小川洋子のレビュー一覧
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ネタバレお金に糸目をつけずたくさんの動物の剥製を収集する伯父は北極グマの剥製に頭を突っ込んで死に、弁護士の父親は法律書に生き埋めになって死に。
未亡人となった伯母は残った大量の剥製たちにAの刺繍を施していく。Aとは、伯母の別名”アナスタシア”のイニシャルであり、剥製マニアのオハラが伯母とやりとりした結果、伯母はロマノフ王朝の生き残りであるアナスタシアなのではないか?と雑誌に掲載される。
オハラの、伯母の瞳に対する描写が面白い。剥製マニアゆえに行ったものの、伯母に興味を持っていかれたと雑誌に書き、〈私〉曰く伯母の話そっちのけでジャガーを眺めていたくせにと言っているが、どっちも半々といったところだろう。オハラは全部で3回伯母に関する記事を載せるのだが、それが一番面白かった。
ニコは強迫性障害ですんなり扉をくぐることができない。そんなニコに対して、その規則性を調べようと受けて入れている〈私〉と、何事も手順が大事、よくわかるわ、と理解者となる伯母。この関係も若干奇妙さがありながらこうゆうものだと保たれているのが著者らしくて良い。
本物のアナスタシアかを見極める企画としてテレビ出演することになり、〈私〉とニコで勝手に暗記カードを作って伯母に答えて貰う。実際に答えられるのと間違っているのとあるが、伯母も拒否せず刺繍をしながら練習に励む。
この練習であったり、ロマノフ王朝らしい品々を収集しては、そこに物語を作る伯母という〈私〉の描写があり、偽者なのでは?と感じるところもある。
伯母は階段の手すりが壊れ落下してインパラの剥製の角に貫かれて死ぬ。インパラと北極グマの剥製だけ〈私〉とニコに残して、訪問当初からオハラが欲しがっていたジャガーは伯母の思い出としてくれてやり、後はオハラがマニアに捌いた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小川洋子と工場という組み合わせは、あまりにギャップがあるだろう。
小川洋子の作品は、静けさのイメージが強くて、まるで水中に深く潜っていくような、徐々に周りの音が聞こえなくなって、少し不可思議で、あやういバランスを保つ世界にどっぷり浸かるような読書、と思っていた。
対して工場はというと、少し騒々しくて、大規模にきっちりと整えられた、不可思議とは縁のない、すべて合理性に則った場所、という気がしてしまう。
その両者がこんなにすっきりとマッチするものなのか、というよりも、自分の認識が浅かったというか。
取り上げられている工場は、大規模なところもあるけれども、どちらかというとかなり小規模にやっているところが多くて、もちろん正確に品質の高いものを作り出しているところばかりだけれども、職人に頼るところも多く、無機質に機械がすべてを作り出すだけではない、どこか曖昧さを持つような印象も受ける。
それぞれの工場の紹介文は、小川洋子っぽさ全開で、かといってそのワールドにズルズルと引きずり込まれていくというよりは、今の世界をその表現で少し柔らかくしてくれるような書き方で、なんだか楽しい気持ちになった。
金属に穴をあける加工をする工場を紹介するなかで、穴の重要性を語るにあたって
「「王様の耳はロバの耳」という少年の声を受け止めるのも、死者を埋葬するのも、やはり穴である。」
って、そんな例え方、なかなかほかではない。
私はあまり製造や工場に縁がなく、日々使うものがどうやってここまできたか、あまり気にせずに生きてしまうのだけれど、その背景にどんな想いがあるのか、そこに想像を膨らませるのも随分楽しそうなんて思ってしまう。
それぞれの工場の皆さんが、真摯に向き合っている様子も見れて、これまで知らなかった世界を覗けるのも楽しい。 -
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敬愛する作家にして、読書好きにとっての憧れでもある小川洋子の、本にまつわるエッセイ集や、あとがき寄稿文を収録した一冊。
物語、それを生み出す作家、彼らにまつわる物事。本を形作るあらゆる要素に、深い敬意と、誠実でひたむきなまなざしが注がれている。
『偏愛短編箱』、『陶酔短編箱』等のアンソロジーもそうだけれど、小川さんの書評は単なる作品紹介や解説の枠にとどまらない。物語の世界に思いを寄せ、丹念な言葉でそれを紡ぐ、どこか祈りにも似た静かな熱意が感じられる。
その祈りに、もっと深く身を浸してみたい。心震わせてみたい。
私もそう願って、本書で紹介されている作品をひとつずつ読み進めているところ。 -
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ネタバレ博物館技師は、田舎に新しい博物館を建てる依頼を受ける。依頼主の老婆は、犯罪ギリギリの方法で手に入れてきた、亡くなった村人たちの形見を展示する博物館を建てようとしていた。
いいな、私が求めたのは、その肉体が間違いなく存在しておったという証拠を、最も生々しく、最も忠実に記憶する品なのだ。それがなければ、せっかくの生きた歳月の積み重ねが根底から崩れてしまうような、死の完結を永遠に阻止してしまうような何かなのだ。(p49)
老婆の言っていることは、恐ろしくもあるように思う。彼女は、亡くなった人々の形見を保存することで、「死の完結を永遠に阻止」しようとしているのである。
なぜ、彼女はそんなことをするのだろうか?
「沈黙博物館」と名付けられたその博物館の展示物には、簡潔に持ち主の氏名と、死亡年月日、死因、そして、その持ち主と形見に纏わる物語がつけられる。
この物語において「沈黙」は、特別な意味を持つ。村にいる「沈黙の伝道師」と呼ばれる修行者たちがおり、彼らは「完全なる沈黙の中で死ぬのを理想」としており、村の一番北側にある修道院で共同生活を送っているという。
「じゃあ、言葉で教えを説いて回るわけじゃないんだね」
「もちろん。ただああして、じっとしているだけ。でもこちらから話し掛けるのはタブーじゃないのよ。むしろ、大事な秘密を伝道師に語ると、絶対にばれないっていう迷信を信じている人は大勢いるわ。ほら、見て、あの人」(p36)
この村における「沈黙」は、あらゆる秘密が二度と他の人々に知られないようにする力がある。「沈黙博物館」は、「死者の記憶を封印する形見の数々(p63)」とともに老婆の語った物語を受け入れることで、この世界からその物語を絶対にばれないように「収集・保存・調査(p55)」することが大切なのだと老婆は語る。
少女が言うには、それまで形見は盗まれたのにもかかわらず、「盗難届けが出されたこともなければ、警察が調べに来たこともない(p159〜160)」。まるで、自分たちの形見の選択があまりに的確であるがゆえに、残された人々が、本人と一緒に天国へ行ってしまったのだと納得してしまうかのように。
「だとすると、僕たちの企みは成功していることになる」
「ええ、そう。でも本当は、天国になんて行かないのよね。その反対なの。永久にこの世界に留まるために、博物館へ保管されるんだもの」(p161)
しかし、博物館技師が、老婆から引き継いだ形見収集は、殺害された女性の遺体から乳首が切り取られるという連続殺人事件と結び付けられて、警察に目をつけられてしまう。
彼は、殺人の真犯人によって切り取られた乳首こそ、本当の形見だったと代わりに盗んできた品に達成感を得られない。そういう意味で、彼の収集は失敗に終わり、未熟だった。
それが解決するのは、犯人が共に博物館を作ってきた庭師だったことがわかったことによる。博物館が完成の直前、運び入れた展示品のいくつかが、試験管に入れられた乳首に入れ替えられていたのである。
その真実に恐れを抱き、一度は村を出ようと駅へ向かう技師だったが、少女によって連れ戻されることになる。そして、彼は、庭師が殺人の真犯人だった真実を永遠の秘密にするために、警察ではなく、沈黙の伝道師に語るのである。
こうして、彼は、老婆の仕事を引き継ぎ、今度は自分の収集した形見の物語を語りだすことになる。
何でもなかった人たちの、何でもなかったはずのものを形見とし、物語とすることで、何者かにする博物館。「沈黙博物館」というのは、そういう場所だと思った。それが、誰にとって幸福なことなのかはわからない。しかし、博物館というのは、老婆が「永遠を義務づけられた、気の毒な存在」というように、はじめからそういう場所だったのではないかとも思う。
形見というもの展示物とすることで、博物館のやっていることが一体何であるのか。それを立ち止まって考えさせる物語なのだと思った。 -
Posted by ブクログ
みんな少しずつ偏っていてそれはある意味孤独なんだけど、寂しさよりも静かな強さ、したたかな美しさを感じる短編集。
物語たちそのものもとても素敵。特にそれぞれの余韻たっぷりな終わり方がいい。
ただ何より、心情や状況の描写、比喩のひとつひとつがときめく程美しくてたまらなかった。
「亡き王女のための刺繍」と「一つの歌を分け合う」が特に好き。でも選べないくらいどれも良かった。
色々な方が小川洋子さんの文章はうつくしいと言っている意味が、読み始めてすぐに理解出来た。
淀みなく流れるようで、でも確実にひとつひとつがきらめいていて虜になってしまう。
博士の愛した数式をかなり昔に読んだはずだけど、それ以外の著作にまだ触れたことがなかったから、
これから沢山小川洋子さんの言葉を浴びることができると思うと楽しみです。 -
Posted by ブクログ
自分にとって、こういう読書案内を読む楽しみは2種類ある。1つは、次に読みたい本を見つけること、自分が読んだことがない本で、面白そうな本を見つけること、それが1つ。もう1つは、自分がかつて読んだ本が、どのように紹介されているか、小川洋子さんのような書き手が、それをどのように読んだのかを確かめること、これが2つ目の楽しみだ。
この読書案内で、前者、すなわち、これから読んでみたいな、と思ったのは、大岡昇平の一連の著作、カズオ・イシグロの「日の名残り」、「おくのほそ道」、宮本輝の「錦繍」、島尾敏雄の「死の棘」、アリステア・マクラウドの「冬の犬」、中上健次の一連の著作といったところ。
後者、すなわち、自分がかつて読んで、心に残った本ということで言えば、「朗読者」、「グレート・ギャツビー」、「夜と霧」、「100万回生きたねこ」といったあたりだ。特に「グレート・ギャツビー」は、今年のGWの連休中に読んだばかりなので、まだ記憶に新しい。小川洋子さんは、この本を、「絶望という一点にのみ突き進んでいく悲劇」と紹介している。なるほどな~、と思う。生意気だけれども、「さすがは小川洋子さん」とも思った。ブグログに書いた私の感想のポイントは、「ギャツビーが突き進んでいく悲劇(の物語)」に置かれているわけではなく、ギャツビーという人間そのものに関心があり、そして、筆者は(フィッツジェラルドは)、なぜ、ギャツビーに「グレート」という形容詞をつけているのか、ということだった。もちろん、小川洋子さんの紹介文の方が、この作品の本質を突いているとは思うが、それでも、本の読み方は自由であり、自分のような読み方もあるよねと、あらためて思った次第だ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ確かインスタグラムで紹介されていた本。
小川洋子さんの文体が本当に好き。柔らかで優しくて丁寧に読まないと壊れてしまいそうな文体。
そこから紡ぎ出される物語もやはり柔らかで誰かを包み込むような作品。
あるアーケードの配達員さんのお話。不思議な店ばかりでそこにやってくるお客さんもなかなか癖がある。
でもさも普通ですよ、というように商売をしている店主たちと当たり前ですよ、というような顔をしてやってくるお客さんたちには違和感を覚えつつも優しい気持ちにさせられる。小川洋子マジック。
一番好きだったのはラビト夫人。
一番理解できなくて一番幸せになってほしいお客さんだった。 -
Posted by ブクログ
骨壺の中の骨。
その骨は、生前、補聴器のセールスマンでした。
骨壺から始めて、彼の物語を遡っていきます。
耳の奥で誰かが音楽を奏でています。補聴器で塞げば、耳に棲むものがこぼれ落ちる心配はありません。
そんな小さな世界の奥へ奥へと導かれながら、人としての原点へと帰っていくような感覚になりました。
歳を重ねるにつれ「死」と「死に至るまでの苦痛」への恐怖が少しずつ増しているような気がしています。それでも、このような小説に触れることで、生死についての漠然とした不安がギュッと縮小されて手の中に収まり、穏やかな気持ちにもなるのです。
孤独を描くことで孤独を癒し、心に寄り添ってくれるような作品でした。