あらすじ
「だって人は誰でも、失敗をする生きものですものね。だから役者さんには身代わりが必要なの。私みたいな」
金属加工工場の片隅、工具箱の上でペンチやスパナたちが演じるバレエ「ラ・シルフィード」。
交通事故の保険金で帝国劇場の「レ・ミゼラブル」全公演に通い始めた私が出会った、劇場に暮らす「失敗係」の彼女。
お金持ちの老人が自分のためだけに屋敷の奥に建てた小さな劇場で、装飾用の役者として生活することになった私。
演じること、観ること、観られること。ステージの彼方と此方で生まれる特別な関係性を描き出す、極上の短編集。
感情タグBEST3
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文章を読むだけで浮かんでくる情景。作者の言葉の選び方と紡ぎ方に絡め取られていく。
指紋についた羽の少女との文通。いつのまにか自分がそこに居るかのように感じる。
ストーリーはややホラーのようでどこか暖かい。人が生きていく中での静かで強い感情を思い出させられた。
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舞台の上で、観客席で、誰もが自分自身の孤独と向かい合っている。誰も入ることのできないその場所でしか存在できないものを、ステージ上の輝きに、客席に落ちた暗闇に、見出している。そんな、自分だけの「舞台」との関係性をそっと覗くような短編集でした。
指紋のついた羽
縫い子さんと少女の距離が、ラ・シルフィードの浮いた爪先と地面の距離なのかも知れない。その空間は青年のことを拒否したけれど、少女に手紙を届けて、ボビンケースの中の縫い子さんを守っている。得難い断絶となって二人の世界を包んでいる。ちょっとすれ違って、でもちゃんと心を通わせあっている手紙のやり取りが長く続きますようにと祈らずにいられない。
ユニコーンを握らせる
主人公があり得なかったもう一つの時間について思うとき、その両手は完全な姿になたユニコーンをしっかりと握り込んでいるんだろうと思う。その手の中で、ローラおばさんはいつまでも凛とした姿、張りのある澄んだ声のまま、青年紳士を待ち続ける。主人公が時折思い出す限りは、ずっと。
おばさんは永遠になれたんだきっと。
鍾乳洞の恋
あまりにもすごくてちょっと怯えてしまった。
秘めていた恋の発露としてそんな表現をするんですか!?でも、室長から見た虫のような生き物はちっとも醜くなんかなくて、むしろその小さな体の隅々まで愛おしさに満ちているのだと思うと、いじらしくてたまらなくなる。オペラ座の怪人テーマでこれが出てくるの本当に...恋愛ものとして完璧に限りなく近い作品なのでは。
ダブルフォルトの予言
なんか分からないけど泣いちゃった。キラキラした空間、夢のような時間には終わりがあるから、それそのものを求めてしまっては行き着く先は地獄になる。前半の心地よさはじわじわとすり減っていって、千秋楽で溢れてしまった不安と恐怖と孤独はもう取り返しがつかない現実として残ってしまったんだろうな。でも失敗係はいない。空想の世界を守るための失敗係は、現実には存在しない。79公演分の時間の重さが本を通して伝わって、やるせなくなってしまった。
花柄さん
花柄さんとサインをくれた役者の関係は、花柄さんが立つ一人だけの舞台の花柄さんという役者に対する観客、ということになるのかな。ほんの一瞬だけ、サインをする時間だけ、その人は花柄さんのことを考える。花柄さんだけを見る。それって舞台に立つ演者を見つめるのとおんなじなんだ多分。花柄さんはベッドの上で、もうこれ以上ないほどの観客をその下の空間に引き連れて、拍手喝采の千秋楽を迎えたに違いない。
装飾用の役者
舞台のセットで生活するとだけ聞くとかなり楽しそうではあるけれど、それを上演しなくてはならないとなったら、どうだろう。本物になってはいけない、というのはかなり難しいんじゃないのか。爺さんが敷地内に造ったものを全て偽物にしたのは、自分にとって、自分にだけ本物であって欲しかったからなのかなと思う。そのための役者として、なるほどコンパニオンの彼女はこの上なく適任なのかも知れない。
いけにえを運ぶ犬
はじめのファゴットの音から呼び起こされる後悔。ふとしたことで思い出してしまうどうしても忘れられない嫌な記憶には身に覚えがあるので、読むごとに羞恥心が募って困った。春の祭典の進行と交互に語られる思い出は、力強い楽器たちの音色と妙な静けさの記憶が絡み合って異様な雰囲気を漂わせていた。犬の目に映る自分がこっちを見ている、多分、永遠に。
おばあちゃんのお話がすごく好きなのであと50話くらい教えて欲しかったな。
無限ヤモリ
本物の舞台である芝居小屋が廃屋になっているの、彼女が初めから得られるものなど何もないことを象徴しているみたいですごく嫌だった。すごい。代わりに何もかも偽物であるジオラマの中では、子供達がこれ以上ないほどの幸福に包まれているというのだからもう、何から何までやるせなくて、すごく好きです。
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8編の物語が詰まった作品です。
もう、とにかく、美しい。
舞台を見終わった後のような感覚です。
景色、人物、心、思い…
そして、舞台という非日常が生み出すどこか面妖な世界…
とにかく全てが儚く綺麗な物語でした。
中でも私が心掴まれたお話しは…
『ユニコーンを握らせる』
『いけにえを運ぶ犬』
表紙も綺麗で、じっと眺めてしまいます。
飾っておきたくなるような美しさです。
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舞台×小川洋子×ヒグチユウコ。よりによって私の大好きな芸術3種の恐るべき盛り合わせに、私のために作ってくださったのですか?!と問いたくなる短編小説。どの短編にも舞台が必ず登場するのだが、趣がそれぞれ異なるだけでなく、小川洋子さんが書くとこうなるのか!という驚きに満ちた珠玉の8編…(まだ余韻が)。虚構と現実が同時に確かに存在し、共鳴しあい、たとえ終わりが来ようとも心に宿り続ける尊い灯火(ともしび)。それが私をあたため、寄り添い、明日を照らす。死と生の循環。舞台の魅力がこの1冊に詰まってる。
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帯にある語~異界、奇跡
これって日常用語ではないが、考えて、発語するだけで独特の異空間へ足を踏み入れた気持ちにさせる。
小川洋子全開のワールドに彷徨った
収められている8編、舞台・・ステージに纏わる場面、時間、心象
その脳密度は作品によって微妙に高低あるけれど、読み進むにつれ、或るホラー感覚に襲われて行く様な内容もある
個人的に響き、慄きすら覚えたのは「装飾用の役者」
ラストで【∼どのような要望でも お応えする自信がございます。採用して頂ければ 誠心誠意お勤めさせていただきます】
2000年になって、特に介護という業種が膨らむにつれ 酷く多用されてきた語感∼寒気を覚えました。
彼女という人間、生物の心象がもはやホラーじみていて。。
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舞台をモチーフとした短編集です。小川洋子さんだなあと思いながらの読書でした。研ぎ澄まされた文章に、不思議な世界が広がっていました。装画はヒグチユウコさん。この雰囲気と色合い、好きな感じです。そして何かが潜んでいるような感じもしました。背表紙もおしゃれです。
以下は、読者の私が気に入った短編の感想です。
【指紋のついた羽】
ひとことで言えば〈無言の世界の美しさ〉。
バレエのラ・シルフィードに魅せられた少女。逆さまに置いた工具箱の上で上演される無言の世界。その世界になぜか美しさを感じ、幼い頃から少女を知っている縫い子さんの優しさが心地よかったです。二つの光と二人の後ろ姿の描写で締めくくった最後の場面が、とても印象的でした。
【ユニコーンを握らせる】
ひとことで言えば〈永遠の時間をかけて待つ楽しみ〉。
伯母さんと過ごした4日間。この後も、もしも続くことになっていたら、どんな日々が待っていたのかが気になるところでした。
伯母さんが演じる予定だった「ガラスの動物園」のローラのセリフが書かれた食器の数々。そしてそのセリフが現れたときに、伯母さんが発する声がまるで聞こえてくるようでした。一目ずつ編まれている手袋の意味がわかったとき、何もない舞台のような家で、伯母さんが待ち続ける日々をいとおしく感じました。
【ダブルフォルトの予言】
ひとことで言えば〈不思議な空間〉。
事故の保険金で舞台の全公演分のチケットを買います。その金額に不思議な縁を感じます。公演に通って知り合った人は、帝国劇場で暮らし、役者の失敗の身代わりだといいます。全公演が終わったあとに気づいたことと、今までが現実だったのかがわからなくなったことに、不思議な感覚を得ました。
【花柄さん】
ひとことで言えば〈安らぎと達成感〉。
花柄さんと呼ばれる女性が、舞台の後にお芝居に出ていた人からサインをもらう喜びを知ります。そのサインが書かれたプログラムを一つ一つ大切にベッドの下にしまいます。
花柄さんの幼い頃の記憶と今の喜びに想いを馳せました。始めの不穏な感じから一転して、花柄さんの満足げな笑顔に安堵しました。
〈目次〉
指紋のついた羽
ユニコーンを握らせる
鍾乳洞の恋
ダブルフォルトの予言
花柄さん
装飾用の役者
いけにえを運ぶ犬
無限ヤモリ
※「鍾乳洞の恋」は幼虫、「無限ヤモリ」はヤモリのリアルな表現があるので苦手な人は要注意です。
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不思議で、不気味で、美しい短編集。
一見グロテスクに思える描写でも美しく見せてしまうところがさすが。
以下備忘録
「指紋のついた羽」
舞台で見た妖精ラ・シルフィードに手紙を送る少女。
「ユニコーンを握らせる」
昔女優だった伯母と過ごした日々。
「鍾乳洞の恋」
歯の詰め物の間から白い生き物が生まれる。
「ダブルフォルトの予言」
劇場に住んでいる女性の話。
「花柄さん」
役者のサインを集め続ける花柄さんの話。
「装飾用の役者」
お金持ちの家で装飾用の役者として働く。
「いけにえを運ぶ犬」
移動書店の車を引く犬と少年の話。
「無限ヤモリ」
子供を望む女性と無限ヤモリ。
Posted by ブクログ
不思議だなぁ。日常のひとときを切り取ったのに、なんだか印象深くて、一生心に残るような感覚だった。
各主人公のように思い出や経験が秘密裏に根を張り、一体化していく様を見て面白いなぁと思うと同時に安心する。
自分以外の人もこんな経験を持っているのだろうかと考えてしまう。
気に入ったエピソードは、「指紋のついた羽」「花柄さん」「装飾用の役者」「いけにえを運ぶ犬」。
小川さんの文章がスッと入ってきて、さらに短編なので読みやすい。
Posted by ブクログ
あなたは、”装飾用の役者として生活”してくださいと言われたらどうするでしょうか?
この世には数多の職業があります。厚生労働省による2022年時点の職業分類数は18,725種類にもなるようです。私たちは限られた人の一生の時間の中にそれら全てを体験することはできませんし、そもそもその全てを知ることもできないと思います。
そんな職業の中には時代が違えば極めて突飛なものもあるでしょう。例えば宇宙飛行士という職業がありますが、100年遡れば、ホラを吹いているとしか認識されないものでもあると思います。一方で、時代が変わっても、えっ?という思いを抱くものもあると思います。そもそもそれは単に犯罪の匂いのするアブナイ話ではないの?そんな思いを抱くものもあるかもしれません。
さてここに、”装飾用の役者として生活”することを課せられた一人の女性が主人公となる物語があります。怪しい匂いがプンプン漂うこの作品。他にも怪しさ満点の短編が詰め込まれたこの作品。そしてそれは、”小川洋子ワールド”全開に繰り広げられる摩訶不思議な世界に魅せられる物語です。
『今どきの幼稚園はどうしてこんなにややこしいのかしら。こまごまと寸法やらデザインやらに決まりがあるらしいの』と言う『金属加工工場の社長の奥さん』に『「入園式までに用意するもの」と書かれたプリントを広げて見せ』られたのは主人公の縫い子。『父子家庭の従業員がたいそう困っているから助けてほしい』と言う奥さんは『私がやってあげればいいんだけど、不器用で駄目なのよ。せっかくお向かいが縫製の専門なんだから、慣れた人にお願いするのがいいと思って。もちろん、あとで材料費は請求してね』と続けます。『駅に続く大通りの一本北寄りの筋に、向かい合わせで建ってい』る『金属加工工場と縫製工場』。縫い子は『半年ほど前、もっと大きな町にある家電メーカーの検品係を辞め、縫製工場に再就職してようやく仕事に慣れてきたところ』です。しかし、『工業用ミシンは手芸には不向き』という中に、『洋裁学校の友人に卓上ミシンを貸してもらい、日曜日を丸一日使って必要な品をこしらえた』縫い子。そのことが『少女と初めてつながりを持』つ機会となりました。『少女の好みを聞き忘れたので、手芸用品店で少し迷ってから、小花をくわえた小鳥のアップリケを選び、全部の袋に縫い付けた』縫い子。『やがて幼稚園を卒園し、小学校へ上がる頃になると、少女は金属加工工場の物置で父親の仕事が終わるのを待つようにな』ります。一方で『午後の休憩時間』、『作業場の裏口から外へ出て、一人で過ごすのが常』という縫い子は『少女』と『視線を合わせ、路地をはさんでお互いにぎこちなく、会釈とも目配せともつかない挨拶を送』るようになります。『縄跳びが上手だった』という『少女』を『丸椅子に座ってただぼんやりと』眺める縫い子。そして、『終業のベルが鳴ると、少女の父親は作業服も着替えないまま一番に工場から出てき』ました。『いかにも金属を加工するのにふさわしいと思える、たくましい体つきの父親』と『手をつないで家へと帰る』『少女』を見る縫い子は『ランドセルの脇にぶら下がる上履き入れが、以前自分が縫ったものだと』気づきます。『チェック模様は色あせたものの、白い小花をくわえた、赤いくちばしと水色の羽を持つアップリケの小鳥は、まだほつれもせず袋の真ん中に留まっていた』という『上履き入れ』を見る縫い子。
場面は変わり、『あなた、バレエに興味ある?』と『金属加工工場の社長の奥さんから、思いがけない申し出』をうけた縫い子。『お客さんから招待券をもらったんだけど、あいにく…』と話す奥さんは『例のお嬢ちゃんと一緒にバレエへ行ったらどうかと思ったわけ』と続けると『えっと、題名は何だったかしら…』と『切符を覗き込』みます。『あっ、そうそう。「ラ・シルフィード」。「ラ・シルフィード」よ』と言う奥さん。
再度場面は変わり、『町の文化会館はお城の近くにあった』、と『少女』を連れてバレエの会場へとやってきた縫い子は、『退屈した少女がじっと座っていられなくなった時』のことを考えます。『しかし実際、幕が上がったあと、半分近くうとうとしていたのは縫い子』の方でした。『瞬きするのさえ惜しいといった様子で舞台に見入っている』『少女』に気づくことなく眠ってしまった縫い子。バレエの後、少女は『ラ・シルフィードさま』と始まる手紙を書くようになります。そんな『少女』と縫い子のそれからが描かれていきます…という最初の短編〈指紋のついた羽〉。”小川洋子ワールド”に一気に連れていってくれる好編でした。
“舞台という、異界。舞台という、奇跡。演じること、観ること、観られること。ステージの此方と彼方で生まれる特別な関係を描く、極上の短編集”と本の帯に記されるこの作品。まさしく”小川洋子ワールド”全開と言って良い2022年9月刊行の小川洋子さんの短編集です。8つの短編から構成されたこの作品ですが、元々は月刊文芸誌「すばる」の2020年12月号から2022年2月号に掲載された作品を短編集として一冊にまとめたものとなっています。作品間に繋がりはありませんが、上記した通り収録されているのは”小川洋子ワールド”全開といった面持ちの短編ばかりです。
では、そんな”小川洋子ワールド”を見てみたいと思います。まずは、モノにこだわる描写です。この作品の最初の短編〈指紋のついた羽〉はこんな一文から始まります。
『鉄粉や金属の削り屑や機械油の滴が散らばる地面に、少女は箱を一つ、逆さまにして置く』。
『鉄粉や金属の削り屑…』といった言葉から物語を開始すること自体、小川さんならではです。そこに組み合わされるのが『少女』ですからこの落差に不穏な雰囲気がぷんぷん伝わってきます。そして、モノにこだわる小川さんの鉄板として、モノの単純羅列という表現がこの作品にも登場します。
『縄跳び』が好きな『少女』ですが、それに〈飽きてもまだ時間が余る時』、『地面に座り込』んでこんなものと遊びます。
『土に埋もれたナットや、のびたバネや、壊れたペンチや、納品書の切れ端や、その他雑多なもろもろを、工場から漏れる明かりの下に拾い集めて遊んだ』。
対象が『少女』と考えるとなんともシュールな光景が浮かび上がりますが、小川さんの作品と考えるとたまらなく絵になる光景が浮かび上がってくるのが不思議なところです。さらに、もっとモノの羅列にこだわる箇所も登場します。
『勘定科目、仮受消費税、仮払消費税、借方科目、貸方科目、品名、摘要、数量、単価、税込合計金額…』。
これは強烈です。〈鍾乳洞の恋〉という短編の主人公の室長、『定年を再来年に控え』た室長が得意とする『伝票』について、そこに記された項目を単純列挙したものですが、これは簿記の本ではなくあくまで小説です。こんな項目を列挙することに何の意味があるのか?とも思いますが、これまた小川さんの作品だと思うと、とても愛おしくなってもしまいますから摩訶不思議です。
そんなこの作品は、書名に「掌に眠る舞台」とある通り、どこか観られることを強く意識した作品が魅力的です。それが突き抜けたのが〈装飾用の役者〉ですが、それを含めて3つの短編を見てみましょう。
・〈鍾乳洞の恋〉: 『首が痛かった。春の終わり頃からもうずっと痛いままだった』というのは主人公の室長。『左下奥歯のブリッジを取り換えた』ことが『はじまり』という室長は『色は薄茶け、歯茎はぶよぶよに膨らみ…』という『四十年近く放置していたブリッジ』を新しくしました。しかし、『いつまでたっても新しい素材と形に慣れな』い日々を送る中、『始終、舌の先で新しいブリッジを触るようになった』室長は『ブリッジをまさぐりたいという欲求から逃れ』られなくなっていきます。そんなある日『いつものとおり無意識にブリッジを触っていた舌先に、奇妙な感触』を覚えます。『ふやけた極細の糸が一筋、舌先をかすめていったかのよう』という中に『洗面所の鏡』を覗いた室長は、『何か白いものがほんの一ミリほどはみ出してい』るのを見つけます。
・〈花柄さん〉: 『104号室の女が寝室で一人亡くなっているのを発見したのは、マンションの管理人』。『事態が判明するまで、丸一日もかからなかった』という中に『遺体はまだ傷んで』はいません。『明け方三時頃に起きた胸部大動脈瘤の破裂だと』いうその死因。『研究補助員として三十八年勤めてきた医科大学の研究室で、常に求められていた”正確さと清潔”が、そのまま自宅にも持ち込まれている』という部屋を見て『これなら原状回復のための清掃、改装も必要最小限』と思う管理人は、ふと『ベッドを覆うカバーの裾が足元に触れるのを感じ』ます。『さっきまで女の遺体が横たわっていた』というカバーを何気なく持ち上げた管理人は『はっとして息を呑み、目を見開』きます。そこには『何かが…何か、という以外に表現のしようのない』ものがびっしりと…。
・〈装飾用の役者〉: 『十九の歳から今までずっと』、『コンパニオンただ一筋』という主人公の『私』は、『およそ一年半をかけて世界旅行をする、そのお供』をしたのが『初めてのコンパニオンの仕事』でした。その後、『数々の雇い主の元を渡り歩』いたという『私』は、自身が『コンパニオンとして貴重な資質を持っている』ことを証明する一つの事例を話し始めます。『打診を受けた時、多少引っ掛かったのは相手が男性だったこと』と語る『私』は、その内容が、『用意した屋敷内の部屋に住み込』み、『部屋で待機していること。よって勤務中は決して部屋から外へ出ないこと』だったと説明します。『高級住宅街の最も奥まった一角』にある屋敷へと赴いた『私』は、『さあ、こちらです』と老人に案内されます。そこには、『小さな劇場』がありました…。
3つの短編をご紹介しましたがいずれも小川さんらしく突飛な設定が当たり前のように提示されるところから物語はスタートします。〈鍾乳洞の恋〉の主人公である室長は『左下奥歯のブリッジ』に問題が発生します。そもそも小説の題材に『ブリッジ』なるものを登場させること自体唯一無二だと思いますが、そんな『ブリッジ』から『白いものがほんの一ミリ』とそこにさらに不気味なものを出現させるところが真骨頂です。ホラーとも言えそうですが『ブリッジ』という前提条件がそんな緊張感を解くところが上手いと思います。〈花柄さん〉はその前提設定が『女が寝室で一人亡くなっているのを発見』した管理人という一気に緊張感が走るシチュエーションからスタートします。一方で淡々と業務をこなす管理人ですが、ベッドカバーの下に『びっしりと』、『ほんのわずかの隙間もなく』詰まっているというあるものを発見するところから始まります。これも予想外に展開していく好編です。そして、上記で少し触れた〈装飾用の役者〉がさらに強烈というかアブナイ世界を描いていきます。『コンパニオン一筋』という人生を送ってきた主人公の『私』が担当したまさかのお仕事。内容紹介に触れられている範囲まででお話すると、それは”装飾用の役者として生活する”というものです。『正式な意味でお芝居が上演されることは』なく、『劇場もまた、装飾』という中で『舞台の上に、いるだけでいいのです。そこで、生活するのです』という日々を送る『私』の物語、これは強烈です。これが小川さんの作品でなければ猟奇的な犯罪の匂いさえ漂うその前提設定。それを、何か?という感じで冷静に包み込んでしまう”小川洋子ワールド”の凄さを体感できるこの短編。そんな短編を含めた8つの短編が収録されたこの作品には、美しい言葉で紡がれた摩訶不思議な世界に導いてくれる小川さんらしい物語が収められていました。
『朝食が終われば、あとは舞台にいる限り、別に自由です。美容体操をする。小説を読む。ハーモニカを吹く。刺繡をする…役者が舞台上で行う演技として不自然でないなら、何をやってもいいというわけです』。
そんな不思議な前提設定の下に描かれていく8つの短編が収録されたこの作品。そこには、極めて小川さんらしい”小川洋子ワールド”全開な物語が収録されていました。小川さんらしいモノへのこだわりに思わずニンマリするこの作品。あくまで美しい表現にこだわった文章に魅せられるこの作品。
どんな前提設定でも物語にしてしまう小川洋子さんの上手さを改めて感じた、そんな作品でした。
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ちょっと独特な世界観のある小川さんの本.
イメージとしては,ちょっと昔の,もしくはちょっと田舎の場所のお話.
そのお話を,ある人の視点で眺めているような感触.
人とは誰もがほんの少し歪んでいると思う.
どんなに真っ当に見える普通に見える人でも,ある側面からある視点からある想いから見ると他人とは違う.
この本の,ある人の視点,を考えた時に,どことなく,それとなく,ちゃんと気がつくくらいの薄さで,歪みを捻じれを狂気を感じる.
それは誰もがもつ可怪しさ誰かが持ってもそんなに不思議ではないオカシサが混じっている.
それがとてもクセになる.
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舞台にまつわる短編集。
とても綺麗でおとぎ話のような表現が多く、素敵な場面が想像しやすかった。
いくつかのお話の感想を以下に。
『指紋のついた羽』
縫い子さんは少女の心がわかっているのか、と思うくらい手紙の返事が適当。
機械油が溜まった道すら綺麗に感じてしまう表現が素敵。
少女の工具箱の上で作り出す舞台を理解できている縫い子さんも、想像力をできる範囲で表現する少女も愛しい。
『ユニコーンを握らせる』
ローラ伯母さん、、かつての恋人(?)をずっと待ち続けているのか…
角が折れた描写は別れてしまったことを指すのか、女優として輝けなかったことを指すのか、はたまたどちらもか…
部屋の空洞がとてもいいステージになっていたり、町の光など景色も照明などのように作用しているようで、素敵な舞台が想像できた。
1人で世界が完結してしまっているが、いつか青年紳士と会えるのか、ただ会えても幸せになれるのか…?と外野からは思ってしまうが、とても健気で形容し難い魅力的な人。
『装飾用の役者』
お金があっても劇団を雇わず、それぞれの持ち場に一人ずつ配置するというこだわり、なんだかわかる気がする。手広く自分だけの所有物を増やしてそれぞれを深く愛でたいのかなと思った。個性的な目の表現にそのような要素を感じた。
それにしても頭がおかしくなってしまいそうな仕事…与えられたものだけで生活するなんて、自分というものがわからなくなりそう。
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それぞれに小川洋子さんらしい味わい深い8篇だった。一作一作、余韻を楽しみながら読み進めていくのが正しい読み方のような気がしたが、一気に読んでしまった。暑い夏の連休の最終日、8つの世界に飛んで行け、幸せな休日を過ごせた。
小川洋子さんの頭の中はどうなっているのだろう。よくこんな小説がいくつも書けるものだなぁと感心してしまう。
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「ユニコーンを握らせる」が1番好きだった。どのお話も薄暗くて湿っぽくて不穏な感じがあるのに、なんだか希望を感じずにはいられないのがとても不思議で好き。
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私は、入学試験のためにローラ伯母さんの家に四泊した。伯母さんと言っても親族の中で誰とも血がつながっていなかった。祖父の先妻の連れ子という関係だった。親戚の中では、伯母さんは、「昔、女優だった人」と呼ばれていた。ローラは伯母さんの当たり役だったらしいお芝居の役名である。伯母さんの住んでる町に着いた。そこの古い公団住宅の一室が伯母さんの家だった。間取りは1LDKで、目立つ家具は細長いソファと正方形のテーブルと二脚の椅子だけだった。伯母さんは手袋を編んでいた。一日一目と決めて。また、食器には「ガラスの動物園」のローラのセリフか書かれていた。毎日食事をしたときにお皿やコップの底にどんなセリフが隠れていたのか見ることが楽しみになった。そして、その時には伯母さんはローラになりきってセリフを読み上げるのだ。
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舞台にまつわる短編集。いつもながらの静けさの中に漂う不思議な空気感が「あぁ、小川洋子さんを読んでいる…」と感じさせられる。
ラ・シルフィードに魅せられる少女を世話する縫い係、昔女優だった叔母、失敗係と交通事故の女性、不思議なコンパニオン、馬車の本屋に罪悪感を持ち続ける男性、ヤモリ。どの主人公も過去の何らかの思い、と舞台が結びつき展開されていく物語はどれも秘密めいた空気を纏っており、それに呼応するように自分自身の過去の出来事を呼び起こし自分の中の秘密感が増幅される。これが自分にとっての小川洋子さんの雰囲気かな。
表紙のイラストはヒグチユウコさん。とても内容にあった雰囲気で素敵。表紙のイラストが素敵な事は言うまでもないが、実は背表紙の装丁もイラスト背景の絵柄に金の箔押しのタイトルで素敵。背表紙って電子書籍ではデータ化されてないケースが多いと思うので、紙の本を手にした人だけが味わえる特権かな。本棚に並べておきたい!
Posted by ブクログ
舞台をテーマにした短編集。
短編自体が繋がってるのかな?と思ったところもあったけど、やはり繋がってはおらず独立してる話のようだった。
表紙の装画に心惹かれて手に取る人も多いのではないでしょうか?装画はヒグチユウコさんです。
猫の絵のイメージ強いヒグチユウコさんですが、この少女の横顔も美しいですね〜!
クラシックバレエ、ミュージカル、ストレートプレイ、クラシック音楽、温泉街にある廃墟と化した演芸場…。
舞台はたくさんある。
実在する演目、固有名詞が登場するものの、内容に踏み込んではいないから、舞台のことや内容を知らない人でも楽しめると思います。
どの話も、小川洋子さんのお話だな〜!って感じ。
心温まる系は、バレエに登場する妖精に憧れる少女と、それを見守る縫い子さんの話(指紋のついた羽)だけで(子どもへの眼差しが優しいのは、小川洋子さんだなぁ)、あとは個性的。
大学受験のため「昔女優だった」叔母の家に宿泊した女の子と、叔母との交流(ユニコーンを握らせる)。
奥歯の差し歯から小さな生き物が生まれるようになった女性と、女性が通う盲目の鍼師のこと(鍾乳洞の恋)
交通事故の賠償金で帝国劇場Les Misérables全公演のチケットを買った女性の前に現れた、劇場に住むという謎の女性(ダブルフォルトの予言)。
老人に雇われたコンパニオンが、老人が自宅に作った劇場に住み役者役を演じさせられる話(装飾用の役者)。
いつも花柄スカートを履いている女性が、劇場楽屋口でパンフレットにサインをもらうためだけに様々な劇場に通い詰める(花柄さん)。
クラシック音楽の演奏会を聴きながら、子ども時代の移動本屋で夢中になった渡り鳥の本や、本屋の犬を思い出す(いけにえを運ぶ犬)。
子宝に恵まれると言われている温泉街で湯治する女性が、宿の主人夫婦から「無限ヤモリ」という子宝のお守りを見せられる(無限ヤモリ)。
無限ヤモリは不気味な話だったけど、最後に出てきた演芸場で泣いていた男の子を抱き抱えてあげる一瞬は、永遠のように切なさと懐かしさ、愛しさが込み上げてきた。
こういうふとした瞬間の切り取り、描写が、本当に小川洋子さんだなぁ!って。すばらしかった。
男の子を宿す暗示なのだろうか?
しかし、一人で湯治してては、いつまでも子どもは授かれないのでは?という素朴な疑問も湧きました。
Posted by ブクログ
繊細で儚い言葉で綴られる物語は美しくもあり怖くもあり。。
誰も哀しいくらい孤独に見えるけれど、各々が特別なこだわりを抱えて生きていて。それは他人から見たら奇妙で滑稽だけれど、不思議に幸せそうにも思える。
数ヶ月前にガラスの動物園を観劇したこともあって、「ユニコーン」が特にリアルで瑞々しく感じた。ローラのセリフを演じ続ける伯母さんが、舞台の中のローラと同じくらい、淋しくて痛々しくて切なくていじらしくて可愛らしかった。
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舞台をテーマにした幻想的な雰囲気のある短編集。
体調の悪い時に見る不思議な夢のような、現実か非現実か分からなくなるあの境目の感覚に近い物語でした。
Posted by ブクログ
8本の短編それぞれがとても不思議な話で、文体もどこか詩のような流れなのにどれも読み終わったあとに良い意味で気味が悪い(笑)
短編集のなかによく舞台の話が組み込まれているのは意図的なのか、著者が好きなのか…(まぁ、本のタイトルを考えるにそうなるよね)とにかく読後にその先を少し考えてしまう作品でした。
Posted by ブクログ
最初から最後まで何が何だかよく分からなかった。
博士の愛した数式のイメージが強すぎて装丁が綺麗なこの本を選んでしまったことが失敗かな…
すべて舞台にまつわる物語で「掌に眠る舞台」という題名も納得なのだがストーリーの終着点が見つけられず困惑。
あまりにも非日常すぎて私はついていけなかった。
年を経て価値観や感じ方が変わる頃にもう一度読みたい。
Posted by ブクログ
不思議なお話の短編集。どこか、不気味で、少し怖くて、可愛らしくもある、そんなお話。とりとめもなく、もともと忘れっぽい私には、読んだ側から、遠くへ行ってしまうような、フワフワとしたお話。どんなお話だったとか、誰にも伝えられそうにないお話。
Posted by ブクログ
"装飾用の役者"が特に印象的だった。
金持ちの道楽だが、舞台そのものを所有したく、それは特別な公演で無くても良く、というのはわからなくもない。それでも現実的には、やはりちゃんとした劇団を欲しくなるだろうし、色んな派手な公演を見たくなるだろうけど。
工具箱の上で繰り広げられるバレエも、みんな似たようなことをしたことがあるのではないだろうか。懐かしさと、ほっこり。
Posted by ブクログ
舞台をテーマにした短編集。なんとなく初期の小川洋子さんを彷彿させるような独特の湿度を感じる作品が多かった。装丁が作品の雰囲気と絶妙にマッチしていてとても素敵。
Posted by ブクログ
小川洋子さん、博士の愛した数式しか読んだことがなくてそちらはとてもわかりやすいストーリーだったので、この作品はちょっと意外だった。
他の方の感想を見る限り、通常運転なんですね。そのつもりで読んだらもっと楽しめたかも。
舞台にまつわる短編集。同じ「舞台」をテーマに、こんなにも趣向の違うお話が書けるとは…。