あらすじ
19世紀末の土耳古(トルコ)、スタンブール。留学生の村田は、独逸(ドイツ)人のオットー、希臘(ギリシア)人のディミィトリスと共に英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく――。色褪せない友情と戻らない青春が刻まれた、愛おしく痛切なメモワール。
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Posted by ブクログ
昔は面白さが分からず、読み進められなかった本。文章から立ち現れてくる土地の空気感、人々の息遣い、土壁や動物や食物の手触り感が、あまりにもリアルに、まるで私自身の五感が刺激を受け取っているように感じられた。神は、人間とはありようの異なる存在、ただそれだけ、と言う霊媒師ハリエットの説明が不思議と腑に落ちた。
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めちゃくちゃよかった……
読み終えた後、ゆっくりもう一周噛み締めて読んだ。
トルコへ留学していた考古学者の村田と、下宿先で出会ったいろんなものの友情(あえてこの言い方をさせてもらう)の、物語。
ずっと不穏な空気は流れていたのだけれど、前半と後半の対比があまりに鮮やかで後半はほろりと。鸚鵡〜〜。そこで「友よ!」はないてしまう。
過去があるから現在があって、過去は、想いはモノに宿るのかもしれない。
戦争も革命も苦しいけれど、国を憎まず、それぞれの信じるものをもち、友情をもつことはできる。
「家守綺譚」と世界が共有されているようなのでそちらもすぐ読む
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「家守綺譚」の姉妹編。
「家守綺譚」に出てきた村田氏が主人公の一冊です。
梨木氏の小説はどれもそうなのだけど、淡々とした語り口なのに、気づけば止まらずに読み切ってしまう魅力と力強さがあって、この作品もそうした小説の一つです。
世の中がだんだん焦臭くなってきている今だからこそ、心により強く響いた作品でした。
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家守綺譚からの繋がりでトルコ滞在中の村田視点。
やっぱり不思議なことが起こる。
このシリーズ手元に置きたいくらい好み。
ゴローが息災なだけで満足だし、ラストの鸚鵡の一声には村田と一緒に泣いた。
Posted by ブクログ
何か特別派手なことが起こるわけではないのだけれど、人種も国籍も宗教もちがう登場人物達が織り成す物語の言葉のひとつひとつが胸にささる。
トルコがまだオスマン帝国の時代、第一次世界大戦が始まる前の時代に、バックグラウンドが違う人達が一緒に暮らすのは、現代の何倍もの苦労があったのだろうと思う。
その中で完全にお互いのことが理解できるわけではないけれども、お互いの文化を尊重しあって生活する登場人物たちはすごく素敵だと思うし、私もそうありたいと思った。
ディミストリが言うように、私たちは人間で、およそ人間に関わることで、私たちに無縁なことは一つもないのだから。
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先に梨木さんの「家守綺譚」を読んでいた。少し昔の日本家屋での、穏やかな日常を描いた作品だったので、本作とは全く別物と思っていたら、一部、同じ登場人物が描かれていて、その繋がりは嬉しい驚きだった。
本作は、イスタンブールを旅しているような気分に浸れるもの、を求めて手に取り、まさにそんな期待に応えてくれる作品だった。そして最後には、「歴史、人々の暮らし、国家のありよう」を問う、胸に迫る結末が待っていた。
私は世界史に触れる時、『各時代、各地域、そこで暮らす様々な身分の人たちの生活や心情を、自分の中で再現する』ことを心掛けており、その姿勢は、作者があとがきに書いた執筆姿勢と共鳴するものでもあって、それも嬉しい共感だった。
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温かくて、少し不思議で、切ない物語だった。
どこか海外の翻訳本や明治の文豪の作品を思わせるあまり砕けていない文体が好きだった。
私のお気に入りである、筒井康隆の『旅のラゴス』と少し似ていた。
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不思議な下宿。魅惑の異文化。かけがえのない友人たち。
留学生・村田がトルコで過ごした青春の日々。
19世紀末のトルコ、スタンブール。留学生の村田は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミィトリスと共に英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく――。色褪せない友情と戻らない青春が刻まれた、愛おしく痛切なメモワール。
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〈再登録〉「家守綺譚」でも触れられていた綿貫の友人・村田のトルコ滞在記。エフェンディ(学士)として過ごす村田から見た異国でのかけがえのない日々の記録。
奇妙な出来事に遭遇しながらも、国も宗教も違う人々と理解し合っていく村田。彼らとのやり取りが面白かっただけに、その後の世界状況の中、それぞれの運命を生きざるを得なかったのが悲しい。ムハンマドに拾われた生意気なオウムに楽しませてもらいました。このオウムが後に感動的な展開へと導きます。
百年前の架空の滞在記がこんなにも何かを訴えかけるのは、歴史の陰できっとこんな若者達が存在していたからだと思います。
Posted by ブクログ
――
大満足の222頁。
久し振りに溢れるように泣いた…西武新宿線の車内でね。ええ。
自分は世界を知らないなぁ、と思いながらも頑張って読む。もっと真面目に世界史に取り組んでおけばよかった、って後悔は何度も何度もしています。これからもしていくことでしょう。勉強しろって? いやぁ…ねぇ?
19世紀末のトルコを舞台に、日本人留学生村田の日常を…と思いきや、中盤から物語は飛翔し、民俗学的な怪しさを孕みながら戦争を、理不尽を、その中で確かに息をするひととひととのつながりを、悲しく描き出してゆく。その波に心地よく揺られ、揺らされ…痺れるような若々しい痛みが芯に残る。
巧い。前半の瑞々しさはまさに青春のそれで、羽毛のような軽々しいユーモアが中東の空気を嗅がせてくれる。村田の帰国後は対照的に、じっとりと沈む物語を超えて、前半の煌めきが眩しすぎてもう、涙無しには。
2007年に刊行された小説が、あとがきにもあるように、2001年のパラダイムシフトを受けて書かれたそれが、より現実的に身に迫る刃になるというのは危機的な状況ではあろうけれど…いま読まれるべきだな、とは感じた。良い仕事です。
示唆に富むことばは沢山あった。
どうかこの小説も、純粋に小説として楽しめる日々を迎えられるように。
☆4.8
Posted by ブクログ
異文化交流とか異文化理解と言うと大袈裟なわりに浅薄な感じになってしまう。異国の人(に限らず他者)と関係を築くことは肩肘張るような特別なことではなく日常の延長なんだと感じた。国籍を越えたおつきあいの場合は、〇〇人という認識も必要ではあろうけど、その上で〇〇さんというように個として理解することが、あたりまえだけど大事だなと改めて実感した。
その一方で、特に国際情勢が緊張感を増している時は国という概念は否が応でもつきまとうということも考えさせられる。いくら個人間で強いつながりを築いていても国同士の関係が悪化している場合は個人間の絆が断ち切られたり、時には不本意ながら殺しあうことになる可能性も生じてしまう。正に物語の終わりで村田が言っているように、国って何なんだろうというのは難しい問題だと思った。
自己と他者とか、他者との心地よい距離感とか、自己が属するコミュニティ(国)とかを考えさせられる点で、いつもの梨木さんらしい深いテーマの小説だと感じた。最後の章は胸に迫るものがあり二度読んだ。
余談だけど、コテンラジオで学んできたもろもろ(ギリシャ、ペルシア、ローマ、ビザンツ、オスマン、ヨーロッパ各国、と日本の維新とか日清日露戦争とか)の歴史の知識と結びつけながら読めたので、再読だけど登場人物たちの心の機微がイメージできて以前読んだ時よりかなり味わい深く読めた気がした。
Posted by ブクログ
読んだのは5回目くらい?大好きな本。
わたし的には、「THE 青春」なお話。村田みたいな感性を持って、村田みたいな友との出会いをして、村田みたいに得難い経験ができたらって、人生後半の真ん中くらいになった今でも思ってしまう。
鸚鵡の「友よ。」で毎回落涙。
そしてラストの村田の慟哭は、今日現在の世界情勢そのものにも通じる。
今また読んでおいてよかった。
Posted by ブクログ
1899年とあるので、まだ世界大戦前の、村田先生の土耳古(トルコ)滞在記。
村田先生は『家守綺譚』や『冬虫夏草』でも名前があがっていた、綿貫の友人。
エフェンディは、昔トルコで用いた学者・上流階級の人に対する尊称とのこと。
当然だけど、語り手が変わることで前2作とは少し趣が違う。
村田はトルコに居て、世界情勢が綿貫よりも見えているわけだし。
著者の梨木さんは当時のトルコ、スタンブール(イスタンブール)の様子について丁寧に描かれている。
時代的にも首都がアンカラに制定される前なので、イスタンブールは多くの人種でごった返し、栄えている。
その殆どがイスラム教徒だ。
そんなわけで、前半はトルコの様子や、人々との交流、村田の専門である考古学まわりの話。
鸚鵡が登場するシーンは毎回ユーモラス。
絶妙のタイミングで「It's enough !」と叫ぶのも憎めない可愛らしさ。
(このIt's enough !が、のちに読者の目を潤ませる)
それから様々な神様たち。
日本に居る綿貫の周りでは竜神や稲荷、河童や天狗、草花の聖霊たちが沢山登場した。
そしてトルコでもワールドワイドに不思議なことが起こる。
村田の下宿先は、どこの何とも判別できずに収蔵場所にも入りきれない、遺跡の寄せ集めが建築資材となった建物。
その為か、牡牛の角が埋められていて漆喰の壁が光るのだ。(この辺りが不思議な出来事)
そこに綿貫が木下氏から貰った稲荷(キツネ)の根付け、清水氏から頼まれたアヌビス神(山犬)が加わって、
神々はドタバタと大騒ぎになる。
「神も生まれ、進化し、また変容してゆくのです。その共同体の必要に応じて。そしてその社会が滅びたとき、その神も共に滅びるのです。神というのは祈る人間があってこその存在、つまり関係性の産物ですから。」
オットーのこの台詞が、不思議と心に響いた。
日本は、別の種族に追いやられて元の種族や信仰が滅んだりしたことはないのだなぁと、改めて思う。
トルコは古くから栄えていたけれど、古代ギリシャやオスマン帝国が興亡を繰り広げた場所でもある。
日本の王の交代(正しくは大政奉還で王の交代ではないけど)が平和的であったことを驚かれるシーンもあった。
これについても世界的には珍しいことなんだろうな。
普通、王が変わるだなんてクーデターや革命だもの。
少し前の時代設定といえど、トルコの様子や、世界から見た日本・日本人を、考えさせられるシーンが他にも多々あった。
例えば雪合戦から発展したオットーの話。
学生の頃、反目し合っていた隣町の高校生から雪玉を投げつけられた。
挨拶としては手荒だが、崩れた雪玉の中から人数分のキャンディーが出てきたという。
村田は「いい話だなぁ」と感嘆するが、ディミトリアスは
「そう単純ではないよ。投げられた雪玉にはやっぱり攻撃性があるんだ」
と発言する。
そしてオットー本人も、
「文化的な"したたかさ"みたいなものだ。……………泥臭い土着の知恵のようなものだ。戦略的、とでもいうか。」
と語る。
オットーはドイツ人でキリスト教徒だ。
一方ディミトリアスはギリシャ人でキリスト教徒だが、その教派はギリシャ正教。
そして村田はというと日本人であり仏教徒ということになるが、多くの日本人がそうであるように、お経も知らず、仏陀の誕生日もうろ覚え。
二人の言葉を聞いたうえでやはり村田先生は
「いや、やはりいい話だ。僕は雪玉の中にあめ玉が仕込まれていた経験など全くない。うらやましい限りだ。」
と返す。
「自分で言いながら、おめでたさに呆れてしまう」と心の中で思いながら。
この場面は、敬虔なクリスチャンであるディクソン婦人の
「男って、本当にどうしようもないわ!」
で幕引きとなるのだが。
オットー、ディクソン夫人、ディミトリアス、ムハンマド(ちなみに彼はイスラム教徒)、その他の面々…ルーツは違えど、皆、信念を持った心優しき人たちだ。
だが後半から、世の情勢が不穏になってゆく。
トルコを後にする村田先生は最後に、壁の中の神々の行く末を相談し、火の神とキツネの神を日本国へと連れて帰ることになる。
火の神(サラマンドラ=赤竜)とキツネの神(稲荷)については、前2作とここで繋がってゆくんだね。
その夜の村田先生の夢での台詞。
きっとこのトルコ滞在で村田が手にした考えなのだろうな。
「……………殺戮には及ばぬのだ、亜細亜と希臘世界を繋げたいと思ったのだろうが、もう既に最初から繋がっているのだ、……………」
帰国後の村田にはディミトリアスの言葉がよみがえる。
「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは1つもない…。」
切ない話だった。
著者の梨木さんが時間をかけて丁寧に、当時のトルコの様子や登場人物を描いた分だけ、その気持ちは大きくなった。
ディクソン夫人は母国イギリスに帰国することとなる。
だが第一次世界大戦は、イギリスや大日本帝国は連合国であるけれど、トルコ(オスマン帝国)やドイツなどの中央同盟国とは敵対している。
村田が滞在中に過ごしたあの日々は、もう戻ってこないのだ。
「私の スタンブール
私の 青春の日々
これは私の 芯なる物語」
あとがきも必読。
Posted by ブクログ
「冬虫夏草」を読んでサラマンドラ(赤竜)と稲荷の関係が解らずにいたのですが本作を読んで合点がいきました。
てか順番的には『家守奇譚』『村田エフェンディ滞土録』『冬虫夏草』なのかなぁって思いました。
トルコに留学した村田氏の見聞録になりますがこれは東西の異文化が混在してごった煮のような味がでてました。混じりあった体臭が独特。
宿舎の女主人はイギリス人、使用人のムハンマド、下宿人は村田氏の他にドイツ人とギリシャ人、宗教は、キリスト教にイスラム教、仏教にギリシャ正教とある。ギリシャ正教がなんなのかよく解らなかったのですがキリスト教の分派みたいです。
あっ最後にオウム、(真理教じゃないですw)
ムハンマドが通りで拾ってきたオウムなんですがこの子がいい味出してました。都合のいい解釈で拾ってきたのですがオウムって結構長生きなんですね。ググったら80年位生きるとかっw
飼主の寿命がきて相続人が不用に思い捨てたとゆう説も説得力ありますね。かなり人間嫌いな学者に飼われていたようで
「悪い物を喰っただろう」「友よ」「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったな」「失敗だ」の5つの語彙しか持ってないのですが適宜使いこなしてるところが凄いとゆうか、「めし」「寝る」「風呂」の3つしか使わない昭和の亭主族よりもよっぽど賢いと思いました。そして、みんなのまとめ役のように見えてきて楽しめました。
村田氏の部屋の壁に何か強い力のものが埋まってるとか、遺跡の採掘場から出てくる石板とかを建築資材に利用してるとか書いてありましたが、私はカッパドキアのような洞窟都市を想像してました。カッパだけにっw
まっそんな部屋でキツネとか犬が暴れだすとか飛抜けて面白かった。
パーティでは日本の大政奉還について関心がられたり、
裏では着々と革命に向けて暗躍してたりと目まぐるしいなか
オウムが覚えた新しい言葉
「もういいだろう」
「何時だと思っているのだ、静かにしろ」
見透かされてるかのように叫んでいたのが印象的でした。
そして、最後はジーンと来たので★5にしました。
エンディング曲には庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」を口ずさんでしまったっw
Posted by ブクログ
国や宗教が違う人たちがどうしたら分かりあえるのか、分かりあえなくても互いの考え方を尊重して共存することはできるのではないか、そんなことを模索しようとするような丁寧な筆致がとても心地よい、そんな読書時間。
第一次世界大戦勃発直前という作品の中の時代背景が、今のギスギスした世界情勢とも重なって、考えさせられるのだけど、梨木さんの文章は夏目漱石みたいなおかしみもあって本当に好き。明治時代の異国の地の、においや感覚までが伝わってくるよう。
私の大好きな『家守綺譚』の姉妹編とは、しらなんだ…
Posted by ブクログ
作品紹介・あらすじ
『家守綺譚』『冬虫夏草』の姉妹編
著者によるあとがき「あの頃のこと」を収録
19世紀末のトルコ、スタンブール。留学生の村田は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミィトリスと共に英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく――。色褪せない友情と戻らない青春が刻ま れた、愛おしく痛切なメモワール。
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再読。
記録によると前回は2009年2月8日に1日で読破している。その時は角川文庫からの出版だった。それから14年後、今度は新潮文庫から著者による「あの頃のこと」を加えて出版された。
村田とはこの物語の主人公。エフェンディとはトルコ語で「先生」みたいな意味。滞土録とは土耳古、つまりトルコでの滞在記録みたいな意味。だからタイトルは「村田先生のトルコ滞在記」ということになる。ちょうどこの本を読んでいる最中に、この物語の舞台であるトルコ(そして隣国シリア)で大地震があった。今日現在、死者は両国あわせて5万人を超えたとのこと。不思議な符合、と書いたら不謹慎になるだろうか。
不思議な符合はまだある。この作品の初出は「本の旅人」2002年10月号~2003年10月号に連載されていた。連載時期をみると、ちょうど9.11、アメリカ同時多発テロ事件の1年後のことになる。今回の「あの頃のこと」でもそのことや、その後のアメリカのアフガニスタン侵攻に触れている。今回新潮文庫から出版された際には、アメリカと並ぶ大国、ロシアによるウクライナ侵攻に関連して世界が不穏な空気になっている。やはり不思議な符合に思える。というかそれだけ世界情勢は昔から変わっていない、ということなのかも知れない。
村田は日本人で一応の仏教徒、下宿を営むディクソン婦人は英国人でキリスト教徒、その下で働くムハンマドはトルコ人で回教徒、下宿人のオットーはドイツ人でキリスト教徒、同じく下宿人のディミィトリスはギリシャ人でギリシャ正教徒。様々な国から様々な宗教を背景に持つ人々が同じ下宿で暮らし、生活をしている。人としての交流や、人以外の不思議なモノたちとの事件も起こるが、とりあえずは平穏に暮らしている。ただし、世界はそんな平穏とは関係なく第1次世界大戦へと向かっている。最後の章はまさに痛切。
以下、ネタバレがちょっとあります。
「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。これはローマの劇作家テレンスティウスの言葉の引用なのだけれど、色々と考えさせられるフレーズ。ギリシャ人でありながらなぜディミィトリスはトルコのために青年トルコ人として戦死したのか。なぜディミィトリスの事があまり好きでなかったムハンマドがそんな彼の死を信じられずに彼を探しにいったのか。なぜムハンマドが戦死した時、オットーは彼の遺体を探しにいったのか。「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。そこには国も宗教もない、ただの人間という存在があったからなのかも知れない。
Posted by ブクログ
やはり好きなシリーズ。「家守綺譚」「冬虫夏草」と読みきてこの一冊はまた繋がっているのでやはり期待どおりだった。青春かぁ…想い返してそう呼べる期間は大切です。前に進む、進化進歩せよと世は言うが、国柄、宗教、人種、時代、様々に絡み合う世界は本当に進歩しているのか。薄々そうかと思って読みすすめたが、やはり最後は涙した。もっと日常の些細な生活を読みたかった。
Posted by ブクログ
「家守綺譚」の綿貫さんのお友だち 村田さんのトルコにおる頃の話。
相変わらず不可思議な感じやな。
異国って名前が似合う土耳古(トルコ)。
地理的にも、アジアとヨーロッパを結ぶ位置にある。
お稲荷さん、異国の神が暴れるとか、ええ感じ。
まぁ、怪異なんやけど、ファンタジーしてる!
こういうとこなら、家守綺譚などで、現れる不可思議な事も起こりそう…
お稲荷さんと異国の神が暴れるのも、ある意味文化交流!
異国の地で、異国の人らと語り合い…
何かええ感じやな。
お稲荷さんも、異国の神も仲良く帰国!
あっ!ゴローおった!
かなり、老犬なんかな?
鸚鵡と仲良くしてな!
そういう世界、知らなくもないけど。あまりにも幼稚だわ。分かるとこだけきちんとお片付けしましょう、あとの大な闇はないことにしましょう、という、そういうことよ。(本文より)
西洋の合理性、論理性に一石を投じるって感じ。「無知の知」みたいな。
バタバタ観光やなく、ゆっくり出来るなら、トルコもええかも?
凄い日本贔屓みたいやし。
暑そうやけど(^◇^;)
鸚鵡、驢馬、希臘、猶太、羅馬、欧羅巴、埃及…
地名とかは、漢字…ちと、難しい…(・・;)
Posted by ブクログ
100年前以上前のトルコに留学した日本人の話。
下宿先に、イギリス人、トルコ人、ドイツ人、ギリシャ人がいて、彼らの交流や、神々の神秘的な話などが面白い。けど、時代が時代、世界大戦に入り最後は下宿先の友人達が亡くなってしまうことを手紙で知るのが悲しかった…。最初に登場したオウムが、最後に村田のいる日本に来るところが良かった。
Posted by ブクログ
以前読んだ「家守綺譚」のスピンオフ
最後にちょっと物語がつながる
洋を問わない人々と
動物(鸚鵡)は勿論のこと
古代の神とされていたものや
日本の神(お稲荷さん)も
並行世界にちゃんぽんで
自然に描かれてる世界感が素敵!
最後に暗い影を落とされて
現実社会の切なさを思う
Posted by ブクログ
再読。9年ぶり。新潮文庫版ははじめて。
結末がわかっててもやっぱりないた。この年になって読むと「芯なる物語」のある村田がうらやましいと思った。あとがきを読んで、今の世界の情勢に思考が向かいうまく言葉にならない。
Posted by ブクログ
梨木香歩がこんなに骨のある古典的な文章を書くとは知らなかった。
あっという間に当時の土耳古に引き込まれてしまった。
民族も宗教も価値観も違う人々が、様々な感情がありながらもお互いを尊重し合って過ごした時間は、「青春」と一言でいうには濃密過ぎるように思う。他人と一緒に過ごす時間は、必ずいつか終わりが来るものなのだ、と思いつつ、それにしてもこんな別れを迎えてほしくはなかった。時代、社会情勢、国、民族、宗教、…尊重していたものに殺され、別れさせられたと言っても過言ではない。
ディスケ・ガウデーレ!ー楽しむことを学べ。
Posted by ブクログ
19世紀末、トルコ・イスタンブールに留学した考古学者の村田君が、異国の人々と紡ぐ友情の物語。
人種も宗教も価値観も違うけれど、彼らの友情はとても素敵で、淡々と語られる日常のその一瞬一瞬が輝かしい。
帯に青春小説と書かれていて、最初はその要素を感じなかったが、読み終わって納得。
青春ってそのときには気付かない。思い返してそれがかけがえのないものだったと気付く。読後にひしひしとそれを感じるような作品だった。
最後の章で、彼らとの友情の集積が一気に思い起こされ、胸を打たれた。鸚鵡の言葉に、最後あんなに涙腺が刺激されるとは思わなかったな…。
出会えてよかったし、また読み返したい一作。
"ディスケ・カウデーレ"(楽しむことを学べ)
Posted by ブクログ
評価は星3つだが、この人の話の星3つは面白かったかどうかではなく、中庸であり、主張すべきところがない安定の星3つといえる。(実質星5つといえるが、その情熱が湧かないところが重要)
最終的に『家守綺譚』『冬虫夏草』と舞台が共有され、同じ世界観で描かれていることに謎の安堵感を感じる。特定の人物を好きになるわけではないのに、話に親しみが得られるのはそれだけ人の良心に寄り添った土壌が築かれているからだろう。展開はともかく、不穏な影を感じない。
人生の幸せとは、かくも流れゆく時の上に描かれた1本の線であると知る。連なりこそが味わいであり、一時的な期間がその人間の人生を広げてゆくきっかけとなる様を見せてもらった。
個性溢れた人物像にも静かな魅力が光っている。
Posted by ブクログ
イスタンブールの路地裏にいるような匂い、香り、光、空気感。東西文化の交差点での日常の暮らし、部屋にいながら満喫。交差点の位置だからこそ、気の遠くなるような古から繰り返される争い。国とは何か?考えさせられる。「人は過ちを繰り返す。繰り返す事から何度も何度も学ばねばならない。人が繰り返さなくなった時、それが全ての終焉」