あらすじ
ランキング独占、国民的大ヒット!
浅田次郎が贈る、新たな痛快時代小説。
「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」。流人・青山玄蕃と押送人・石川乙次郎は奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中行き会うは、父の仇を探す侍、無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女。旅路の果てで語られる、玄蕃の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、恥を晒してまで生き延びたのか?
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
大好きな作品。再読。
「人間が堕落して礼が廃れたから、御法ができたんだぜ。」
「大勇は怯なるが如く、大智は愚なるが如しという。ならば俺は、破廉恥漢でよい。」
実写化するなら、玄蕃は佐藤浩一に演じてほしいなぁ。
あ、玄蕃は三十代か笑
Posted by ブクログ
読み始めは、正直玄蕃様を好きになれなかった。善人であるのは分かるけど、自分の中で「この人は破廉恥漢である」とレッテルがあったためだ。しかし、読み進めていくと本当は破廉恥漢で無く、「青山」という長年続いてきた武士の歴史を終わらせるために罪を被り、自ら贄となったと知った。私は胸の奥が痛く、レッテルを貼っていた自分を恥ずかしく思えた。
心に残ったフレーズは
「礼があり、それから法ができた」
好きなシーンは
①押送最終日、玄蕃が乙次郎の服を洗ってくれていた。
玄蕃「全く仕様のねえお与力様だの。ほれ、着替えろ。夜なべで洗うて火熨斗(ひのし)を当てておいたぞえ」
乙次郎「誰が。どうして、どうして」と袖を掴んだまま泣いているシーン
②観音様に願うシーン
玄蕃「何を願ったのだ」
乙次郎「あんたが無事に帰れますよう、南無観音様」
玄蕃「乙次郎。俺は勝手をしたか」
いや、と言いかけたが言葉にならなかった。僕は非を決したまま泣いた。父を送る子と同じように。
③別れのシーン
玄蕃「ここでよい。苦労であった。」
立ち塞がるようにして玄蕃は言った。取り乱す僕を見兼ねたに違いない。
乙「いいえ、玄蕃様ー」
初めて名を呼んだ。僕にとってこの人は、決して流人では無い。立ちこめる霧を腹いっぱいに吸い込んでから、僕は陣屋に向かって進み出した。
「新御番士青山玄蕃頭様、ただいまご着到にござる。くれぐれも御無礼なきよう、御案内下されよ」
僕は踵を返して歩き出した。すれ違う一瞬、玄蕃はにっかりとほほえんだ。
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「大人の男」玄蕃と長旅をした乙次郎の成長物語。まもなく迎える明治維新に先立って、武士であることを終わらせた玄蕃の考え方、生き様が深く胸に刺さった。
勝手ながら、映画化するなら玄蕃は大泉洋、乙次郎は礒村勇斗のイメージ。
Posted by ブクログ
青山玄蕃に引き込まれて、本の終わりが近づくのが淋しかった。玄蕃の思いも大切にしたいけど、あやつに一矢報いて欲しい気持ちも収まらない。
巻末の杏さんの解説にもあったけど数年後には明治維新。対馬守に天罰が下り、乙次郎はきぬと子供達と仲良く暮らし、玄蕃も家族と再び一緒に暮らせるようになり…そんな物語の続きを読んでみたいな。
Posted by ブクログ
時代背景がやっぱり掴みきれずに上巻よりも読み進めるのに時間がかかってしまった。玄蕃が冤罪とわかってから(その少し前から)は玄蕃の人としての魅力がわかって面白くなった。
最後の方の会話のなかで「道場でも面の中で泣くやつは強くなるものさ」と乙次郎の幼少期を知らないはずの玄蕃が乙次郎に言うのがグッときた。
このあとの帰り道を1人で歩く乙次郎がどうやって返って、江戸でどんな風に生きるのか気になる。
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ついに読み終えた
だんだんと流人のことが好きになり、どうか、と思うようになるが、しかし、それは叶わず、、
生き方を考えさせられる本に久しぶりに出会った
Posted by ブクログ
流人道中記・下巻。
青山玄蕃という人間の思想の高潔さ、というものに打ちのめされる下巻。ただ彼のそれは、武士道への反感や格差社会への諦念、といった鬱屈した部分が大きく作用したように思えます。その暗い気質を抱えながら、その上であの境地に至ったということが、高潔であると思うのも事実。
その一方で、理想を貫くことを選び、世間への反骨を示すことで、失わなくてもよいものを失ってしまうことになった、という一面もあるのが一滴の染みになってしまっているのか、とも思う。家族・家臣たちへ残したものが、それ。
玄蕃の生き様を見た乙次郎。彼がこの先の人生において、どんな行状を取るのか。怒涛の幕末、これまでの幕藩体制が崩壊し、価値観が一変する時代の中で、何を思い何を抱え何を支えとして生きてゆくのか。
最後、言葉を交わさずに別れた二人の間にあった、渡された残されたものがなんであったのか。それは、今後の乙次郎が人生を賭して表現してゆくしかないわけで。
それを見ることのできない「流人道中記」の終幕の仕方は、甚だ卑怯だと思います。
答えは与えられるものでなく、自ら見出すものである、と言われればそれまでですが、覚悟を持って幕末を生き抜いてゆくであろう乙次郎の姿を見たいという望みは、卑怯でしょうか。
Posted by ブクログ
武士の生き様、信念を感じられる物語。
玄蕃と乙次郎の道中記。
下巻です。
無罪の罪をかぶり、磔となる少年との出会い。
そして、敵討ちの結末は?
玄蕃の導いたこの落としどころはちょっと悲しい。
さらに、故郷の水が飲みたいと願う病状の女との出会い。
ここちょっと面白い!
変なお決まりがあったんですね。
旅も終盤になってきて、この旅を通して語られるのは、武家の辛さ、厳しさ。「礼」と「法」の意味。
そして、いよいよ、旅の最後で語られる玄蕃の罪の真実。
そこにあった玄蕃の武士としての矜持。
家と取り潰してまで貫いた玄蕃の信念。
これは、唸ります。
そして、最後、乙次郎との別れには、熱いものがこみ上げました。
お勧めです。
Posted by ブクログ
旗本の流人と見習与力の押送人の道中記。
玄蕃の犯した罪はなかなか語られない。
道中に出会う色々な事情を抱えた人々への深慮と筋の通った振る舞いを見れば見るほど、聡明さと信念、透ける孤独に魅かれていく。
これだけの人が切腹を拒否した理由は単純ではないとわかりつつ、後半につれて語られる正体と罪をどこか知ってしまいたくない。知れば罪を撤回したくなるから。
信念を貫くのは簡単ではない。でもそれを玄蕃は選んだ。旅の中で玄蕃の生き様を見て生まれた乙次郎にとっての礼が新しい道の導になっていくのだろう。
歴史小説が苦手な私が浅田次郎さんの小説を好きな理由は人物が本当に魅力的な所。存分に味わいました。
Posted by ブクログ
マイケルサンデルさんの「実力も運のうち 能力主義は正義か?」the tyranny of meritの小説版と言えなくもない。
人は生まれる時代も場所も親も何も選べず生まれてくる。
容貌も頭脳も身体能力も。
遺伝要因と環境要因以外に、意思など自由になる要因はあるのだろうか。
最初の起点である、生まれ出る要因のどこにも、主体としての意思がない以上、論理的には、木に竹を継ぐように、意思や自由が立ち上がるのは、やはり筋悪の議論と言わざるをえないのではないか。
また、社会に目を向けると、法、というものも社会、組織など集団に、一定の秩序をもたらすため、必要になることも分かる。
しかし、法など、それが議会制民主主義の下で定められようが、封建領主の下で定められようが、不完全、あるいはある局面においては有害なものにならざるをえない。
統治機構も、どれだけの頻度で最適化するのが適当かは分からないが、状況により見直すことが不可欠である。しかし、その機構の構成員は、どんな状況にあっても、機構の存続のため懸命の努力を行う。
結果、相当程度大きな不都合により、転覆されるまで、軋みを増しつつ続くことになる。
しかし、人が生きていくためには、意思や自由という虚構が必要であるとは思う。
礼、もその軸の一つであろう。
一人ひとりが、礼、美しさを希求し、軋みで損なわれてしまうものを、なんとか救い出そうとすることによって、人の世は住むに値するものになるのではないか、ということが著された作品だと思う。
論説文で積み上げる論理の力も重要だが、難しいことを書き連ねることなく、エッセンスを伝える、小説の力に改めて感じ入った。
解説に杏さんの文章があった。
なんだか若い子だけどいろいろ苦労があったように報じられた子だったか。
年号など気にせず読んだが、江戸幕府最後の数年が舞台だと解説。
杏さんが指摘する通り、そうしたことも踏まえると、登場人物のこれからが少しでも明るさを増すのではと期待できて、一層よい読後感を得ることができた。
Posted by ブクログ
「武士とかクソだし、固執するのもクソだからとりあえず家つぶすわ」ってことでいいんだろうか?
私も乙次郎と同じで、もう少し他にやりようはなかったのか、と思うんだけど、300年ですっかり膠着してしまった世の中では無理か…となった。
玄蕃も気になるけど、乙次郎が江戸に帰ってどうするかが気になった。(というか玄蕃いなくてちゃんど江戸まで帰れるんだろうか…)
あともう少しで幕末だ!頑張れ!とナゾのエールを送りたくなったw
Posted by ブクログ
「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」。流人・青山玄蟇と押送人・石川乙次郎は欧州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。道中、様々な人々と出会い、ある思いが二人を包み込む。玄蟇の抱えた罪の真実。武士の鑑である男がなぜ、恥を晒してまで生きねばならなかったのか、その理由が此処に・・・。
Posted by ブクログ
時代ものなので、読む前は勧善懲悪、痛快時代小説の類いかと思った。
しかし、なんとか知恵を働かせて、無実の子を救うのかという勝手な想像が見事に裏切られた時点で、そんな安易な内容でないことを思い知った。
時代小説の様相で、ヒトの懊悩を描いてくれていた。
Posted by ブクログ
結局は身分、立場関係なくいつの時代もみんな悩みながら生きているという感じかな。
今と違うのが、そこに命が関わっている、というところ。
玄蕃はカッコいい。私の中ではずーっと「おでん様」で再生されてた笑
乙さんも最後にはちょっと成長した感じだし。
これから幕末→明治と2人はどうなったのかな?そんな話しも読んでみたい。
Posted by ブクログ
御仏が本当におられるのかどうかはさておき、今こうしてお菊を支え導いている人々こそが仏そのものではないか、と。「あると思えばある、ないと思えばない」という師匠のお言葉は、他人の善意に謝するか甘えるか、という意味なのではないか(p.165〜)
Posted by ブクログ
明かされた玄蕃の罪の真実。
法とは、礼とはと考えさせられはしたが、だからといって、家を取り潰してまでと考えてしまう。
玄蕃は満足しても、家族・家来などのことは考えなかったのだろうか。キレイごとすぎるように思えてならない。
玄蕃と乙次郎の別れのシーンは良かった。
後日譚として、乙次郎のその後も読んでみたい。
Posted by ブクログ
上巻よりも読みやすく玄蕃の罪についてもほどかれていく
乙次郎とのラストは流石
現状に疑問を持ち、考えることって難しい
疑問を持つことすら無くなってしまったら進まない
でも守りに入って見て見ぬふりをする
など、現代社会でもぶつかる壁に通ずることを
考えさせてくれる作品