小川洋子のレビュー一覧
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『今初めて、自分の顔がこんなふうだったと知ったかのような気分を味わう。園児たちの鏡に、私の姿が上手い具合にちょうど収まっている』
小川洋子は「喪失」ということに拘っている作家だと思う。何かが決定的に失われてしまった世界を描いていると言ってもよい。そして、いつもその失われたものは、直接的には描かれない。読者に訴えかけられるものは喪失を味わった人の気持ちだけ。そのことを覚えていようとする者たちの決心だけだ。
それともう一つ、小川洋子は「子供」という存在にも強い思い入れがあるように思う。小川洋子の描く子供は大抵思慮深く大人びている。「博士の愛した数式」でも「猫を抱いて象と泳ぐ」でも「琥珀のまたた -
Posted by ブクログ
素晴らしかったです。
本書はフォロアーさんからのおすすめだったのですが。
はい。大好きです。もう、大満足でした。
小川洋子さんの本はまだ4冊目ですが、もう大ファンになってしまいました。
この儚げな描写。全てがごくごく薄い鶯色のベールに包まれたような静寂。一人称の「わたし」で綴られる出来事のかずかず。
耳を病み、夫の不義を知って夫との別れを決意した「わたし」。そんな「わたし」の前に現れた速記者Y。Yの紡ぎ出す暗号の様な速記字とその独特の指に惹かれた「わたし」は…。
読むにつれ、『現実』と『過去』と『妄想』と『想像』が少しずつ区別できなくなっていく浮遊感。
どこかでこの感触は感じたこ -
Posted by ブクログ
小川洋子が、数々の体験を日記という形で表現する不思議な雰囲気の小説。
宇宙線研究所の見学の後、F市の旅館の近くで不思議な苔料理を食べる。盆栽祭を見に行って、チャボを見る。近所の運動会に紛れ込み、父兄でもないのに観戦する。現代アートの祭典を見に行き、バスの集合時間に集まれなかったメンバーがひとりひとり消えていく…。
てっきり本気の日記でエッセイだと思いこんで読み始めたが(相変わらずあらすじは読まずに読み始めるのである)、旅館に向かうタクシーの辺りで気がついた。これは偽日記だ。そもそも「宇宙線研究所」って何だ?
小川洋子らしく、妙な生物のディテイルなどが細かく書かれているが、ドウケツエビなど -
Posted by ブクログ
数冊読んだことがあって、基本的には好きな小説家の手による書評集。とはいえ、最初から書評という形を取られていたものではなく、ラジオで話したものの字起こしってことだから、ちょっとニュアンスが異なる。ラジオで流れるってことは、読書家ってよりはもう少し一般寄りの相手が対象となる訳で、それもあってか、選ばれている作品も有名どころが占めることになっている。ブックガイド好きで、それらをよく読む目からすれば、既知・既読作品の割合が高い。かといって、刺激のない退屈な読み物となっていないのは、本書のリーダビリティの高さによるところも大きい。ラジオで話している内容だけに、伝わりにくい言葉は含まれないし、時間制限のあ