小川洋子のレビュー一覧
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カラーひよことコーヒー豆の感想で信頼する読友のはこちゃんさんが小川さんを腐したことを実は根にもっていたのだが(笑)… ひょんなことから続けてエッセイを読むことになってその腐す理由がわかるような気がしてきた。
居丈高な態度は大嫌いなのだが謙遜、それもひとつの分野で地位を確立している人においての過度の謙遜はやはり鼻に付くものなのだ。
例えばお土産で「つまらない物ですが…」と言うよりも「美味しかったんで是非とも食べていただきたくて…」と言われたほうが自分のことを思ってくれてる度は格段に高く嬉しさも倍増する、そういう事でないか?
でもね、巨大化する心配事などを読むとやっぱり小川さんはいい人なのよ…あ、もちろんはこちゃんさんもね(^^;; -
Posted by ブクログ
30歳前後のときに書かれたエッセイ集。
『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞し、子供が生まれて数年という期間。
自省的な文章であり、書くことがいかに小川さんにとって大切でかけがえのないものなのかがひしひしと伝わってくる。
早稲田に通いながら小説を書き始めた頃の思い出が印象深い。
決して芽が出ない作家志望者が大勢いる中で、ずば抜けた才能を持っている人ではあるけれど、ひたむきに書き続けることが一番大切だと感じられた。
後半に出てくる熱狂的な阪神ファンならではのエピソードも面白い。
阪神の勝利と読売の敗北を何よりののぞみとしながら、暗黒時代の阪神の戦いに一喜一憂する健気さであるよ。
作家としてだけでなく、母としての姿が垣間見れるのも新鮮である。 -
Posted by ブクログ
高校生のとき、英語の教科書に『アンネの日記』の1節が載っていた。
確かペーターとのやりとり、彼への恋心について書かれた部分。
ちょうど『アンネの日記』の完全版が文庫化されていて、それを読んでみようという気になった。
彼女が本当はどんな女の子だったのか興味がわいたから。
うまく言えないけど、高校生の私は『アンネの日記』を読んで、何か救われた気持ちがした。
思春期に感じていた葛藤を自分以外にも同じように感じていた人がいて、それを言葉に残してくれた。それが何だかものすごいことだと思った。
実際に身近にいたら、多分友達になることはないタイプの子だ。きっとお互い話しかけることもないだろう。
それが分かるから、なおさら不思議だった。
この本を読んで、高校生のときにそんなことを感じたのを思い出した。
また『アンネの日記』を読み返してみよう。今の私は、どんなことを感じるだろう。
この本、ずっと積読してたのだけど、最近ニュースで『アンネの日記』が話題になったので存在を思い出した。
もすこし取材した写真もあったらいいのになあって意味で、☆4つ。 -
Posted by ブクログ
タイトル通り、小川さんが心打たれた本、思い出に残る本について書いたエッセイ集。
たまに犬や家族、仕事の話など。
それぞれの本や出来事に対する考察も興味深いけれど、一番心に響くのは書くこと、表現することについての苦しみと喜びについてである。
そして物書きとして小川さんが励まされる思想というものはどれも深い。
元の文章も良いのだろうけれど、それを咀嚼し自分の養分としているところが、小川洋子の世界観を保ったまま上質な文章を書き続けられる秘訣なのかと感じた。
書くことに限らず、あらゆる活動は最終的に死に至る人間の運命と照らし合わせるとあまりに空虚で無力感を覚えさせるものだ。
だけどいつか自分の痕跡が跡形なく消え去っても今表現を辞める理由にはならないという強い意志が心地よい。
それにしても小川さんのエッセイに出てくる阪神はいつも負けている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレすごーく官能的な話。老人のいいなりになる女の子。AVや成年誌の見本みたいな設定。それだけにエロスの本質でもあるし、登場人物の性欲がむきだしにされてても、小川洋子のやさしい文体のせいでまったく下品ではない。
どうしてここまでエロチックな話が書けるのだろう、とかんがえると、小川洋子の作品にまつわる一つのフェチを思いつく。あの、「被・支配欲」とでも言うようなフェチズムです。強い存在の下に置かれその存在にひれ伏すことで得られる満足。
しかしこれは自傷感のある、なんとなく悲しい性癖だと思う。小川洋子自体がそうじゃなくても、彼女の作品のヒロインたちはみんなどこか可哀想。ホテル・アイリスのマリはその痛々しい可愛さが顕著で、だから小川洋子の作品で一番好きです。 -
Posted by ブクログ
楽しい!小川洋子のように、言葉遣いに意識的で異分野異文化に好奇心をもつ作者だからこその「科学者に聞く言葉の起源」。
共著者の岡谷氏は、鳥(ジュウシマツ)やハダカデバネズミを使って研究している。オスメスの求愛や集団内の社会的なコミュニケーション手段としての言語が出発点。
本書の指摘で特に面白くヘェ〜と唸ったのは2点。
一つは、言葉が時間を生み出したということ。もう一つは、コミュニケーションが持つ"つながること"そのものの魅力。
私はそれを、「言葉の持つ再生機能が『今、ここ』ではない時間と空間を可能にした、その装置の名は『物語』と読んだ。そしてそれが死という時間の流れが止まってしまうイベントの克服あるいは受容だったのだ、と。
小川はその物語を書き留めるのが作家の仕事、と語っており、しびれた。格好イイ。
「パントマイムでは3日前って表現できないそうですよ」という発言にも唸らされた。
二つ目の「コミュニケーションって、情報の伝達(中身)よりもコミュニケーションをとっているということそのもののが快感で目的になってしまいがち」という点。知識としてはずっと前からの知っていたことではあるけれど、他人事だった。twitterおよびfacebookにどっぷり浸かるようになってからは「ありゃ、自分のことだ」と新鮮に感じたのでここに記す。
ただし、題名には感心しない。「科学する」って安っぽい。「野菜する」って言われてるのと同じ感覚。「哲学する」「科学する」という言い方には、「本気のハードコアではありません、お遊びでちょっとのぞいただけだから間違っても許してね。ほら、科学するって日本語として間違ってるし」という媚が見える。