小川洋子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ著者小川洋子氏が、「アンネの日記」を初めて読んだのが中学1年生の時だったそうだ。それからご自身も日記の中で、自己表現することを知り、それが作家業へとつながったと述べられている。
著者は、自身の心の友であるアンネ・フランクの生涯に触れることのできる地を実際に訪れ、アンネを実際に知る人々と会って対話をし、最後はアンネの命を奪ったアウシュビッツを訪れるという8日間の旅を計画した。
アムステルダムで、アンネがまだ少女として、そして家族の一人として暮らしていたアンネ・フランク・ハウス(隠れ家)を実際に訪れる。
また、そこであらかじめアポイントをとっていた二人の人物に、取材というより会って対話をする。
対話の相手の一人は、「アンネの日記」の中でヨーピーとして登場するアンネのユダヤ人中学時代の友人。もう一人は、「思い出のアンネ・フランク」の著者であり、アンネの父オットーの会社に就業してたというミープ・ヒースさん。
アンネ・フランク・ハウスを訪問し、アンネを知るお二人との対話をしているときの著者は、ひたすら心の友アンネに対する想いを深めたいという気持ちが表れている。本書の中では「陽」の部分だ。
本書の読者である我々も、著者とともに、明るいイキイキとしたアンネの生活を感じ取ることができる。
しかし、後半アウシュビッツを訪れるところからは、一気に「陰」へと転ずる。ここからは、アンネの存在感は消えてしまい、ナチの人種差別による強制収容・大量虐殺の悲惨な光景が、著者の施設訪問とレポートによって再現されるのである。
著者の目に入る「悲惨」を伝える文章から、イメージは再現されるものの、より理解を深めるため、その文章に沿ってインターネットの写真を検索しながら読み進めることにした。
例えばこういう文章があった。
「ただ単に人を殺すだけでなく、人間の存在を根こそぎ奪い去っていったナチのやり方がこの小さな子供用品を見ていると、わずかでも実感できる気がする。名前、メガネ、髪の毛、ブラシ、尊厳、人形、命、彼らは徹底的に合理的にすべてを強奪した。」
強制収容所では、名前を登録され、メガネを外され、髪の毛を削がれ、所有のブラシやバッグやくつなどがすべて捨て去られ、それらが大量に廃棄された想像しがたい山の光景をインターネットの写真でも確認することができる。
何の罪もない人々や、アンネの家族のように普通に幸せに暮らしていた家族から、尊厳を奪い、命を奪う。無残に、しかも機械的に奪っていったのだ。
「一人の少女の命に思いをはせる心があれば、ナチのような暴虐はありえない」というような、著者のメッセージが感じられた本であった。 -
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梅雨時に似合う、短編集。
実在の人物をモデルに描いたフィクションとな。
と言っても、私が名前を知っているのはグレン・グールドと牧野富太郎だけでしたが……。
伝記よりも、断片的で、だからこそ色合いが濃い。
小川洋子がひそひそと切り取って創り上げたコラージュ作品みたいで、楽しかった。
何を置いても、冒頭話の「誘拐の女王」に持っていかれてしまった。
突如、出現した不思議な姉。
彼女が愛おしそうに抱える裁縫箱には何が入っているのか、気になる妹。
そこから生まれ出づるは、秘密の誘拐譚。
物語を語る姉は夜な夜な、何者かに許しを請い自罰するのだった……。
見てはいけないものを見ている感。
谷崎潤一郎の『マゾヒズム小説集』を思い出した。
盲目の祖父と孫の歩みが織り成す「測量」も、“放置手紙調査法”なる心理学実験をモチーフにした「臨時実験補助員」も、良かった。
(放置手紙調査法も初めて知ったけど、ロマンすぎる。つい、探してしまうじゃないか。)
阿吽の呼吸というけれど、あ、この人とならずっといられる、という空気感って何なんだろう。
一緒に仕事をしていたい人って、いませんか。
そういう居心地良さを、ギュッと数値化するとシンクロニシティのようなものになるのかもしれない。
祖父の歩数をバイタルサインとして、話は進んでゆくのだけど、その乱れに酷くショックを受ける孫に切なくなった。
沈んだままの終わりを迎える話も多いので、しとしとと雨降る夜に読むのがおすすめです。 -
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小川洋子さんの文と吉野朔実さんの絵ということで借りる。
本書は小川さんの『アンネ・フランクの記憶』をもとに児童向けに新たに編み直したものとの巻末の注記。
吉野さんの絵は表紙と人物紹介の頁の他、カットが数点で期待してたのとはちょっと違った。
1994年に小川さんがアンネ・フランクの親友ジャクリーヌさんとアンネ一家の隠れ家生活の手助けをしたミープさんを訪問し、アウシュヴィッツを見学したことが記されている。収容所を見学する記述では、やはり胸が苦しくなる。
特に展示室を埋め尽くす靴を前にして、心の中で「無数ではない」と繰返し自分に言い聞かせる小川さんの述懐が胸に迫る。 -
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数学者でエッセイストの藤原正彦と、『博士の愛した数式』の著者である小川洋子が、数学をテーマに語りあった対談を収録しています。
『博士の愛した数式』についても多少は言及されていますが、多くの部分では、小川が聞き手にまわり、数学の美しさと、それに憑かれた数学者という人種について藤原が語るというスタイルで進んでいきます。
おそらくは「数学」と「美」を結びつけることなど思いもよらないというような若い読者に、数学の美しさに目を開かせることを目的としているのかもしれませんが、数学の世界についてのとりとめのない印象がつづられていて、すこし内容が薄いようにも感じてしまいました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小川洋子さんのエッセー集は初めて。
本のことや、当時飼っていたラブラドールのラブのこと、岡ノ谷先生の研究のことや、ご自身の作品のことなどがふれられていて、楽しく読めた。
特に、執筆するときに小説の世界に浸るというか、その世界の様子を見て聴いて感じたことを<描いて>いるだけなので、私自身のものではないと言うところが小川洋子さんの作品の世界観(自分が勝手に思ってるだけ)だなと。ツバキ文具店だったり、リトルアリョーヒンだったり、標本士だったり、ミーナだったり、どの小説の主人公も彼・彼女らだけのオリジナルの世界を持っているからこうも惹かれるのかなとか思った。 -
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ネタバレ何かでお勧めされてた本。
博物館というキーワードに惹かれて。
誰も駅に降りないような村で、博物館を作りたいという依頼主に会うためにやって来た博物館技師の僕。
未成熟な輝きを持つ少女と、どうみても親とは思えない位、年が離れた依頼主の老婆。
そこから沈黙の博物館と称した、老婆が集めた形見の展示の準備から、村で起こった死人の形見の収集(窃盗…)まで行うことになる。
読んでいくと、時々現れる不釣り合いなキーワードに意味があるのか考える。
持参した親の形見のアンネの日記、兄から譲られた顕微鏡、沈黙の行を行う沈黙の伝道師の存在。
人形劇やお祭りが娯楽の、へんぴな村っぽいのに、爆弾事件や猟奇的な殺人事件が起こったり、文化会館や観光用の土産屋があったり。
博物館を設立するお金の出所はおろか、老婆の出自や登場人物の名前すら出てこない。
老婆、少女、庭師、家政婦、そして技師さんこと僕。で構成されている。
一人称なのになんだかよそよそしさを感じるのはこのせいか。
ちょっと不穏だけど、幻想的で落ち着いた雰囲気で進む物語。何かを暗示しているようで、いまいち掴みきれない世界。
なぜ殺人犯の容疑者に疑われつつ、僕は逃げ出せなかったのか(洗脳?)
顕微鏡を形見としなければならない理由は?(社会との隔絶?)
誰も訪れない沈黙の博物館の運営は?
少女もまた老婆に見出だされた、博物館のための後継者なのか?
連続殺人の犯人以外、分かりやすいところがなくてもやもやと考えた。
最後の書評で、ホロコーストのくだりを読んだら、急に今までの話が繋がるようで、見方が変わる。
もう一回読もうかな。 -
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小川さんの優しさや温かさにあふれたエッセイ集。
タイトルだけ見て借りたのだけど…なぜ表紙が犬のしっぽではないのか?というところに、大いなる疑問が残る。
愛犬ラブちゃん、阪神タイガース、ご家族、著書「博士の愛した数式」やアンネ・フランクへの追憶…テーマがまとまっているような、いないようなパートもあるんだけども、そのひとつひとつから小川さんの人となりが感じられる、優しい文章とお話。
祖父のお話の構成で、最後に「最近、死んだ人のことを思い出すことが多くなった」というような言い回し(うろ覚えでごめんなさい)を持ってくるところで、ものすごく切なさを誘われた。なんとなく、本文の冒頭や途中に出てくるのであれば何も感じなかったと思うのだけど、雲丹をなめてお相撲を見ている二人の背中を想像していた団欒がこの一文で締められることで自分も年を取ったなぁ、と突きつけられた気がしてしまって。
あと自信がないことに関してすごく自信がある、というお話にはすごく共感してしまった。私もメダル取れるかも、と思うけど、こんな謙虚で控えめな文章かけないからやはり小川さんの勝ちか。。。
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数に隠されている神秘と美しさ。その偉大な真理に向き合う芸術家ともいえる数学者たち。ひとつの作品を生み出すきっかけや、小説へのあふれる想い。少女時代の『アンネの日記』との出会いとその後のアウシュヴィッツへの旅。そして天真爛漫な飼い犬や大好きなタイガースのこと。日々の中の小さなできごとや出会いを、素晴らしい作品へと昇華していく小川洋子の魅力あふれる珠玉のエッセイ。 -
Posted by ブクログ
この静かで残酷な世界に浸りました。
新田さんと薫さんの完璧に閉じられた世界に入り込んだ瑠璃子さんの、感情をふたりにぶつける様は痛々しいものがありましたが、彼女を嫌いになれるはずがありませんでした。
皆、心に抱いた傷をこの森で癒していて、瑠璃子さんがただ少し早く癒されただけだと思いました。
新田さんと薫さんの日々が、これからもずっと永遠に続いていきそうだなとわたしも感じました。
お話の筋とは離れていると思いますが、カリグラフィーの先生の言葉が心に響きました。「それ、謙遜のつもり?自分の能力を低く見積もっておいた方が、あとで楽ですもんね。」「できないと思ったらできないの。できると思ったら何とかなるの。そう考えると世の中なんて単純よ。」
「やさしい訴え」を聴いてみましたが、綺麗な曲でした。チェンバロの音色は密やかで好きでした。