いとうせいこうのレビュー一覧
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ネタバレ2017年刊。生誕150年企画。積読本でした。
『こころ』は他の本でもいろいろ読んだので、あまり目新しさはかんじなかったです。
『三四郎』は面白かった!
『草枕』タイプの小説で絵画を理想とした、物語ではなくシーンが推移していく小説だというのは知りませんでした。
『草枕』は何度も書店で買おうかと迷って「でも、これ漢字が多すぎて、絶対眠くなりそう(恥)」と躊躇していましたが、漱石が本気を出した小説「これが小説というものだぜというはっきりした信念を見せている」というくだりを読んで、ちょっとがんばって読んでみようかと思いなおしました。まあ読めるかどうかまずは買って手元に置いてみようかな。と思いました。 -
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能も狂言も人形浄瑠璃も見たことないので、
実際にどのような”動き”をするのかは全く想像するしかないのですが。
後書きでは「舞台での人形は本当に死ぬ。首が飛ぶ、崖から落ちればそのまま動かなくなる」とありそれを想像しながら読むと心に迫ります。
【「能・狂言」新訳:岡田利規】
能「松風」
磯に立つ一本の松の木。
行平中納言の一時の寵愛を受けた二人の女の情念。
能「卒塔婆小町」
若き日は美しかった。
その昔戯れに扱った男の怨念が憑り付いて、
いまでは卑しく年を取った。
能「邯鄲」
”邯鄲の夢”の能舞台化。
狂言「金津(かなづ)」
「はい、こうして登場したのが誰かと言いますと、金津というところに住んでいる人です」
新築したお堂に置くための地蔵を求める金津の住人と、
詐欺師”すっぱ”の悪巧み。
”すっぱ”の子をお地蔵様として金津に送り込んだ!
狂言「木六駄(きろくだ)」
伯父へのお使い品を使い込んでしまった太郎。
さあどうやって誤魔化す?!
狂言「月見座頭」
座頭と男は気が合って楽しい時間を過ごすが、
男には相手が盲目と言うことで意地悪心が湧き上がり…。
【「説経節」新訳:伊藤比呂美】
語り物「かるかや」
刈萱(かるかや)の総領、加藤左衛門重氏は、花見の最中に浮世を離れることを決意し、妻と幼い子供たちを残して出家する。
父を恋う子供たちは、長じて父を探しに出る。
すれ違う親子。
しかし僧門に入った重氏は、現世への思いを断ち切る。
立ち去る父の哀れ、追えない子らの哀れ、待つ身の妻の哀れ。
【人形浄瑠璃 近松門左衛門「曽根崎心中」新訳:いとうせいこう】
天満屋の遊女お初と将来を誓い合った平野屋の手代徳兵衛は、
金銭詐欺にひっかかり身動きが取れなくなってしまう。
弁明は聞かれず、無実にして死罪は免れなかろう。
お初と徳兵衛はあの世への道行を進む…。
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最後の道行の文章が美しく美しく。
これは近松門左衛門がすごいのか、
いとうせいこうがすごいのか。
舞台で見たらさぞかし胸に迫るだろう。
【人情浄瑠璃 近松門左衛門「女殺油地獄」新訳:いとうせいこう】
油や河内屋の次男与兵衛は、生来の遊興癖、怠け癖とズル賢い気質から借金を重ねる。
向いの小さな油問屋豊島屋(てしまや)の嫁のお吉は娘三人を育てる気風のいい女。
良からぬたくらみを持った与兵衛は、豊島屋へと忍び入る…
***
動きのある文章でテンポよく話も進み、
お吉の明るさで弾みもつき、
そんななかで何も考えないかのごとく
与兵衛の行動がひたすら深みに堕ちていく様相が
不穏さを見せ続ける。
激しくしかし密かな家族の愛、
クライマックス”油殺し”惨劇の迫力、
そして殺人が露見するミステリー要素…
これは確かに見事な脚本。
【「菅原伝授手習鑑」新訳:三浦しをん】
梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん
菅原道真の領地の四郎九郎の三つ子、梅王丸、松王丸、桜丸は、
それぞれ菅原道真、藤原時平、斎世の宮の牛車番。
斎世の宮は道真の娘刈屋姫と駆け落ちし、
時平は道真の筆法伝授を巡り道真を失脚させる。
主人たちの関係が変わった三つ子たちは、それぞれの主人に従うこと気持ちを示す。
梅王丸は道真の流罪先を訪ね、桜丸は自害する。
道真への忠誠を指した梅と桜に対し、あくまでも彼らを追及する松。
しかし松王丸は、誰よりも苛烈な方法で道真への忠誠を示していた。
これらの話がのちの世まで知られているのは、天神さまとなられた菅丞相の御恵みであろう。
…という、シリアスな話を「少年少女名作文学集」かなんかで読んだのですが、いざ全体版を読んでみたら、以外に軽妙だったりユーモラスだったり色艶っぽかったりという場面も多かった。
悪役時平公が、牛車で大立ち回りを演じる場面などさぞかし迫力であろう。きっと人形の首がクルッとかわって怒髪天を抜くかのような顔面に変わり…などなど頭に浮かんできます。緊迫場面、ゆったりした場面、人間心理の妙、じつにバランスが取れています。
【人形浄瑠璃 ・歌舞伎 「義経千本桜」新訳:いしいしんじ】
壇ノ浦にて平家を滅ぼした義経だが、兄の頼朝に追われることになる。
義経の正室卿の君の犠牲、暴れる武蔵弁慶、義経を慕う静御前、そして忠臣の佐藤忠信。
捕る者逃げる者らの思惑を経て、義経一行は北上する。
海の上で義経以降は、壇ノ浦に沈んだはずの平知盛の襲撃に逢う。
知盛は壇ノ浦を逃げ延び、安徳天皇を擁し再起を図っていた。
宿敵との戦いは、共通の目的を持ち…
清盛の直径でありながら、平一門からはぐれた平維盛は、 正室若葉の内侍はわが子六代との再会を目指し、身を潜めていた。
そしてやはり壇ノ浦から逃れた平教経との邂逅…
後白河法皇から賜った鼓に情を寄せる狐の思慕、
男女、親子、そして主従の情景が絡み合い…
…ということで、「●●は生きていた!」「▲▲は実は※※だった!」などなど、想像を広げまくって自由闊達に書かれた脚本でした。
【人形浄瑠璃・歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」新訳:松井今朝子】
「江戸時代の赤穂事件を足利尊氏の執権高師直に置き換えて上演」ということは聞いていましたが、高師直相手に仇討なんてしたらさすがに歴史を変えすぎないか…?と思っていたのですが…いやあ、筆は強かった、史実なんてかっ飛ばして仇討しちゃいましたよ(笑)
高師直は、塩谷判官の妻”顔世”に恋慕するが、袖にされた恨みを判官にぶつける。
塩谷判官は高師直に切り付け、切腹と家の取り潰しを申し付けられる。
塩谷判官の家老大星由良助は、遊びに興じる振りをして仇討の機会を探る。
由良助の嫡子力弥は、判官の同僚桃井若狭守の加古川本蔵の娘小浪と婚約していたが…
…えーっと、高師直を討ち取ってしまいましたが、今後の歴史をどうするつもりなんだ(笑)。人がエンターテイメントを求める気持ちは史実を超越する(笑) -
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いとうせいこうと奥泉光が、漱石の小説について、ライブで語り合う。
10年以上前から、この2人で、文芸漫談という形式で色々な文学作品を、鋭く、面白おかしく語っているとのこと。
今まで全く知らなかった。もっと早く知っていれば、もっと人生楽しくなったのに。
とにかく2人の文学作品への造詣の深さ、感覚の鋭さに感嘆。それでいて、アプローチの仕方がエンターテイメントで、笑える部分も多い。
作品をボケとして扱い、突っ込み(ここが文芸批評)を入れる形式で、愛をもって笑いに昇華しつつ作品に切り込んでいく。
あまり、漱石を偉人として扱わず、等身大の人間として、扱っているところも素晴らしい。
紹介されている「坑夫」という作品が、前衛的で面白そう。
私は内田百閒が好きだが、漱石は百閒のお師匠さん。
漱石の夢十夜等に影響うけているのではとも思ったが、今回のこの対談で触れられている、「坑夫」の抽象的な眩惑的な場面にも意外と影響受けているのでは?と思った。 -
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名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。
「色好み」というのは、日本の文化・伝統というものを考えたとき、まず最初に指を折るべきところ。何しろ『古事記』の国生みからして、その話から始まるのだし、世界に名立たる『源氏物語』は全篇「色好み」の主題で貫かれている。というわけで、十七世紀から十九世紀にかけての日本文学を代表する作品として選ばれているのは、浮世草子、読本、洒落本、人情本というまあ、今でいうエンターテインメントばっかし。面白くないはずがない。そうはいっても、怖いもの見たさで現代語訳を読んでみた『雨月物語』を別として、あとの三作は原文はおろか訳文すら目を通したことがない、という体たらく。
それもそうだ。『平家物語』の書き出しのように人口に膾炙しているわけでなし、『源氏物語』のように、何度も映画化されていて、原作を読まずともある程度のストーリーに通じているといったキャッチーなところが少ないのだから。まあ、世之介という主人公はけっこう有名で市川雷蔵主演の映画でそのキャラクターも知ってはいたが。『源氏物語』五十四帖をパロディにした、こんな愉快な物語だったとは、現代語訳を読むまではとんと知らなかった。
これは、江戸時代前期の日本各地を舞台にした一種のピカレスクロマンではないか。女だけではなく若衆、つまり男も相手にした好きものの男の一代記。日本が諸外国と比べ、性に対してあけすけなのは知っていたが、これほどまでとは知らなんだ。ところかまわず、相手かまわずことに及び、子どもが生まれたら捨て子にし、どれほど一生懸命に口説いた相手でも、時がたてば別の場所、別の女にいれあげる。この世之介という男、とんでもない男である。その一方で、女にまことを尽くし、どこまでも連れ添おうとする律儀なところもある。価値観というものがそんじょそこらの男とはちがっているのだ。
長い戦国時代が終わり、徳川の世になったことで天下泰平の時代の空気のようなものがそうさせるのか、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」というギャグがあったが、世之介が欲するのはただただ色事に尽きる。歌枕を訪ねるように女を求め日本各地を漂泊する前半も読ませるが、親の遺産を蕩尽しようとして果たせぬ後半のアナーキーさがニヒリズムさえ漂わせ凄みをみせるのが、「好色丸」と名付けた船で女護ヶ島目指して旅に出る最後の場面だろう。バイトやヘルプという俗語も自然になじむ島田雅彦の現代語訳は読みやすい。各巻七章で八巻のみ五章の構成。短い章立てがテンポよく、飽きさせない。
中国白話小説を翻案し、日本を舞台にした怪談集の体裁をとる『雨月物語』は、円城塔訳。儒仏道の薀蓄を散りばめた上田秋成の原文を格調を失わない現代文によく移し変えている。「白峰」にはじまる怪異を描いて鬼気迫る迫力を見せるが、軟文学でないという点で他の三作に比べると異色。
いとうせいこう訳による『通言総籬』は訳者も言うように田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を髣髴させる当世カタログ風の出来。通人が当時流行っていた遊郭にあがって太夫を呼んで騒ぐ午後から夜明けまでの一部始終を、当時最先端の風俗をこれでもか、というように次々と繰り出してみせる、山東京伝の才気走った一篇。見開きページの右に本編、左に脚注を配した「なんクリ」ならぬ「ツーまが」。いちいち脚注に当たるのは面倒という向きは、本編だけでも読める程度に噛み砕いてくれているので安心。しかし、脚注で事細かに語られている当時の風俗、流行が何より興味深い。ちらちらと目をさまよわせて読むのも一興。
島本理生訳の為永春水は、かなり原作を改変しているようだ。といっても話の内容をではない。語りを、三人称ではなく主要な登場人物の一人称の語りにした点である。そうすることで、視点人物の感情が読者と共有され、まだるっこしいような男女間の情愛や、女同士の義理立て、意地の張り合いが、一気に分かりやすくなった。人情本本来の情調とは若干異なるのかもしれないが、時代小説のノリで読めるのはありがたい。多分、原文だったら最後まで読み通す気にならなかったと思う。
読まないでいてもいっこうに困らない、という点で名所旧跡にも似た四篇だが、まあ、一度読んでみても損はない。それどころか、日本文化が本来持っていた軟らかさ、なまめかしさ、艶っぽさ、仇、粋、といったあれこれが目の前に立ち現れてくるのがなんとも心地よい。極上の酒を、気の利いた肴をあてに口にしているようで、いやあ極楽、極楽。武張った今の世の中が、いかに日本を忘れてしまっているかを思い出させてくれる警世の書というべきか。 -
Posted by ブクログ
いとうせいこうという人が私の人生に初めて登場したのは教育テレビの「天才ビットくん」という番組だった。それからバラエティ番組などで彼を見かけると、なんとなく親しみを感じたものの、その記憶も時とともに薄れて、私の中で彼は「なんとなくインテリぶっているタレント」に成り下がってしまっていた。この本は、そのことをひどく反省させられる本であった。まずいとうせいこうが描くみうらじゅんがすごく良い。おそらく根底にはみうらじゅんに対する羨望や嫉妬があって、しかしながらどうしようもなく惹かれているんだろうと感じさせる。みうらじゅんの視線をできる限りこちら側に伝えようとかなり気を遣った表現をしつつ、後半では自分と仏像との運命的な出会いについても丁寧に描写している。実に引き込まれる一冊である。
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1993年作品!
一読して、1993年を感じる。
古いとかじゃなくて、あのころのSFはこんな感じだった。
『想像ラジオ』からいとうさんの作品に触れた人は驚くんじゃないかな。
『ワールズ・エンド・ガーデン』は当時読んでいたけど、こちらは未読だった。さすがに20年経っていると関連性は思い出せない。
洗脳と脱洗脳をテーマとするアンチヒロイックな作品と考えると、オウム事件以前にこの作品が書かれていたというのは凄いことだ。