小川洋子のレビュー一覧
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小川洋子さんのエッセイ集を読んだのは、『とにかく散歩いたしましょう』と『カラーひよことコーヒー豆』に続いて3冊目。3冊の中でもこの本は、他の2冊に比べて小川さんの熱量がかなり高かったように感じました。
内容が『博士の愛した数式』に関連したことや、小川洋子さんの愛する『アンネの日記』を巡る旅のことであったりと、特に思い入れの強い事柄について書かれていたからだと思います。
いつものエッセイでは限りなく控え目で、街行く人々の人生に物陰からこっそり拍手を送っているような小川さんの熱に触れることが出来たような気がしました。
でもやっぱり、本の最後に納められた「自信満々の人」という話では、
-自分 -
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妙な経験やたとえ話や身近な描写には、大胆で奇妙な現実の雰囲気が広がっている。
小川さんには、たまにどんな本も響かなくて、沈んでいるときなど、寄り添って話しかけてくれるような独特の雰囲気と味がある。日常的な落ち着きから逸れかけているときなどに、それでもいいさと慰められる気がする。
妙な経験やたとえ話や身近な描写には、大胆で奇妙な現実の雰囲気が広がっているが、その根は細くてもどこか現実に繋がっているような纏わりついているような、覚えのある感覚を甦えらせてくれる。
なにかが消え、なきかがあらわれる。消滅していく流れがあり、再生していくものがあり、流れの底には深い悲しみが沈んでいる。そして再生は全く -
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ネタバレ小川洋子さんのエッセイ。
読者の人によって思い出される祖母との記憶。
お金をもらってももらっていなくても、仕事をこなしている人への尊敬の気持ち。
本物のご褒美というのは、ふとしたときに出会うありがとうということ。
その人のことを詳しく知らなくても、一冊の本があれば十分だということをラジオの仕事で知ったこと。
いろいろ後悔してしまうこともあるけれど、姪っ子の愛おしさが全て帳消しにしてくれること。
思い描く理想の1日と、小説と犬と阪神に囲まれた生活。
控えめで謙虚で、愛に溢れている人。
素敵な人だなあ、と思う。作品ももちろん素敵だし、エッセイから伝わる小川洋子さんのお人柄も素敵。 -
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素敵で不思議な雰囲気の短編集。この人の文章は語られてる内容が何であれ本当にうっとりさせられる。正直に言うと何が伝えたかった事なのか?をちゃんと理解できてないケースも多くファンというのもおこがましい気がするが、あえて言うなら言葉で語られた言葉では説明しにくいイメージそのものが伝えたい事なのかな?とも思う。
子供の頃の自分中心の世界観の中で感じた、心地良く秘密めいた場所を思い起こさせる、私にとっての小川洋子さんはそんな素敵な読書体験を得られる稀有な作家であり、本作でもその魅力は存分に発揮されてると思う。
中でも「誘拐の女王」「若草クラブ」「十三人きょうだい」は特に良かった! -
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ネタバレ「君の耳は病気なんかじゃない。それは一つの世界なんだ。君の耳のためだけに用意された、風景や植物や楽器や食べ物や時間や記憶に彩られた、大切な世界なんだよ」
突発性難聴に苦しむ「わたし」を救ったのはYの優しくて甘い言葉。
自信なさげに恐る恐る喋る声を一つ残らず書き留めるYの繊細な指。
人は思いもよらない災難に遭遇して心細い思いをした時、自分の殻に閉じ籠ることが多い。
そして棘のない痛みの伴わない記憶を頼りに癒しを求める。
記憶の捻れがもたらした安らぎは「わたし」をゆっくりと浮上させる。
小川さん特有の甘美な幻想的な世界にゾクゾクした。
無駄な音のない静かな物語。
一度読んだだけでは理解できず、 -
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あとがきすら乱暴な文体の作品が増えてきた日本の文学界にあって、小川洋子は気持ちがいい。
作家の読む本というのは、それだけで気になるもの。
ある作家が書いた本をさらに魅力的に見せる魔法のようなものがある。もちろん逆もあるが。読む方は文が短いと読むのが楽という単純な調子になるが、書くほうが短くまとめるのは特に気に入った本については難しいものだ。
そんな難しさを見せず、しかし生きた日本語でありながらその世界に入れる文を書く小川洋子。
若い頃、同時代日本人の作品をほとんど読まなかったが、今は特に女性ならではの感情の豊かさに惹かれる。
蠅取り紙は、私も薬品や電気を使いたくないので今でも使ってい -
ネタバレ
面白かったです
一部ネタバレありです。
どこかに身を隠す様、ひっそりと存在していて、それでも誰かに必要とされる小さなアーケードを「私」の視点から描いた作品。
死を題材とした話が多いため暗い印象がありますが、どこか暖かく優しさを感じさせる不思議な世界観でした。
ラストシーンが特に印象深く「私」がどうなったのか考えさせられました。
自身の髪で「遺髪のレース」の制作を依頼したこと、図書館で、おそらく故意に電話番号を間違えたことなどから「私」は死に向かう準備をしていたのだと思います。
人さらいの時計が止まる描写では、「私」の時が止まったことを表しており、最後の二行で、それでも尚、生きている者の日常が