小川洋子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
魔犬に襲われると死んでしまうから、決して外には出ないように。
そう母親に教えられ、箱庭の中だけで生きてきた三人の子どもたちの物語。
オパール、琥珀、瑪瑙、そしてあの子。
兄弟愛がなければ、発狂してもおかしくないような環境下で、皆が身体を寄せ合って、ひとつになって静かに生きていた。母親の歪さに気が付いたとしても、ここから出て行くとして、どこでどのように生きていけばいいのかその術を誰からも教えてもらえない子どもたちの無力さが、彼らをこの家に縛り付けていた。琥珀と瑪瑙は外の世界をあまりにも知らなかったから、家に居続けることが当たり前だっただろうが、オパールはきっとそうではなかった。だから、誰かが手 -
Posted by ブクログ
あまりに静謐で無言で無限で、こうして感想を残すことすらノイズになってしまいそう。
「アカシアの野辺」に住みたいかと言われれば悩む。
人に入りすぎるのも入られすぎるのも嫌だけど、あそこまで無言と孤独を愛せるだろうか。
「アカシアの野辺」の特徴から、衰退していくことは自明だったように思うが、少しずつ衰えていく共同体に暮らすことも「完全な不完全」を体現しているのだろう。
声を使って会話することのない野辺に住む男たちでも、一人一人が決まった木に思いを伝えることがある。
この小説では口から声を出さないことと、歌うことに焦点を当てているが、「聴くこと、聞き上手」な野辺の男たちにも作中触れられている。 -
Posted by ブクログ
『アンネの日記』は歴史の授業で習ったりと存在は知っていましたが内容までは全く知りませんでした。最初の入り口として分かりやすそうな本書を手に取りました。
10代とは思えない、大人も舌を巻く文章力や表現力、何より人生の価値観がありありと溢れている内容だと言うことがわかりました。
好きな言葉は本書のp105に出てくる、
「じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに、理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。(中略)いまでも信じているからです―たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。」
というアンネの言葉です。差別的な扱いを受け、学校にも通いたくても通えない、隠 -
Posted by ブクログ
主人公の朋子が、ある事情によって、芦屋の富豪でもある、伯父・伯母のお屋敷に、1年間同居することになった。お屋敷には、朋子より1歳年下の体の弱いミーナと、伯父の母親(おばあさま)、家事を手伝う米田さんと小林さんが住んでいた。ミーナには、スイスの寄宿学校に留学をしている兄がいて、彼も朋子がお屋敷にいる間に帰省をしてくる。そして、お屋敷にはコビトカバのポチ子が住んでいて、体の弱いミーナを乗せて、小学校までの道のりを送り迎えしていた。
物語は、そのような家族と偶然に1年間住むことになった朋子の視線で、その間のあれやこれやを描写したものだ。
正直、芦屋での1年間の描写は、少し退屈なものだった。が、ミーナ -
Posted by ブクログ
薄水色の妄想の世界をずっと歩かされているような気分になる。官能的なものであれ、少し笑えるものであれ、すごく淡くて遠い。小川洋子といえば薄気味悪い表現で、わたしはそれが大好きなんだけど、この短編はそのエッセンスは少し弱いかな。
「バタフライ和文タイプ事務所」は読んでいて感嘆の息を漏らすくらい好きだった。薬指の標本と同じ空気。
全体として、純粋な者との交流というのが一貫してあったと思う。「海」の弟、「風薫るウィーンの旅六日間」の琴子さん、「缶入りドロップ」の子ども、「ひよこトラック」の少女…。「バタフライ和文タイプ事務所」と「ガイド」はメインの登場人物2人ともに純粋さを感じた。その純粋さには現実 -
Posted by ブクログ
小川洋子さんの世界からただいま戻りました‥‥
どっぷりと世界観に浸りました。
おばあさんと二人暮らしのリリカ。
家の隣の広大な森を買い取り移り住んできたのは“内気な人の会”と称するグループ。宗教的施設でも、営利目的の会社でもなく、ただただ内気な人たちの集まり。やがて門には“アカシアの野辺”と書かれた看板が掲げられるようになる。
とにかく、“内気な人の会”とか“アカシアの野辺”とか、本を数ページ読んだだけで、小川洋子さんの世界へスーッと引き込まれて行きます。
“内気な人の会”の雑用係として働くことになったおばあさんと、その孫娘のリリカは唯一“アカシアの野辺”に入ることができる二人。
『魂を慰める