小川洋子のレビュー一覧
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善意という名の支配。
薄気味悪い、不気味な、気持ち悪さが残る小説でした。
不穏な空気感に、途中、挫折しそうになりましたが、終盤にかけて小川洋子さんらしい展開があり、最後まで読めてよかったです。
主人公の「小説家の女性」と、その小説家が執筆する作中小説の「声を失ったタイピスト」が、リンクしましたね。
愛情、束縛、監禁、依存、支配がテーマでしょうか。
その後、R氏は、どこへ向かったのでしょう。
『夜と霧』を彷彿させてしまいます。
私も日々、いろいろなことを失いながら老いています。
消滅は、異常なことでしょうか。
そのうち、カレンダーを失う未来もあり得ると思うのです。
左足も失うし、声も失う自信しかありません。
今の記憶ですら、危ういと思っています。
ただ、R氏の言葉を引用すると、消えていった記憶のかけらくらいは、まだ心のどこかにある気がします。
「記憶はただ増えるだけじゃなくて、時間をかけながら移り変わってゆくからね。時には消えてゆくものだってある。でもそれは、君たちの身に降りかかってくる消滅とは、根本的に違う種類のものだけど」
「僕の記憶は根こそぎ引き抜かれるということはない。姿を消したように見えても、どこかに余韻が残っているんだ。小さな種のようなものだ。何かの拍子にそこへ雨が吹き込むと、また双葉が出てくる。それにたとえ記憶がなくなっても、心が何かをとどめている場合もある。震えや痛みや喜びや涙をね」 -
Posted by ブクログ
小父さんが切ない。
自分の目が、
庭に差し込む光になるのか、井戸を覗き込む人間の目になるか、
読み終えて悩まされました。
鳥籠を抱え亡くなった小父さんの生涯を見る物語。
鳥の言葉を理解し鳥の言葉しか話さない兄と、
二人で暮らし続ける小父さんもまた
鳥の言葉を理解し、鳥の言葉で話し始める。
この手の物語を読むと、大抵いたたまれない気持ちになる。
人を羨やむことが、
自分を落ちこぼれと認識させる。
そんな自己嫌悪に入るぐらいなら、
手に入るものを有難いと感謝する。
そういうもんかなと思いつつも
自分は、そんな上手いこと変わらないというか
なんというか。
大抵、不貞腐れながら、なんとか生きてる。
年輪を重ねたけれどそんなに達観しないもんだ。
もし彼が生まれていなければ、
何か変わっていたろうか。
大切な物は、急に現れたり離れたりするから
守れないことがあるのは仕方ないけれど
メジロの歌声が
ことりから小鳥に変わるまで
小父さんは大切にする物を見つけて、
生きた。
人となりとして、慎ましさや遠慮深さは
人との繋がりの内側でしか美徳にならないのだろうという考えが
自分の中にあるのかな。
外側にいる間は、それは臆病で何もできないことりと
同じだ。ということかな。
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ネタバレ「あの子」の「死」から子どもたちを守り生きていくため、逃げるために壁の内側に閉じ込め、「生」の息付く童話の世界かのように仕立てたはずなのに、家の中と庭には「死」の香りが満ちていた。子どもたちは父親の作った図鑑という時の止まった本の中にのみ存在し、庭には様々なものを「埋葬」する。オパールの王冠と死体、茸、ママのツルハシ、ジョーからの手紙…ただの儀式であったはずだが、気付けば過去のものや見たくないものを葬り去るためのものとなった。
オパールは行方知れず、瑪瑙は里子へ行き生き別れ。ママは死の香りから逃れられず、あるいはこちらの世界に戻れず。琥珀は左眼の中に当時と「あの子」を閉じ込めて愛している。
美しい童話のような過去の描写と、崩壊が垣間見える様子(王冠の埋葬、ボロボロの鬣と尻尾、小さすぎる洋服、壁の外の住人の来訪、ボイラーの死、鳴らなくなったオルガン、その他たくさん)の対比が美しくも怖かった。 -
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小川洋子の書く文章がやっぱり好きだ、の再認識
涼子がルーキーに初めて会った時に感じた、彼がいる世界といない世界の落差をもし前から伝えていれば彼は生きてくれたんじゃないだろうか
正解不正確を求め続けられてきた彼が、そんなもの関係なく存在してくれていることを伝えられていたら
涼子の視点なのだから多少なりとも彼女に都合の良い脚色があるのだろうと考えても彼はしっかり彼女を愛していたと思うし、だからこそ身体だけでなく言葉もかけて欲しかったのだと考える
終盤で涼子があの頃のルーキーと会話を交わす場面がとても心苦しい
涼子がいつかまたあの香水瓶の蓋を開けられる日が来て欲しいと願ってしまう -
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遠い異国の地にて反政府ゲリラにより人質となった人々が、捕らえられている間に退屈な時間を潰すため、それぞれの過去にあった印象的な話を語り合う。犯人の動きを探るために仕掛けていた盗聴器に、その録音テープが残されており、数年後ラジオにて放送されることとなった。
その八人の人質と、実際に盗聴を行っていた特殊部隊の兵士による9編のお話。
異国の地で捕らえられ、いつ日本に帰れるか分からない環境の彼らが語るお話なので、さぞや悲しいものかと思いきや、日常にどこかしらでありそうなエピソードが語られる。
子どものころに怪我をしたおじさんに会った話、若いころに住んでいた大家さんとの交流、公民館の談話室の話、謎のぬいぐるみを売るおじいさんの話、コンソメスープを作る隣人の話、槍を持って電車に乗り込んだ青年の話、死んだおばあちゃんに似ていると言われる話、バイト最終日に花束をもらう話。いずれも絶妙なエピソードで、解説の佐藤さんが書かれていたように、自分だったらどんな話を披露するだろうと真剣に考えてしまった。
彼らがこの世にもういないと分かっていて、読み進めないといけないので、どのエピソードも日常に沿ったものであることがより切なくなるし、彼らの過去の日々に、より愛しさを感じる。とても良い作品。 -
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日本に亡命したロシア人の女性が、突然に先立った夫の遺した膨大な剥製のコレクションと広大な洋館での暮らしを、姪となる「私」が語り継ぐ物語だ。
「私」の伯父とロシア婦人ユーリの二人は、伯父が51歳、ユーリが69歳の時に結婚した。
相思相愛だった二人だが、伯父は突然亡くなってしまう。
一人残されたユーリ伯母さんは、膨大な数の剥製に囲まれながら、その一つ一つに「A」の刺繍をして暮らす日々だった。
何故に「A」なのか、「私」を含めて誰もその理由を知らない。
「私」の父も突然亡くなり、大学生だった私は伯母と同居して身の回りの世話をする代わりに、伯父の遺産から学費を出してもらうことにした。
暮らしている洋館を訪ねる人も殆どなく、ユーリ伯母さんと「私」の二人の暮らしが綴られている。
館を常に訪れるのは私のボーイフレンドのニコで、彼は強迫性障害を患っていたのだが、ユーリ伯母さんとは気が合うようで、お互いが思いやる良い関係を築いていた。
穏やかな関係を保っている3人の間に、剥製売買のブローカーを裏家業とする胡散臭いオハラと名乗る男が現れる。
オハラとユーリ伯母さんの話の中で、自分はロマノフ王朝最後の皇女アナスタシアである事を仄めかす。
もしや刺繍の「A」は自らのイニシャルだったのか⋯。
この話に興味を抱いたオハラは、ユーリが本当にロマノフ王朝最後の皇女なのかどうか、テレビ局にユーリの存在を売り込み、テレビ番組の制作に漕ぎ着ける。
そしてユーリ伯母さんは、これまで語ることのなかった過去を想い出すことになる。
まさにユーリ伯母さん自身が、「私」とニコ、そして胡散臭かったオハラの愛に囲まれて、徐々に皇女らしさが蘇生して行く過程が綴られる。
果たしてユーリ伯母さんはロマノフ王朝最後の皇女なのか⋯ -
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ネタバレ博士は自分だけの世界観を強く持っている人。その世界は時に周囲とのコミュニケーションを遮る結界のようにも見えるが、周りの人たちは博士自身だけでなく、その空間ごと受け入れ、愛しているように思えた。その温かい関係性がとても印象的だった。
また、「私」と博士を繋ぐ友愛数の存在も心に残った。数字は本来、言葉よりも冷たく機械的で、感情とは遠いものであると思う。しかしこの作品では、数字がむしろ人と人との絆を深める役割を果たしている。感情だけではなく、絶対に変わらない数学的な根拠があるからこそ、二人の繋がりがより特別で揺るぎのないものに感じられた。数学が苦手な私でも、博士が語る数式の美しさや、数字に宿る特別さは不思議と伝わってきた。 -
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六遍が収録。どのお話にも
特別な才能がある人がでてくる。
前回、「完璧な病室」を呼んだばかりで、
重たい気分だったけど優しいお話が多くて良かった。
六遍とも、毒を持つ人より優しい人が多い気がした。
ちゃんと自分の幸せを自分のやり方で守れる人たち。
完璧な病室は逆に、
自分の幸せのために周りを巻き込んで
自滅する人たちが多かった感じがする。
最後のお話で、絶滅した鳥たちがデザインされた
メリーゴーランドに乗るシーンが素敵だと思った。
古びたメリーゴーランドとか、髪のレースとか、
自作のドレスとか。そういう些細なことで
幸せになれる人たちを見守る安心感。
約束された移動
ロイヤルスイートの客室清掃をする私は、
壁一面の本棚に小さな空洞を見つける。
抜き取られる本の共通点は
「移動してゆく」物語であるということ。
彼が抜き取った本と同じものを買い揃え、読み耽る。
私とBは同じ本をめくり、歩みを進めた者同士だ。
拾い集めたBの髪束を主任さんが
「まるでレース模様みたい、どんな絹糸にだって
描けない模様だよ」と言った場面は
『最果てアーケード』の、
遺髪レース職人さんを思い出した。そして主任さんの
物事の美点を挙げるところが、ほんとうに素敵。
Bが二度とホテルへ訪れなくなっても、
髪のレースと、お揃いの本と、
デビュー作の十八分四十秒のシーンがあれば、私は
いつまでもBの後ろを追いかけていくことができる。
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ダイアナとバーバラ
迷い、困惑している人を、正しい場所へ導く。
少女のころからエスカレーターの補助員として
細やかな気遣いができたバーバラ。
病院の案内係としても「わかります、わかりますよ」
の一言で、相手の心の内を吐露させることができた。
ただ、自作のダイアナの服を着ている間は
誰も寄って来ず、孫娘にだけは自分自身について
とりわけ自分が補助の妖精であったころのことを、
心ゆくまでお喋りすることができた。
補助の妖精には、たった一人友達がいた。
空港の乗り継ぎをしている男の子だ。少年が滞りなく
仕事を終えると、私は心の中で褒め称える。
二人は、人々の記憶に残らない仕事をする者同士、
お互いを励まし合うのだ。
最後、バーバラの黒いタフタドレスを撫でて、
まるでお姫さまみたいだ、という少年に
孫娘が「わかります、わかりますよ」と答える。
手作りの自由奔放に広がる服を上手く操る孫娘は、
補助員としての才能を
バーバラから受け継いだんだろうな。
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元迷子係の黒目
裏の平屋に住むのは「ママの大叔父さんのお嫁さんの
弟が養子に行った先の末の娘」。
彼女の二個の黒目は、素早く泳ぐ魚の動きに合わせ
自在に回転し、水槽の隅々までとらえられる。
ゴールデンネオンテトラの骨も、グッピーの
鮮やかな尾びれも、黒目の中では平等に美しい。
警備課迷子係が、彼女に最も相応しい仕事だった。
広々して入り組んだデパートで、
迷子の合図を発する可愛そうな子どもを
彼女の二個の黒目は絶対に見逃さない。
グッピーのお産の時も、糸くずのような赤ちゃんを
小さな黒目を目印に、的確にすくい上げたのだった。
末の娘は、
熱帯魚たちを全滅させて落ち込むわたしを
デパートへ連れて行き、迷子ごっこをしてくれた。
迷子のわたしを、帰るべき場所へ帰してくれた。
二つの黒目は、どんな可愛そうな子も見逃さない。
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寄生
見知らぬおばあちゃんが右腕に寄生した。
最早つなぎ目は無くなり、ジャケットも毛糸も皮膚も
脂肪も骨も、一続きになり静けさを守っていた。
虫博物館で出会った彼女の言葉が浮かぶ。
「自分の目がそんなふうに役立つなら、差し出しても
構わない。卵のゆりかごとして」
なんだか自分の右腕も、こんなに求めてもらえるなら
老女に差し出してもいいような気分になっていた。
待ち合わせに遅れて行くと、
彼女は全て理解しているふうだった。
寄生後の空洞が、彼女には誇らしく見えている。
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黒子羊はどこへ
村はずれの寡婦の女が、
海岸に打ち上げられた二頭の羊を引き取った。
庭で過ごす羊たちを眺めて過ごすうち、
世界中で自分ほどこの二頭の羊について詳しい人間は
いないと自負するまでになった。
赤ん坊が生まれた、何から何まで黒色だった。
成長するにつれ黒色はますます艶と深みを増していく。
女には子どもを引き寄せる才能があった。
黒子羊に興味津々で集まる村の子どもたちを招き入れ、
遊ばせたり、アップルパイを振る舞ったり。
そうして、子どもがいなかった彼女は思いがけず
託児所の園長になったのだった。村人たちはそこを
「子羊の園」と呼んだ。
子どもたちが一番好きなお話は、黒子羊の死に方。
争いごとが苦手な羊は、得意の逃げ足で野犬から
逃げ出したが、ぶつかった柵に挟まった羊はそのまま
息絶える。芸術品のような骨や羊毛が見つかっても
死体と気付く人はおらず、今もどこかの美術館に
展示されているらしい。
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巨人の接待
巨人の地域の言葉の通訳係を任されたわたし。
囁くような声に苦戦しながら、それらしい言葉に訳す。
巨人の双子の弟は、お腹にいる間に天に召された。
いつも、足りない一人に向かってお話を語った。
彼の声が小さいのは、死者に向かって
語りかけているからだ。死者はとても耳がいいから
小さな声で充分なのだ。
食事の際はいよいよ無言になる。ひたすら料理に
神経を集中させる。「適当に答えておいてくれたまえ」
巨人の本を原書で読むため地域語まで学んだ私にとって
彼の返答の捏造は難しくない。
絶滅した鳥たちが廻るメリーゴーランド。
小さな声でドードーに語りかけ、笑う巨人は
足りない誰かに再会できて、とても幸せそう。
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Posted by ブクログ
カズオ•イシグロ氏の日の名残りの作品に近い人の深さを感じる作品だった
他の誰も入り込めないようなまるで本当に海の中で物語が進んでいくそんな静けさでとても神秘的な催しのように感じる作品
物語後半、猫と鈴のシーンがあるのだがとても尊さみたいなものを感じた。古い鈴の音を久しぶりの遠慮深いと表現し相棒につけてあげるのだ。
時に難しく感じる作品でもあったように思う、内容がではなく、受け止める自分側が漂う物語の面白さを飲み込めれてない点にあった。少年が叫びたい場面に叫んで欲しかったし、我慢が続く場面に何か助けを示してほしかったし、インディラやミイラ、家族はいたものの孤独感が強く映り、またチェスが緩和していた。つまり、面白い作品と思って読むのではなく、人の深さを感じとるように読んでこそ分かるものがあった
ラスト物語が始めに戻ってきたと思わせる老婆令嬢にチェスを教える場面は鼻を熱くさせた。ミイラとのラストの場面は哀しくも物語の温度に合ってる気がした
好きなフレーズ引用
八×八の升目の海 ボウフラが水を飲み象が水浴びをする海に 潜ってゆく冒険だ
生涯を通し 繰り返し開けることにぬる別格の小箱 そのものだった
慌てるな、坊や