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女のもとへ通う夫に傷つき、山あいの別荘へ隠れすんだ「わたし」。深い森の工房でチェンバロ職人とその女弟子と知り合い、くつろいだ気持ちをとり戻すが、しだいに湧きあがる情熱が三人の関係に入りこみ──。おごそかに楽器製作にうちこむ職人のまなざし、若い女弟子が奏でる『やさしい訴え』、カリグラフィーを専門とする「わたし」の器用な手先。繊細なうごきの奥にひそむ酷い記憶と情欲。三者の不思議な関係が織りなす、かぎりなくやさしく、ときに残酷な愛の物語。
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Posted by ブクログ
居場所を求める主人公の姿が痛々しく、悲しい気持ちになった。これまで読んだ小川洋子さんの作品の中で最も恋愛描写が濃厚だった。そして、孤独感も一層強かった。 暴力を振るう夫との離婚、叶わない恋。次々と身の回りのものを失い、自分の存在を受け入れてくれる場所を探していく。淡々とした態度は達観してるようでもあ...続きを読むり、しかし、嫉妬に燃え上がるほど情熱的な1面も見せる様は魅力的だった。 やはり小川洋子さんの描く物語に常に香る切なさ、そう質感が大好きだと再確認した。
空気感が素晴らしいです。 はっきりと書かれていないけれど、みんな、ほんとうに全員が置かれている状況を理解しています。 わかったうえで、どうすべきか、行動しています。 でも、人も動物です。 したい、触れたい、という気持ちは抑えられない。 それが限りあるものであり、失う危険もあるものだから、だからなおの...続きを読むこと感情が高まっていきます。 札幌行きをやめさせるための咄嗟の行動(言動)には少なからず驚きました。 でも、それは、行けばそうなる、ということがわかるから。もしも自分ならそうするだろう、そうなるだろう、ということの裏返しですね。 結論としては敢えて言わない大人の対応で新しい道を踏み出すのですが、少し寂しいです。まあ、そうなるよな、という違和感のないストーリー展開。 +++ とてもこだわりを持って作品を作られているのに、鍵盤の色が近代タイプ。別の意味があるのかしらん。。。
人はそれぞれに収まる居場所がある。新田さんと薫さんはチェンバロという共通の世界の中で幸せを共有する2人でありその世界に瑠璃子が入ることはできない。不倫で分かれた旦那と不倫相手にもそんな世界があったのだろう。奪われた側は呆気なく感じるが、奪う側に立つとなかなか共通の世界に入り込むということはできない瑠...続きを読む璃子の気持ちが鮮明に描かれている。居場所がない孤独は自分自身しか知り得ないものだと思う。そんななかで生きるリアルさが鮮明に映し出される作品だった。 小川洋子の作品は3作目だが情景や感情が非常に丁寧かつ繊細に描かれていた。
静かな別荘地でチェンバロ作家と離婚寸前で別荘に家でしてきた女性の静かな交流を描く、あまり起伏もオチもないストーリーだけど、この作者らしい、静かな心落ち着く雰囲気がある。
こんなにも徹頭徹尾「苦手かもこの人」と思う主人公がかつていたかしら。 という感想を主人公の女性・瑠璃子にもった。 とにかく視野が狭くて、自分のことしか考えていないのだ。 好きな人とセックスに持ち込むことをねらい、持ち込めたら それを恋敵にチラつかせてマウンティングする。 形成が不利になってきたら飼...続きを読むい犬を殺すと脅す。 結構な感じにリアルにいやな女性なのである。 小川洋子さんの文章力、すごい。 ぐいぐい読んでしまった。 きれいに振られるところが素敵な小説だと思った。 人を書くって、きっとこういうことなんだろうなあ
深み、静謐を描ききった、チェンバロと三人を主軸に廻る物語。小川洋子の傑作。演奏家の方の解説で、チェンバロという楽器の持ち味を知る。 全ては失われたのに、永遠が見つけられた。奇跡としか言いようのない読書体験。
小川さんの作品の中でも、ファンタジー要素がかなり少なく、ただ、そこには小川さんらしい透明感や静けさがきちんとあって、痛みを伴う男女関係の中にも澄んだせせらぎのような愛の流れを感じられるお話だった。 チェンバロとカリグラフィー、目と耳、犬と猫、男と女。象徴的なもの達が作中で、自分の役割を行儀よく待っ...続きを読むている。 小川さんは誰よりも愛が失われていく様を美しく書く人だと思うので、この作品はそれがすごく表現されているように感じた。
ニ短調。「やさしい訴え」は18世紀フランスの宮廷作曲家ジャン=フィイリップ・ラモーの作品。僕には判りませんがラモーにしてはしっとりとした小品だそうだ。洋子さんの創作する物語は既にここにある。誰もが平穏の中にいる。洋子さんの長編4作目はピアノを弾けない指、殺された婚約者、暴力を奮う夫。それに私が今回の...続きを読む登場人物。快い旋律は気分を高揚させる。それはまるで愛の営みの様に。 洋子さん節を勝手に哀妖艶愛小説って命名してますが、今回は妖と艶の部分は感じません。純愛と独占欲。結婚と愛情について問題を投げ掛けられました。今まで気付きませんでしたが発問性に惹かれているのかも。 結婚したい人と愛する人の違い。結婚したい人には相手が嫌がる自分を隠してしまう。愛する人は相手が嫌がる事まで理解し合い、逆にそれが好きだったりする。自分の全てを曝け出し、リラックスできる空間を共存し合う。一般的に互いに愛しているから結婚するんでしょうが実は互いに全ての自分を見せていないケースもあるんではないでしょうか?どこかで見えてしまうとこんな人ではなかったなんてことに。今回の主人公はちょっと自分の愛に貪欲でちょっと残酷。こんなキャラ、新鮮でした。でも根本は優しいのかな。いいわ。Myヨコフェス第19弾
あなたは、”三角”にどんなイメージを持つでしょうか? 全ての形の中で最も鋭角に囲まれる”三角”。その形からは、一見鋭くて攻撃的な印象も受けます。しかし一方でピラミッドや山のイメージが思い浮かぶようにバランス感のある安定した印象も受けます。しかし、そんな一見安定した印象のある”三角”も、それを180...続きを読む度回転させると極めて不安定な状態に陥ります。日本では道路標識の”止まれ”や”徐行”など、特に注意喚起を要する標識にこの”逆三角”が使われ、その不安定さを煽る感覚から、運転手の心情により訴えかける効果を出しています。 では、そんなイメージの”三角”を人と人との関係に例えるとどうなるでしょうか?そう、文字通りの”三角関係”です。一人の異性を取り合う二人の同性。歌でも、ドラマでも、そして小説でも取り上げられることの多いドロドロとした人間関係の代表格です。もしかすると、今このレビューを読んでくださっているあなたの心にもグサっと響くかもしれない”三角関係”という構図。しかし、上記した通り”三角”という形は角度を変えれば安定感の象徴とも言える形です。それが、角度を変えることで”止まれ”の標識のように不安定さを煽る形にも見えて来るように、人と人との”三角関係”も不思議な安定感が維持される場合もあれば、一気に不安定さが増す場合もあります。”三角関係”が色々な媒体で頻繁に取り上げられる理由がそこに見えてきます。 さて、ここにそんな”三角関係”を描いた小説があります。それは、『三人の間には、以前にはなかった張りつめた空気が漂っていたが、みんなそれに気づかないふりをした』という安定を求める関係の中に、『その空気を無理に払いのけようとすれば、もっと大きな崩壊がおこると知っていた』と”三角”であるが故の不安定さを恐れる主人公たちの心の機微を見る物語。それは、チェンバロの奏でる繊細で儚い音色の中に『美しく調和した世界』を垣間見る物語です。 あたりはもう暗くなっていたという時間に山の別荘に着き、『戸口まで送りましょうか。荷物も多そうだし』と、タクシーの運転手に言われ、『いいえ、大丈夫です。慣れた道ですから』と答えたのは主人公の日野瑠璃子。『慣れていると言ったけれど、本当はここへ来るのは八年ぶり』という瑠璃子は、『鍵を回し、扉を押し開』いて別荘へと入りました。そんな瑠璃子は別荘へと来ることを決意した時のことを思い出します。『日曜の朝遅い時間』、隣の部屋の子供が練習するバイオリンの音が聞こえてくる場でオムレツが食べたいという夫のために調理する瑠璃子。そんな中で、バイオリンの曲名のことで雰囲気が悪くなり、夫は一人『車で出てい』きました。『女のところへいったのだ』と思う瑠璃子は、『フライパンの隅で』焦げた卵を流しへと捨てます。そして、『夫が外出したあと、わたしは家出の支度をはじめた』という瑠璃子は、『今日わたし一人で別荘に行くことになった』と、管理人の奥さんに電話をかけます。『夫に好きな人がいると気づいたのは三年前』という瑠璃子は『もめ事のなかった期間はほんの少ししか』ないと、十二年の結婚生活を思い返します。『独立して都心のビルに眼科医院を開業』した夫、そして『カリグラファーとして仕事』をする瑠璃子は、そんな夫の『女がどういう素性なのか、詳しくは分らない』と思います。『大学病院に勤めていた頃知り合った視能訓練士』らしいというその女。そして、『二つの家を行ったり来たりしている』夫。そんな瑠璃子は『一行の手紙も書かず、汚れたフライパンも洗わず、半分に切ったトマトもまな板の上に残したまま』別荘へと向かいました。そして別荘に着いた瑠璃子は、管理人の奥さんに親切に対応してもらいながら『何事もなく、数日が過ぎた』という一人の日々を送ります。そんな中で嵐の夜に停電が発生し、助けてもらったことが縁で、『五、六年前に東京から来た』という新田の家を訪ねた瑠璃子。出迎えてくれた薫という助手の女性に案内された室内は『楽器と、それにまつわるものたちで埋められて』いました。『チェンバロです』と説明するのは楽器職人の新田。『こんなきれいな楽器だったんですね。外から脚だけが見えた時、骨董家具かと思いました』と感動する瑠璃子に『ピアノはハンマーで弦を叩きますが、チェンバロは爪で弾きます』と、チェンバロのことを説明してくれる新田。そして、この訪問がきっかけとなって、薫と新田、そして瑠璃子の”三角”を形づくる関係が静かに描かれていきます。 中央に大きく描かれたチェンバロと、それを弾く女性とその傍に横たわる裸の女性、そしてそんな女性へチェンバロから片腕が伸びているというなんともシュールな表紙が印象的なこの作品。そんなこの作品は全編に渡ってチェンバロという楽器が大きな存在感をもって描かれていきます。あなたは、チェンバロという楽器を知っているでしょうか?また、そんな楽器が奏でる音色を聴いたことがあるでしょうか?私はクラシック音楽をこよなく愛しています。しかし、そんな私でもJ.Sバッハやクープランといった”バロック音楽”の時代の作品を聴くことは稀であり、その中でもチェンバロの音色を聴くことはほぼありません。しかし、かつて実演で聴く機会があり、その一見ピアノの仲間に見えて、仕組みの全く異なるこの楽器の繊細さの極みとも言える音色に魅せられたことは強く印象に残っています。『ピアノはハンマーで弦を叩きますが、チェンバロは爪で弾きます』という通り、実は”打楽器”に分類されるピアノに比べて『音量は小さいですし、音の強弱をつけることもできない』と、”撥弦楽器”に分類されるチェンバロ。そんなチェンバロを作る職人の新田と、助手として新田を支える薫との出会いが、女の元へ通う夫との三角関係に苦しむ瑠璃子の人生の中に一つの転機を作っていきます。 そんな”三角”な人間関係は、この作品では一つだけではありません。薫はかつての婚約者との間の関係を軸に時間を超えて一つの”三角”を、新田は元妻との間にある何かしらの関係で”三角”を、そして主人公の瑠璃子は、リアルな今に夫とその愛人の間の”三角”な関係が存在します。薫、新田、そして瑠璃子が形作る”三角関係”のそれぞれの頂点の主が、それぞれを起点にした”三角”をその外側にそれぞれ形作っていくという構図がそこに存在します。この作品はそんな複雑な”三角関係”に揺れる三人の今の心の有り様を描いた作品とも言えます。そして、そんな”三角”を象徴するもの、それがチェンバロです。表紙のイラストを見てもわかる通りチェンバロをという楽器は上から見ると見事な”三角”の形をしています。”三角関係”の中で繊細な心の機微が描かれるこの作品、それを象徴するのが、繊細な音色を奏でる”三角形”の楽器チェンバロ。それを重ね合わせて一つの作品を紡ぎあげる小川洋子さん。あまりにも巧みな作品構成にすっかり魅せられてしまいました。 しかし一方で、読後に私がこの作品から抱いた感想は、ドロドロとした”三角関係”の物語ではなく、全編に渡ってどこか”嫌な女”感が漂い続ける主人公・瑠璃子が前に進むためのきっかけを得る物語だったのではないか、ということです。『夫に好きな人がいると気づいたのは三年前』という瑠璃子の今の苦しい胸の内が描かれる作品前半を読んで、瑠璃子に同情の念を寄せる読者は多いと思います。浮気がバレていないという状況ではなく、『夫は二つの家を行ったり来たりしている』と、夫の浮気が日常になってしまっている瑠璃子。そんな『ずるずると中途半端な状態が続』いている瑠璃子の今は”停滞”という言葉で言い表すのが相応しい状況でした。それが、新田との運命の出会い、そして薫との間で出来上がっていく”三角関係”の構図は、今度は夫の愛人と同じ行動を瑠璃子が演じていくといっていいものです。しかし一方で『薫さんは新田氏が作った箱の鍵を開くことができる。中からいくらでも音をすくい上げることができる』という現実に気付いていきます。『彼女の身体も楽器の一部になって溶け込んでいる』と表現される薫と新田との関係。そんな二人の関係の中になんとか入り込みたいと願う瑠璃子。しかし、考えれば、考えるほどに、そこに見えて来るのは『四本の腕、二十本の指、二足のスニーカー、一台のチェンバロ。それらはある一つの、完全な形をなしていた。どこにも欠けたところがなかった』とすでに形をなし、瑠璃子に入り込む余地などない二人だけの世界でした。『彼だけが安全地帯』と思うものの、『彼女がいるかぎり、わたしは新田氏と二人だけの秘密を持つことができない』と焦る感情は、彼女を立ち止まらせて動けなくさせてもいきます。しかし、そんな彼女を追い立てるかのように変化する彼女を取り巻く境遇が、結果として、瑠璃子を前に進めていく力となっていきます。人は前に進むという言葉に力強さとある種の清々しさを感じます。しかし、必ずしもそのような言葉で彩られずとも前に進んでいく人生というものもあるのだと思います。この作品で描かれる瑠璃子の人生がまさにこの後者に該当するものだと思います。決して力強さも清々しさも感じない一方で、それでも前に進んでいく瑠璃子の姿を見る結末に、チェンバロの音色で彩られた”三角関係”が美しく昇華されていく様を見たように思いました。 『いつでもチェンバロの音は、手の届かない遠いところから聞こえてくる。さして大きくもない目の前の箱が鳴っているとは、とても信じられない』という繊細な音色を奏でる楽器が、登場人物三人の関係性を象徴的に浮かび上がらせていくこの作品。チェンバロから伸びる手の先に横たわる裸の女性、そして、そんなチェンバロを弾く女性という表紙のイラストのあまりの絶妙さに見入ってしまったこの作品。 小川さんならではの静かに美しく描かれる作品世界に、繊細なチェンバロの音色が柔らかく溶け込んでいくのを感じた、素晴らしい作品でした。
勧められて初めて小川さんの本を読んでみた。 感情の機微が伝わり、ゆっくり読めるような感じだった。 違うのも読んでみたいと思えた。
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小川洋子
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