浅田次郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
10年ほど前に出版されたものを私は読んだのだが、今回は新たな書き下ろしの短編を加えて完本として出版された。
東京都の奥多摩の霊山・御嶽山の上にある神官屋敷は、浅田氏の母親の実家なのだそうだ。
浅田氏が少年だった頃、従兄弟やはとこ達と夏休みのほとんどをこちらの屋敷で過ごしたとのことだ。
就寝前、布団に横になった子供の枕元で、美しい伯母から怪談めいた夜語りを聞かされるのが常だった。
怖い話なのだが、少年少女達は不思議な世界へ引き込まれていた。
これらの話は、太古から神主に語り継がれたもので、浅田氏はこれに脚色を加えて短編集としたとある。
浅田氏のおじさん、おばさんから聞いた話の時代は、明治の頃から戦前の話のようだが、現在の御嶽山の環境とは大違いのような気がする。
神官屋敷の周辺には宿坊としての屋敷が30軒程あったようだが、麓からは険しい山道となっていて、この地域は隔絶されたような集落だった印象を受けた。
この物語の怖いところは、神の所業にあるといっても良い。
神社とお寺の怖さを比較すると、圧倒的に神社の方が怖さは勝ると浅田氏は語っている。
お寺やお墓の怖さには、人間そのものに関わった恐怖だが、神社には八百万の神(やおよろずのかみ)がぞんざいし、その数と種類の多さから様々な異界が生じているためだという。
そういえば他宗教には崇める「実像」が存在するが、日本の神には具体的な「像」というものが存在せず、自然を含めた万物が神というところにあるからだろうか⋯。
山、川、海、岩、大樹、小動物など、あらゆるものが神となる信仰は珍しいものだろう。
この一冊、「日本の言葉」と「日本の自然美」を愛でる浅田氏にとっては真骨頂の内容が盛り込まれているような気がした。 -
Posted by ブクログ
小説だと思って手を伸ばしたら、エッセイでした。笑
久々に浅田さんの本を読んだら、文章がなんとなく小難しい感じがして。
歴史の話が出るとさらに小難しい感じがしてしまい、途中までは「今の自分には合わなかったかも」と思いました。
しかし、短編の中にクスッとしてしまうエピーソードが盛り込まれていたり、昔の記憶に思いを馳せる浅田さんに共感して、一緒になって昔の記憶に想いを馳せたりしていると、そんな思いはどこかへ行ってしまいました。笑
浅田さんが、昔から読書や活字が好きということが、この本のあちこちから感じ取れて、恐れ多くも同じ読書好きとしてなんだか嬉しくなりました。 -
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オーディブルにて
連休だったこともあり、1~4巻まで一気に聴き終えた。おなじみの上手いナレーターさんで耳障りもよく、四六時中聴いていた。久々に小説らしい小説に出会った。
時代は世紀末の動乱の中国。西太后の清の時代で、第4巻になると袁世凱やら、少年の毛沢東やらが出てくる。1巻、2巻、3巻、4巻で、まんま起承転結だった。
ただ歴史を動かすような主な登場人物が全員架空の人物で、乾隆帝の亡霊が頻繁に現れたり、老婆の歩き巫女からのご託宣があったりして、ファンタジーに寄りすぎてて、全体的に軽くなった気がするなぁ。
19世紀末中国の、おどろおどろしい雰囲気はいいなあ。
日中合作でドラマ化されてるのだけど、西太后を田中裕子が演じてる。改めてすごい女優さんだと思った。 -
Posted by ブクログ
談話室で「笑えるエッセイを教えてください!」と投稿したところ、おススメしていただいたものです。(おススメいただいたものは順番に読んでいこうと思っています。)
浅田次郎さん・・・こんなにも著名な方なのに、ほとんど読んだことないです!今、いそいそとWikipediaを調べましたが、たぶん「椿山課長の七日間」くらいか・・・あと「鉄道員」は映画で見たような・・・と書いたとたん、急に記憶が蘇ってきましたが、なぜか高校時代、我々女子バレー部のうら若き乙女が数人集まって、映画「鉄道員」の鑑賞会をした記憶があります。あれはなんだったんだ・・・。と、おそらく原作を読んでいないのに浅田次郎さんといえば「鉄道員」というイメージです。
いやいや、また思い出しましたが、昔々、これまた若かりし頃、月に1~2回東京に出張する仕事が2年弱ほど続いていたことがあり、その時の東京出張は同行する課長の強い要望でJALを利用しており、その機内誌で読む浅田次郎さんの連載を楽しみにしていました。月に2回目の出張となると、機内誌が最新刊に変わっていないわけで、ちょっと残念な気持ちになっていたものです。
かなりいらない情報ばかり書いてしまいました(反省)。
で、本書がそれだったわけですね。JAL機内誌に連載していた「つばさよつばさ」をまとめたものの第4弾とのこと。
ガハハというより、くすっと笑える軽快なエッセイでした。自分でデブだハゲだギャンブラーだと豪語して、苦しみながらも作家という生業を、それこそ、天職のように楽しんでおられる様子がありありと伝わってきて、「もし生まれ変わったら来世は編集者でもいいかもしれない」(←え、そっち?)と思ってしまいました。だって、取材と称した海外旅行に編集者も同行している様子がとても楽しそうなんです。浅田氏のような気の良さそうなおっちゃん作家さんと取材旅行なんて、絶対楽しいでしょ、という楽観的な憶測ですが。
さて、一通り読み終えてみると、表題になっている「竜宮城と七夕さま」より強く印象に残ったのは、浅田氏の昔の思い出でした。蒸し暑い晩に家の前に縁台を出して涼んだ、どこの家にもテレビなんかないから、みんなで花火やら将棋を楽しんで、路地は賑わっていたという、見たことのない昔の習慣に、もちろん現代にはまったく合わない風習であるとは思いつつもなんとなくあこがれる気持ちがありました。子どもは近所の大人たちに囲まれもまれ、成長していっていたのだな~としみじみ羨ましい気持ちが湧いてきました。
「学生街の喫茶店」では、当時中学生の浅田氏が神田で古本屋を見てまわり、今はスタバなどにとってかわられてしまった古き良き喫茶店をはしごしては、コーヒー一杯で買ってきた本を読みふけるなんて、「うぉ~」と声が出そうなほど羨ましい。そんな時間が必要ですよね、人生って。一時期、湯島に住んでいたことがありましたが、私、実は本をよく読むようになったのは結婚後、特に出産後で、思うに、読書をすることで自分だけの時間を確保しようとしていたのかもしれないのですが、だから何が言いたいかというと、せっかく神田が近かったのに、古本屋巡りなんてしなかったなぁ、惜しいことをしたなぁという気持ちでございます。
いやぁ、しかし、破天荒なお父様、すごいですね(語彙力よ)。稼業を一新したかと思ったらソフト(家族)も一新しただとか、k自分が建てたビルの屋上のプレハブに旧ソフトからは浅田氏ひとりのみを住まわせただとか、なんじゃそりゃ。面白すぎます(だから、語彙力よ)。
面白かったです。浅田次郎さんが書く文章、好きでした。おすすめしてくださった方ありがとうございました! -
Posted by ブクログ
流人道中記・下巻。
青山玄蕃という人間の思想の高潔さ、というものに打ちのめされる下巻。ただ彼のそれは、武士道への反感や格差社会への諦念、といった鬱屈した部分が大きく作用したように思えます。その暗い気質を抱えながら、その上であの境地に至ったということが、高潔であると思うのも事実。
その一方で、理想を貫くことを選び、世間への反骨を示すことで、失わなくてもよいものを失ってしまうことになった、という一面もあるのが一滴の染みになってしまっているのか、とも思う。家族・家臣たちへ残したものが、それ。
玄蕃の生き様を見た乙次郎。彼がこの先の人生において、どんな行状を取るのか。怒涛の幕末、これまでの幕藩体制が崩壊し、価値観が一変する時代の中で、何を思い何を抱え何を支えとして生きてゆくのか。
最後、言葉を交わさずに別れた二人の間にあった、渡された残されたものがなんであったのか。それは、今後の乙次郎が人生を賭して表現してゆくしかないわけで。
それを見ることのできない「流人道中記」の終幕の仕方は、甚だ卑怯だと思います。
答えは与えられるものでなく、自ら見出すものである、と言われればそれまでですが、覚悟を持って幕末を生き抜いてゆくであろう乙次郎の姿を見たいという望みは、卑怯でしょうか。