梨木香歩のレビュー一覧
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ネタバレ梨木香歩さんの作品を、いつかは全部読みたいと思っているのに、最近足踏み状態だったので、勢いをつけるために(?)、読みやすいと思われたヤービから読むことにしました。勝手に絵本だと思い込んでいたのですが、児童書と分類されるものでした。
これは人間で、寄宿学校、サニークリフ・フリースクールの教師であるウタドリさん(あだ名です)が、ヤービという小さなクーイ族でヤービ族の生き物と偶然出会い、そのヤービから聞いた小さな種族たちのお話です。
梨木香歩さんらしい、なんとも丁寧で、なんというか背筋がぴんと伸びるような美しい日本語で綴られています。児童書なので、あっという間に読めますが、水辺のことだったり、生き物、特に鳥の生態のことなどは、梨木さんの博識さが隠しきれない、といった感じでした。
しかししかし、ヤービをはじめとした登場人物の心の機微というのか、心情描写はもう、素晴らしいの一言につきます。誰もが小さいころから大きくなるまでのどこかでちょっと感じたことがあるであろう、でも、多くの人がちょっと気づいただけですぐに忘れ去ってしまったであろう大小の感情の動きのあれやこれやが出てきて、それに出くわすたびに、「やられたー」と思うのでした。知ってる、この感情知ってる!どこかで感じたことある!と。
たとえば、ヤービのいとこのセジロは自分たちが蜂の子を食べるということが残酷に思えて、しばらく食事ができなくなります。これって、食事ができなくなるまではいかなくとも、身に覚えがある読者は多いんじゃないでしょうか。(そういえば、私の妹は一時期、豚肉も牛肉も口にしない時期がありました。鶏はいいんだと言ってましたが。)
それから、ヤービが思わず小さい子のように甘えた感じになって、ママ・ヤービに対して気まずく思う瞬間。これも、あーなんかわかる!とポンと膝を打ちたくなります。そして、ママ・ヤービの素晴らしい対応。ここは親として見習わねば、と思いました。それに、怖いと思いつつもスリルを味わいたくなったり、恐怖の対象がヒーローのように自分の中で大きくなってしまう子ども心・・・あぁ、なんだかよくわかる・・・。
それからこれは、身に覚えがある感情というのとは少し違うのですが、ヤービとセジロが出会った、ベック族のトリカは、母親が、ヤービとセジロの前でちょっとショックを受けるような態度をとってしまったことについて、必死に母親をかばおうとします。この場面、きっと現実にも少なくない小さな子たちが、こういうことを、「母親をかばう」という意識なしでしているんだと容易に想像できて、なんだか涙が出そうになりました。そしてそれを知って、ちょっと癖のあるトリカが大好きになったというウタドリさんにも涙が出そうになりました。優しい世界で胸があつくなりました。トリカの家族が良い方向へ向かっていけますように、と祈るような思いでした。
ちょっと笑ってしまったのは、パパ・ヤービの弟、マミジロ・ヤービは詩人というところです。マミジロ・ヤービは、詩の一行目が天啓のようにおりてきたものの、それから進まないことをすごく楽観的な姿勢で構えていて、そんなことを話せる相手としてウタドリさんを認めたのでしょうが、自信満々に話す姿が愛らしくて笑ってしまいました、マミジロ・ヤービの詩はどんなふうに完成するのでしょう。楽しみです。
大きい人たち(人間のこと)によって環境が変化してきてしまっているマッドガイド・ウォーターを離れるべきかとどまるべきか。ヤービ族は考えなければいけない時期がきたようです。どういう結果になろうとも、マッドガイド・ウォーターが好きだし、自分もウタドリさんもマッドガイド・ウォーターの一部だと考えるヤービ。なんて素敵な子なのでしょう。
優しい気持ちで読み終えました。さすが、という感じです。素晴らしい作品でした。 -
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ネタバレこの物語の中にいつまでも浸っていたくて、毎日少しづつ時間をかけて読み進めた。
知らない植物や言葉が出てきたら都度調べながらゆっくりと。
昨日の続きから読み始めようと思って、本を開くが、昨日読んでいた物語の内容がパッと思い浮かばない。
少し戻って話を思い出してから読み進める。
面白くなくて話を忘れているのではなく、現実とそうでない世界との境界線が曖昧で物語に入るのに少し時間がかかるのだ。
最後、ゴローが此方に向かってくる時の文章が、自分の目が綿貫の目になったかのように、ありありと思いうかび思わず涙してしまった。
家守奇譚と冬虫夏草はこれから先、何度も読み返す作品だと思う。 -
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ネタバレ先に梨木さんの「家守綺譚」を読んでいた。少し昔の日本家屋での、穏やかな日常を描いた作品だったので、本作とは全く別物と思っていたら、一部、同じ登場人物が描かれていて、その繋がりは嬉しい驚きだった。
本作は、イスタンブールを旅しているような気分に浸れるもの、を求めて手に取り、まさにそんな期待に応えてくれる作品だった。そして最後には、「歴史、人々の暮らし、国家のありよう」を問う、胸に迫る結末が待っていた。
私は世界史に触れる時、『各時代、各地域、そこで暮らす様々な身分の人たちの生活や心情を、自分の中で再現する』ことを心掛けており、その姿勢は、作者があとがきに書いた執筆姿勢と共鳴するものでもあって、それも嬉しい共感だった。
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温かくて、少し不思議で、切ない物語だった。
どこか海外の翻訳本や明治の文豪の作品を思わせるあまり砕けていない文体が好きだった。
私のお気に入りである、筒井康隆の『旅のラゴス』と少し似ていた。
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不思議な下宿。魅惑の異文化。かけがえのない友人たち。
留学生・村田がトルコで過ごした青春の日々。
19世紀末のトルコ、スタンブール。留学生の村田は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミィトリスと共に英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく――。色褪せない友情と戻らない青春が刻まれた、愛おしく痛切なメモワール。 -
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〈再登録〉「家守綺譚」でも触れられていた綿貫の友人・村田のトルコ滞在記。エフェンディ(学士)として過ごす村田から見た異国でのかけがえのない日々の記録。
奇妙な出来事に遭遇しながらも、国も宗教も違う人々と理解し合っていく村田。彼らとのやり取りが面白かっただけに、その後の世界状況の中、それぞれの運命を生きざるを得なかったのが悲しい。ムハンマドに拾われた生意気なオウムに楽しませてもらいました。このオウムが後に感動的な展開へと導きます。
百年前の架空の滞在記がこんなにも何かを訴えかけるのは、歴史の陰できっとこんな若者達が存在していたからだと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ――
大満足の222頁。
久し振りに溢れるように泣いた…西武新宿線の車内でね。ええ。
自分は世界を知らないなぁ、と思いながらも頑張って読む。もっと真面目に世界史に取り組んでおけばよかった、って後悔は何度も何度もしています。これからもしていくことでしょう。勉強しろって? いやぁ…ねぇ?
19世紀末のトルコを舞台に、日本人留学生村田の日常を…と思いきや、中盤から物語は飛翔し、民俗学的な怪しさを孕みながら戦争を、理不尽を、その中で確かに息をするひととひととのつながりを、悲しく描き出してゆく。その波に心地よく揺られ、揺らされ…痺れるような若々しい痛みが芯に残る。
巧い。前半の瑞々しさはまさに青春のそれで、羽毛のような軽々しいユーモアが中東の空気を嗅がせてくれる。村田の帰国後は対照的に、じっとりと沈む物語を超えて、前半の煌めきが眩しすぎてもう、涙無しには。
2007年に刊行された小説が、あとがきにもあるように、2001年のパラダイムシフトを受けて書かれたそれが、より現実的に身に迫る刃になるというのは危機的な状況ではあろうけれど…いま読まれるべきだな、とは感じた。良い仕事です。
示唆に富むことばは沢山あった。
どうかこの小説も、純粋に小説として楽しめる日々を迎えられるように。
☆4.8 -
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『f植物園の巣穴』の姉妹編。
めちゃくちゃ面白かった!
この面白味も『f植物園の巣穴』があってこそ。
ということで、☆4だった『f植物園の巣穴』も☆5に修正し、こちらも勿論☆5!
ご興味がおありの方は是非、『f植物園の巣穴』から読んでいただきたい。
まだ三十代だが頭痛・腰痛持ちのうえ四十肩と鬱に悩まされている佐田(後に頸椎ヘルニアも加わってもう大変っ)。
名は山幸彦(やまさちひこ)。
なんだか神話の登場人物みたいだが、名字は佐田!
そう、『f植物園の巣穴』の佐田豊彦の曾孫にあたる。
そして従姉妹の名前が海幸彦(うみさちひこ)!
いや、女性なので海幸比子(通称:海子)と書くのだが。
さらには実家の店子である鮫島氏の名が宙幸彦だと分かり、山幸彦は自身の名前の由来を辿り始めることとなる。
ところで。
痛みに襲われているのは山幸彦だけではなかった。
海子も、股関節が痛い、膝が痛い…とこれはリウマチ性多発筋痛症であることが分かったのだが、暫くして今度は左肩を骨折。
「なぜ、私たちにだけ、次から次へと痛みが襲ってくるのか。」
うーん、これって前作『f植物園の巣穴』で佐田豊彦が歯痛に襲われたのと同じ理由かしら?
過去の出来事が滞っていて、正しく時が流れてないっていう…。
痛みを取り除くために海子の勧めで訪れた仙人のような鍼灸師は言う。
「…世代を重ねて深まってきたややこしさを、本気でなんとかしようと思えば―ときほぐすということは、まず不可能にしても―ある程度のことを荒立てないわけにはいかない。」
「原因はひとつだけではありません。複数の意識されない痛みが絡み合い、どうにも無視のできぬ規模になり、仕方なく『そこ』に、本人にも自覚できる痛みとして顕れるものです。取り除くことはできない。完全に取り除くことが最善とも思われない。本人そのものと切っても切れない関係にある場合もある。」
鍼灸師の勧めで祖先の地:椿宿に向かった山幸彦は………。
山幸海幸共にあちこち痛いのだが、お話はユーモラスにぽんぽんと軽快に進み、前作よりも読みやすかった。
佐田のおじいさん(豊彦の次男:藪彦)、稲荷、福助、「椋の木」、鯉、…次々に『f植物園の巣穴』と合致してゆく。
「「痛み」は人を否応なく当事者にする。」
「家って、そういうものではないですか。禍々しいことも、楽しいことも、清らかなことも、およそ人間の営みならすべて受け入れてくれる…。」
「だって、僕の名前は藪彦だからね。藪っていうのは無数の生命の宿るところなんだよ」
「自分は大きい豊かな藪になって、小さな兄さんの道を道として成り立たせる」
「治水とは、読んで字のごとく水を治めることです。先祖の望んだ治水がこんなものであるはずがない。海と山は、滞りなく関連していくべきなのです。川は、そのためにある。」
「為すべきは家の治水」
「藪彦さんが、自分の孫たちに海幸彦山幸彦を名乗らせたかったのは、生き生きとした生命力の賦活を望んだからではないでしょうか。」
「痛みは単に、その箇所だけの痛みにあらず。全体と切り離しては個は存在しえないのです。」
「つながっている―死者も生者も、過去も未来も。」
山幸彦たちの名前の由来、結び付き、土地の様子や歴史、次々と繋がる事柄に、ページを捲る手が止まらず、ラストに向けて読むペースが上がっていった。
『家守綺譚』シリーズもそうだし、この手の梨木作品は本当に素晴らしい。
その土地土地の風土や神話、植物の名前、それらが巧みに盛り込まれて、趣深い作品に仕上がっている。
こちらの方向でまた新しい作品か続編を出して頂けたらなぁ。。。
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Posted by ブクログ
f植物園に転任してきた佐田豊彦。
造成された水生植物園が担当だ。
彼はそこを「隠り江」と名付けて情熱を注ぐ。
が、ある日大切にしていた日本水仙がなぎ倒されていることに気付く。
何物かが通ったように、椋の大木の"うろ"から水辺へと倒れていたのだ。
思い起こせば、自分はその"うろ"に落ちたのではなかったか?
なのに、そこからの記憶がない。
次の記憶は唐突に自室で寝ている場面。
そして歯痛の為に歯科医へ。
前世は犬だったという歯科医の妻、ナマズの神主…次々現れる不思議な人物と、交錯する千代との思い出、ねえやのお千代との思い出、椋の大木、かつて抜いてしまった白木蓮。。。
"うろ"に落ちて以来、何かがおかしい。
「論理的に考えると、うろに落ちてうろから出た記憶がない場合は、未だにうろの中にいるということになる。が、それは論理的には正しくとも私を取り巻くこの現実の展開にはそぐわない。」
これは一体…。
主人公は歯痛に悩まされながら"うろ"に落ちる。
そして、不思議な現状と過去の思い出を行ったり来たりしながら、
蓋をして忘れていた大切な思い出、関わった人の思い、時の流れ、人の生き死にや連なりとに、少しずつ向かい直す。
時は川のように流れてゆくもの。
水は正しき方向へ流してやらなくてはならない。
止水しては滞りを生んでしまう。
主人公はこの不思議な世界で自らを形作っている人や風景を再確認し、過去を取り戻し、真実と向き合っていく。
「しくしくとした歯の痛みは、そのまま軽い陰鬱の気を呼び、それが気配のしんしんとした雰囲気とよく狎れ合って、何所とも知れぬ深みへ持って行かれるような心地。」
「それにしても「千代」が寄ってくる人生である。」
「おや、この千代はその千代かこの千代かあの千代か。ふと、箸を止めて考え込む。どうも「千代なるもの」が渾然一体としてきている。」
「この木、以前は目につかなかったのだが。」
「ーはあ。けれどそんなこと、誰にも分かりませんよ、見えてくるまでは。」
「そうだ、すっかり忘れていたが、月下香は妻の千代の好きな花であった。」
「……とにかくこの滞りを取り、水を流さねばならぬ、……」
「カクスナ。アラワレル。」
土瓶さんのレビューを参考にし、積んであった『裏庭』を避け、代わりに…と手に取ったのが本書だった。
面白かった!!
後半から様々なことが明らかになってゆく。
梨木香歩さんだとやはり『家守綺譚』には敵わないのだけれど、ユーモアもありながら感動する作品。
読み終えても暫く余韻に浸ることとなった。
不思議に可愛らしい河童の坊(道彦)には情が湧く。
☆大気都比売(おおげつひめ)
日本神話における食物の神。