小川洋子のレビュー一覧
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あまりに静謐で無言で無限で、こうして感想を残すことすらノイズになってしまいそう。
「アカシアの野辺」に住みたいかと言われれば悩む。
人に入りすぎるのも入られすぎるのも嫌だけど、あそこまで無言と孤独を愛せるだろうか。
「アカシアの野辺」の特徴から、衰退していくことは自明だったように思うが、少しずつ衰えていく共同体に暮らすことも「完全な不完全」を体現しているのだろう。
声を使って会話することのない野辺に住む男たちでも、一人一人が決まった木に思いを伝えることがある。
この小説では口から声を出さないことと、歌うことに焦点を当てているが、「聴くこと、聞き上手」な野辺の男たちにも作中触れられている。 -
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『アンネの日記』は歴史の授業で習ったりと存在は知っていましたが内容までは全く知りませんでした。最初の入り口として分かりやすそうな本書を手に取りました。
10代とは思えない、大人も舌を巻く文章力や表現力、何より人生の価値観がありありと溢れている内容だと言うことがわかりました。
好きな言葉は本書のp105に出てくる、
「じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに、理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。(中略)いまでも信じているからです―たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。」
というアンネの言葉です。差別的な扱いを受け、学校にも通いたくても通えない、隠 -
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主人公の朋子が、ある事情によって、芦屋の富豪でもある、伯父・伯母のお屋敷に、1年間同居することになった。お屋敷には、朋子より1歳年下の体の弱いミーナと、伯父の母親(おばあさま)、家事を手伝う米田さんと小林さんが住んでいた。ミーナには、スイスの寄宿学校に留学をしている兄がいて、彼も朋子がお屋敷にいる間に帰省をしてくる。そして、お屋敷にはコビトカバのポチ子が住んでいて、体の弱いミーナを乗せて、小学校までの道のりを送り迎えしていた。
物語は、そのような家族と偶然に1年間住むことになった朋子の視線で、その間のあれやこれやを描写したものだ。
正直、芦屋での1年間の描写は、少し退屈なものだった。が、ミーナ -
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薄水色の妄想の世界をずっと歩かされているような気分になる。官能的なものであれ、少し笑えるものであれ、すごく淡くて遠い。小川洋子といえば薄気味悪い表現で、わたしはそれが大好きなんだけど、この短編はそのエッセンスは少し弱いかな。
「バタフライ和文タイプ事務所」は読んでいて感嘆の息を漏らすくらい好きだった。薬指の標本と同じ空気。
全体として、純粋な者との交流というのが一貫してあったと思う。「海」の弟、「風薫るウィーンの旅六日間」の琴子さん、「缶入りドロップ」の子ども、「ひよこトラック」の少女…。「バタフライ和文タイプ事務所」と「ガイド」はメインの登場人物2人ともに純粋さを感じた。その純粋さには現実 -
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小川洋子さんの世界からただいま戻りました‥‥
どっぷりと世界観に浸りました。
おばあさんと二人暮らしのリリカ。
家の隣の広大な森を買い取り移り住んできたのは“内気な人の会”と称するグループ。宗教的施設でも、営利目的の会社でもなく、ただただ内気な人たちの集まり。やがて門には“アカシアの野辺”と書かれた看板が掲げられるようになる。
とにかく、“内気な人の会”とか“アカシアの野辺”とか、本を数ページ読んだだけで、小川洋子さんの世界へスーッと引き込まれて行きます。
“内気な人の会”の雑用係として働くことになったおばあさんと、その孫娘のリリカは唯一“アカシアの野辺”に入ることができる二人。
『魂を慰める -
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ふと気づくと、金属に穴があきはじめている。そもそもの目的がこれなのだから、驚く必要もないのに、なぜかとても不思議な現象を目にしている気分になる。一点の窪みが少しずつ、慌てず慎重に、奥へ奥へと潜り込んでゆく。電極と金属は一定の距離を保ち、決して触れ合わない。電極の回転も、穴の形成も、想像よりずっとゆっくりしたスピードで行われる。金属はまるでそれが自らの意思であるかのように、穴を受け入れている。この密やかな営みを、火花が祝福している。(第1章 株式会社エストロラボ〈細穴屋〉より)
凡ゆる仕事には、たとえ文化勲章受賞者ではなくとも、匠の技が隠れている。と、私は思う。
例えば、封筒詰めの単純作業であ -
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物語の中心にあるのは大きな事件ではなく、淡々とした暮らしの日々である。庭に現れる鳥の動きや、その鳥がどのような感情を持っているように見えるのかといった観察が繰り返され、静かな世界観が積み重なっていく。鳥は、一見すると小さくて守られる存在のように見えるが、渡り鳥の描写が示すように、遠くへ飛び続ける強さや目的を持った生き物としても描かれる。作品の中で常に“小鳥”と書かれているにもかかわらず、実際には主体性をもって迷わず進む存在として浮かび上がる点が印象深い。この“弱さと強さの同居”は、兄の生き方とも静かに共鳴している。
兄弟の関係は、「依存」「相互関係」「相互不干渉」のどれにも読める曖昧さを持っ