梨木香歩のレビュー一覧
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梨木さんのエッセイは、深く、また思い至らないところまで広く。
読んでいて、なぜか深い安心感を感じる。
目にする草花にも
「ひっそりとある、という風情が好きなのだった。自分を強く主張することもない、他の植物の陰になっていても自分が犠牲になっているなんて思わない、淡々と自分を生き切る、そういう日常の満ち足り方。だから華やかな他の花のように周囲に自分を誇る必要もない。」
と、その在り方に、生き方の美しさを見出す。
人との付き合い方、ものの見方についても
あぁ、自分はまだまだ浅いなぁ、
たくさんのことを知り、深く考えねばなぁ
と反省もさせられるが、
そのままでも良い、と受け入れられているような心地にもなる。
深くものを思う、静かにものを見ることの大切さを思い知らされる。 -
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「冬虫夏草」を読んでサラマンドラ(赤竜)と稲荷の関係が解らずにいたのですが本作を読んで合点がいきました。
てか順番的には『家守奇譚』『村田エフェンディ滞土録』『冬虫夏草』なのかなぁって思いました。
トルコに留学した村田氏の見聞録になりますがこれは東西の異文化が混在してごった煮のような味がでてました。混じりあった体臭が独特。
宿舎の女主人はイギリス人、使用人のムハンマド、下宿人は村田氏の他にドイツ人とギリシャ人、宗教は、キリスト教にイスラム教、仏教にギリシャ正教とある。ギリシャ正教がなんなのかよく解らなかったのですがキリスト教の分派みたいです。
あっ最後にオウム、(真理教じゃないですw)
ムハンマドが通りで拾ってきたオウムなんですがこの子がいい味出してました。都合のいい解釈で拾ってきたのですがオウムって結構長生きなんですね。ググったら80年位生きるとかっw
飼主の寿命がきて相続人が不用に思い捨てたとゆう説も説得力ありますね。かなり人間嫌いな学者に飼われていたようで
「悪い物を喰っただろう」「友よ」「いよいよ革命だ」「繁殖期に入ったな」「失敗だ」の5つの語彙しか持ってないのですが適宜使いこなしてるところが凄いとゆうか、「めし」「寝る」「風呂」の3つしか使わない昭和の亭主族よりもよっぽど賢いと思いました。そして、みんなのまとめ役のように見えてきて楽しめました。
村田氏の部屋の壁に何か強い力のものが埋まってるとか、遺跡の採掘場から出てくる石板とかを建築資材に利用してるとか書いてありましたが、私はカッパドキアのような洞窟都市を想像してました。カッパだけにっw
まっそんな部屋でキツネとか犬が暴れだすとか飛抜けて面白かった。
パーティでは日本の大政奉還について関心がられたり、
裏では着々と革命に向けて暗躍してたりと目まぐるしいなか
オウムが覚えた新しい言葉
「もういいだろう」
「何時だと思っているのだ、静かにしろ」
見透かされてるかのように叫んでいたのが印象的でした。
そして、最後はジーンと来たので★5にしました。
エンディング曲には庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」を口ずさんでしまったっw -
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梨木香歩の椿宿の辺りにを読みました。
主人公の佐田山幸彦(通称山彦)は化粧品を開発する会社の会社員です。
最近、原因不明の痛みに悩まされています。
彼の従姉妹の海幸比子(通称海子)もまた原因不明の痛みに悩まされています。
海子が通っている仮縫鍼灸院の治療師の亀シの提案で山彦は彼らの祖父の実家のある椿宿に行ってみることになります。
なぜ彼らはそのような神話に関連するような名前をつけられることになったのか、祖父の実家の椿宿はどのような場所なのか。
祖父の実家に長年住んでいた竜子さん、その実家を歴史的な建造物として保存しようとしている珠子さん、竜子さんの長男の宙幸彦さんなどとの交流により、椿宿にあった神話的なわだかまりが解消されていきます。
その結果、山彦、海子の痛みも治癒するのでした。 -
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ネタバレ作品紹介・あらすじ
『家守綺譚』『冬虫夏草』の姉妹編
著者によるあとがき「あの頃のこと」を収録
19世紀末のトルコ、スタンブール。留学生の村田は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミィトリスと共に英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく――。色褪せない友情と戻らない青春が刻ま れた、愛おしく痛切なメモワール。
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再読。
記録によると前回は2009年2月8日に1日で読破している。その時は角川文庫からの出版だった。それから14年後、今度は新潮文庫から著者による「あの頃のこと」を加えて出版された。
村田とはこの物語の主人公。エフェンディとはトルコ語で「先生」みたいな意味。滞土録とは土耳古、つまりトルコでの滞在記録みたいな意味。だからタイトルは「村田先生のトルコ滞在記」ということになる。ちょうどこの本を読んでいる最中に、この物語の舞台であるトルコ(そして隣国シリア)で大地震があった。今日現在、死者は両国あわせて5万人を超えたとのこと。不思議な符合、と書いたら不謹慎になるだろうか。
不思議な符合はまだある。この作品の初出は「本の旅人」2002年10月号~2003年10月号に連載されていた。連載時期をみると、ちょうど9.11、アメリカ同時多発テロ事件の1年後のことになる。今回の「あの頃のこと」でもそのことや、その後のアメリカのアフガニスタン侵攻に触れている。今回新潮文庫から出版された際には、アメリカと並ぶ大国、ロシアによるウクライナ侵攻に関連して世界が不穏な空気になっている。やはり不思議な符合に思える。というかそれだけ世界情勢は昔から変わっていない、ということなのかも知れない。
村田は日本人で一応の仏教徒、下宿を営むディクソン婦人は英国人でキリスト教徒、その下で働くムハンマドはトルコ人で回教徒、下宿人のオットーはドイツ人でキリスト教徒、同じく下宿人のディミィトリスはギリシャ人でギリシャ正教徒。様々な国から様々な宗教を背景に持つ人々が同じ下宿で暮らし、生活をしている。人としての交流や、人以外の不思議なモノたちとの事件も起こるが、とりあえずは平穏に暮らしている。ただし、世界はそんな平穏とは関係なく第1次世界大戦へと向かっている。最後の章はまさに痛切。
以下、ネタバレがちょっとあります。
「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。これはローマの劇作家テレンスティウスの言葉の引用なのだけれど、色々と考えさせられるフレーズ。ギリシャ人でありながらなぜディミィトリスはトルコのために青年トルコ人として戦死したのか。なぜディミィトリスの事があまり好きでなかったムハンマドがそんな彼の死を信じられずに彼を探しにいったのか。なぜムハンマドが戦死した時、オットーは彼の遺体を探しにいったのか。「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」。そこには国も宗教もない、ただの人間という存在があったからなのかも知れない。 -
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ネタバレぬか床から始まる日常物かと思いきや、どんどん話が膨らんでいき、最終的には生命の深淵をのぞき、そして読者にも問いかけるような内容となっている。
後半から挿入される「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」はかなり抽象的だが細胞壁=ウォールを持つ生き物とそこに入り込んできた似て非なる生命のお話で(だと思っている)同じテーマをあつかっている。
もとはひとつの生命が生まれ、壁を作り、それを壊し、そしてまたひとつになることの不可思議さと奇跡、または呪いや祈り。
自分が何者かの定義の曖昧さもあれば、確固たる
自分の意思もあるような気がするその線引きの危うさと自由さ。
そういったものを深く考えさせられた。
誰もが良いと思う作品ではないと思うが、個人的に
忘れられない作品となった。 -
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ネタバレ"椿宿の辺りに"を読んだ後、再読してようやく、私はこの物語が好きだった事に気付いた。最初に読んだ際は、主人公の曖昧な記憶、過去と現在(現在と言っても、ファンタジーに満ちて象徴を読み取らないとならない)が入り交じる物語に囚われすぎ、印象を上手くまとめられていなかった。
蓋をしてしまうほどに辛い過去があり、そのせいで酷薄な態度を取っていたのが、精霊?土地神?達に導かれて少しずつ自分の記憶と向き合えるようになった。そして会うことの出来なかった息子とも言葉を交わし、何よりも、息子に名をつけることが出来た、というのは、自分の過去へのこだわりを捨てる上でも、息子への想いを昇華させるうえでも、これ程の行為は無かったのではないか。名をつけてもらったからこそ、息子の魂は"何者でもない"状態から"会えなかったかけがえのない存在"へと変わり、二人共が前に進めるようになったのではないか、と思う。
最後に、妻とお互いに言えなかった気持ちを通わせ、この二人もまた前に進めるようになったところも、心を温かくさせてくれる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこんなに生死について書いてる本だとは
読み返しって大事だなあ
こんなにも印象が変わる、あの時は子供だったけど
旅が終わってまで親がびびるなんて、きつかったけど、この現実を自分の中に入れて生きていくんだなこの子はと
母親が知らなかった寛大さ、愛情の表し方を知ってるんだな
西の魔女が死んだも3代の女性のお話でしたよね…?
梨木香歩ってすごいんだなあ
照美の感情(環状)がごちゃ混ぜで、だからこそ私も一緒に旅をした実感があるのだと思う、結末を全て納得できるのだと思う
描き方がすごいってことなのね
ファンタジーや児童文学でこそ人生で大切なことって実感して学べる気がするな、私の場合は
とゆうか育っていない子供の部分を今さら児童文学で学んでいる感じかもな
あとどうしても千と千尋を思い出してしまう…この日本人のDNAが…
裏庭好きだって言ってた大学の同級生を思い出す