久しぶりに読んだ、小川洋子さんは以前と変わらず、目の付け所に優しさと怖さを感じられたのが印象的で、それは彼女独自の、孤独感を持った人達への眼差しとも思えましたが、どこかそれだけではない繋がりも感じられたところに、奇妙な面白さを感じられました。
また、それとは別に、石上智康さんの解説の中の、『縁起』の意味について、よく「茶柱が立つと、縁起が良くて、いいことありそう」等と言いますが、それは誤用で、『他との関係が縁となって生起すること、縁(よ)っておこること』が本来の意味だそうで、仏法の真理観として、この世の真実の一つとして解き明かされていることを知り、私も勘違いしていたので、とても勉強になったのですが、もしかしたら、この縁起が、本書のテーマ性とも密接に関わっているのではと思えてきました。
本書は全8話の短篇集で、それぞれに共通するものは、人生における、ある『空白』の存在なのではないかと感じ、それと、どのように向き合っていくのかを問われているように思えました。
そして、向き合っていくために必要なのが、自分以外の人間である点には、一見、当たり前にも思えそうですが、今の多様な世の中において、実はハッとさせられるものもあるのではないかと思い、各話について、書いていきたいと思います。
(1)先回りローバ
生まれたときに、正式に名付けられなかった『空白の六日間』が存在する、吃音の僕は、名前を言えないことに、自らの出生の事情があるのではと悩み苦しんでいたときに、何でも先回りして、僕の言葉を拾い集めてくれる老婆との出会いが、僕の心の隙間を埋めてくれるようで、その存在感は奇妙ながらも、その唯一無二な存在に温かさを感じられたのも事実でした。
『どなたの耳にも触れていないお声ですからねえ。実に見事に透き通っておられます』
(2)亡き王女のための刺繍
幼い頃から、「りこさん」の刺繍された服をお気に入りとして、育ってきた私は、おそらく妹用のベビー服のあまりの完璧さを身を以て感じた瞬間、『私だけに許された特権』が途切れてしまったのではないかと思い、以後、50年近く経った現在においても交流し続ける、私とりこさんの微妙な距離感の物語。
ちなみに、ツルボランの花言葉は、
『生涯信じます』
(3)かわいそうなこと
かわいそうなことリストを記録し続ける、僕の物語で、その内容は、孤独なシロナガスクジラ、進化過程において天涯孤独といわれるツチブタから、映画の撮影風景の一枚の写真、「左から主演の○○、監督の○○、相手役の○○、一人置いて共演の○○」の、一人置いてゆかれた人までと幅広く、そこには僕の繊細な優しさに加えて、彼等を庇うような表現に、どこかユーモラスな性格も覗えたが、実は、僕自身を投影している存在を通して判明した、家族との微妙な距離感にやるせなさを感じられたのが、最も印象的でした。
(4)この歌を分け合う
突然、原因不明の病気で亡くなった従兄の悲しみから、その満たされない思いを、「レ・ミゼラブル」の「ジャン・バルジャン」役の俳優に投影しようとする伯母と、当時17歳の僕の、一回きりの観劇を通して、観客がそれぞれに思い浮かべる、自分にとって大事な死者たちと再会を果たせる事の大切さや、11年後に、一人でも再び観たいと感じた僕の思いに、時を隔てても決して忘れることのない、従兄を介した、年齢差はあっても分かり合える繋がりと切なさを、レ・ミゼラブルを通して静謐に伝えてくれた素敵な物語で、これを読んで、レ・ミゼラブルに興味を持つ方も、きっといらっしゃると思います。
『言葉だけだと薄っぺらに聞こえるのに、歌になると真実に聞こえるの』
(5)乳歯
生まれてきた赤ん坊(君)の、神秘的な描写の美しさが印象的ですが、両親にとっては、『迷子』が『君のいない空白』であり、その後、君が偶然辿り着いた聖堂にある、見る角度や窓から差し込む日の光によって自由を謳歌できるような、柱の『浮彫』の存在との対比も素晴らしく感じられた、大いなる世界に飛び出そうとする、君の姿が思い浮かぶ物語。
『彼らにとって君は、驚異的に美しい謎だった』
(6)仮名の作家
物語は言葉ではなく、声で書かれていることを重要視している、『声』にこだわりを持つ私が、理想的な声を持つ小説を書く作家と出会うことで、密やかな関係を妄想していく物語で、自らの声を出すことをためらう時期からの空白期間を埋めるかのように、作家を想って生き続けるその姿には、周囲から理解されない哀しさもあるが、それでも最後の行動には私の中に於ける、『縁』が引き起こしているようにも思われて、やるせないものがありました。
(7)盲腸線の秘密
廃線の危機に立たされた路線に、毎日乗り続けることで、反対の意思を訴えようとした曾祖父と、それに付き合う、ひ孫の、ひとときの交流には、他の家族から疎んじられているような曾祖父に、何とか貢献しようとする、ひ孫の優しさが健気であり、路線とは別に、ウサギを希望の象徴としているところも、それを更に強調させるようで、最後の、二人だけが分かり合える、ひ孫の思いに繫がっています。
(8)口笛の上手な白雪姫
女子浴場で赤ん坊の世話をする小母さんの、原初的で完璧な美しさを持つ赤ん坊への愛しさと、ひとりで生きている自らの人生とを対比させながら、その葛藤に悩む姿は、自らの出生不明な点や、浴場の裏にある、白雪姫を思い浮かべるような小屋に住んでいる、不思議な要素も絡むことで、小母さんの現実的な思いがより際立ったが、それでも心に残り続けている赤ん坊への、見返りを求めない慈悲の気持ちの神々しさには、白雪姫以上に気高き美しさを感じられましたし、その素朴で情感的な上手い口笛は、赤ん坊と小母さんだけの、目に見えなくても密かに共感し合う事の出来る、かけがえのない『縁起』に思えました。