あらすじ
数に隠されている神秘と美しさ。その偉大な真理に向き合う芸術家ともいえる数学者たち。ひとつの作品を生み出すきっかけや、小説へのあふれる想い。少女時代の『アンネの日記』との出会いとその後のアウシュヴィッツへの旅。そして天真爛漫な飼い犬や大好きなタイガースのこと。日々の中の小さなできごとや出会いを、素晴らしい作品へと昇華していく小川洋子の魅力あふれる珠玉のエッセイ。
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『博士の愛した数式』に関連したエッセイが最初に10本も続く。
「数の不思議」の世界をもう一度感じることができた。
次のテーマは「書く」ということへの想いやこだわり、ワープロや机といった書くために必要な物の話題などが語られる。
そしてごく自然に「書く」行為を問い直すためのアンネ・フランクの足跡をたどる旅の話に繋がる。
小川洋子さんのアンネ・フランクへの想いが伝わってきた。
後半はこんな暮らしをして来たんだよ、という雑多な日常の出来事の思い出話になる。
犬(ラブラドールの子犬のラブちゃん)と野球(阪神タイガース)が重要な生活の一部になっている様子が微笑ましい。
「犬のしっぽを撫でながら」というタイトルなのに、犬の話はあまり多くないですが、犬を飼おうと思った理由が書かれていた。
阪神タイガースが好きになった理由も。
最後の章は、子供の頃を中心とした家族や近所のこと。
本にまつわる話もちょくちょく出てくる。
小川洋子さんは子供の頃のピュアな感性を大人になっても持ち続けている。
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阪神タイガース、38年ぶりの二度目の日本一。《 オ・メ・デ・ト・ウ 》
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『博士の愛した数式』の著者によるエッセイ。自身の執筆活動についてや、日常生活でのエピソード、また、アンネ・フランクへの想いもつづられている。
どんなことにインスパイアされて作品を生みだすのか、その礎となるものは何か…作家の裏話を聞いているようで、興味深かった。筆者のこれまでの作品の誕生秘話についても言及されるので、まだ読んでいない作品も読みたくなる。筆者のあたたかい人柄が感じられる1冊。
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エッセイ集。数学のこと、アンネ・フランクのこと、犬のこと、阪神タイガースのこと、そして小説を書くということについて述べられています。小説に対する真摯な姿勢が胸を打ちます。読むこちら側も背筋が伸びる思いです。しかしかと言って堅苦しくないのは、作者の持つ人柄と清楚な文章のおかげでしょうか。やはり小説を読むというのは、この上ない贅沢な悦びなのですよ。
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ゆっくりとした本が読みたくなってチョイスしました。
ずっと積読していたのですが。
アンネフランクにまつわるエッセイは
『アンネ・フランクの記憶』が蘇ってきて
涙腺がゆるみました。
とにかく静かで、壊れ物を扱うように
大切なものを取り出してくれるような文章であって、
その文体と相まって「失われたもの」が描かれるので、
どんな文章でも読んだ後に失くしたものを思って
泣きたくなります。
確か『アンネフランクの記憶』を読んだのは
大学4年の夏、恐山に行く最中で、
大湊線で…というところまで、こと細かに思いだせます。
緑なすススキ畑と海の中をひたすら電車が進んでいったなあという
時間とか情景とか、不思議な気持ちとかまでも含めてです。
作者も文中で読書の減少を嘆かれていますが、
読書の記憶というのは、自分の状況や場所の記憶とも相まる、
得難いものであるのになあと思います。
ただ、それが携帯ゲームでもいっかな同じといえば
同じ気もしますけれど。
○○旅行中に○○ダンジョン攻略したなあとか。
どうなんだろう…
ラブのお話はコミカルで面白かったですね^^
Posted by ブクログ
この人の書く、文章の表わすもののうつくしさには毎回頭が下がります。
日常の何気ない一瞬を、ほんとうにうつくしくうつくしく表現してあって、うつくしすぎて読みながら何度も涙ぐんでしまいました。
次は小説を読みたいです。
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本や雑誌の山をずっと見て見ぬふりをしている。という一文を小川洋子は、「増殖する乱雑さを、見ないことによって許容する能力は、人よりずっとすぐれている自信がある。」なんて表現する。
言葉をつなぎ合わせる能力、その表現力は圧倒的。彼女は言葉の魔法使いだ。
温かく美しい言葉たちがここにある。
Posted by ブクログ
一冊の本を読んで、この人の書いた本をもう一度読み返したい、それもすべて、なんて思える小説家は少ないのではないだろうか。やっぱり好きだなぁ、ぐらいで本を閉じることはあっても、そうそうこのかんじ、もっと味わっていたいのにもう終わってしまったものだから、別のあの世界にも飛び込みたい、と思えるような。小川洋子は自分にとってそういう小説家だ。
そもそも、わたしは好きな小説家のエッセイを読むことがほとんどない。好きではないのだ。エッセイストで小説も好き、ならばあるのだけれど、好きな小説家のエッセイを読むと、だいたいがっかりしてしまう。そして、ああこの人の書いた小説が読みたいのに、と思うのだ。だから、小説家は小説を書く才能の持ち主であって、エッセイを書く才能の持ち主ではないのだ、それを知れ、といいたくなる。しかし、小川洋子はそういう思いに駆られないほぼ唯一の作家である。書くこと、アンネ日記をめぐる旅のその後、そして日々のつれづれが書かれたこのエッセイも、やはりそうだった。小説を読んだときと同じような充足感があり、ああ、これこれ、と思うことができた。
その理由は、おそらく小川洋子が小説と同じ真摯な語り口調で、しかも自分を誇示しない書き方をしているせいだろう。日常が何かの記憶や想像と結びついていて、しかもそれはまるで彼女の描き出す小説と同じような世界観で目の前によみがえるのだ。わたしはこう考えている、わたしはこんな人物ですよ、とまるで自分の日常や考えがいかに特別であるかを誇張することはない。たぶん、小川洋子という作家は、日常的に彼女が描き出すようなファンタジーの中を生きているのだろう。全身小説家、という映画があったけれど、小川洋子はその言葉がふさわしい小説家なのだ。(夢)
Posted by ブクログ
作品はいくつか読んだことのある小川洋子さんですが、
小川さんのエッセイは始めて読みました。
小川さんの作品に流れる静かな哀しさや寂しさの源流はここにあるのか、と思わせるものもあれば、
かなり熱心な阪神ファンとのことで、野球にまつわるあれこれまで様々なところで書かれたエッセイを一冊にまとめたもの作品のようです。
『博士の愛した数式』にまつわるエッセイはとても興味深かったです。数字と人間の対比。美しく永遠に続く数字と弱くて物語なくしては生きていけない有限の人間の生。
日常のお話では、資料となる雑誌や書物の整理に関するお話に共感。(私も人よりは「増殖する乱雑さ」に対する耐性はあると自負しています。つまり部屋が汚い)
小川さんの美術館の監視員さんに対する考え方が「思慮深い5歳児」のようで面白かった。確かに、彼ら・彼女らを見ると「お元気ですか?」と話しかけてみたい衝動に駆られるほど、人形のようにスッと座ってらっしゃる方もいますもんね笑
作品や展示について質問がある場合は、彼らに尋ねると奥にいる学芸員さんを呼んでもらえることもあるので、私は質問があるときは話しかることもあります。
この本の中ほどは『アンネ日記』にまつわるお話です。小川さんが実際にアンネゆかりの地へ訪ねて行った際のことが書かれています。
「死を受け入れるために、人は物語を必要とする。」
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読むといつもふふっとなる。
悲しくなると何故涙がでるのかという話で小川洋子さんってすごく精神的に純粋だなぁということと
子供の頃の感覚を失わないまま大人になった人なのかなと思った。読んでいるととても落ち着く。
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今まで読んだエッセイにもラブちゃんが登場するのですが、これを読むと何故、犬を飼おうと思ったかがわかります。その理由がまた親近感を感じてしまいました。それから、ラブちゃんと初めての散歩や、もし小川洋子さんがサッカー選手や水泳の選手だったらって話がとても面白くて、私の頭の中ではギャグマンガ風の動画が再生されているような気分でした。
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小川洋子さんのエッセイ集を読んだのは、『とにかく散歩いたしましょう』と『カラーひよことコーヒー豆』に続いて3冊目。3冊の中でもこの本は、他の2冊に比べて小川さんの熱量がかなり高かったように感じました。
内容が『博士の愛した数式』に関連したことや、小川洋子さんの愛する『アンネの日記』を巡る旅のことであったりと、特に思い入れの強い事柄について書かれていたからだと思います。
いつものエッセイでは限りなく控え目で、街行く人々の人生に物陰からこっそり拍手を送っているような小川さんの熱に触れることが出来たような気がしました。
でもやっぱり、本の最後に納められた「自信満々の人」という話では、
-自分に自信がないことに関しては、私は大いなる自信を持っている。自信のなさを競う世界選手権があったとしたら、必ずメダルを獲得できる自信がある。-
というお洒落な文章で小川さんらしさが全開になっていました。優しくて、本人曰く色々間違えることが多くて心配性で、繊細で豊かな創造力を持つ小川さんが、作家さんになってくださって本当に良かったなあと思える本でした。
Posted by ブクログ
本当に染み渡る文章である。
特に「書く」ことについて書かれている部分が本当によい。
そして数学についての経験と考察は共感できる部分や体験がかぶるところもあった。
『博士の愛した数式』を読み返そうと決意。
たぶん最初よりずっとずっと楽しめるはず。
特に博士の自己紹介の場面や江夏の背番号など、発想がすさまじい、常人ではない。
なのにさらりと書いているところがすごい。
感動してしまった。
そして熱狂的阪神ファンである小川さんが執筆当時の阪神ネタを書いていて、
そのとき能見のルーキーイヤー。
まだいまひとつ、だったようだけど、阪神を背負って立つ選手と書いている、ご慧眼。
阪神からアンネフランクまで、小川洋子の脳みそのかけらを感じることが出来た、幸せ。
Posted by ブクログ
「博士」と「アンネ・フランク」を中心とした、作品のバックステージ的なエッセイ。岡山の話や阪神タイガースの話が強烈で、ますます共感を覚える。小川作品は"熱狂的"から遠い作風の様ながら、ワタシの様に熱いファンが多いような気がします。ところで、エッセイと随筆の違いって、何だっけ。
Posted by ブクログ
面白かった。『博士の〜』の裏話とか日常とか。
この人は本当に真摯に作家活動を続けているのだなぁと感じる一冊です。
中学生の時に苦しくなって読むのを中断した『アンネの日記』を読みたくなりました。
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数学についてのエッセイから始まるこの本、最初は読んでいても<???>でしたが、数学の章を抜け出したあたりから、どんどこ面白くなりました。 小川さんの作品をカタチ作っているキラキラの粒子がつまったような一冊です。
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彼女の死生観や、数学者と小説家に対する関係性の考え方は凄く好きです。あと、空間の捉え方。息づかい。不思議な空間の世界を描いているのにその中を生きる人物を包む現実感の秘密が、少し分かった様な気もします。この死生観については高校時代の模試で出て来た「欧米人と日本人の死生観の違い」といった内容の論文をすごくその考え方の綺麗さに感動しながら、文章を読んでいた事を思い出した。(また読みたいけど、何の論文だったか忘れてしまった。)もう一つ、この本の好きな所は解説です。一つ一つに対して解説している人が愛を持ってこの本を読んでいる事が分かって凄く好感が持てました。やっぱり大好きです。
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アンネ・フランクへの旅、の数篇は、実際に現地へ赴き、目にしたもの感じたものを実直に描かれており心に響いた。
同じユダヤ人でも、列車に乗せられ殺された者もいれば助かった者もいる。
生き延びた人達は本来有難く、喜ぶはずだが、なぜ自分は生き残ったのか、と疑問を抱き、自身が獲得した 生 を後悔し憎むようになる。生きながらも自分自身を責めている。これは辛い。
これが戦争、ひいては虐殺の後遺症ではないか。
人間らしい感情、価値観を混乱させ、後々の人生にも甚大な悪影響を及ぼす。
甲子園球場や列車など、沢山の席がある場所で、混乱せず皆自分の席に座れるのは、「数字」があるからだ。
→この考え方は斬新だ。 そしてとても納得出来た。 数字は物事を管理し統制するためには合理的かつ適当である。
暑い日に 「暑い!」と、分かっていることをなぜわざわざ口に出すのか。
そうだ、人間は言葉を知っているからだ。
言葉はマイナスの感情と相性が良いから、口から一緒にイライラや不機嫌さが撒き散らされる。
この表現も言い得て妙だ。
本当に、なぜ暑いとか、ムカつくとか、良くないイメージのことは簡単に口から出してしまうのだろう。
幸福なことや前向きなことがもっと言葉として身辺を彩れば、日常は明るく楽しいものになるであろうに。
Posted by ブクログ
エッセイをあまり読んでこなかった私。
小川洋子さんの作品もいくつかしか読んだことがないのだけれど、『作品』じゃなくて『作家その人』が好きになるってあんまりなかった体験。
着飾らなくて、なんだかぬけてて、なんて自信のない方なんだ…!と驚いたりしながら楽しく読めました。
これは日記か?というような文章もあったりして、こんな小川さんがちょっとダークな世界を描いたりしてるのかと思うと、作家さんってすごいな…と改めて感じたりしました。
Posted by ブクログ
小川さんの優しさや温かさにあふれたエッセイ集。
タイトルだけ見て借りたのだけど…なぜ表紙が犬のしっぽではないのか?というところに、大いなる疑問が残る。
愛犬ラブちゃん、阪神タイガース、ご家族、著書「博士の愛した数式」やアンネ・フランクへの追憶…テーマがまとまっているような、いないようなパートもあるんだけども、そのひとつひとつから小川さんの人となりが感じられる、優しい文章とお話。
祖父のお話の構成で、最後に「最近、死んだ人のことを思い出すことが多くなった」というような言い回し(うろ覚えでごめんなさい)を持ってくるところで、ものすごく切なさを誘われた。なんとなく、本文の冒頭や途中に出てくるのであれば何も感じなかったと思うのだけど、雲丹をなめてお相撲を見ている二人の背中を想像していた団欒がこの一文で締められることで自分も年を取ったなぁ、と突きつけられた気がしてしまって。
あと自信がないことに関してすごく自信がある、というお話にはすごく共感してしまった。私もメダル取れるかも、と思うけど、こんな謙虚で控えめな文章かけないからやはり小川さんの勝ちか。。。
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数に隠されている神秘と美しさ。その偉大な真理に向き合う芸術家ともいえる数学者たち。ひとつの作品を生み出すきっかけや、小説へのあふれる想い。少女時代の『アンネの日記』との出会いとその後のアウシュヴィッツへの旅。そして天真爛漫な飼い犬や大好きなタイガースのこと。日々の中の小さなできごとや出会いを、素晴らしい作品へと昇華していく小川洋子の魅力あふれる珠玉のエッセイ。
Posted by ブクログ
へえ~こういう人だったのか。意外!
お母さんだったり、野球が好きだったり、思いのほか普通。
あ!博士の愛した数式の設定そのままか。そうかそうか。
Posted by ブクログ
私は理系ですが、数学の法則に美しさを見出して感動するのは、私のような凡人理系ではなく、一部の数学者か小川洋子さんのような文系なんだなと思いました。
数式を見て美しいと思ったことはなかったので。
ただ、楽しいとは思っていました。
「美しい」であれ「楽しい」であれ、数学に対してプラスの感情を引き起こさせてくれる本は素敵だと思います。理系と文系が歩み寄れる場所。
Posted by ブクログ
小川洋子らしいムードは漂う。
けれども、いかにもエッセイとしては作りが弱い。
エッセイとは個人的な体験を
その特権性でもって世界を切りだす彫刻刀にしてしまうものだが、
彼女はここでも小説と同じように水を汲み、
水甕からこぼしながら運んでいく。
いつもなら、それがゆっくりと蒸発する時に
大きな図形ともなるだろうが
このくらいの小品となると、ただそれが現れている、というだけだ。
もちろん、それが彼女の手渡したかったものであるにしても。