あらすじ
耳を病んだわたしの前に現れた速記者Y。その指に惹かれたわたしが彼に求めたものは……。記憶の世界と現実を行き来する美しく幻想的な長編。
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Posted by ブクログ
この小説で卒論を書いた同期がいる。小川洋子作品の中でもトップで好きな小説だな、と思う。タイトルである「余白の愛」がなんなのか、いまだに答えを出せていない。突発性難聴、耳の中にある蝸牛と呼ばれる器官と関連して、ぐるぐる回る、渦や螺旋のモチーフを見つけてみるとおもしろい。ヒロが大好きで仕方ないんだな…
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ああー…読み終わってしまった…
Yに最後に速記をしてもらった時のような終わりを見たくない気持ちがあって、残りのページを捲りたくなくてなかなか読み終われなかった。
いい意味で薬指の標本のような小説だった。薬指の標本は記憶を消してもう一度読みたい小説なので、読み進めていくたびに懐かしさと新しさをいっぺんに感じた。薬指の標本とこの余白の愛にある静謐で穢れないテイストがね、いいですよね。
なんだか長い白昼夢を主人公と一緒に見ているようなかんじだったな。
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本を開くとたくさんの文字の音がするように感じた〜 しかも、心地よい音が〜
小川洋子さんの作品はいつも違う世界につれていってくれるので大好き!
ぜひ〜
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静かな、しずかな、愛の物語。
私の中でYは永遠に生き続けるんだろうな。
指や耳、意識しないと分からないけど、美しく繊細な器官を人間は持っているんだなぁと余韻に浸れた。
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「わたしの耳のために、あなたの指を貸してもらえませんか」
耳を病んだわたしの前にある日現れた速記者Y。その特別な指に惹かれ、わたしは歩み出す。入院中の病室で夫との離婚が成立した。最後まで優しかった夫がわたしに残したのは、耳の治療に十分なお金と甥のヒロだった。ある座談会をきっかけにYとの交流は深まり……
十三歳の少年、マロニエ越しに見えるホテル、ヴァイオリンの耳鳴り、博物館の補聴器。
不思議な作品だった。結末を読んで、題名の意味を考えた。「余白の愛」。余白とは、Yが速記した紙の余白ということだろうか。それとも、Yの指を包み込んで眠ったあとの空間だろうか。何を比喩しているのか分からないけど、確かに存在していたYとの時間ーー記憶ーーを心に留めておきながら、「わたし」と気持ちを重ねたいと思う。
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耳を病んだわたしは、ある座談会で速記者Yと出会い、彼の指に惹かれる。
F耳鼻咽喉科病院と、病室の窓からマロニエ越しに見えるホテル。離れにあるささやかな美術館。
まるで絵に描いたような美しい風景が、目の前に広がっていく。
静かな物語にもかかわらず、終始ドキドキしていた。
記憶の引き出しの中に、もう一つの世界があるようで、想像力をかき立てられる。
ずっとわたしの傍らにいてくれた、甥っ子のヒロの優しさと、幻想的でとてつもなく美しい世界を存分に堪能することができた。
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地球っこさんに教えていただいた本。
小川洋子さんのすばらしい世界観。
とても文学的で物語の中に引き込まれました。
静かに流れる物語が、読み終えるのが惜しいと思いました。
これは手元に置いておいて、何度も読み返したいと思います。
ありがとうございました。。。
Posted by ブクログ
静かな空気感と清潔感がずっと漂ったお話。
耳を病んだ主人公の記憶と現実をめぐって物語は進んでいきます。
どこか、何かが狂っているけれども淡々としている。登場人物たちもそれらには気に留めることはない。
穏やかな愛がとても心地よかったです。
Posted by ブクログ
素晴らしかったです。
本書はフォロアーさんからのおすすめだったのですが。
はい。大好きです。もう、大満足でした。
小川洋子さんの本はまだ4冊目ですが、もう大ファンになってしまいました。
この儚げな描写。全てがごくごく薄い鶯色のベールに包まれたような静寂。一人称の「わたし」で綴られる出来事のかずかず。
耳を病み、夫の不義を知って夫との別れを決意した「わたし」。そんな「わたし」の前に現れた速記者Y。Yの紡ぎ出す暗号の様な速記字とその独特の指に惹かれた「わたし」は…。
読むにつれ、『現実』と『過去』と『妄想』と『想像』が少しずつ区別できなくなっていく浮遊感。
どこかでこの感触は感じたことがあるな・・・と思ったら、何となくこの世界観は村上春樹的な世界観に似ているのですね。
村上春樹ほどファンタジーの世界には足を踏み込ませないし、村上春樹お約束のセックスの描写もないし、あの特徴的な比喩の使い方もないのですけれど、小川洋子さんの小説を読んでいると、なんとなく感じるこの心地よさは村上春樹作品に通じるところがあるのです。
こういう言い方をしたら小川洋子さんには失礼なのかもしれないですけど、僕的には小川洋子さんの作品は「女性版村上春樹作品」といってもいいのではないかとも思います。
それにしても小川洋子さんの小説に登場する主人公の「わたし」は可愛い人ばかりです。
小川洋子さんはあまり主人公の「わたし」の外見の描写をしないので、外見的には「美人」なのか「可愛い」のかは分かりませんが、彼女達の心の中身がみな「素敵」なのです。
ああ、好きすぎるこの小川洋子さんの描く「わたし」。
本書は、1991年発表で小川洋子さんの初期の作品と言ってもよいのですが、ものすごく完成度が高いですね。
『純文学』とはなにかと言われたら、代表作として僕は本書を挙げたいくらいです。
今後もさらに小川洋子さんにのめり込んでいきそうです。
Posted by ブクログ
「君の耳は病気なんかじゃない。それは一つの世界なんだ。君の耳のためだけに用意された、風景や植物や楽器や食べ物や時間や記憶に彩られた、大切な世界なんだよ」
突発性難聴に苦しむ「わたし」を救ったのはYの優しくて甘い言葉。
自信なさげに恐る恐る喋る声を一つ残らず書き留めるYの繊細な指。
人は思いもよらない災難に遭遇して心細い思いをした時、自分の殻に閉じ籠ることが多い。
そして棘のない痛みの伴わない記憶を頼りに癒しを求める。
記憶の捻れがもたらした安らぎは「わたし」をゆっくりと浮上させる。
小川さん特有の甘美な幻想的な世界にゾクゾクした。
無駄な音のない静かな物語。
一度読んだだけでは理解できず、何度も読み直す…小川さんの文章にはいつも惑わされてしまう。
Posted by ブクログ
初めて小川洋子の作品を読んだが、なんて文章が綺麗なのだろう。
視覚から見える情報をこうも美しく文章にできるのは才能だなと思った。
この作品をきっかけに小川作品どんどん読んでいこうと思う。
Posted by ブクログ
ハッピーエンドではないが、読んだ後幸せな余韻に浸れる名作。Yとの関係を何といえばいいのか分からないが、どうしようもなく愛に溢れていたと思う。手の動きをこんなにも美しく表すことができるとは…
Posted by ブクログ
耳を患ったわたしは、座談会に出た際の速記者Yの指に惹かれる。何度か会ううちに、自分の語る話を速記してもらうことにする。
しばらくして、Yが所属する速記の会を訪ねたわたしは、そこに事務所はなく、その代わり、その場所にあった家具屋の中にYが語った話の片鱗を見る。
Yとは一体誰だったのか、耳の不調と離婚による精神的な凹みが生み出した幻想だったのか。
全体を通して幻想的な雰囲気が漂う物語。
Posted by ブクログ
私の母が歳を取り、難聴になったので、補聴器を試してみたけど、音が聞こえすぎて辛いと言っていました。この話の主人公も色んな聞こえなくてもいい音が、ずっと聞こえているそうで、大変そうでした。
後半は、モヤモヤした感じがスッキリするのかと思い、いっきに読んだのですが、やはり小川洋子さんの作品らしい終わり方でした。
Posted by ブクログ
あなたは、『耳鳴り』に悩まされた経験がありますか?
少し前のことになりますが、朝起きたら左耳に『ガガガガ』、『キーン』という嫌な音が響いたことがありました。そして、家族の前へと赴いた時、左耳から音が消えてしまっていることに気付いた私。耳に水が入って抜けなくなった時のような強烈な不快感が私を襲います。すぐに耳鼻科に罹ったところ、『突発性難聴』と診断を受けました。すぐに薬を処方してもらい、治療を続けた結果、聴力は元通りに回復。大好きなクラシック音楽を再び聴ける日々が戻りました。私の場合、症状が出た当日から治療を開始したことが功を奏したと、後に医師から告げられました。聴力は一度落ちた状態が長引くと、その状態で固定され、二度と元には戻らないのだそうです。このレビューをご覧いただいているみなさんの中で、もし耳に違和感を感じられることがあったなら、一日二日様子を見て…と考えるのではなく、また、どんなに大切な仕事が入っていようとも、あなたが一生を共にする聴覚を守るためにも、大急ぎで耳鼻科を受診されることを強くお勧めします。
さて、いきなり私の『突発性難聴』罹患の体験談から入ってしまいましたが、ここに、かつての私と同じように『突発性難聴』に罹患した一人の女性が主人公となる物語があります。それは、『原因不明とされてい』る『突発性難聴』による『耳鳴り』に悩まされる日々の中で、一人の速記者の指の動きに魅せられていく女性の姿を見る物語。そして、そんな女性が幻想と現実の境界線が極めて曖昧になる世界を生きる様を見る物語です。
『初めてYと会ったのは、F耳鼻咽喉科病院の裏手にある、古いホテルの小部屋だった』というのは主人公の『わたし』。『耳を病んでF耳鼻咽喉科病院に入院してい』た『わたし』は、『退院して二日めの午後、ある座談会に出席するために』ホテルを訪れました。『玄関の回転扉』のぎしぎしとした音に『またあの厄介な耳鳴りが始まった』のかと『耳鳴りの予感が』したもののしばらく目を閉じてやり過ごした『わたし』。『部屋に入ると』他の出席者は揃っており、『テーブルの角にYが坐ってい』ました。そして、雑誌の『私はこうして突発性難聴を克服した』という特集のための座談会が始まります。『ではまず、最初の症状が現われた時の様子』からということで、『中年の婦人』が『ある朝、目が覚めたら、すべての音が全部消えてなくなっていたんです』と語り出しました。そんな時、『婦人が最初の言葉を発するのと同時に、彼がボールペンを紙の上で動かし始めた』のを見て『Yが速記者であることに気づ』き、『彼女の唇とYの手元を、さり気なく交互に見比べた』という『わたし』。婦人の語りの中、『動いているのはYの手だけだった。彼の手の周りだけ、空気が特別な流れ方をしている』と感じる『わたし』。次に『今度は混血青年』が指名され『最初、自覚症状なんてなかったんです…』と語り出しました。『ボールペンは決して立往生することはなかった』と、Yの速記は続きます。そんなYに意識が囚われていた『わたし』に、『あなたはいかがでしたか』と司会者から突然振られ、『おととい退院したばかりで、本当に治っているのかどうか自信がない』と語る『わたし』は、この病気の原因が『主人が家を出て行った』ことにあるのではないかと思っていることを話します。そんな語りに『Yの指は影のようにわたしについてきた』とYの速記は続きます。そんな座談会の中、『他の三人が誰もYのことを気にかけていないこと』に気付いた『わたし』。そして『誰も彼の方を見なかったし、話し掛けもしなかった』という不思議な雰囲気の中、座談会は終了しました。そして、食事が運ばれてきた時には『彼はもういなかった』という展開。『彼が坐っていた椅子を眺め』る『わたし』は、『そこは淋しげな空洞』だと感じます。そんな後再び調子が悪くなり『F病院に入院するはめになった』という『わたし』。そんなある日曜日、『誰かがドアをノックした』ことに『鼓膜が直接ハンマーで叩かれたのかと』『耳が震え上がった』『わたし』を訪ねてきたのは…と『耳鳴り』の症状が続く『わたし』の幻想と現実の間を行ったり来たりするような不思議感漂う物語が描かれていきます。
1991年に刊行されたこの作品。小川洋子さんの数多い小説の中でも名作「妊娠カレンダー」と共に最初期の長編に位置づけられます。しかし、最初期であっても今に続く小川さんらしい表現の魅力に満ち溢れた作品になっているのがある意味驚きです。この作品では、主人公である『わたし』と、そんな『わたし』の前に現れ、彼女が強く意識する存在となっていく速記者・Yの関係が最初から最後までその中心に描かれていきます。そんなYに魅せられるきっかけとなったのが速記する彼の手、というよりさらにその先、彼の指の動きです。その指の動きにどんどん魅せられていく『わたし』。そんな指に関しての比喩表現の数々がこの作品の一番の魅力だと思います。そもそも芥川賞作家の皆さんはそれぞれに独特な比喩表現で魅せてくださる方が多いですが、小川さんがこの作品で魅せてくださる指の動きに関する表現もハッとするものばかりです。どれも落とすには忍びないですがそんな中から三つを取り上げたいと思います。まず一つ目は、速記者であるYの指に魅せられる『わたし』。彼の『指がボールペンを滑らせた一瞬』をこのように感じます。
・『手品のハンカチーフから舞い降りてきた鳩のように、しばらくわたしの中にとどまっていた』。
『わたし』の新鮮な驚きの感覚が手品に魅せられた時同様のインパクトでストレートに伝わってくる表現です。次に二つ目は、座談会で自分が話す番になったもののすぐに話せないままの『わたし』は、Yのことをこんなふうに見ます。
・『Yの指は羽を休める蝶のようにじっとわたしを待っていた』。
速記者であるYの指をまさかの蝶の動きに例えるこの表現。動き出した後の優美さを想像させると共に、羽を休める蝶というその時を待つ存在に光を当てるこれまた絶妙な比喩表現だと思います。
そして、三つ目は座談会で話す『わたし』の語りを記していくYの指の動きをこんな風に表現します。
・『Yの指は影のようにわたしについてきた。決して離れないけれど、追い越すこともなかった』。
語りの記録なので『追い越す』ということはそもそもあり得ないわけですが、速記で動く彼の指を『影』に例えるというこの表現の絶妙さには驚くばかりです。このように、それぞれに異なるものに喩えながらYの指の動きが描かれていく中で、読者の中にも、Yの指の動きが、何か特別で魅惑的なものに感じられるようになってきます。小川さんには「薬指の標本」という同じく指に焦点を当てた作品がありますが、同作の指は主人公の『わたし』自身の薬指でした。そんな指に焦点を当てながら標本を作る弟子丸氏との二人の関係を描く「薬指の標本」の物語。一方でこの作品はYの指の動きに魅せられた『わたし』との二人の関係を描く物語です。同じ指というものに焦点を当てるが故に、恐らくどちらを先に読んでももう一つの小説の情景が思い起こされるのではないかと思いますが、比喩表現の絶妙さと、指の動きへの執着という点ではこの作品の方がより深いものを感じます。いずれにしても”指フェチ”の方にはたまらない作品なのではないか?と思います。
そんなこの作品は、一方で『言葉のきしみは段々ひどくなり、またあの厄介な耳鳴りが ー ヴァイオリンとは違う、突発性難聴の耳鳴りが ー 再発しそうな予感がした』と『突発性難聴』に苦しめられる主人公の『わたし』の姿が描かれていきます。私もかつてこの病に罹患した過去を持ちますが、ある朝突然に聴力が失われて、時間の経過によって変化する『耳鳴り』には散々に悩まされました。『耳鳴り』は、その人本人にしか感じられないものです。起きている間中、頭の中で鳴り響き、人の声や音楽に集中しようとする意欲を打ち砕くかのように邪魔をする存在です。この作品でも『最初、遠くの方から思慮深く漂い始め、耳の管を伝って近づき、最後にはすっぽりわたしを包んでしまう』と表現される『耳鳴り』。『そうなるともう、どうすることもできない』、『それが遠ざかってゆくのをおとなしく待つ』しかないという苦しみが描かれていきます。しかしその一方で『気づかないふりをしてできるだけ無視』しても『乱暴に耳を引っかき回す』ことに繋がることに気づいた『わたし』は、『わたしが振り向き、両手を差し伸べ、抱きとめてやる』というように、そんな『耳鳴り』と、上手く付き合っていく様を学んでいきます。そんな風に常に鳴り響く『耳鳴り』の中で生きる『わたし』が描かれる世界はどこか幻想と現実とが入り混じったような独特な雰囲気に包まれています。そこには、今に続く小川さんの作品群の中でもたびたび登場する言葉も顔を出します。座談会の後、Yの姿を探すも『溶けるように消えてしまった』と、彼がいなくなったことに気づく『わたし』。そんな『わたし』は、彼が坐っていた椅子を見てこんな風に感じます。
・『そこは淋しげな空洞だった。誰かがそこに坐っていた記憶を、全部吸い込んでしまう空洞だった』。
『空洞』という大きな喪失感を感じさせるこの表現は単に存在がなくなったということを表す以上に大きな衝撃を感じさせます。また、幻想と現実の境界線が極めて曖昧に感じられるこの作品でもう一つ印象的な言葉が、次のように登場する『記憶』という言葉に込められた意味合いです。
・『時間の流れに愛撫され、棘を全部抜き取られた記憶、手触りがしなやかで決して裏切らない記憶、ひっかき傷や痛みを残さない記憶を、むさぼっているのです』。
この『記憶』という言葉は『ここは記憶なんだ。いくら君自身でも、どうすることもできない』、『あなたと、…あなたの指と、離れたくないの』といった会話にも登場します。人は夢を見る時、自分がそれまでに経験したことのない世界の夢を見ることはないのだと思います。それまでの何らかの経験が、その経験の『記憶』がごっちゃになって夢というものを見せていく、夢とはそういうものなのだと思います。そんな夢同様に、人が見る幻想というものがあるとすると、その元となっているのは、やはり『記憶』なのだと思います。そんな『記憶』というもののある意味での神秘さの中に、もしくはその神秘さが見せる幻想の中に生きる主人公の『わたし』の物語。それは、本来見ることのできない他者の夢の中を共に彷徨うような、そんな不思議感溢れる読書の時間を与えてくれました。そして、それがこの作品のなんとも言えない一番の魅力。この作品を読む際は小川さんの絶妙な比喩表現と、幻想と現実が入り乱れる独特な浮遊感のある物語にどっぷりと身を委ねること、この作品を楽しむためにはそのような読書が最善なのかな、と思いました。
『二人の間には指しか存在しておらず、それ以外のものはすべて、言葉も唇も微笑みも不必要に思えた』。
“指文字”というものがあるように、指というもの、そして指の動きというものは人と人との繋がりの中で大きな意味をもつものだと思います。この作品では、速記者であるYの指の動きに魅せられていく主人公『わたし』の姿が描かれていました。そんな『わたし』は、『耳鳴り』に悩まされる一方で『耳鳴りは一つの可能性です』と思い至り『耳とうまく交信できるかどうかの、可能性を秘めているのです』と、『耳鳴り』の向こうの世界へと心を飛翔させてもいきます。この作品では、そんな物語の中に幻想と現実の境界線が極めて曖昧になる独特な世界観の物語が描かれていました。
素晴らしい比喩表現の数々と、不思議な世界観が織りなす絶妙なストーリー展開に魅了されるこの作品。小川さんの表現の魅力にすっかり酔わせていただいた、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
静かな静かな物語。
記憶が現実を癒していく美しい小説でした。
耳と指が異世界へのコネクトとなる幻想的な話で、余白がなくなった愛が主人公を前に進ませたんだなと感じた。
Posted by ブクログ
本屋B&Bの文庫本葉書をきっかけに読んだ。物語もだけど、言葉の紡ぎ方や表現も静かで繊細で緻密。自分の感覚も研ぎ澄まされていくような気持ちになる。全体を幻想的に写しているフィルターは、汚くて不都合なものを隠しているようだった。もう一回読んで、それがなんなのか確かめなければいけない。個人的に純喫茶との相性がいい小説(実証済)。
やさしさってなんだろう。タイトルも含めて、読んだ人と意見交換したい。
Posted by ブクログ
詩的な物語。
事前知識なく読みました。
ちょうど一年前、私も同じ状況となり一時的に聞こえなくなりました。恐怖は相当ありました。一般的にはどうなのでしょう。私は1週間が勝負でしたけれど。
その状況を思い出しつつ、読みました。
確かに受け止めるしかないのです。
冷静にストーリーは進んでいきます。静かです。
+++
レビューを読んでくださった方へ
プールに入っているみたい、もわもわする、と突然感じて半日治らなかったら。
様子を見ている場合ではありません。1時間でも早く診察を受けましょう。
治らなくなります。タイムリミットは48時間です。(突然発症するので、いつから始まったかはっきりと把握できるはず。それがこの病の特徴ともいえます。当てはまる方、土日挟んで月曜日に、なんてとんでもないです。)
Posted by ブクログ
雪に閉ざされたバースデーパーティーの帰り道はこの物語を象徴しているような静けさと温かさがあって素敵でした。時間を空けてもう一度も読みたいです。
Posted by ブクログ
耳の病をわずらった「わたし」は、病をきっかけに知り合った速記者Yに静かな想いを寄せるようになる。
現実と幻想のあいだで揺れ動く主人公。
静かで穏やかな世界が続く。
特にバスのシーンが印象深い。
著者ならではの耳や指の表現の豊かさに圧倒される。
Posted by ブクログ
Yとヒロが積極的に主人公に構ってくれるのだが、Yの存在は幻覚だったとして、ヒロはそんな幻覚が見えることも含めて叔母に付き合ってあげていたのかと読後に改めて思うと、凄い子だ。
Yの指への惹かれようが、性的ともいえる魅力を感じる。そして自身の突発性難聴となった耳に聞こえてくる幻聴のバイオリン。それも魅力的な指により速記という形で絡め取られて、抱擁されたような心地。
帯に記憶と現実が溶け合うとあるが、物としては指と耳が溶け合い、Yと主人公が溶け合う。
人間は小さな声で話しているといくらか優しい気分になれるものだということを、私は病気になってから発見した。小さな声は柔らかくて肌触りのいいベールになって、その人を包むのだ。
Posted by ブクログ
耳についての感覚とか、文学的だけど理解できる感じもあって、個性ある作品だと思った。
文学らしい描写だけじゃなくて、静かなトーンで進んでいく話もよかった。
けどわたしには少し文学らしさが強すぎて、若干物語としては不自然さも感じたかな、、
Posted by ブクログ
静かで、汚されない世界。
記憶と現実に主人公も読者も迷い込んでしまう。
読み終えてからの本のタイトルにまた感心してしまう。
この不思議で虜になってしまう世界をどんな言葉で感想を書けば良いのか分からない。