【感想・ネタバレ】アンネ・フランクの記憶のレビュー

あらすじ

少女期『アンネの日記』を読み、作家を志した小川洋子。アンネの悲劇的境遇だけではなく、言葉が心を表現することに衝撃を受けたからだ。以来、アンネを心の友にしてきた著者は万感の思いでアンネの足跡を訪ねる。フランクフルトの生家、アムステルダムの隠れ家、アウシュヴィッツへと歩き、フランク家の恩人ミープさん、親友ヨーピーさんと語り合う。少女の言葉に導かれた作家の魂の旅路である。

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Posted by ブクログ

今度オランダ旅行へ行くので、『アンネの日記』を読み始めました。
そこからアンネに興味が出て調べていたところ、こちらの本を発見。
アンネの足跡を辿るエッセイという事で、旅行前にピッタリだと思い読んでみました。
実際にアンネの日記に登場する方にお会いしていて驚き。小川さんの繊細な言葉遣い、描写に涙が出そうになる場面もありました。
旅行関係なく、すごく好きなエッセイになりました。

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2025年05月05日

Posted by ブクログ

作家の小川洋子さんが、アンネ・フランクの足跡を辿りに隠れ家や親友を訪ねて取材する。
彼女は、ユダヤ人虐殺やナチスの蛮行のシンボルとしてではなく、純粋にアンネの文章を楽しみ、友人として接する。
強制収容所では、「何百万人が」とか「無数の人が」と言ってひとまとめにしてしまうのではなく、一人一人の遺品、旅行カバンや、メガネや、靴や、子どものおもちゃやおしゃぶりなど…
一人一人を尊重し、想いを馳せる。

大雑把にまとめて、分かった気になるのはよくあることだと思う。
「戦争になったらたくさんの人が死ぬ」
そこには、人一人が死ぬということの恐怖が宿らない。
だから、こうやってアンネフランクという一人の少女の人生と関わって、友だちになった小川洋子さんが書いたようなエッセイには、途方もない価値があると思った。

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2024年10月09日

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ネタバレ

また素晴らしい本に出会ってしまった…
アンネフランクを辿る小川さんの一週間の旅の紀行文。

アンネの日記=戦争のことを知る読みものとしての浸透の仕方をしているけど、作者の小川さんは違う。
″純粋な文学として読んだ″と記されていて、それは、ナチスの犠牲者という歴史的事実とは別のところで、ただただアンネが書く文章に親しみを持ち、一人の友人が生きた歴史や受けた影響を知りたくて彼女のルーツを辿る旅に出ているのよ、という純粋な気持ちが、文章の節々から伝わる。

小川さんの旅の進め方、アンネに携わる人々へのインタビューのスタンス、ホロコーストやユダヤ人への理解、全てが、大きな歴史を知るというより、アンネという少女のことを知りたいという敬愛の気持ちからくることが分かる。

それってすごくしあわせなことだと思うし、アンネが生きていたらきっと小川さんみたいな受け止め方を望んでいたのでは、と想像する。

何気ない箇所だけど、小川さんがアウシュヴィッツから出ておいしくチョコレートを食べれることを不思議に思っているシーン、とても好き。
だってそういうこと、わたしたちの日常に転がっている。悲惨なニュースを見た後に、誰かが亡くなった後にでも、なぜだかお腹は空くし、おいしく食べれて笑って過ごせる。そういうものだから。

わたしも、戦争の読み物としての先入観を捨てて、アンネの文章の節々からあえて戦争の悲惨な様子を考察したり勝手に意味を歪曲せずに、彼女の日記を″純粋な読みもの″として読み直したいなと思えた、とてもとても大切な本になった

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2024年09月08日

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史実を読むだけでも胸が詰まるような悲惨な出来事ではあるが、それを小川洋子という一人の人間の感性を通してみると、アンネ・フランクという1人の少女の生活や当時の息の詰まる雰囲気がまざまざと感じられて最後は涙無しには読めなかった。

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2023年02月10日

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小川洋子さんが、ものを書くということの力を見出す源となった、アンネ・フランクの日記。そのアンネの足跡を辿ってゆく旅の記録。小川洋子さんの視線から、アンネを捉え直すことができて、とても興味深い。日記をもう一度読み直そうと思う。

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2014年02月06日

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「アンネの日記」には感傷的な少女のアンソロジーというイメージがあり、実は読んだことがない。でも最近出た≪完全版≫をぜひ読みたくなった。いまだ読んだことのない私にも、圧倒的なパワーでアンネ・フランクの記憶をイメージさせる小川洋子さんの手腕は、凄いと思う。

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2010年08月12日

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私は恥ずかしながら、アンネの日記を全て読んだ事がありません。今まで読んでこなかった自分を本当にはったおしてやりたい。
薄氷の上を歩くかのように、慎重に選び抜かれ、抑制された言葉で、語られるアンネ。こちらも思わず息を潜めて読み耽った。
あえて語弊を恐れずに言うのなら、これは、ナチスとは、戦争とはなんだったのかを考えこませる、説教くさい本ではなかった。
ただただ、アンネに会いたくなる本だったと思う。

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2009年12月16日

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アンネ・フランクという女の子が少し前、この空の続きの中で生きていた。小川洋子さんはひそかな心の友人でありつづけたアンネの、彼女の息づかいをしっているひとたちを訪ねていく。

アンネは片方の髪がいつもうまくいかなくて気にしてた。
隠れ家の階段をマルゴーと足音をしのばせて登る。
幼い女の子がこっそり生きなければならなかったことを、ミープさんはよく憶えている。

一家の世話をしつづけたミープさんがアンネ家にドイツ軍が踏み込まれたあと、守るようにアンネの日記を抱えてからふと化粧ケープもなにげなく一緒に助けた。ミープさんは手で触れてそばに置いている。アンネの手にしていた化粧ケープを小川さんが手で触れて感じている。
時を飛び越えてきたのではなく、いまの続きのいく秒か昔に、かわいくて元気でおしゃれ好きな、アンネという女の子が生きていたことを感じている。

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2009年10月04日

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私は大分前からアウシュビッツにはとても興味がある。アンネの日記を知ったのは小学生の頃だったけど、ちゃんとは読んでなかった。
偶々手に取ったこの一冊。もう、余計な事は今は言えない。まずはアンネの日記をちゃんと読む。初版と完全版と、どちらも。

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2024年11月27日

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 小川洋子の作家になる原点が、『アンネの日記』というのが、よくうかがえる。小川洋子は中学一年の時、『アンネの日記』を読み、日記を書く喜びを知った。その積み重ねが小川洋子という作家を作った。アンネに対する信愛の情が、この本にはある。小川洋子のつむぎだす文章が温度があると感じていたが、そのことを納得する。そして、1994年にアンネ・フランクのほんの僅かな人生を送ったところを訪ねる。そしてアンネにまつわる人にインタビューし、アウシュビッツ収容所を見る。人間の殺伐として残酷な歴史を自分の目と身体から感じる紀行文。アンネ・フランクの存在を言葉で表現する。小川洋子はいう「アンネを語ろうとすれば、当然ナチスドイツや人種差別問題やホロコーストについて考えなければならないだろう。けれどわたしが本当に知りたいのは、一人の人間が死ぬ、殺される、ということについてだ。歴史や国家や民族を通してではなく、一人の人間を通して真実を見たいのだ」いやはや。なるほど。その視点が、文学の起点だね。
 1994年6月30日出発。アムステルダム到着。7月1日。アンネフランクハウス、アンネの家族の隠れ家。7月2日。アンネの日記を見つけたミープ・リースにあい、インタビューする。ミープは1987年に『思い出のアンネフランク』という本を出している。7月3日。フランクフルト。隠れ家、アンネの生家。アンネフランク展。7月4日。ポーランド。クラクフ。7月5日アウシュビッツ。第二アウシュビッツ。7月6日。ウィーン。7月7日。二人のユダヤ人に出会う。たった1週間の旅行であるが、濃密だ。
 小川洋子は、「なぜ小説を書くようになったか」という質問にうまく答えられない。小川洋子は『アンネの日記』がきっかけで、自分の日記をつけ始めた。因縁の人だ。
 アンネの日記は、1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。アンネは、1929年生まれ、1945年15歳で亡くなった。アンネはアウシュビッツに送られ、その後ベルゲンベルゼン収容所でチフスで死んだとされている。アンネの母、姉マルゴーは死に、父親オットーは、アウシュビッツで生き残った。戦争が終わり、アンネの日記を世に送り出した。
 小川洋子は、アンネの自由さ、伸びやかさ、10代の少女が悩む姿などをうまく掬い上げてアンネのいた場所に佇む。50年以上の時間の隔たりを感じさせない完成でそこにあるものを見る。実に叙情的な文体とアンネを思う気持ちが吐露される。
 アウシュビッツで、メガネだけの部屋、靴だけの部屋、髪の毛だけの部屋の展示に身が悶える。
 「アウシュビッツ収容所で生き延びるために、一番必要だった条件はなんでしょう。体力でしょ羽化。それとも精神力?」と問うと、ユダヤ人アントン・ウインターは「誰が生きのび、誰が死ぬか。そこに条件などありません。運命を知っていたのは神だけです。そして、絶対に自分は生きのびる、と信じていた」。ウインターは「遺体を焼いたあとの骨を、粉々にする作業、これだけはつらくて私にはとてもできなかった」という、そういう凄惨な体験をしている。それでも生き残ろうとした。
 小川洋子の成り立ちがよく理解でき、その視点が一人の人間の目で見ようとしている。なんのために生きるのかを知り得た作家だった。戦争の持つすざましいほどの人間の破壊力。あらためて戦争はしてはいけないと思った。本当に、人はなぜ戦争をするのだろうか

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2023年10月25日

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自分がもしアウシュビッツの職員だったら、非人道的な行為を拒否することはできただろうか。拒否したら罰せられるから仕方なく、と言い訳することはできるかもしれない。それで良いのか?

We were no heroes, we only did our human duty, helping people who need help

この言葉のように、人間として当たり前のことをしたい。人間としてしてはいけないことは、いかなる場合でも拒否できる強さを持った大人になりたい。第二のアンネ・フランクを生み出さないために。

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2023年05月12日

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ミープさんやアンネのお友達だった方の言葉に重みを感じる。この本とアンネの日記を読むと平和を願う気持ちが強くなる。

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2022年04月07日

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「アンネの日記」を教条的な読み物として捉えず、「友の日記」として寄り添い、その瑞々しい言葉と記憶を自らの胸に刻んだ時はじめて、あの時代に起きた夥しい死が、真に心に迫ってくる。

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2021年11月14日

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ミープさんの佇まいに、私も心が震えた。

また、規則正しさの怖さ。

小川さんの文学にいかにアンネの叙述が影響を与えているか認識した。

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2017年01月12日

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「アンネの日記」に続いて、小学生ぐらいの頃に読んだ。その後、大学生ぐらいになってから「博士の愛した数式」を読んで、同じ小川洋子さんが書いたものだと知った。そう思って読んでみるとまた違った感じがありそうなので、もう一度読みたい本。

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2016年09月22日

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アンネ・フランクを辿る旅に出ることは、すなわち、過去の戦争と向き合うこと。
小説家を志すきっかけとなったのがアンネ・フランクの日記だったという小川洋子さんが、アンネゆかりの地を訪ね歩いたときのエッセイだが、とても重い旅だったのではないだろうか。

私の場合、ゴールデンウィークにアンネ・フランクの家を訪れたことから、もう一度アンネについて知りたいと思い、アンネの日記を再読し、小川洋子さんのこのエッセイを読み、そして映画「シンドラーのリスト」を観た。その結果、アウシュビッツには行っていないものの、あまりの悲惨さ残酷さに直面し、かなりの疲労感を感じてしまった。

小川洋子さんも、旅立つ前にある程度予想はついておられたとは思うが、それよりも自分の原点となるアンネに会うために出かけられたのは、とても真面目な方だな、と思った。

アンネもすごく喜んでいるのではないだろうか。

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2015年05月24日

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小川洋子さんは少女時代に「純粋な文学として」アンネの日記と出会い、自らも物を書く喜びに目覚め、そのことが作家になるきっかけにとなった。
そのことをアンネの日記の翻訳者で本書の解説を務めている深町氏はアンネ〜との最も幸福な出会い方だと述べています。

アンネの親友だったジャクリーンさん、擁護者だったミープさんと会うくだりは特に印象的です。
ちょっとどうかと思う質問もありますが……。

一作家のエッセイとして色々な感想が素直に書かれていて、読みやすかったです。
ホロコーストの善悪をどうこういう本ではありませんが、あらためてナチによるユダヤ人迫害や収容所での扱いは人間の尊厳を根こそぎ奪うものだったと実感しました。

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2015年02月03日

Posted by ブクログ

高校生のとき、英語の教科書に『アンネの日記』の1節が載っていた。
確かペーターとのやりとり、彼への恋心について書かれた部分。
ちょうど『アンネの日記』の完全版が文庫化されていて、それを読んでみようという気になった。
彼女が本当はどんな女の子だったのか興味がわいたから。

うまく言えないけど、高校生の私は『アンネの日記』を読んで、何か救われた気持ちがした。
思春期に感じていた葛藤を自分以外にも同じように感じていた人がいて、それを言葉に残してくれた。それが何だかものすごいことだと思った。
実際に身近にいたら、多分友達になることはないタイプの子だ。きっとお互い話しかけることもないだろう。
それが分かるから、なおさら不思議だった。

この本を読んで、高校生のときにそんなことを感じたのを思い出した。

また『アンネの日記』を読み返してみよう。今の私は、どんなことを感じるだろう。

この本、ずっと積読してたのだけど、最近ニュースで『アンネの日記』が話題になったので存在を思い出した。
もすこし取材した写真もあったらいいのになあって意味で、☆4つ。

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2014年04月21日

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アンネ・フランクゆかりの土地を訪ねる旅行記。
アンネの日記を通しで読んだ記憶がなく、
個人的に戦争系の話は好きではないのがあり敬遠していたものの、
この本を読んで特に人間ドラマとしての興味が湧いた。

小川洋子さんがアンネを親愛し、物語を書くきっかけとなったことがよくわかる。小川さんのエッセイはそれを読むほど小川作品の読み方が深くなり多くのものを感じ取れるようになるという点で、作家エッセイとして一段次元が高いかもしれないと感じた。

良し悪しは置いておいて、小川洋子というフィルターを通してこそ、私の中でアンネの魅力や悲劇性が高まったような気がする。

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2013年02月26日

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ネタバレ

(「BOOK」データベースより)
十代のはじめ『アンネの日記』によって言葉が自分を表現することに心ゆさぶられ、作家への道を志した小川洋子が、長年の感慨をこめてアンネの足跡をたどる旅に出た。命がけで物資を運びフランク家の隠れ家生活を気丈に支えたミープさんや無二の親友ジャクリーヌさんら老齢の今も美しく、真の魅力を放つ女性たちと語り、生家→隠れ家→アウシュヴィッツへとたずねていく―。アンネの心の内側にふれ、極限におかれた人間の、葛藤、尊厳、信頼、愛の形を浮き彫りにした感動のノンフィクション。

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2013年01月28日

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アンネ・フランクの記憶を辿る、小川洋子の旅。

ナチス・ドイツや人種差別問題、ホロコーストは頭のどこかで「遠くの」「昔の」事だと思っていたのですが、こうして小川洋子という好きな作家が、アンネ・フランクと交流のあった方に取材をされている事でかなり地続きに感じられました。

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2023年06月07日

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アンネの日記に刺激されて日記を書くようになり、創作めいたようなものが現れるようになり、やがて小説になった。私はまだ読めていないけれど、歴史的な価値だけではなく、大変に文才のある人の日記なのだろう。実際に生き延びられた方々との面談の様子から、アンネやまわりの人達の人柄や聡明さが伝わってくる。今の著者と直接会って話ができるなんて、本当にあと少しだったのだ。あと少し密告が遅ければ、あと少し生き延びていたら解放されていた、そんな無念が無数にあることを、私たちは後世に伝えていく必要がある。

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2021年11月06日

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ネタバレ

著者小川洋子氏が、「アンネの日記」を初めて読んだのが中学1年生の時だったそうだ。それからご自身も日記の中で、自己表現することを知り、それが作家業へとつながったと述べられている。

著者は、自身の心の友であるアンネ・フランクの生涯に触れることのできる地を実際に訪れ、アンネを実際に知る人々と会って対話をし、最後はアンネの命を奪ったアウシュビッツを訪れるという8日間の旅を計画した。

アムステルダムで、アンネがまだ少女として、そして家族の一人として暮らしていたアンネ・フランク・ハウス(隠れ家)を実際に訪れる。

また、そこであらかじめアポイントをとっていた二人の人物に、取材というより会って対話をする。

対話の相手の一人は、「アンネの日記」の中でヨーピーとして登場するアンネのユダヤ人中学時代の友人。もう一人は、「思い出のアンネ・フランク」の著者であり、アンネの父オットーの会社に就業してたというミープ・ヒースさん。

アンネ・フランク・ハウスを訪問し、アンネを知るお二人との対話をしているときの著者は、ひたすら心の友アンネに対する想いを深めたいという気持ちが表れている。本書の中では「陽」の部分だ。

本書の読者である我々も、著者とともに、明るいイキイキとしたアンネの生活を感じ取ることができる。

しかし、後半アウシュビッツを訪れるところからは、一気に「陰」へと転ずる。ここからは、アンネの存在感は消えてしまい、ナチの人種差別による強制収容・大量虐殺の悲惨な光景が、著者の施設訪問とレポートによって再現されるのである。

著者の目に入る「悲惨」を伝える文章から、イメージは再現されるものの、より理解を深めるため、その文章に沿ってインターネットの写真を検索しながら読み進めることにした。

例えばこういう文章があった。
「ただ単に人を殺すだけでなく、人間の存在を根こそぎ奪い去っていったナチのやり方がこの小さな子供用品を見ていると、わずかでも実感できる気がする。名前、メガネ、髪の毛、ブラシ、尊厳、人形、命、彼らは徹底的に合理的にすべてを強奪した。」

強制収容所では、名前を登録され、メガネを外され、髪の毛を削がれ、所有のブラシやバッグやくつなどがすべて捨て去られ、それらが大量に廃棄された想像しがたい山の光景をインターネットの写真でも確認することができる。

何の罪もない人々や、アンネの家族のように普通に幸せに暮らしていた家族から、尊厳を奪い、命を奪う。無残に、しかも機械的に奪っていったのだ。

「一人の少女の命に思いをはせる心があれば、ナチのような暴虐はありえない」というような、著者のメッセージが感じられた本であった。

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2019年07月21日

Posted by ブクログ

ある経験を機に再読。
先に読み返しておくべきだったかな?そうするとその経験も変わったものになっていたやもしれませぬ。
まぁともかく日本での受容に対する色んな見方が存在するという解説が一番衝撃的というか、目から鱗というか。解説含めて多くの人が手に取り、沈思すべき本であります。

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2017年11月30日

Posted by ブクログ

ノンフィクションそのものとしては、はっきり言って凡庸であると思ってしまった。ノンフィクション、事実を語るときの小川洋子の文章はほんとうに、固有性みたいなものが存在しないように感じてしまう。フィクションと同じ方向に物事を動かすノンフィクションもあり、フィクションとは全く違った方向に同じくらいの力で物事を動かすノンフィクションもあるとおもう。しかし、小川洋子の書くフィクションの力を思うと、これはかんだか、勢いというものがないのだと。

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2014年06月11日

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アンネの家を観光する機会ができたので、そのために読んだ一冊。アンネについての本は昔読んだきりだったので、それを思い出すきっかけになった。また本書にも登場するアンネを支えていた人たちのインタビューが実際にアンネの家でも流れていたので、その簡単な予習のためにもアンネ関連の国へ観光する場合は飛行機の中に持ち込むことをおすすめしたい一冊。

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2013年03月22日

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「アンネの日記」を読む前にこちらの本を読んでしまった。
順序が逆かなと思いながらも、
流れは把握できたので良かった。

アンネのことを調べるきっかけにもなった。

アンネ本人よりも、それを支える人たちが中心に書かれていた。
悲惨な時代の中にいながら、
とても素敵な人たちばかりでほんわかした。

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2013年01月30日

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10 代のころ「アンネの日記」がきっかけで作家を志した小川洋子さんが、アンネゆかりの地を訪ねる旅日誌。最近「アンネの日記」を再読したばかりで興味を持っていたのと、小川さんのアンネへの思い入れの強さからくる筆の勢いにひっぱられて、表紙を開いてから最後まで一気に読み上げた。小川さんが移動中の電車の中や訪問先で子どもを見かけるたびに 「この子が隠れ家に住んだり収容所に送られたりすることがありませんように」 と祈りのことばを書き付けているのは、感傷的すぎてひとりの作家の表現としては抑制が効いていないと思うが、彼女がアンネを心の友にして思春期を過ごし、いま (旅行当時) アンネの母の年齢に達したひとりの女性であると考えると、十分にリアルなことばとして受け止められる。
小川さんは旅の中で「アンネの日記」に登場するジャクリーヌ・ファン・マールセンさん、ミープ・ヒースさんとも会っている。おふたりとも近年になってアンネの思い出を本にした。どちらも「アンネの日記」の深町さんが翻訳しているので、読んでみたいと思う。

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2010年04月10日

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どんな関連があるんだろうと思って読み始めたけど、小説家になるきっかけだったのかぁ。アンネの日記は何回か読んでいるけど、いつかアムステルダムを訪れてみたいなと思った。また新たな情報を持ってアンネの住んだ町を見れるような気がする一冊。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

これは、少女の頃に、アンネ・フランクの日記を読み、影響を受け続けてきた小川洋子の、アンネを巡る旅のエッセイだ。
彼女の書くことの原動力は、アンネからもらったものなのだそうだ。
アンネ・フランクという女の子の文才にほれ込み、心の友としてきた作家の、感傷的な旅日記。
同じように、中学生のとき「アンネ・フランクの日記」に出会い、それに触発されて日記を書き始めたことのある私には、なかなか、面白いものだった。
残念ながら、私の日記は、半年も続かなかったけれど・・・。でも、日記帳を親友として名前をつけ、手紙を書くように綴っていくアンネの日記に憧れたのは、はっきりと覚えている。たしか、私も日記帳に名前をつけたはずだったけれど・・・なんだったかなあ。
「戦争モノ」と思って読み始めたので、その点では、ちょっと期待はずれだったけれど、自分が多感な少女だった頃のことを思いだし、胸が熱くなった。
ふと考えると、アンネフランクもまた、特別な人なのではでなく、小川洋子や私と同じ、多感な少女だったのだなあ。悲惨さを直接描いた文章を読むのとは、また違った角度で、戦争の悲しみを感じずにはいられません。
アンネ・フランクは、永遠に少女であり続け、小川洋子も私も、もう、その頃のことを思い出し、胸を熱くする年になっているのですから。

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2009年10月04日

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