梨木香歩のレビュー一覧
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『f植物園の巣穴』の姉妹編。
めちゃくちゃ面白かった!
この面白味も『f植物園の巣穴』があってこそ。
ということで、☆4だった『f植物園の巣穴』も☆5に修正し、こちらも勿論☆5!
ご興味がおありの方は是非、『f植物園の巣穴』から読んでいただきたい。
まだ三十代だが頭痛・腰痛持ちのうえ四十肩と鬱に悩まされている佐田(後に頸椎ヘルニアも加わってもう大変っ)。
名は山幸彦(やまさちひこ)。
なんだか神話の登場人物みたいだが、名字は佐田!
そう、『f植物園の巣穴』の佐田豊彦の曾孫にあたる。
そして従姉妹の名前が海幸彦(うみさちひこ)!
いや、女性なので海幸比子(通称:海子)と書くのだが。
さらには実家の店子である鮫島氏の名が宙幸彦だと分かり、山幸彦は自身の名前の由来を辿り始めることとなる。
ところで。
痛みに襲われているのは山幸彦だけではなかった。
海子も、股関節が痛い、膝が痛い…とこれはリウマチ性多発筋痛症であることが分かったのだが、暫くして今度は左肩を骨折。
「なぜ、私たちにだけ、次から次へと痛みが襲ってくるのか。」
うーん、これって前作『f植物園の巣穴』で佐田豊彦が歯痛に襲われたのと同じ理由かしら?
過去の出来事が滞っていて、正しく時が流れてないっていう…。
痛みを取り除くために海子の勧めで訪れた仙人のような鍼灸師は言う。
「…世代を重ねて深まってきたややこしさを、本気でなんとかしようと思えば―ときほぐすということは、まず不可能にしても―ある程度のことを荒立てないわけにはいかない。」
「原因はひとつだけではありません。複数の意識されない痛みが絡み合い、どうにも無視のできぬ規模になり、仕方なく『そこ』に、本人にも自覚できる痛みとして顕れるものです。取り除くことはできない。完全に取り除くことが最善とも思われない。本人そのものと切っても切れない関係にある場合もある。」
鍼灸師の勧めで祖先の地:椿宿に向かった山幸彦は………。
山幸海幸共にあちこち痛いのだが、お話はユーモラスにぽんぽんと軽快に進み、前作よりも読みやすかった。
佐田のおじいさん(豊彦の次男:藪彦)、稲荷、福助、「椋の木」、鯉、…次々に『f植物園の巣穴』と合致してゆく。
「「痛み」は人を否応なく当事者にする。」
「家って、そういうものではないですか。禍々しいことも、楽しいことも、清らかなことも、およそ人間の営みならすべて受け入れてくれる…。」
「だって、僕の名前は藪彦だからね。藪っていうのは無数の生命の宿るところなんだよ」
「自分は大きい豊かな藪になって、小さな兄さんの道を道として成り立たせる」
「治水とは、読んで字のごとく水を治めることです。先祖の望んだ治水がこんなものであるはずがない。海と山は、滞りなく関連していくべきなのです。川は、そのためにある。」
「為すべきは家の治水」
「藪彦さんが、自分の孫たちに海幸彦山幸彦を名乗らせたかったのは、生き生きとした生命力の賦活を望んだからではないでしょうか。」
「痛みは単に、その箇所だけの痛みにあらず。全体と切り離しては個は存在しえないのです。」
「つながっている―死者も生者も、過去も未来も。」
山幸彦たちの名前の由来、結び付き、土地の様子や歴史、次々と繋がる事柄に、ページを捲る手が止まらず、ラストに向けて読むペースが上がっていった。
『家守綺譚』シリーズもそうだし、この手の梨木作品は本当に素晴らしい。
その土地土地の風土や神話、植物の名前、それらが巧みに盛り込まれて、趣深い作品に仕上がっている。
こちらの方向でまた新しい作品か続編を出して頂けたらなぁ。。。
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f植物園に転任してきた佐田豊彦。
造成された水生植物園が担当だ。
彼はそこを「隠り江」と名付けて情熱を注ぐ。
が、ある日大切にしていた日本水仙がなぎ倒されていることに気付く。
何物かが通ったように、椋の大木の"うろ"から水辺へと倒れていたのだ。
思い起こせば、自分はその"うろ"に落ちたのではなかったか?
なのに、そこからの記憶がない。
次の記憶は唐突に自室で寝ている場面。
そして歯痛の為に歯科医へ。
前世は犬だったという歯科医の妻、ナマズの神主…次々現れる不思議な人物と、交錯する千代との思い出、ねえやのお千代との思い出、椋の大木、かつて抜いてしまった白木蓮。。。
"うろ"に落ちて以来、何かがおかしい。
「論理的に考えると、うろに落ちてうろから出た記憶がない場合は、未だにうろの中にいるということになる。が、それは論理的には正しくとも私を取り巻くこの現実の展開にはそぐわない。」
これは一体…。
主人公は歯痛に悩まされながら"うろ"に落ちる。
そして、不思議な現状と過去の思い出を行ったり来たりしながら、
蓋をして忘れていた大切な思い出、関わった人の思い、時の流れ、人の生き死にや連なりとに、少しずつ向かい直す。
時は川のように流れてゆくもの。
水は正しき方向へ流してやらなくてはならない。
止水しては滞りを生んでしまう。
主人公はこの不思議な世界で自らを形作っている人や風景を再確認し、過去を取り戻し、真実と向き合っていく。
「しくしくとした歯の痛みは、そのまま軽い陰鬱の気を呼び、それが気配のしんしんとした雰囲気とよく狎れ合って、何所とも知れぬ深みへ持って行かれるような心地。」
「それにしても「千代」が寄ってくる人生である。」
「おや、この千代はその千代かこの千代かあの千代か。ふと、箸を止めて考え込む。どうも「千代なるもの」が渾然一体としてきている。」
「この木、以前は目につかなかったのだが。」
「ーはあ。けれどそんなこと、誰にも分かりませんよ、見えてくるまでは。」
「そうだ、すっかり忘れていたが、月下香は妻の千代の好きな花であった。」
「……とにかくこの滞りを取り、水を流さねばならぬ、……」
「カクスナ。アラワレル。」
土瓶さんのレビューを参考にし、積んであった『裏庭』を避け、代わりに…と手に取ったのが本書だった。
面白かった!!
後半から様々なことが明らかになってゆく。
梨木香歩さんだとやはり『家守綺譚』には敵わないのだけれど、ユーモアもありながら感動する作品。
読み終えても暫く余韻に浸ることとなった。
不思議に可愛らしい河童の坊(道彦)には情が湧く。
☆大気都比売(おおげつひめ)
日本神話における食物の神。
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異文化交流とか異文化理解と言うと大袈裟なわりに浅薄な感じになってしまう。異国の人(に限らず他者)と関係を築くことは肩肘張るような特別なことではなく日常の延長なんだと感じた。国籍を越えたおつきあいの場合は、〇〇人という認識も必要ではあろうけど、その上で〇〇さんというように個として理解することが、あたりまえだけど大事だなと改めて実感した。
その一方で、特に国際情勢が緊張感を増している時は国という概念は否が応でもつきまとうということも考えさせられる。いくら個人間で強いつながりを築いていても国同士の関係が悪化している場合は個人間の絆が断ち切られたり、時には不本意ながら殺しあうことになる可能性も生じてしまう。正に物語の終わりで村田が言っているように、国って何なんだろうというのは難しい問題だと思った。
自己と他者とか、他者との心地よい距離感とか、自己が属するコミュニティ(国)とかを考えさせられる点で、いつもの梨木さんらしい深いテーマの小説だと感じた。最後の章は胸に迫るものがあり二度読んだ。
余談だけど、コテンラジオで学んできたもろもろ(ギリシャ、ペルシア、ローマ、ビザンツ、オスマン、ヨーロッパ各国、と日本の維新とか日清日露戦争とか)の歴史の知識と結びつけながら読めたので、再読だけど登場人物たちの心の機微がイメージできて以前読んだ時よりかなり味わい深く読めた気がした。 -
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何年か前に「五十肩」を患い、また「実家の空き家化問題」を抱える身として、馴染みやすい設定だった。
「f植物園の巣穴」の続編ではあるが、こちらは前作の主人公の曾孫の時代=現代のお話で、文体もとっつきやすい感じがする。結末も現代的というか現実的な印象。こちらを先に読んでもいいかもしれない(どちらが先でも楽しめるはず)。
前作となる「f植物園の巣穴」のレビューでは「フロイトの治療過程を思わせた」と書いたが、強引にいえば、こちらはユングの集合的無意識になるだろうか。
梨木氏の作品では人が生きていく上での「土地」との関わり方がテーマになることが多い。昨今は SDGs達成度がどうであるとかいうドライな情報が飛び交うが、そのようなデジタル情報よりも、こういった文学からウェットでアナログな感覚を得ることの方が、重要な気がする。
もちろん、それよりも、実際に自然から得られる感覚(センス・オブ・ワンダー)の方が大事なのだろうけども…。 -
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やっぱり すごいなぁ 梨木果歩さんの世界観。
初めての短編集だとか。
8編の短編と中核となる中編「丹生都比売(におつひめ)」。
短編にも世界観がでているけれど、丹生都比売はさすが。
どんどん引き込まれていく、戻れなくなる・・・
それにしてもこの世界観をこんなきれいな文章で表現するなんてすごい。
壬申の乱の人間関係がこんなことになっていたのは、習ったはずがまったく頭の中に残っていませんでした。
あとがきには「ひとはみな、それぞれの生の寂しみを引き受けて生きていく、という芯を持つ蔓なのだろうと思う」。
間違いなく自分の世界を変えてくれた作家さんの一人です。
これからも梨木さんの本は読み続けなければ。 -
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ネタバレ沼地のある森を抜けて 梨木香歩
ぬか床から人がってのでファンタジー?と思ってたら人が死んでるってのでホラー?そこからトラウマとかルーツ探し?と読み進めると、最後壮大な生命と再生の物語
この最後を読む為に今までの鬱々としたのがあったのね、と
言葉にできないほどにカタルシス凄い
"解き放たれてあれ
母の繰り返しでも、父の繰り返しでもない。先祖の誰でもない、まったく世界でただ一つの、存在なのだから、と"
もういないのに傷つけられた記憶と対人恐怖症だけ残ってる私には
この本はとてもよかった
この壮大な再生を言葉で表現して本で主人公と一緒に体験できるのがすごい
ひっそりととても良い本ですと
万人向けではないかもしれないけど、こじらせてる大人にはオススメです -
Posted by ブクログ
1899年とあるので、まだ世界大戦前の、村田先生の土耳古(トルコ)滞在記。
村田先生は『家守綺譚』や『冬虫夏草』でも名前があがっていた、綿貫の友人。
エフェンディは、昔トルコで用いた学者・上流階級の人に対する尊称とのこと。
当然だけど、語り手が変わることで前2作とは少し趣が違う。
村田はトルコに居て、世界情勢が綿貫よりも見えているわけだし。
著者の梨木さんは当時のトルコ、スタンブール(イスタンブール)の様子について丁寧に描かれている。
時代的にも首都がアンカラに制定される前なので、イスタンブールは多くの人種でごった返し、栄えている。
その殆どがイスラム教徒だ。
そんなわけで、前半はトルコの様子や、人々との交流、村田の専門である考古学まわりの話。
鸚鵡が登場するシーンは毎回ユーモラス。
絶妙のタイミングで「It's enough !」と叫ぶのも憎めない可愛らしさ。
(このIt's enough !が、のちに読者の目を潤ませる)
それから様々な神様たち。
日本に居る綿貫の周りでは竜神や稲荷、河童や天狗、草花の聖霊たちが沢山登場した。
そしてトルコでもワールドワイドに不思議なことが起こる。
村田の下宿先は、どこの何とも判別できずに収蔵場所にも入りきれない、遺跡の寄せ集めが建築資材となった建物。
その為か、牡牛の角が埋められていて漆喰の壁が光るのだ。(この辺りが不思議な出来事)
そこに綿貫が木下氏から貰った稲荷(キツネ)の根付け、清水氏から頼まれたアヌビス神(山犬)が加わって、
神々はドタバタと大騒ぎになる。
「神も生まれ、進化し、また変容してゆくのです。その共同体の必要に応じて。そしてその社会が滅びたとき、その神も共に滅びるのです。神というのは祈る人間があってこその存在、つまり関係性の産物ですから。」
オットーのこの台詞が、不思議と心に響いた。
日本は、別の種族に追いやられて元の種族や信仰が滅んだりしたことはないのだなぁと、改めて思う。
トルコは古くから栄えていたけれど、古代ギリシャやオスマン帝国が興亡を繰り広げた場所でもある。
日本の王の交代(正しくは大政奉還で王の交代ではないけど)が平和的であったことを驚かれるシーンもあった。
これについても世界的には珍しいことなんだろうな。
普通、王が変わるだなんてクーデターや革命だもの。
少し前の時代設定といえど、トルコの様子や、世界から見た日本・日本人を、考えさせられるシーンが他にも多々あった。
例えば雪合戦から発展したオットーの話。
学生の頃、反目し合っていた隣町の高校生から雪玉を投げつけられた。
挨拶としては手荒だが、崩れた雪玉の中から人数分のキャンディーが出てきたという。
村田は「いい話だなぁ」と感嘆するが、ディミトリアスは
「そう単純ではないよ。投げられた雪玉にはやっぱり攻撃性があるんだ」
と発言する。
そしてオットー本人も、
「文化的な"したたかさ"みたいなものだ。……………泥臭い土着の知恵のようなものだ。戦略的、とでもいうか。」
と語る。
オットーはドイツ人でキリスト教徒だ。
一方ディミトリアスはギリシャ人でキリスト教徒だが、その教派はギリシャ正教。
そして村田はというと日本人であり仏教徒ということになるが、多くの日本人がそうであるように、お経も知らず、仏陀の誕生日もうろ覚え。
二人の言葉を聞いたうえでやはり村田先生は
「いや、やはりいい話だ。僕は雪玉の中にあめ玉が仕込まれていた経験など全くない。うらやましい限りだ。」
と返す。
「自分で言いながら、おめでたさに呆れてしまう」と心の中で思いながら。
この場面は、敬虔なクリスチャンであるディクソン婦人の
「男って、本当にどうしようもないわ!」
で幕引きとなるのだが。
オットー、ディクソン夫人、ディミトリアス、ムハンマド(ちなみに彼はイスラム教徒)、その他の面々…ルーツは違えど、皆、信念を持った心優しき人たちだ。
だが後半から、世の情勢が不穏になってゆく。
トルコを後にする村田先生は最後に、壁の中の神々の行く末を相談し、火の神とキツネの神を日本国へと連れて帰ることになる。
火の神(サラマンドラ=赤竜)とキツネの神(稲荷)については、前2作とここで繋がってゆくんだね。
その夜の村田先生の夢での台詞。
きっとこのトルコ滞在で村田が手にした考えなのだろうな。
「……………殺戮には及ばぬのだ、亜細亜と希臘世界を繋げたいと思ったのだろうが、もう既に最初から繋がっているのだ、……………」
帰国後の村田にはディミトリアスの言葉がよみがえる。
「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは1つもない…。」
切ない話だった。
著者の梨木さんが時間をかけて丁寧に、当時のトルコの様子や登場人物を描いた分だけ、その気持ちは大きくなった。
ディクソン夫人は母国イギリスに帰国することとなる。
だが第一次世界大戦は、イギリスや大日本帝国は連合国であるけれど、トルコ(オスマン帝国)やドイツなどの中央同盟国とは敵対している。
村田が滞在中に過ごしたあの日々は、もう戻ってこないのだ。
「私の スタンブール
私の 青春の日々
これは私の 芯なる物語」
あとがきも必読。 -
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梨木香歩さんのエッセイ
八ヶ岳での山小屋探しからはじまる。
贅沢は論外、本格ログハウスも身の丈に合わず、
新建材だらけもちょっと‥‥‥
とか、このエッセイ全体を通しての、価値観、本質に通じる部分かな。
冬の八ヶ岳おろしは凄まじく、
「あの突風具合ときたら。漫然とただ吹いていると言うのではなく、ときに屋根を剥いだりブロックまでもピンポイントで吹き飛ばしたりする」
山の中の植物、動物、特に小鳥たちとのやりとりが素敵に描かれている。
とても面白かったのが、かわいい小鳥たちに混じって、一際大きなカラスの「悪太郎」が飛来し、用意した餌の牛脂ボールを狙われる。
ベランダで強そうに腕を組んだりして見張って餌を守っていた。
たまたま、散歩に出て小川の水を飲んでいる悪太郎と目が合う。
大急ぎで帰ると、案の定、牛脂も、牛脂ボールも跡形もない。
何ともその様子が目に浮かびニヤけてしまう!
後半の一節に、日本の難民申請者に対する扱いの過酷さ。
中東出身二十歳Aさん。セクシャルマイノリティー
で、本国では命の保障もない毎日。
日本で難民申請して狭い相部屋暮らし。
ある時、高熱、喉の痛みに苦しみ友人等の助けで病院へ行くも適切な治療も薬も与えられず、挙句保険も効かないため200%の請求が。
公立以外の病院は自由診療のため、300%の請求もあるとか!
「お・も・て・な・し」は金持ちの外国人に対してだけで、金にならない相手にはガラリと態度を変えるとしたら、日本人の品性が問われる。
自然の中で出会った素敵だけど過酷な冬の山暮らしや日々の生活、ひいては生きると言う事、のエッセイ、かな。
ずっと手元に置いて、時々開いてみたくなる一冊。 -
Posted by ブクログ
梨木香歩さんのファンなら必ず手元に置いておきたい本。
デビューから2019年までに色々なところで発表されたエッセイをまとめたもの。
鳥のこと、バードストライクのこと、植物のこと、イスタンブールやエストニアのこと、時間・空間の境界のことなど。
これまで梨木さんがどれだけ丁寧に生きてきたかがよく分かる。
一つ一つ丁寧に向き合う姿勢が素晴らしい。
もっと早くに梨木さんの小説に触れ、この本を読んでいたら、自分ももっと丁寧に生きてこれたかも。
少なくともこれからはもっともっと丁寧に生きてゆこうと思いました。
いつかお会いしてお話を伺いたい、そんなことが出来たら夢のようですね。 -
Posted by ブクログ
八ヶ岳の裾野の山小屋で過ごす時間を軸に、動植物や自然と自分のくらし、父、人生の終わり、言葉と政治など、身の回りのことを語るエッセイ。
梨木さんはいつも、表層を一枚ずつ剥がしてその深層まで描きこむようなお話を書く人だと思っていて、エッセイは「渡りの足跡」以来であまり読んでいませんが、こちらは小説と同じでかなりディープな部分まで踏み込んで書かれたんだなあ、という印象(他のをあまり知らないのでここは何とも、なんですが)。
ちなみに「渡りの足跡」は鳥の渡りという事象からさまざまなことに思いを馳せるエッセイ集。これを読んで梨木さんがガチのナチュラリストだったんだ、と知りました。
このエッセイ集では八ヶ岳の裾野に山小屋を買ってそこでの暮らしや出会いを中心に、イギリス留学でのことや各地に滞在したときのエピソード、そして父の死などから、いずれもその思い出から顕れる深い思索を、ページをめくるように紐解いていきます。
今回は特に戦争や政治にも触れていて、そのあたりのイデオロギー的な部分についての考えを初めて知ったし、そういったことを書く人とも思っていなかったので驚きもありました。中でも沖縄を訪れたエピソードは、僕自身も数年前に沖縄に能天気な観光で訪れた時に不意打ちのように集団強制死で生き残った人に出会ってしまい、ここにはまだ生々しい傷跡がたくさん残っているのだということに気づいて感じたことと同じようなことを書いておられて胸が熱くなりました。
[引用本文]
あの日も、こんな気候だったに違いない。けれど、今はこんなに幸せだと、近くに眠る、誰にともなく語りかけるように、ことさら強く思った。強く思えば思うほど、この幸せを、ともに嚙みしめられるような気がして。それ以外に、どういう供養の方法があるのだろう。
(南の風 より)
あとは言霊を使えば使うほど人が薄っぺらになると政治家の言動を皮肉ったりとかコロナで混乱する政治をあてこすったりとか世間が民主主義を手放さぬように警鐘を鳴らしたりとか、ちょっと突っ込んだ人柄が見えて面白かったです。
このエッセイでは自然の営みの上にそれぞれの人の暮らしがあって、他の命の流れと自分たちは切り離せないのだという深いテーマがあちこちに顔を出していて、そこはやっぱり梨木さんなんだな、と思ってとても共感できた、よいエッセイ集だと思いました。近年はエッセイなど、小説以外のお仕事が多いみたいなのでそちらもどんどん読んでいこう。