑宗久との対談を収録しています。
著者は、作家業を休止して龍谷大学で仏教学を修めており、また親鸞や蓮如をはじめとして仏教を題材にした多くの作品を刊行していることで知られています。そうした著者の仏教に対する関心は、一方では現代人にとって仏教のもつ意義を問いなおすことへと向かっていき、他方では日本における仏教受容の前史へとさかのぼっていきます。著者は、百済から仏教が渡来する以前にも、民間の交流を通じてさまざまなしかたで仏教がこの国に伝えられていたと考えており、そこでは口誦伝説や生活体験、迷信のようなものを含みもっていたにちがいないと主張しています。
こうした著者の関心は、民俗学的なアプローチにもとづいて日本仏教の研究をおこなっている人びととある点では共通するところがありますが、ある世代までのリベラルな政治的立場の文学者や思想家たちにときおり見られる、日本の原像のうちに多様性を見いだそうとする姿勢に通じるもののように感じられます。一方で、そうした姿勢がいわば民俗学的な想像力の助けを借りることであらたな「物語」を紡いできたことにも、注意を向けておくべきでしょう。たとえば、著者は上述のような日本の仏教受容が現代人の精神のうちにも生きつづけていると考えており、その「寛容」性に現代の宗教間の対立を克服する可能性を見ようとするにいたっては、日本文化をやや都合よく一元化して理解しているのではないかという疑問をおぼえてしまいます。