梨木香歩のレビュー一覧
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梨木香歩さん訳の、
1953年初版のベストセラー。
ある1人の寡婦が出会った、自然界では生きていけないだろう雀の子供。
その雀-クラレンスと名付けられた雀の、12年に渡る生涯。
フラットに書かれた文章に現れる、キップス夫人の洞察力の深さにも驚かさせるが、
街中で景色に溶け込むように眺めていた雀が
こんなに感情豊かで、才能溢れる鳥であることを
本書を通じて知ることが出来てよかったと思う。
訳者も書いている通り、クラレンスが老いて、
いつ亡くなるのかも分からない中で書かれた
物語であるからか、クラレンスが全盛期である頃の生き生きとした描写の中にも、一貫して静謐さが漂っている。
全ての生き物が迎える老いと死を、静かに見つめるキップス夫人と、老いてなおその生命の尊厳を決して失わないクラレンス。
今頃2人で、天国で歌い合っているだろうか。
キップス夫人はピアノで、クラレンスはその高らかな歌声でー。 -
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ネタバレ何か特別派手なことが起こるわけではないのだけれど、人種も国籍も宗教もちがう登場人物達が織り成す物語の言葉のひとつひとつが胸にささる。
トルコがまだオスマン帝国の時代、第一次世界大戦が始まる前の時代に、バックグラウンドが違う人達が一緒に暮らすのは、現代の何倍もの苦労があったのだろうと思う。
その中で完全にお互いのことが理解できるわけではないけれども、お互いの文化を尊重しあって生活する登場人物たちはすごく素敵だと思うし、私もそうありたいと思った。
ディミストリが言うように、私たちは人間で、およそ人間に関わることで、私たちに無縁なことは一つもないのだから。 -
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ネタバレ梨木香歩さんの作品を、いつかは全部読みたいと思っているのに、最近足踏み状態だったので、勢いをつけるために(?)、読みやすいと思われたヤービから読むことにしました。勝手に絵本だと思い込んでいたのですが、児童書と分類されるものでした。
これは人間で、寄宿学校、サニークリフ・フリースクールの教師であるウタドリさん(あだ名です)が、ヤービという小さなクーイ族でヤービ族の生き物と偶然出会い、そのヤービから聞いた小さな種族たちのお話です。
梨木香歩さんらしい、なんとも丁寧で、なんというか背筋がぴんと伸びるような美しい日本語で綴られています。児童書なので、あっという間に読めますが、水辺のことだったり、生き物、特に鳥の生態のことなどは、梨木さんの博識さが隠しきれない、といった感じでした。
しかししかし、ヤービをはじめとした登場人物の心の機微というのか、心情描写はもう、素晴らしいの一言につきます。誰もが小さいころから大きくなるまでのどこかでちょっと感じたことがあるであろう、でも、多くの人がちょっと気づいただけですぐに忘れ去ってしまったであろう大小の感情の動きのあれやこれやが出てきて、それに出くわすたびに、「やられたー」と思うのでした。知ってる、この感情知ってる!どこかで感じたことある!と。
たとえば、ヤービのいとこのセジロは自分たちが蜂の子を食べるということが残酷に思えて、しばらく食事ができなくなります。これって、食事ができなくなるまではいかなくとも、身に覚えがある読者は多いんじゃないでしょうか。(そういえば、私の妹は一時期、豚肉も牛肉も口にしない時期がありました。鶏はいいんだと言ってましたが。)
それから、ヤービが思わず小さい子のように甘えた感じになって、ママ・ヤービに対して気まずく思う瞬間。これも、あーなんかわかる!とポンと膝を打ちたくなります。そして、ママ・ヤービの素晴らしい対応。ここは親として見習わねば、と思いました。それに、怖いと思いつつもスリルを味わいたくなったり、恐怖の対象がヒーローのように自分の中で大きくなってしまう子ども心・・・あぁ、なんだかよくわかる・・・。
それからこれは、身に覚えがある感情というのとは少し違うのですが、ヤービとセジロが出会った、ベック族のトリカは、母親が、ヤービとセジロの前でちょっとショックを受けるような態度をとってしまったことについて、必死に母親をかばおうとします。この場面、きっと現実にも少なくない小さな子たちが、こういうことを、「母親をかばう」という意識なしでしているんだと容易に想像できて、なんだか涙が出そうになりました。そしてそれを知って、ちょっと癖のあるトリカが大好きになったというウタドリさんにも涙が出そうになりました。優しい世界で胸があつくなりました。トリカの家族が良い方向へ向かっていけますように、と祈るような思いでした。
ちょっと笑ってしまったのは、パパ・ヤービの弟、マミジロ・ヤービは詩人というところです。マミジロ・ヤービは、詩の一行目が天啓のようにおりてきたものの、それから進まないことをすごく楽観的な姿勢で構えていて、そんなことを話せる相手としてウタドリさんを認めたのでしょうが、自信満々に話す姿が愛らしくて笑ってしまいました、マミジロ・ヤービの詩はどんなふうに完成するのでしょう。楽しみです。
大きい人たち(人間のこと)によって環境が変化してきてしまっているマッドガイド・ウォーターを離れるべきかとどまるべきか。ヤービ族は考えなければいけない時期がきたようです。どういう結果になろうとも、マッドガイド・ウォーターが好きだし、自分もウタドリさんもマッドガイド・ウォーターの一部だと考えるヤービ。なんて素敵な子なのでしょう。
優しい気持ちで読み終えました。さすが、という感じです。素晴らしい作品でした。 -
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ネタバレこの物語の中にいつまでも浸っていたくて、毎日少しづつ時間をかけて読み進めた。
知らない植物や言葉が出てきたら都度調べながらゆっくりと。
昨日の続きから読み始めようと思って、本を開くが、昨日読んでいた物語の内容がパッと思い浮かばない。
少し戻って話を思い出してから読み進める。
面白くなくて話を忘れているのではなく、現実とそうでない世界との境界線が曖昧で物語に入るのに少し時間がかかるのだ。
最後、ゴローが此方に向かってくる時の文章が、自分の目が綿貫の目になったかのように、ありありと思いうかび思わず涙してしまった。
家守奇譚と冬虫夏草はこれから先、何度も読み返す作品だと思う。 -
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ネタバレ先に梨木さんの「家守綺譚」を読んでいた。少し昔の日本家屋での、穏やかな日常を描いた作品だったので、本作とは全く別物と思っていたら、一部、同じ登場人物が描かれていて、その繋がりは嬉しい驚きだった。
本作は、イスタンブールを旅しているような気分に浸れるもの、を求めて手に取り、まさにそんな期待に応えてくれる作品だった。そして最後には、「歴史、人々の暮らし、国家のありよう」を問う、胸に迫る結末が待っていた。
私は世界史に触れる時、『各時代、各地域、そこで暮らす様々な身分の人たちの生活や心情を、自分の中で再現する』ことを心掛けており、その姿勢は、作者があとがきに書いた執筆姿勢と共鳴するものでもあって、それも嬉しい共感だった。
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だいぶ前に単行本では読んでいたけれど、すごく好きだったことしか覚えていなくて再読。
ちょうど今、散歩道のサルスベリが満開だ。
──サルスベリのやつが、おまえに懸想をしている
高堂が来て、↑のように言ったあたりで、もう心をつかまれた。
ああ、これやっぱり好きなやつだと思った。
会話文はかぎ括弧がなく「――」で始まっているからか、征四郎に共感しながら読むというより、一歩後ろから眺めているような、夢の中の出来事のような感覚になった。
現実と幻想の狭間、人間も妖(あやかし)も等しく存在する世界観というものを表現しているのかもしれない。
作家さんてすごいなと思った。
知らない言葉も多かった
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疏水(そすい):他の水源から水を引く目的で造られた水路のこと
矯める(ためる): 曲がっているものを伸ばしたり、まっすぐなものを曲げたりして、形を整える。
書肆(しょし):書物を出版したり、売ったりする店のこと
葎(むぐら):生い茂って藪(やぶ)のようになる、つる草の総称。ヤエムグラなど。
凝る(こる):ばらばらのものが集まって固まる。
欣喜雀躍(キンキジャクヤク):雀がぴょんぴょんと跳ね行くように喜ぶこと。
般若湯(はんにゃとう):僧の間で酒のことを般若湯と言う
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川に遊びに行く時、祖父に「河童に尻子玉を抜かれるから深いとこに行ったらあかん。」と言われたことを思い出した。
山あいの小さな村にある祖父母の家は、妖がいてもおかしくないようなところだった。
山道のお地蔵様、お寺の境内での盆踊り、ひぐらしのなく夕暮れ、あぜ道に舞う蛍。
懐かしいなぁ。 -
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温かくて、少し不思議で、切ない物語だった。
どこか海外の翻訳本や明治の文豪の作品を思わせるあまり砕けていない文体が好きだった。
私のお気に入りである、筒井康隆の『旅のラゴス』と少し似ていた。
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不思議な下宿。魅惑の異文化。かけがえのない友人たち。
留学生・村田がトルコで過ごした青春の日々。
19世紀末のトルコ、スタンブール。留学生の村田は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミィトリスと共に英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく――。色褪せない友情と戻らない青春が刻まれた、愛おしく痛切なメモワール。 -
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〈再登録〉「家守綺譚」でも触れられていた綿貫の友人・村田のトルコ滞在記。エフェンディ(学士)として過ごす村田から見た異国でのかけがえのない日々の記録。
奇妙な出来事に遭遇しながらも、国も宗教も違う人々と理解し合っていく村田。彼らとのやり取りが面白かっただけに、その後の世界状況の中、それぞれの運命を生きざるを得なかったのが悲しい。ムハンマドに拾われた生意気なオウムに楽しませてもらいました。このオウムが後に感動的な展開へと導きます。
百年前の架空の滞在記がこんなにも何かを訴えかけるのは、歴史の陰できっとこんな若者達が存在していたからだと思います。 -
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ネタバレ――
大満足の222頁。
久し振りに溢れるように泣いた…西武新宿線の車内でね。ええ。
自分は世界を知らないなぁ、と思いながらも頑張って読む。もっと真面目に世界史に取り組んでおけばよかった、って後悔は何度も何度もしています。これからもしていくことでしょう。勉強しろって? いやぁ…ねぇ?
19世紀末のトルコを舞台に、日本人留学生村田の日常を…と思いきや、中盤から物語は飛翔し、民俗学的な怪しさを孕みながら戦争を、理不尽を、その中で確かに息をするひととひととのつながりを、悲しく描き出してゆく。その波に心地よく揺られ、揺らされ…痺れるような若々しい痛みが芯に残る。
巧い。前半の瑞々しさはまさに青春のそれで、羽毛のような軽々しいユーモアが中東の空気を嗅がせてくれる。村田の帰国後は対照的に、じっとりと沈む物語を超えて、前半の煌めきが眩しすぎてもう、涙無しには。
2007年に刊行された小説が、あとがきにもあるように、2001年のパラダイムシフトを受けて書かれたそれが、より現実的に身に迫る刃になるというのは危機的な状況ではあろうけれど…いま読まれるべきだな、とは感じた。良い仕事です。
示唆に富むことばは沢山あった。
どうかこの小説も、純粋に小説として楽しめる日々を迎えられるように。
☆4.8