1899年とあるので、まだ世界大戦前の、村田先生の土耳古(トルコ)滞在記。
村田先生は『家守綺譚』や『冬虫夏草』でも名前があがっていた、綿貫の友人。
エフェンディは、昔トルコで用いた学者・上流階級の人に対する尊称とのこと。
当然だけど、語り手が変わることで前2作とは少し趣が違う。
村田はトルコに
...続きを読む居て、世界情勢が綿貫よりも見えているわけだし。
著者の梨木さんは当時のトルコ、スタンブール(イスタンブール)の様子について丁寧に描かれている。
時代的にも首都がアンカラに制定される前なので、イスタンブールは多くの人種でごった返し、栄えている。
その殆どがイスラム教徒だ。
そんなわけで、前半はトルコの様子や、人々との交流、村田の専門である考古学まわりの話。
鸚鵡が登場するシーンは毎回ユーモラス。
絶妙のタイミングで「It's enough !」と叫ぶのも憎めない可愛らしさ。
(このIt's enough !が、のちに読者の目を潤ませる)
それから様々な神様たち。
日本に居る綿貫の周りでは竜神や稲荷、河童や天狗、草花の聖霊たちが沢山登場した。
そしてトルコでもワールドワイドに不思議なことが起こる。
村田の下宿先は、どこの何とも判別できずに収蔵場所にも入りきれない、遺跡の寄せ集めが建築資材となった建物。
その為か、牡牛の角が埋められていて漆喰の壁が光るのだ。(この辺りが不思議な出来事)
そこに綿貫が木下氏から貰った稲荷(キツネ)の根付け、清水氏から頼まれたアヌビス神(山犬)が加わって、
神々はドタバタと大騒ぎになる。
「神も生まれ、進化し、また変容してゆくのです。その共同体の必要に応じて。そしてその社会が滅びたとき、その神も共に滅びるのです。神というのは祈る人間があってこその存在、つまり関係性の産物ですから。」
オットーのこの台詞が、不思議と心に響いた。
日本は、別の種族に追いやられて元の種族や信仰が滅んだりしたことはないのだなぁと、改めて思う。
トルコは古くから栄えていたけれど、古代ギリシャやオスマン帝国が興亡を繰り広げた場所でもある。
日本の王の交代(正しくは大政奉還で王の交代ではないけど)が平和的であったことを驚かれるシーンもあった。
これについても世界的には珍しいことなんだろうな。
普通、王が変わるだなんてクーデターや革命だもの。
少し前の時代設定といえど、トルコの様子や、世界から見た日本・日本人を、考えさせられるシーンが他にも多々あった。
例えば雪合戦から発展したオットーの話。
学生の頃、反目し合っていた隣町の高校生から雪玉を投げつけられた。
挨拶としては手荒だが、崩れた雪玉の中から人数分のキャンディーが出てきたという。
村田は「いい話だなぁ」と感嘆するが、ディミトリアスは
「そう単純ではないよ。投げられた雪玉にはやっぱり攻撃性があるんだ」
と発言する。
そしてオットー本人も、
「文化的な"したたかさ"みたいなものだ。……………泥臭い土着の知恵のようなものだ。戦略的、とでもいうか。」
と語る。
オットーはドイツ人でキリスト教徒だ。
一方ディミトリアスはギリシャ人でキリスト教徒だが、その教派はギリシャ正教。
そして村田はというと日本人であり仏教徒ということになるが、多くの日本人がそうであるように、お経も知らず、仏陀の誕生日もうろ覚え。
二人の言葉を聞いたうえでやはり村田先生は
「いや、やはりいい話だ。僕は雪玉の中にあめ玉が仕込まれていた経験など全くない。うらやましい限りだ。」
と返す。
「自分で言いながら、おめでたさに呆れてしまう」と心の中で思いながら。
この場面は、敬虔なクリスチャンであるディクソン婦人の
「男って、本当にどうしようもないわ!」
で幕引きとなるのだが。
オットー、ディクソン夫人、ディミトリアス、ムハンマド(ちなみに彼はイスラム教徒)、その他の面々…ルーツは違えど、皆、信念を持った心優しき人たちだ。
だが後半から、世の情勢が不穏になってゆく。
トルコを後にする村田先生は最後に、壁の中の神々の行く末を相談し、火の神とキツネの神を日本国へと連れて帰ることになる。
火の神(サラマンドラ=赤竜)とキツネの神(稲荷)については、前2作とここで繋がってゆくんだね。
その夜の村田先生の夢での台詞。
きっとこのトルコ滞在で村田が手にした考えなのだろうな。
「……………殺戮には及ばぬのだ、亜細亜と希臘世界を繋げたいと思ったのだろうが、もう既に最初から繋がっているのだ、……………」
帰国後の村田にはディミトリアスの言葉がよみがえる。
「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは1つもない…。」
切ない話だった。
著者の梨木さんが時間をかけて丁寧に、当時のトルコの様子や登場人物を描いた分だけ、その気持ちは大きくなった。
ディクソン夫人は母国イギリスに帰国することとなる。
だが第一次世界大戦は、イギリスや大日本帝国は連合国であるけれど、トルコ(オスマン帝国)やドイツなどの中央同盟国とは敵対している。
村田が滞在中に過ごしたあの日々は、もう戻ってこないのだ。
「私の スタンブール
私の 青春の日々
これは私の 芯なる物語」
あとがきも必読。