梨木香歩のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
梨木香歩さんの書評集。
2002年から2021年にかけて書かれたもの。
最初の方、なんとなく既視感(既読感?)があった。
リンドバーグの『海からの贈り物』があったせいか?
ヨーロッパ文学への素養を感じられるから?
須賀敦子さんの『遠い朝の本たち』が頭に浮かんだせいもあるかも。
しかし、読み進めていくと、やはり梨木さんの本だと認識されてくる。
まず、ナチュラリストなところ。
(神沢利子がサハリンにつながる人だとは今回初めて知る。)
片山廣子(文学者としては松村みね子)や金子文子といった、大正・昭和の女性たちに心を寄せているところ。
片山廣子については、芥川龍之介の「越びと」で知っていたが、彼女の人となりまでは知らなかった。
晩年、生活に困窮する中病にかかったとき、「お金やお花を下さるんなら、まっぴらお断りしますよ。お菓子ならいただいてもいいけど。」という言葉を残したというエピソードがいい。
児童文学についての見解も読みどころの一つ。
梨木さんの文章の特徴だと私が勝手に思っていることとして、最後の一段落、最後の一行が水際立って印象的なことだ。
一番好きなものは、巻末に置かれた「蛇の末娘」の末文。
素敵な終わり方なので、書き残しておく。
創る者も読む者も、人は人生のそのときどき、大小様々な物語に付き添われ、支えられながら一生をまっとうする。(p351)
自分の中で優れた書評の条件は決まっている。
私に「読みたい」と思わせ、本を手に取る行動に駆り立てるものだ。
実際、本書を読みながら、以下の本を手に取った。
・塩野米松『失われた手仕事の思想』
・安東みきえ『頭のうちどころが悪かった熊の話』
・ガルシア=マルケス『百年の孤独』
・佐藤さとる『だれも知らない小さな国』
手に取ることができれば、読んでみたいものは他にもあるが…
その意味で、本書は間違いなく「優れた書評」だ。 -
Posted by ブクログ
仲良し八人組の友達で、
本の交換を年始に行いまして。
(それも受け取る瞬間は誰のものかシークレットで!)
こちらは二冊送ってくれた友達からの一冊。
「どんな心の傷でも、もはやこうなると、それを待ってることは宝になった」
「傷は育てていかねばならん」
きっと今読んだから、響いた事。
歳を重ねるにつれて、
どんな姿が自分だろう?
どうやったら自分を出せるだろう?を考える。
傷を恐れず、わたしもテルミちゃんみたいに一皮剥けるだろうか。
ファンタジーの色濃い本作。
明言するシーンがあまりなく、曖昧でぼんやり
筆づかいからして不思議な国に迷い込んだような世界観。
ありがとう! -
Posted by ブクログ
ネタバレ難解そうで積読になってたけど意外に引き込まれて一気読み。島に伝わる伝承や民間信仰、地名の変遷あたりは個人的に興味大。とくに地名は同じ音でも本来の意味とは別の漢字を当てたり、歴史がくだるにつれ変わったりするのが面白かった。
南九州の“遅島”という架空の島が舞台。そこへ人文地理学の研究者がフィールドワークへ向かい、遅島の地理や植生、家の構造、そして修験道の寺院遺構などを巡る。
かつて修験道の島として栄えた遅島だが神仏分離〜廃仏毀釈の影響をじかに受けた結果、当時の様子を想起させるようなものはほとんど残されていない。現地でそれを目の当たりにした主人公はそれを諸行無常ではとらえきれない、これが色即是空かと思う。
主人公が50年後に再びこの島を訪れてその変貌ぶりを目の当たりにする場面は、彼の老いた姿も相まって苦しい。けれど苦しいままで終わらない。移り変わっていく。“喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった。”と。
読み終えて、“海うそ”とは結局なんだったのだろうと考える時間があった。全体を掴み切れたかというと難しく最後まで読んでもはっきりとした答えがない部分もある。その曖昧さをどう受け止めるか、という感じ。★4〜5の間くらい。 -
Posted by ブクログ
『西の魔女が死んだ』の梨木香歩氏が手がけた児童文学。
場所は、マッドガイド・ウォーターと呼ばれる、どこかにある湖沼地帯。
学校教師の主人公が、ある日湖のほとりで出会った、ヤービと呼ばれる不思議な生き物のお話。
普段なんとは無しに周囲に存在している世界の中に、ふと突然、小人のような存在が暮らす世界への扉が開かれ、いままで見えてなかった世界に迷い込む。
子供の時分にもしかしたら妄想したことがあるかもしれない、そんな不思議な体験記の体裁を取っている。
ヤービたちの日々は、大いなる自然の中で自然とともに慎ましやかに、でも工夫に満ちた生活である。
彼らから見た自然は、大いなる未知をはらんだ世界であり、しかもその中でも子どもであるヤービにとっては、その生活は発見と驚きに満ちている。
ヤービが新たに発見し、帳面に記していく過程は、恐らく子どもにとっては幼児期の日々の追体験にもなっている。
人間では体験できないような、ミクロの、でも雄大な世界。そんな彼らの生活の背景にも、「環境の変化」を感じさせる兆候が見え隠れする。読者はおとぎ話のなかに人間の存在を確かに感じ取り、それがこの世界にリアリティを与えている。
何か目立った事件が起こるでもない。
素直で素朴な登場人物たちの間にこれといったスペクタクルが生じるわけでもない。
でも、本当に隣にヤービがいて、今日あった出来事を話してくれているかのように、その楽しげな語りに自然と耳を傾けてしまう。
そんな一冊。 -
Posted by ブクログ
著者いわく、「専門的な知識もないまま、好きが高じて書き綴った「地名を巡る」小文」で成る、「鳥と雲と薬草袋」と「風と双眼鏡、膝掛け毛布」の二冊を一冊の文庫本にした本書。同じテーマを一気に読めてファンとしては嬉しい限りです。前者の目次を数えると49の地名について書き綴られているようで、後者はそれ以上でした。二冊のタイトルがなんとなく似ていることにも納得しました。
梨木香歩さんといえば、鳥、カヤック(と水辺)、草花、神話などにお詳しいと踏んでいます。が、地名にもこんなにお詳しいとは。そしてこんなにも日本各地に足を運んでおられるとは。しかし、「家守綺譚」の続編である「冬虫夏草」なんかを思い出してみると、本書にあるように足を運んでその土地を知ろうとする梨木さんは容易に想像できます。いつものことながら、その知的な好奇心というよりもっとなんというか、知ろうと、知らなければ、とそれ(今回だと地名)に寄り添う姿勢に深く感心いたしました。
「通る人がなくなると、道は消える」「歩かねば」と何か使命感にかられているのかと思いきや、謎が解けなかった地名については想像や考えにとどめ、そういう謎があってもよいとする軽やかさが心地よかったです。
地名や地形に思いをはせながら、例えば、「岬」について次のように綴っています。
「さきへ、さきへと岬の先端まで辿り着いて、鳥ならば飛べもしよう、魚ならば泳ぎもできよう、けれど人は、そこからどこを目指すのか。岬に辿り着いた人は、一様にしばらく声もなく呆然と海の彼方を眺める。
さあ、ここまでだよ、と限界を知らされることは、人にとって救いではないだろうかと、行き過ぎた文明の末路が目の前につらつくようになったここ最近、特に思う。もうここから先は行けないのだ、と悟ることは、もうここから先に行かなくてもいいのだ、という安堵にすり替わる。」
こういう思考がいかにも梨木さんらしくて「あぁ、また、なんという思考を・・・」と思うと同時に、はっとさせられるものがありました。
地名の由来を探り、その土地のかつての姿を自分の中に映し出そうとする中で、その土地に縁のある人物についての説明もたくさん出てきました。その博識さに感服ですが、私は沖縄の東風平(「こちんだ」と読むそう)で生まれ、今でいうパラハラに苦しんだ民権運動家(沖縄県史上初の方だそう)謝花昇(じゃはなのぼる)と、アイヌのところで出てきた、仙台藩出身で、脱藩後紀行家とでもいうべく世界に出ては、記録をつけたという玉蟲左太夫(たまむしさだゆう)の2人が印象に残りました。歴史に「もしも」はないけれど、「もしも」もっと長生きしていたら・・・と思いをはせました。つくづく、誰もが知っているような歴史上の人物ではなくても、聡明だったり、政治手腕が優れていたりして世の役にたち、重要な痕跡を残した人は、知らないだけでたくさんいるんだと思わされました。