小川洋子のレビュー一覧
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どの物語にも共通しているのが、年齢や立場が違う人たちが、ほんのいっときだけつながるところ。
「人と人とのつながり」と言ってしまうと、なんだか少し足りない。忘れてはいけない、というより、忘れたくない、人間がもともと持っている大切なもの。そういうものに気づかせてくれるところが、小川洋子さんの作品の魅力だと思う。
普段は意識せずにいる、人間のもっと深いところにあるものを、思い出させてくれる感じが好き。
そして今回は、小川洋子さんにしては珍しく官能的な作品も。
読み進めるうちに、「ん? え、そういうこと?」と気づいて、ちょっとびっくりした。こういう作品も書くんだ、と新鮮だった。 -
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舞台は、静かというよりほぼ無音なのに、大切な音や声だけは伝わってくる。
わかりやすい事件や出来事が起こるわけじゃないのに
独特の胸騒ぎがする。けれども決して不快な胸騒ぎではないので不思議。
静かにゆっくり何かが動いていて、最後にごとっ!と音を立てて結末に行く感じ。
りりこの人生の大きな出来事だけを文章で羅列してみると、悲しい、切ない、可哀想、となるかもしれないが、その最後には、この人らしい終幕というか、
落ち着くところに落ち着いた、というような印象。
りりこの人生は可哀想なのか?
母親は長い髪の毛で自殺、祖母と生きてきて
その祖母も亡くなってしまって、
1人で暮らしていたが、独りぼっちだったのか。
けして賑やかではないが、賑やかや、派手さが、
幸せや豊かさとは違うのではないか。
その景色の一瞬だけを切り取ると、
りりこの人生は、寂しい人生と言われてしまうかもしれないけど、
その歌声と共に生きて、
最終的にはその歌声を求めて1人の人が訪ねてくる。
そして訪ねてきた時に、本人はそこにいなくても、
本人について伝えてくれ、一緒に想いを馳せてくれ、りりこが大切にしてきた仕事の仕方を守ってくれる人がいる。
それはすごく
やさしい人生を送ったというか、
豊かだったきがする。
人の人生は
いろんな面があるし
長さや派手さだけでない。
自分以外の何かに対して
可哀想だとか切ないとか感じることは大切だし、
他者に対して想いを巡らせることも大切で、それ自体はとても優しいことだけど、
想像の域を超えて、決めつけるのは違うなと
自分の暮らしに置き換えてみても思える作品だった。
物語を通して、静かでしーんとしていて、
水がぽちゃん、と落ちる自然の音や
衣服が擦れる音、だけで
声は少ないけど、
だからこそ
りりこの歌声が聞こえてくるような
綺麗な物語だった。 -
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家族が買ってリビングに置いていたのを手に取った。隠れ家の詳しい絵と、多くの写真に目を取られ、そのまま座り込んで読み通した。
「私の望みは、死んでからもなお生きつづけること!」
そんな言葉があったのか。なんと。
「アンネの日記」は、アンネと同じ年くらいに読んだっきり、細かい内容などほとんど覚えていない。小川さんは、年齢とともに読み方が変わってくるという。
昔読んだ時には、ペーターとの恋心が最も心に残った記憶があるから、やはり、若い時ならではの読み方だったんだろうと思う。
小川さんは、「物語」の力が、生きる力となったと分析している。日記が「物語」となること。それが、隠れ家に2年も閉じ込められたアンネに書く喜びをもたらしたという。
「物語」は人間を戦争にも駆り立てるが、希望をももたらす。人間にとって「物語」とは、人間たらしめる重要なのはものなんだよね。 -
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家政婦をしていてみんなから嫌だと言われている数学博士の家に派遣される事に。博士は80分で記憶がなくなってしまう病気で物事を忘れない為に身体中にメモを貼っていた。そして人見知りな為数字の話題で会話をするような人だった。ある日家政婦である私に息子がいるということが分かり、1人で留守番をさせていると知り激怒した。幼い子供を1人にしてはいけない大切にしないとという考えからだ。次の日から息子は学校終わり母の職場である博士の家に来る事に。息子のことをルートと名づけ数学を教えたりして仲良くしていた。共通点の阪神ファンという所でも仲良くなり、野球を見に行くという事にりその日帰りの人混みが苦手な博士は風邪を引き看病で泊まった。それがバレてクビになってしまう。他の所で働いていたある日ルートが博士の家にあるという知らせが入る。引き取りに行くとマダムが言い争いになってしまう。そんな2人に博士が一つの数式を書いた紙を差し出してきた。それにより次の日から復帰する事に。その後ルートの課外授業や誕生日をお互いに祝いあっていた頃博士の病気が更に進行してしまい施設に入る為に仕事が別のところに配置されることに。2人は博士に毎週会いに行き博士は2人からもらった江頭の野球カードを首から下げ大切にしていた。ルートが高校生になりキャッチボールをする所で終わる。めっちゃ読み易い。面白い。これを小学生の時に読んでいたら数学好きになっていたかもしれない。1章が短い。結局数式の意味はわからない。
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小川洋子さんの小説はいつも大切な気付きをくれる。
人質となった8人。死と隣り合わせ、このひっそりとした空間で、自分の人生の片隅にそっと残っている記憶を共有し合う。
どのお話も、目頭が熱くなりました。
子供の頃の記憶だったり、袖触れ合うも…くらいのちょっとしたご縁で知り合うおじいさんやおばあさんとのお話だったり。
特別なドラマではない、日常の中に、愛おしい世界がきっとある。私も探したくなるし、きっと探せそうな気がする。そのヒントはもう心の中にある。そう思わせてくれるような作品。
今を真面目に生きる全ての人に寄り添ってくれる温かい作品です。
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ナツイチで購入したもの。「舞台」をテーマにした連作短編集です。一口に舞台といっても単に演じる側と観る側というだけでなく、演じられる場所も演じる目的も観ることの意味もさまざま。独特というか奇妙な話が多いのは流石の小川洋子節といった感じですが、なんというか舞台というものと小川洋子さんの世界観はしっくりきすぎるぐらいに合ってるんですね。他の世界から切り離されたような箱庭的な空気感は演劇的でもありますし、身体性を意識させるような登場人物の造形も演技や演出と相性の良い部分だと感じます。近年小川さん自身が観劇に凝っていらっしゃるということで今後の作品にも「舞台」のモチーフがどう関わってくるか楽しみです。
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ネタバレ8つの短編。この物語に出てくる人たちは、
ひとりぼっちの小さい背中とか、役への未練とか、
死骸の蒐集とか、ベッドの下の地層とか、
寂しそうというか可哀そうなふうに、
側からは見えるけど、みんな思うままに世界を作って
その中で一番幸せに生きていて、だからこそ
そこで生まれる秘密の交流が、どれも輝いてると思う。
幻覚みたいなものも、よく出てくるなあと思った。
・指紋のついた羽
縫製工場で働く縫い子さんと、
向かいの金属加工工場の物置きで、ひとり遊ぶ少女。
バレエの演目『ラ・シルフィード』を二人で観る。
少女は、そこで舞い踊る真っ白い妖精たちに惹かれた。
妖精から手紙の返事がこないと落ち込む少女に、
「踊る人たちは皆、無口だから。
言葉を使うのが苦手なのよ、きっと」
縫い子さんの言葉選びがロマンチックですてき。
縫い子さんはラ・シルフィードになって
少女の手紙に返事を書く。
「私たちは自分の羽に、赤ちゃんの指紋で
かわいらしい模様をつけてもらおうとして、
乳母車のそばを舞うのです。
あなたの指紋に彩られた工具たちも、
どんなにか優美に舞うことでしょう。
工場の明かりと、路地の西日は、
工具箱の舞台に最上の光を当ててくれます」
縫い子さんはボビンケースのなか、
少女は工具箱の舞台の上で、無言の世界をつくる。
二人だけの密かな交流が、いつまでも続いてほしい。
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・ユニコーンを握らせる
昔、女優だった人と呼ばれていたローラ伯母さんの家に
入学試験のため四泊することになった。
家にある食器は全て、底に『ガラスの動物園』ローラの
台詞が手書きで書かれている。食べ終わって底の文字が
現れ出るたび、伯母さんはローラを演じ始める。
毎晩、たった一目ずつしか編まない手袋。
手のひら側には、立派な角の生えたユニコーンの半身。
伯母さんはいつか、この手袋を『ガラスの動物園』で
結ばれずに別れたジムに渡す。
角が折れていない、立派なユニコーンを握らせるために。
一生かけても完成しないだろう速度で、編む。
「ゆっくり時間を使えば、その分、長生きできる」
「待ち続けていなかったら、
誰も戻ってくることはできない‥」
ユニコーンが握れる手袋と、台詞の書かれた食器たちと
あらゆる全ての気象が一枚に収まっている水彩画、
ここが伯母さん手作りの、完璧な舞台。
きっと最期までローラであり、女優であり続ける。
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・鍾乳洞の恋
きっかけは長年放置していた、
左下奥歯のブリッジを取り換えたこと。
しつこい首の痛みとともに、極細の白い生き物が
ブリッジの間から生まれるようになった。
ブリッジの奥は、影すら飲み込む暗い鍾乳洞。
その迷路を潜り抜け、次々に生まれては
半日も経たずに息絶えるその死骸を、
シャーレに大切に保存していく。
彼女は目の見えない院長に声を提供し、
院長は彼女に鍼治療をする。
二人の世界は暗いブリッジの中だから
視界がなくても、声と指で支え合っていける。
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・ダブルフォルトの予言
私は交通事故の保険金で、「レ・ミゼラブル」全公演の
チケットを購入し、欠かさず通っていた。
「こんにちは、毎日来ている人ですね」
劇場に住んでいる、という不思議な女性に
声をかけられた。彼女は、舞台上での失敗を予測し、
身代わりになる仕事をしているのだという。
そのうち彼女の部屋で、作ってきたお弁当を食べたり
他愛ない話をするのが日課になっていた。
そこに、他に食べるものは何もなかった。
千穐楽を迎えたあと、いつものように彼女が来るのを
待っていたが、とうとう会えなかった。
揺れる二人分のお弁当が切ない。
何度も通り抜けていたはずの関係者以外立ち入り禁止の扉も、警備員に追い返されて入れない。
「もしできたら‥私の交通事故も、
予言して身代わりになってくれていれば‥」
という言葉で終わる。
彼女は何者だったのか、幻覚?不思議な終わり方だった。
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・花柄さん
いつも色々な種類や素材の、花柄のスカートを履く女性
は「花柄さん」としてちょっとした有名人だった。
お芝居ではなく、サインを貰うことが趣味のようなのだ。
ある日偶然、劇場の楽屋口で俳優にサインをもらった。
遠くの舞台に立っていたはずの人が、自分に気づき
たった一人自分のためだけに時間を使ってくれる。
誰でもいい、架空の人と生きている人の境を漂っている
俳優さんの、名前という最も確かな印が欲しいだけ。
サイン入りのプログラムは、どんどんベッドの下に
積まれていった。サインたちが連なり合って、
自分を包んでくれる錯覚を味わいながら眠る。
最期の一枚までしっかりベッドの下に収めて、
眠りにつく。彼女だけの宇宙が完成した。
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・装飾用の役者
私という人間が、いかにコンパニオンとして貴重な資質を
持っているかを証明する事例として、
「装飾用の劇場の役者」をこなしたときのお話が始まる。
自宅に劇場をつくったN老人は、
そこで芝居をする役者として私を雇った。
ただ舞台に必要な要素だけが閉じ込められた、
人工的な一個の惑星ともいえる場所から出ることは
許されなかった。
いくら集中しようとしても、神経のどこかは常に、
観客席のN老人に支配されていた。
老人の、闇より暗く濡れた眼球は、私のどんな動きも
見逃さない。自分の指先や口内と、
老人の眼球が次第に一体に溶け合う様子は、
もうこのまま離れることができないんじゃないかと、
少し不安になる。
最後に「どのようなご要望でも、お応えします。
言われるままにすべてを差し出し、すべてを受け止め
お仕え申し上げます。」と言う。
緊張しながらも全身を眼球のために捧げる彼女からは、
コンパニオンであることへの異常な執着を感じた。
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・いけにえを運ぶ犬
子供の頃、町に時折やってくる「馬車の本屋」のお話と
演奏会で曲を聴いているシーンが交互に語られる。
本箱を曳く年老いた犬と、ラッパを鳴らすおじさん。
さまざまな種類の本が隙間なく詰まった本箱は、
一つの世界が運ばれてくるようなものだった。
どうしても欲しい本「渡り鳥の秘密」を買ってほしくて
ダメ元でおばあちゃんに頼むと、
耳の窪みで小さな渡り鳥を飼っていたという
不思議な話をされた。おやつにあげたキーウィの種が
腸に詰まって死んでしまったそうだ。
僕が「渡り鳥の秘密」をシャツに隠そうとしたとき、
本箱を曳く老犬の視線が、真っすぐに僕を射貫いた。
それ以来、「渡り鳥の秘密」には触れていない。
そして、老犬に庭のビワの実をたくさん与えたのを
最後に「馬車の本屋」は姿を消した。
僕があげたビワの種が腸に詰まって死んだのだと、
僕は信じている。それでもまだ、犬の瞳には、
シャツの裾を握る僕の姿が残っている。
僕はそこに、いけにえのように閉じ込められている。
未遂とはいえ、本を盗もうとした、
という罪悪感は消えないんだろうな。
老人の鋭い視線は、自分自身の視線でもある。
おばあちゃんのお話が不思議で面白かった。
(凍ったロバのミイラとか、胎児の弟を飲み込んだとか)
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無限ヤモリ
かつては子宝の湯として賑わっていたらしい温泉街。
私は、濃い錆色の湯をたるんだお腹になすりつける。
入浴後の散歩で必ず立ち寄る場所に、
廃墟と化した芝居小屋と、
その先のジオラマが飾られた理容室がある。
ボロボロの芝居小屋では、保育所の子どもたちが
鬼ごっこをしていた。
舞台の上に、鬼はあがることができない。
店主のおじいさんはもともと、体が弱くて歩くことも
ままならない息子さんのためにジオラマを作った。
ジオラマの中の子供たちは、一人残らず元気いっぱい。
滞在する保養所のレジ横には、
二対のヤモリが虫籠に入れられて三箱並んでいる。
二匹が縺れ合い、縺れたところから血の巡りが
悪くなって腐っていく。粘液もやがて蒸発し、
目玉が落ちて干からびると、
永遠の結び目「無限ヤモリ」、子宝のお守りが完成する。
冬の夕暮れ時、真っ暗な芝居小屋で、
「誰も僕を鬼にしてくれなかった」と泣いている。
廃墟の舞台に取り残された男の子を下ろしてやると、
真っ白な運動靴で、楽しげにジオラマに入っていった。
ジオラマのどこにも切れ目がない列車の軌跡もまた、
無限のつながりとなり、その中でなら
息子はいつまでもどこにでも駆けていける。
女性の願望が見せた幻だったのか、幽霊なのか。
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【小川洋子さんの作家への原点となった『アンネの日記』への熱い思い】
世界記憶遺産に登録されている『アンネの日記』。
残念ながら私は未読だったのですが、小川洋子さんがその魅力をどう読み解くのかに惹かれて、この解説本を手に取りました。
「アンネの日記」と聞くと、どうしても戦争や迫害の暗く悲しいイメージが先行してしまいます。
しかし、本書に溢れているのは、これでもか!というくらいの小川さんの深い「アンネへの愛」。
描かれているのは、ただの悲劇の記録
ではありません。
隠れ家での息が詰まるような潜伏生活、思春期ならではの心の葛藤、そして瑞々しい初恋……。過酷な状況下でも、ユーモアと卓越した文章力で日常を紡ぎ続けたアンネの文才に、ただただ驚かされます。
特に心に残ったのは、日記に綴られたこの一節。
「私の望みは、死んでからも
なお生きつづけること!」
まるで未来を予言していたかのようなこの言葉通り、彼女の日記は今も世界中の人々の心の中で生き続けています。
戦争の悲劇だけでなく、一人の少女が遺した「文学の素晴らしさ」を丁寧に教えてくれる一冊。
小川さんの熱い思いに背中を押され、私も『アンネの日記』を開いてみたくなりました。 -
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10篇の短編が交錯しながら物語を構成していて、摩訶不思議かつ時系列も不明確ながら、ノスタルジックな光景が思い浮かぶ。
舞台は『最果てアーケード』と名付けられた、昔ながらの寂れた雰囲気の小さなアーケードだ。
ある日アーケード近くの映画館が火元になった大火事に見舞われ、周辺は類焼したのだが、この古めかしいアーケードだけは何故か延焼を免れ、以前の姿のままで店は営業を続けることができた。
商店街の大家を父に持つ少女がこの小説の主人公だ。
父親は大火災の際に焼死し、幼い少女と若い愛犬べべが残されたのだが、各店主たちは少女とべべには温かく接してくれていた。
少女と相棒のべべは、店で購入した商品をお客様のところに配達するアルバイトをしながらアーケードの人達と共に生きている。
各商店が扱う商品は特異なものばかりで、義眼屋、レース屋、ドアなどのノブ、紙屋、勲章店、シンプルなドーナツ屋など、普通の人にとっては日常必要としないものが多い。
特に胸を打った物語は、最後の「フォークダンス発表会」だった。
成長した少女、年老いた相棒のべべ、少女の父親、そして人の良い各店主たちが繰り広げる場面に何故か涙ぐんでしまった。
がしかし、決して悲しい涙ではなく、何故かノスタルジックな想いに駆られた温かい涙なのだ。
この体験が小川洋子さんの物語が誘う世界なのだろう。
本当に不思議な世界を醸す作家さんだ。