あらすじ
著者6年ぶり、世界が待ち望んだ長篇小説400枚。
内気な人々が集まって暮らすその土地は、“アカシアの野辺”と名付けられていた。たったひとりの家族であるおばあさんが働いているあいだ、幼いリリカは野辺の老介護人に預けられて育った。野辺の人々は沈黙を愛し、十本の指を駆使した指言葉でつつましく会話した。リリカもまた、言葉を話す前に指言葉を覚えた。たった一つの舌よりも、二つの目と十本の指の方がずっと多くのことを語れるのだ。
やがてリリカは歌うことを覚える。野辺の重要な行事である“羊の毛刈り”で初めて披露された彼女の歌は、どこまでも素直で、これみよがしでなく、いつ始まったかもわからないくらいにもかかわらず、なぜか、鼓膜に深く染み込む生気をたたえていた。この不思議な歌声が、リリカの人生を動かし始める。歌声の力が、さまざまな人と引き合わせ、野辺の外へ連れ出し、そして恋にも巡り合わせる。果たして、リリカの歌はどこへと向かっていくのか?
名手の卓越した筆は、沈黙と歌声を互いに抱き留め合わせる。叙情あふるる静かな傑作。
感情タグBEST3
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「内気な人たちの会」を称する男の人ばかりの共同生活の場、「アカシアの野辺」で育った女の子リリカの話。リリカは歌を歌う。名もない、後世にも残らない、誰もリリカぎ歌ったとは気づかない空気に溶けていく歌を歌う。おばあさんと、介護人と、羊の毛刈り係と、歌の先生と、羊と人形たちと、料金係さんとリリカの、静謐を旨とする生活の物語。
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この本を読んでしずかでいること、それを自分に許せた。感情を何かで表現したり、人に分かりやすく話をしたり。そうでなくても、自分の中でしずかに感じること。あらたな道がひらけた気持ち。
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リリカは野辺にいるサイレントシンガー。題名の意味はわかっていく。とても静謐な守られている場所。
美しい歌が目立つことはない、そのことがこの物語をシンプルかつ美しいものにしているように思えた。
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アカシアの野辺に住む人たち、そしてリリカのこと。きっといつか忘れてしまう、でもそれでいいのだろう。
少しの隙間に潜むおどろおどろしさや、日々の暮らしの傲慢さ、加えてとても綺麗な結晶のようなものを見せてくれる。
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内気な人々が集まり生活する集落で、赤ん坊の頃から育った女性が主人公。
一般社会の騒々しさに疲れ、言語を操ることなく、特別な指言葉で必要最低限のコミュニケーションをとる人たちの生活は、極端に慎ましく静かだ。
自分の色を出さない、どこにでも自然に溶け込んでしまう歌声をもつ主人公は、そのコミュニティが心地よく自分の居場所と感じている。
『新潮11月号』に、小川洋子と角田光代の対談があり、本作品を話題にしていた
興味深かったのは、作者が金光教の信者であるり、幼い頃は教会の離れで暮らしていたという点。作中の野辺のように、血縁に頼らず安心できるコミュニティに憧れがあると言う。
この作品に限らず、作者の小説に一貫している、独特な静けさとこだわりの深さの原点は、そんな彼女の生い立ちも大いに関係しているのかなと、対談を読んで妙に納得してしまった。
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無限の沈黙が美しい
『内気な人の会』の会員が住むアカシアの野辺。正確で丁寧で心のこもった指言葉を使う。
リリカは無言でいるもののために歌う。
長い時間を丁寧に綴った静かな物語はとても繊細で美しかった。
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小川洋子さんの世界からただいま戻りました‥‥
どっぷりと世界観に浸りました。
おばあさんと二人暮らしのリリカ。
家の隣の広大な森を買い取り移り住んできたのは“内気な人の会”と称するグループ。宗教的施設でも、営利目的の会社でもなく、ただただ内気な人たちの集まり。やがて門には“アカシアの野辺”と書かれた看板が掲げられるようになる。
とにかく、“内気な人の会”とか“アカシアの野辺”とか、本を数ページ読んだだけで、小川洋子さんの世界へスーッと引き込まれて行きます。
“内気な人の会”の雑用係として働くことになったおばあさんと、その孫娘のリリカは唯一“アカシアの野辺”に入ることができる二人。
『魂を慰めるのは沈黙である』をモットーに生活している“内気な人の会”のメンバー。
彼らはどんな人生を経て、ここに辿り着いたのか、そこには全く触れられていませんが、こんな場所があったっていいよな、と思う読者は一定数いるのではないかな。
人の記憶に残るものではないが、邪魔にならない歌声を持っているリリカ。
“内気な人の会”とリリカの歌声が呼応して、静かな静かな物語になっています。
声なき声を持っている者も、ここに存在している。大きな声をあげずとも、存在している。静かに存在している、そんな物語だと受け取りました。
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小川洋子、なんかもうほんとうに唯一無二の作家だなあ…。静けさというものをこんなにも言葉にして、物語の雰囲気に漂わせることができる作家なんて小川洋子しかいねえだろという気がしてくる。不完全なものの良いところに目を向けたり、すてきなものにしたりするってとてもやさしい。物語が終わったあとも、この静けさがずっと守られることを祈ってしまう。
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静かで美しい本だった。
内気な人の会改め、アカシアの野辺で暮らす、指言葉を使う静かな
人たち。そこで育ったリリカの一生。
そこはかとなく暗く怖い面もあり、料金係の人との恋?のような出会いもあり、リリカと共に一生を体験したかのような本。
静かな世界が美しく、まぶたの裏に羊たちが浮かんできた。
優しい、とはまたちがう、静かだけど美しい本だった。
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会話をしなくても聴覚、視覚、嗅覚、手触りで伝わる物事もある。何より静けさを共有することで生まれる一体感。それをいつから怖いと思うようになったのだろう。あえて静寂を壊すように話したり、行動したり、何か大事なものを取りこぼして生きているのでは?そんな風に思わず日常を振り返りハッとしてしまう内容でした。
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『魂を慰めるのは沈黙である』決して言葉を発しない人達が住む アカシアの野辺で働く祖母と暮らすリリカは老介護人が静かに歌う子守唄で育った リリカの歌は毛刈りの羊を穏やかにし 野辺の人達にそっと寄り添う おしゃべりより聞く耳が大事 だから耳は二つあるんだよ
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まさにサイレントシンガーでした。独特の世界観に浸りました。
静けさが素敵な物語。ここまでの静けさの中で私自身はずっと生活することはできないと思いますが、時にはこういう静寂の中に身を浸したいなと思います。赤ちゃんの時からの介護人さんとの触れ合いの部分がとても好きです。まずその地区(?)の人々が「アカシアの野辺」のような場所と共生できているというか受け入れられているところがなんか良かったです。
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小川洋子さんファンからすると待望の6年ぶりの長編とのことで読まないわけにはいかない一冊。
内気な人々が集まって暮らす“アカシアの野辺”で人々は沈黙を愛し、十本の指を駆使した指言葉でつつましく会話する。その土地で生まれ育ったリリカの歌声は人々の何気ない日々の中に溶け込む。
小川洋子さんの美しい文体にいちいち感動し、心惹かれながら静かで心温まる優しい物語に包み込まれました。
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沈黙によってもたらされる静謐な世界がさざなみのように広がっている。小川洋子ワールドにどっぷりと浸れて幸福な読書時間でした。
仮歌という仕事があるのを初めて知りました。
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リリカはお祖母さんと一緒に暮らしている。この山の中腹に広がるE-5地区に。母親はリリカを置いて自死してしまったので、祖母が引き取って育てている。このE-5地区に隣接した場所は「内気な人の会」と称する人たちが買い取って暮らしていた。その会は「アカシアの野辺」と自称するようになった。その人たちはほとんどしゃべらず、小さな手話で答えるぐらいだった。リリカの祖母はその会で雑用を受けていた。会で作られたビスケットなどの菓子や野菜などを販売所で売ったり、会の人に頼まれて町の人たちとのやり取りをすることで収入を得ていた。リリカも大きくなると祖母の手伝いをするようになり、「アカシヤの野辺」の流儀である、沈黙を実践していった…。小川洋子さん他の小説でも感じる静かで静謐な文章だを堪能しました。最後がちょっと寂しかったけど…。
Posted by ブクログ
とても静かな物語で、最初から最後まで何かを訴えるような劇的なことが起こるというわけではないが、それでも静かな中でこそ伝わってくるメッセージもあった。
言葉数が少なくとも、むしろ伝わることは大きいということ。自分自身の激しすぎる主張は、誰かの気持ちを踏みにじっているということ。人間は自然の中の一部であり、完全に分かつことはできないということ。
沈黙の中でこそ深い意味が伝わるというこの作中の世界観は、まさにこの作品を読むということそのものによって伝わってくるような気がした。
Posted by ブクログ
◼️ 小川洋子「サイレントシンガー」
彼女は沈黙のために歌う。精巧に築かれたフィールド。恐れ入りました。
小川洋子は「猫を抱いて象と泳ぐ」で日本にポール・オースターみたいな作家がいたのかと驚いた。しかし数作品読み進めるうちに、独自の、他人には理解してもらえない範囲を作り、それをひたすら守る、という手順のようなものにやや腰が引けた感覚もあった。
今回も同じではあるのだが、ここまで発想を広げて組み上げたことにただ感心して、唸った。
「魂を慰めるのは沈黙である」
有名温泉地近くの山の一角。金網や厳重な門、柵で囲まれた施設「アカシアの野辺」そこに住む男たちは沈黙を好み、指を使った言葉で意図を伝え合っていた。宗教団体でもなく、施設内で作ったお菓子や飼育している羊の毛から加工した毛糸を売り、外界との接触を避けていた。その施設で働く祖母とともに乳飲み子の頃から野辺で過ごしていたリリカは役所が毎夕にかける「家路」を歌うことになる。成長してボイスレッスンに通っていたリリカには、先生を通じてさまざまな仕事が持ち込まれる。それは自分の存在を消すような歌の依頼だった。
まずは「アカシアの野辺」、その近くの山地の川や池の近くにリリカの祖母が造った大きな人形を並べた公園のような場所という聖域のようなエリアを設定したこと。公園はいかにも森閑とした、しかし自然が美しいというだけではなく、幾星霜もそのままにあるという空間であり、物語の雰囲気を雄弁に醸し出している。
何よりリリカへの歌の依頼、その種類の多さに感心する。お葬式、アシカショーのアシカが歌うのを模した歌、本番の歌手の録音を前に、イメージを固めるために行う「仮歌」。そんな仕事があるんだと読み手の知的好奇心を刺激する。
また、恋人となる有料道路の料金係の男の趣味、隠されていた世界の有名作家の原稿が見つかるという架空の記事を書くというのも、長く読まれなかった、そしてこれからも存在しない、サイレントな記事であり幻の原稿である。
全ての要素が沈黙につながっている。その発想と現出のさせ方、ストーリーの噛み合わせが見事で、これが著者の、研ぎ澄まされた筆致だと心深く悟る感覚がある。
2つ、野辺から有料道路を越えてトンネルをあくつか抜けたところにある有名温泉街、というのは、著者が兵庫県西宮市在住であることを考えると、有馬温泉ではないかと思える。私もなじみのルートだ。
リリカという名前は、作中に痛み止めの薬から取ったのかもというくだりがある。私も頚椎をひどく痛めた時にお世話になったのですぐに思い当たった。リリカはしばらく経ってから強い痛み止め効果をもたらすのです。浸透するように効くところが少し作中のリリカのキャラに通じるものある、のかも。
リリカの歌は、関係者の間ではそれなりに名前が売れているが、歌い手が誰かと気にされない、認識されないまま。野辺の住人たちも干渉しない、そして大事な人にも聴かせない。物語の進行は予想通り。それが美学というものか。
恐れ入りました。
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なんか最近妖しい感じの内容が多くなってきたような気がする。寂しくて悲しくてひっそりと生きている世界観。無とは何かを考えさせられる。ただ、あまりにも詩的すぎて没入できないまま読み終わってしまった。
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小川洋子さんは俗世から離れた人たちの話を描くのが上手いと思う。沈黙に包まれ静かに暮らす人々の情景が浮かぶようだった。最後は切なかったな。そこ含めて良かった。
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沈黙を愛する人々が集う共同農園。そこに言葉は無く、指文字での会話が行われている。
門番小屋に幼少期から祖母と住むリリカ。ある日、リリカの歌を聞いた祖母は羊の毛刈りの時に、側でリリカが歌うように取り計らう。羊も聞き惚れる奇跡の歌手が誕生か、と思わされる展開とは真逆。町内で流れる夕方の「家路」が最初の仕事。何十年にも渡って流されるが、誰も気に留めない。沈黙の人々に寄り添うような歌声が持ち味。
祖母が亡くなったり、共同農園の人々も亡くなったり減少して行く中で、どんどん不吉な方向に向かって行く。一時、恋人ができることもあったが、やはり駄目なようだ。全体的にも静謐な中で物語を終えてしまった。重い内容に、本を読むスピードが鈍ってしまった。
Posted by ブクログ
不穏な事件がたびたび起こりながらも緩やかな時間が流れる街で生きた声なきものにしか歌えない少女(から女性)のお話。数秒間だけしか聴かれない使い捨ての歌、大衆歌謡が死滅した現代へのアンチテーゼとも読める。我々に必要なのはリリカの歌うような、全てを持たなくなった時に必要とされる歌なんだろう
Posted by ブクログ
話すことをやめた人たちの集落でうわれ育った1人の女性の話
彼女は奇跡の声を持ち、どんな音色も奏でることができ、様々な要求に応える
彼女に恋人はできたが、その地から離れることを拒んだ彼女は恋人と別れることになる
話すことをやめて人たちの話だからか、静かなトーンで進む物語
言葉は必要なのか?
考えさせられた
Posted by ブクログ
実際にリリカの歌声を聴いてみたいと思う気持ちと、あくまで想像の世界で再生すればいいという気持ちがせめぎ合っています。でもやはり聴いてみたいですね。
Posted by ブクログ
沈黙を愛する人々の住む「アカシアの野辺」。この物語を読んでいると、いつの間にかそこに自分がいるような錯覚に陥った。ざわざわと音のする場所で読んでいるのに、ふっと周りが無音になる様な不思議な感覚。
リリカの歌う「家路」はどんな声で歌われているのか想像するのも楽しい。
Posted by ブクログ
ほとんど音の消えた野辺のお話
「我」を持たないリリカの声が流れる
音と言葉があふれかえる日常で読むには、あまりに静寂の力が強すぎる
読後数日経って、リリカの家の修繕をしてくれた方のことを思い出す
Posted by ブクログ
沈黙を是として、必要最低限の指言葉でコミュニュケーションをとる“アカシアの野辺”の人達の慎ましい暮らしは現代を生きる私たちにとっては不自由な感じがする反面、ネットやリアルで日夜レスバが繰り広げられ、言葉が無駄打ちされている状況からすれば、むしろ立ち返りの地点としてある種目指してもいい場所なのかもしれない。欠落ではなく、語られていない多くを内包する豊かな沈黙。それらを抱えたもの(者であり物)たちの為に歌う主人公のリリカの旋律。現実とお伽噺のあわいのような小川さんらしい舞台で繰り広げられる静謐な物語だった。