小川洋子のレビュー一覧
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ネタバレ不思議な手触りの小説。
まずブラフマンが人間ではないこと。でもどんな種類の生き物かは明かされない。
「僕」が何歳ぐらいなのか、どんな過去があってどうしてそこで働いているのか、そもそもどこの国のいつ頃の話なのか、すべてがはっきり語られない。
この手掛かりの少なさにも関わらず、ブラフマンの生き生きとして描写に冒頭から引き込まれる。
何と言ってもほとんど犬っぽいブラフマンの仕草の描写が可愛い。タイトルどおり「ブラフマン」は「埋葬」されてしまうという予測ができていたが、あまりの愛らしさに、ブラフマンが無事に元気なまま終わるように願いながら読んだ、
時々現れる、「僕」のブラフマンに関する観察日記のような、覚え書きのような文章。最後まで淡々と描かれるところが余計に悲しい -
Posted by ブクログ
2025.21
遠慮深いうたた寝をコロナ禍に
家の屋上で寝っ転がって読んでから
小川洋子さんの文章が好きなことに気付き
あの頃救われた気持ちになったので
特別な本だったのだけど、
"続"が出て嬉しい。
あの時本屋でつるんとした装丁に惹かれたけど
"続"も陶器のようなデザインでかわいい。
小川洋子さんの文章は心が穏やかになる。
これからも遠慮深いうたた寝が続いてほしい。
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P23 精いっぱい仕事を頑張る、というその頃合いが分からない。私は今、ぎりぎりまで自分を追い込んでいるか?もうこれ以上は無理だ、というところまで這い上がろうとしているか?そう自問するが、自信を持ってうなずくことなどとてもできない。
P31 神さまのお家。何と素晴らしい表現だろうか。
P34 別に贅沢を言っているわけではない。ごく普通のワンピースが、一枚あればいいのだ。ここには無数の洋服が並んでいるのに、なぜ私に合うたった一枚がないのか。だんだんと腹が立ってくる。服というものを買わなければならないこと自体、忌々しく思えてくる。
P63 現実でいくら袋小路に迷い込み、行き詰まっていても、本のページさえめくれば、広大な世界が開ける。そこには、窮地から脱出するための心躍る冒険があり、究極の愛が潜む、死の気配に満ちた静けさがある。取り返しがつかないはずの過ちを、許すための方法がある。生かされている世界は、自分が考えるよりずっと奥深いのだと気づかされる。
P114 赤染晶子『乙女の密告』
P121 そうだ。その通りだ。人間、騒いだら負けだ。いつどんな時でも、心静かにどっしりとしてればいい。
P127 以前、岸本佐知子さんが、自分専用の屋根を持ち運びする傘は奇妙な道具だ、とおっしゃっていたのを思い出す。だとすれば日傘は、影の携帯なのか。
P165 奈良原一高の写真集『王国』
P165 修道院であろうと刑務所であろうと、眠る前のひとときであろうと、やはり人間には沈黙の時間が大切なのだ、と分かる。
P217 論理的であることは気分がいい。とりあえずは、その正しさに浸っていられる。いざとなれば、とりあえず、の但し書きだって、見て見ぬ振りで誤魔化せる。しかし、独りよがりに正しい方向ばかりへ進んでいると、いつの間にか落とし穴に落ちている。なぜか分からないままに過ちを犯している。はっとしても、もう手遅れだ。
P220 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』
P222 自らの暗闇の底まで降下してゆけるのは、自分自身より他には誰もいないのだ。
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9話の不思議な世界の短編集だ。
特に印象深かったのは⋯
⚫︎「 曲芸と野球 」
「私」が少年野球を楽しんでいた小学校4年生の時、常に3塁側のファールゾーンで女性の曲芸師が椅子を4脚積み重ねての稽古をしていた。
しかしチームメイトには、その曲芸師の姿は視界に入っていないようだった。
大人になった「私」は、年に数回のペースで草野球を楽しむのだが、今でも三塁側のファールゾーンから曲芸師が「私」を見つめている。
⚫︎「 イービーの叶わぬ望み 」
老舗の中華料理店のエレベーター内で、誰かに産み落とされていたイービー。
お店に勤めていた心優しいチュン婆さんがイービーの育ての親になる。
成長とともにイービー少年はエレベーターボーイ(E.B.)として働くようになり、その優秀さもあって皆から愛される存在となった。
育ての親のチュン婆さんが亡くなると、イービーはエレベーターから一歩も出なくなり、狭いエレベーター空間に合わせるように身体の成長も止まってしまう。
他の短編に登場してくる人物も、独特の個性を擁した者ばかりで魅力的なのだ。
小川洋子女史が綴る人物たちは、ただ単に変わった人物像に留まることなく、世を超越した存在感となって綴られている。 -
Posted by ブクログ
2編の短編が入っている。
1つ目は表題作「薬指の標本」。気味の悪いタイトルだな、と思いながら読み進めたが、意外とそうでもない。しかし、そうでもないな、と読み進めると、だんだん不気味になってくる…。
といっても、タイトルから想起されるような肉体的な不気味さではなく、精神的な不気味さだ。主人公が沼にはまっていくのを、不思議な気持ちで読み進めた。
2作目の「六角形の小部屋」の方が個人的には好きだった。小部屋に入った悩める子羊の「わたし」に、少しでも救いがあったのか、なかったのか? お悩み解決小説のような筋を辿りつつ、ハッピーエンドで終わらない。設定は非現実的なのに、そこがむしろリアルである。
普通の一人称の小説の中に本人の独白が混ぜ込まれるという手法もアクロバティックで面白かった。 -
Posted by ブクログ
作品はいくつか読んだことのある小川洋子さんですが、
小川さんのエッセイは始めて読みました。
小川さんの作品に流れる静かな哀しさや寂しさの源流はここにあるのか、と思わせるものもあれば、
かなり熱心な阪神ファンとのことで、野球にまつわるあれこれまで様々なところで書かれたエッセイを一冊にまとめたもの作品のようです。
『博士の愛した数式』にまつわるエッセイはとても興味深かったです。数字と人間の対比。美しく永遠に続く数字と弱くて物語なくしては生きていけない有限の人間の生。
日常のお話では、資料となる雑誌や書物の整理に関するお話に共感。(私も人よりは「増殖する乱雑さ」に対する耐性はあると自負しています。つまり部屋が汚い)
小川さんの美術館の監視員さんに対する考え方が「思慮深い5歳児」のようで面白かった。確かに、彼ら・彼女らを見ると「お元気ですか?」と話しかけてみたい衝動に駆られるほど、人形のようにスッと座ってらっしゃる方もいますもんね笑
作品や展示について質問がある場合は、彼らに尋ねると奥にいる学芸員さんを呼んでもらえることもあるので、私は質問があるときは話しかることもあります。
この本の中ほどは『アンネ日記』にまつわるお話です。小川さんが実際にアンネゆかりの地へ訪ねて行った際のことが書かれています。
「死を受け入れるために、人は物語を必要とする。」 -
Posted by ブクログ
やさしくて、ほんのり体温が残っている喪失感。
最初は外から「私」を通してアーケードを覗かせてもらっている感覚だったのが、最後はアーケードの中にぽつんと取り残されたような気持ち。
徐々に「私」の輪郭がぼやけていく。
「私」はいつからいるのか、いないのか、アーケードの輪郭だってどこまではっきりしたものなのか。
素直に読み取れるようなものではない気がした。
生よりも死や無に近いところの商品を扱う店々。
アーケードの外がこちらで、ドアノブの向こうがあちら。ならばアーケードは時間がよどむ境界線か。
迷い込んだ名前も知らないアーケード、作者にゆかりのある地でとおった商店街、半年だけ過ごしたあの国の蚤の市で買った、どこかの誰かが写ったネガフィルム。
自分のみてきたそんな景色と最果てアーケードが寂しく重なった。