小川洋子のレビュー一覧
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知人からおすすめされたエッセイ集。
色んな題材でエッセイが書かれていて
一般にイメージするような日常の中での気になった話や面白い話だけじゃ無くて
中には読書感想やホラー、幻想といった小説的なものまである。
この一冊で幅広いエッセイの形に触れる事ができる。
あとがきにも書かれているが
「結局は文学のない世界では生きられない」
というのが全体的なテーマとの事で
読み終わって
意識的にしろ無意識的にしろ
日々の生活の中って否応なく文学的要素って転がってるんだよな
と再認識させてくれた。
文芸作品を読むのってなんの意味があるのって考える人もいると思うけど
今まで感じ取れなかった視点に気づけるという点でも
やっぱり本を読むのって大なり小なり人生に影響ってあるよね。 -
Posted by ブクログ
表題作『薬指の標本』
童謡「赤い靴」を流しながら読みたいお話。あとなんか、唐突に「ぼのぼの」の「しまっちゃうおじさん」を思い出しました。どちらも、「子供の頃なんとなく怖かった記憶」ですかね。
以下は「密やかな結晶」との比較も含みます。
『密やかな結晶』の後に読んだのだけど、雰囲気が似ていて、特にその作中作と構造が似ている。
発表としては『薬指の標本』表題作の初出:1992年7月
『密やかな結晶』単行本:1994年1月
『薬指の標本』単行本:1994年10月
とのことであり、『薬指の標本』からさらに純度を増したのが『密やかな結晶』であるように見える。
『薬指の標本』は短いが、小川洋子の作品に繰り返し現れる要素がかなり露出した形で詰まっている作品だった。標本室、靴、地下室、保存、閉じ込め、正確な手順を持つ男、自我の薄い主人公、身体の一部への集中。これらが非常に直接的に配置されている。
『密やかな結晶』と比べると、『薬指の標本』は官能がかなり濃い。そこには明らかに封じ込められたい欲望がある。主人公自身も「自由になんてなりたくない」「この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じ込められていたい」という方向へ傾いていく。つまり、まだ主人公の側に欲望が見えている。
一方で『密やかな結晶』は、「そうされるしかない」物語である。そこでは、主人公が「そうされたい」と選ぶより前に、世界そのものがすでにそのように閉じている。選べないというより、選ぶ必要がない。自由がないからこそ、自由であらねばならない負担からも解放されているように見える。
小川洋子はこの2つしか読んでいないが、この系統の作品には、少女趣味的な美しさがある。
標本瓶、古い建物、閉じられた部屋、秘密、指、靴、箱、保存。そうした道具立てによって、成熟した現実から少し外れた箱庭の美学が作られている。
主人公たちは、強い自我を持って世界にぶつかるタイプではない。叫ばない。戦わない。暴れない。むしろ、自我がないことに徹しているように見える。しかし、何も感じていないわけではない。感受性は非常に鋭く、温度、湿度、匂い、手触り、相手の動作、部屋の静けさを細かく拾っている。ただ、それを「私の欲望」「私の怒り」「私の判断」として所有しない。感受性はあるのに、主張がない。この自我の薄さが、世界や他者に侵入される余地を作っている。
こちらが選んだからではない。
こちらが望んだからではない。
どうしようもないものに巻き込まれた。
だから仕方がない。
この「仕方がない」が、欲望の言い訳になっている。
乙女心とは、自分の欲望としてではなく、外側の必然として訪れてほしいと願うことなのかもしれないなと思った。
『薬指の標本』を読んだことで、『密やかな結晶』の異様な完成度がよく見えた。
この二作は、同じ毒を別の溶媒に溶かした作品のように見えました。
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小鳥を通じて兄と、人と、繋がりながら生きた「小鳥の小夫さん」の不思議な人生の話。
小川さんらしい、不思議なお話でとても好きでした。
「小鳥の小夫さん」は、きっと本の中に暮らす彼の周囲の人々から見たら、平凡で、無口で、ちょっと変わっていて、やや話しかけづらい男性だと思います。
しかし、そんな人の人生の中に、一冊の本になるような物語がある。
そんな感じの本です。
私が特に好きなシーンは、目白の鳴き声大会での、小夫さんの一世一代の大胆行動です。
その前に出てくる鈴虫の老人の話も伏線になっているような感じで、小夫さんらしい行動だなあと。
鳥は飼わないと言ったお兄さんや、鳴き声大会の小夫さんの行動と対峙するように、小夫さんは最期鳥を飼っていて、鳥籠を抱えたまま事切れたのも印象に残りました。
お兄さんは、決まった行動が好きで、安心するある種機械のような人である一方、
小夫さんは、イレギュラーなこともするし、辻褄の合わない感情を持っていたり、人と交流することもできたり、人間的な人に描かれているような気がします。
だからこそ、小鳥や、お兄さんをとても愛していたような。
個人的に、
小夫さんとお兄さんの様子は、映画のレインマンを想起させましたね。
2人とも似ているところもあり、違うところもあり、違うところをお互い好きであるような関係性。
お兄さんがサバンとかASDっぽい感じも似ています。
レインマン好きな人はハマるかと! -
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記憶が80分しかもたない博士と、派遣されてきた家政婦とその息子のルート。
博士が敬愛する数字と数学に魅入られ、いつしかコミュニケーションのひとつとなる数字。そして阪神の江夏豊。
家政婦とその子供という立場だけでなく、孤独の博士にできた“友達”として、関わっていく様子は、とても温かいものでした。
80分しか記憶がもたない博士になるべく混乱を与えないよう話を合わせ、なるべく心地よい空間になるよう努めた二人。
ルートをはじめ、子供には無償の愛を注ぐ博士、そして記憶がもたないながらも家政婦にだんだんと信頼を寄せる博士。気難しいようにみえてとても温かい博士。
人との関わりについて考えさせられるストーリーでした。 -
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ネタバレ〈備忘録・ネタバレあり〉
小学生の頃にアンネフランク物語を読んだことがあったが、アンネの日記は未読。
アンネの日記がこれほど引き込まれる理由や、日記がアンネにとってどのような存在であったかの考察が書かれており、興味深かった。そして書く、という行為の尊さも改めて感じた。
▼引用
日記は本来、自分以外の読者を必要としません。しかしアンネは自分自身の感情をノートにただぶつけるのではなく、苦しい事柄でも楽しい出来事でも、そこからあえて距離をとって言葉を紡ぎ出し、読者たるキティーに手渡すという構図をとりました。客観的な視点を確立したことで、この日記は文学にまで昇華したのです。 そして、キティーの存在を用いたことによる、もうひとつの効果がありました。それは、毎回必ず最後に「アンネより」、あるいは「アンネ・M・フランクより」と署名したことです。毎回名前を刻むことは、「私はここに生きているのだ」と確認する作業となったはずです。世界にたったひとりしかいない自分、個人としての独立した自分の存在を、アンネは日記に繰り返し刻みつけることになったのです。 「キティーはいつも辛抱づよいので、このなかでなら、わたしの言い分を最後まで聞いてもらえる」と、アンネは記しています。反論も否定もせず、ただ黙って話に耳を傾けてくれる友人。そう考えるとキティーはアンネにとって、カウンセラーのような存在だったのかもしれません。
…
この本からアンネの年相応の可愛らしさや、いかに利発で言語化や観察力に秀でていたかがよくわかった。姉のマルゴーなんて、別人になりすまして受けていた通信教育の会社から、辞めないでくれと言われたくらいの才女だった。才能あふれる少女少年たちの未来を残酷に閉ざしたことが悔やまれてならない。
恐ろしい時代の中隠れて生活しながらも、アンネたちは小さな楽しみを生み、探し続け、ユーモアは逞しく生きる力を育むなと感じる。
ユダヤ人の家族それぞれにこういったストーリーがあるはずだが、彼らは人間としての尊厳を奪われ、まるでモノのように扱われ、虐殺された。亡くなられた人たちの無念を思うとやるせなく胸が痛む。
また、アンネたちの協力者たちのように、命懸けで守った方たちもたくさんいたのだろう。
アンネの日記、絶対読もう。