あらすじ
少女期『アンネの日記』を読み、作家を志した小川洋子。アンネの悲劇的境遇だけではなく、言葉が心を表現することに衝撃を受けたからだ。以来、アンネを心の友にしてきた著者は万感の思いでアンネの足跡を訪ねる。フランクフルトの生家、アムステルダムの隠れ家、アウシュヴィッツへと歩き、フランク家の恩人ミープさん、親友ヨーピーさんと語り合う。少女の言葉に導かれた作家の魂の旅路である。
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Posted by ブクログ
また素晴らしい本に出会ってしまった…
アンネフランクを辿る小川さんの一週間の旅の紀行文。
アンネの日記=戦争のことを知る読みものとしての浸透の仕方をしているけど、作者の小川さんは違う。
″純粋な文学として読んだ″と記されていて、それは、ナチスの犠牲者という歴史的事実とは別のところで、ただただアンネが書く文章に親しみを持ち、一人の友人が生きた歴史や受けた影響を知りたくて彼女のルーツを辿る旅に出ているのよ、という純粋な気持ちが、文章の節々から伝わる。
小川さんの旅の進め方、アンネに携わる人々へのインタビューのスタンス、ホロコーストやユダヤ人への理解、全てが、大きな歴史を知るというより、アンネという少女のことを知りたいという敬愛の気持ちからくることが分かる。
それってすごくしあわせなことだと思うし、アンネが生きていたらきっと小川さんみたいな受け止め方を望んでいたのでは、と想像する。
何気ない箇所だけど、小川さんがアウシュヴィッツから出ておいしくチョコレートを食べれることを不思議に思っているシーン、とても好き。
だってそういうこと、わたしたちの日常に転がっている。悲惨なニュースを見た後に、誰かが亡くなった後にでも、なぜだかお腹は空くし、おいしく食べれて笑って過ごせる。そういうものだから。
わたしも、戦争の読み物としての先入観を捨てて、アンネの文章の節々からあえて戦争の悲惨な様子を考察したり勝手に意味を歪曲せずに、彼女の日記を″純粋な読みもの″として読み直したいなと思えた、とてもとても大切な本になった
Posted by ブクログ
(「BOOK」データベースより)
十代のはじめ『アンネの日記』によって言葉が自分を表現することに心ゆさぶられ、作家への道を志した小川洋子が、長年の感慨をこめてアンネの足跡をたどる旅に出た。命がけで物資を運びフランク家の隠れ家生活を気丈に支えたミープさんや無二の親友ジャクリーヌさんら老齢の今も美しく、真の魅力を放つ女性たちと語り、生家→隠れ家→アウシュヴィッツへとたずねていく―。アンネの心の内側にふれ、極限におかれた人間の、葛藤、尊厳、信頼、愛の形を浮き彫りにした感動のノンフィクション。
Posted by ブクログ
著者小川洋子氏が、「アンネの日記」を初めて読んだのが中学1年生の時だったそうだ。それからご自身も日記の中で、自己表現することを知り、それが作家業へとつながったと述べられている。
著者は、自身の心の友であるアンネ・フランクの生涯に触れることのできる地を実際に訪れ、アンネを実際に知る人々と会って対話をし、最後はアンネの命を奪ったアウシュビッツを訪れるという8日間の旅を計画した。
アムステルダムで、アンネがまだ少女として、そして家族の一人として暮らしていたアンネ・フランク・ハウス(隠れ家)を実際に訪れる。
また、そこであらかじめアポイントをとっていた二人の人物に、取材というより会って対話をする。
対話の相手の一人は、「アンネの日記」の中でヨーピーとして登場するアンネのユダヤ人中学時代の友人。もう一人は、「思い出のアンネ・フランク」の著者であり、アンネの父オットーの会社に就業してたというミープ・ヒースさん。
アンネ・フランク・ハウスを訪問し、アンネを知るお二人との対話をしているときの著者は、ひたすら心の友アンネに対する想いを深めたいという気持ちが表れている。本書の中では「陽」の部分だ。
本書の読者である我々も、著者とともに、明るいイキイキとしたアンネの生活を感じ取ることができる。
しかし、後半アウシュビッツを訪れるところからは、一気に「陰」へと転ずる。ここからは、アンネの存在感は消えてしまい、ナチの人種差別による強制収容・大量虐殺の悲惨な光景が、著者の施設訪問とレポートによって再現されるのである。
著者の目に入る「悲惨」を伝える文章から、イメージは再現されるものの、より理解を深めるため、その文章に沿ってインターネットの写真を検索しながら読み進めることにした。
例えばこういう文章があった。
「ただ単に人を殺すだけでなく、人間の存在を根こそぎ奪い去っていったナチのやり方がこの小さな子供用品を見ていると、わずかでも実感できる気がする。名前、メガネ、髪の毛、ブラシ、尊厳、人形、命、彼らは徹底的に合理的にすべてを強奪した。」
強制収容所では、名前を登録され、メガネを外され、髪の毛を削がれ、所有のブラシやバッグやくつなどがすべて捨て去られ、それらが大量に廃棄された想像しがたい山の光景をインターネットの写真でも確認することができる。
何の罪もない人々や、アンネの家族のように普通に幸せに暮らしていた家族から、尊厳を奪い、命を奪う。無残に、しかも機械的に奪っていったのだ。
「一人の少女の命に思いをはせる心があれば、ナチのような暴虐はありえない」というような、著者のメッセージが感じられた本であった。