いとうせいこうのレビュー一覧
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「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聞こえるという、ラジオ番組。想像ラジオ。
DJアークは、妻と子と連絡がつかないことからラジオに乗せて、声を届けようとするが…。
東日本大震災をテーマにした小説だということは、情景描写から容易に想像がつく。
DJアークが津波で打ち上げられ、木に引っかかって亡くなっている状態であることも。
しかし、本人はそれが分からない。分からないから、第1章はこんなに呑気というか、飄々としているんだろう。
第5章では、はっきりと自分の置かれた状況に気づき、妻子からの連絡がないのは自分が死んでいるからと分かる。
リスナーも皆、死んでいるんだ。一部、聞こえる生者もいるけれど。
でも、想像することで、声が聞こえる。
聞きたかった人の声。
想像することで、生者の生活に死者は関与できる。
死者は、生者がいなくなれば、誰も思い出してくれなくなり、存在できなくなる。そんな関わり合う関係にある。
「経験したことないのに、軽々しく想像するな」という声もあるようだが、想像したらいい。
そうしないと、死者は存在しなくなってしまうから。
死者のことを無理に忘れる必要はない、悼む時間が必要だし、死者にもおそらく自分の状況を把握する時間、遺した家族の声を想像する時間が必要、気持ちを整理するには時間が必要だという話かな、と思った。 -
Posted by ブクログ
読み終わるまで1年以上かかった。
何年もMSFは支援し続けているので、その広報誌でこの本のことは知っていた。ルポルタージュではあるけど、ちょっとだけ不思議なエピソードを挟んでいる。それでも読み進めるのに時間がかかった。
著者が訪れたのは、地震の後に治安悪化したハイチ、フィリピンは国自体は発展途上ではあるが首都に残る大きなスラムの貧困、アフリカと中東から溢れるゴムボートでギリシア目指して渡ってくる難民たち、南スーダンの紛争でウガンダに押し寄せる難民…
難民の人々は、彼らは人生のある時までは私たちと普通に暮らしていたのだ。仕事をし、家事をして、子どもを育て、農作業をして…それが、戦争という個人ではどうにもできないことで破壊され、難民の女性は何と10人に7人がレイプされているという。だから、国境なき医師団は外傷や内科の治療だけでなく、精神的なケアも担う。いとうせいこうさんが男性だから取材できた場所もあるだろうけれど、女性が取材するべき話題の場所も多くあったのではないかと感じた。それでも、とにかくこのような取材をして本を書ける人はそうそう居ないのだから、著者の努力は凄い。(ちゃんと本を書けるというのは特殊技能だと私は思ってる。)女性目線のは、看護師の白川さんの本でどうぞ。
国境なき医師団はノーベル賞を受けて有名になったけれど、医師と看護師だけでなくコーディネーターやロジスティシャンや現地ドライバーや現地通訳、文化的仲介者、とたくさんの職種の人々が関わっていることはさほど知られていない。いとうせいこうさんの1日を通して、読者も各国のMSFの活動を疑似体験てきる本だといえる。 -
Posted by ブクログ
著者は福島の被災者たちと対話・傾聴を重ね、本来は対話(ダイアローグ)によるドキュメンタリー作なのでしょうが、著者の発話や問いかけは消され、語り手の独白(モノローグ)の形式をとっています。
会話が消されることで、当事者心理がより深く描写され、揺れる心情や真意をあたかも聴き手に話しているような…実際、私たちは読んでいるというより聴いている印象です。
語り口から人物の輪郭が浮き立たち、表情まで想像できるような錯覚を起こします。どの物語からも、彼女らの悲しみ・苦しみ・無念さは察するに余りあり、被害の凄まじさ・状況の深刻さは想像に余りあります。
語り手が全部女性ということにも意味がある気がします。戦争や災害が語られるとき、大概男性目線で女性の立場が蔑ろにされているケースが多い気がするので…。女性の声は日常生活と密接に関わり、それらをたくさん拾う意義は大きいでしょう。
彼女たちの口調からは、時にたくましさも感じますが、その影にはもちろん難局に向き合った痛み、やるせない思いが表れます。
著者は、そうした逡巡する様子をも語りとし、生身の人として今も暮らす姿を知らしめてくれます。
著者の小説『想像ラジオ』(2013)は、被災地から発信する想像のラジオ番組を通して死者の声に耳を傾けるという内容でしたが、本作は当事者が語ってくれるリアリティーにあふれ、対極にある気がしました。あとがきと永井玲衣さんの解説も心に沁みました。『東北モノローグ』もいつか読んでみたいと思います。 -
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文芸漫談2」1はまだ読んでないのですがまず2からで。見仏記の「いとうせいこうさん」と作品が好きな「奥泉光さん」の対談(ショーかも)
積んでいる本の中に付箋がちょろちょろ見えると胸騒ぎがする。記録しただろうか。題名を見て確かに読んでいる。でも感想を書くとなるとあまり記憶が鮮明でない。だからすぐ書こうと言ったのに(パソコンに低姿勢)
でも断言すると、これは面白かった。
いとうせいこうさんの作品は読んだことがないが取り敢えずデビュー作を読むのがいいらしい。
見仏記は相棒がみうらじゅんさんで相当ぶっ飛んでいたりするので、いとうさんが本筋に引き戻しつつ、ありがたい仏さまを見て歩く、この二人の会話が愉快でたまらない。
ここでも奥泉さんが話の翼を広げるだけ広げてどこか世界の違う所に飛び出しそうになるのを、いとうせいこうさんがそれとなく地上に引き戻す。手綱さばきがいい、息もあっている、見仏記と同じようなパターンで、だから面白い。
読んだものも読まなかったものも、二人の話から納得できたり、さすがに作家の視点がと感じたり、ユニークな表現で、照らし出して読ませてくれたり類を見ない。 本音が即本質に通じているという、作家・作品解説と言えばいえる、面白すぎる本でした。
目次を見ると
1 カフカの「変身」は結構ベタなナンセンス・コント
2 ゴーゴリの「外套・鼻」はいきなりハイパーモダン
3 カミュの「異邦人」は意外にイイ人
4 ポーの「モルグ街の殺人」は事件じゃなくて事故でした
5 ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」は臓物小説
6 夏目漱石の「坊ちゃん」はちょっと淋しい童貞小説
7 デュラスの「愛人」にはアナコンダは出てきません
8 ドストエフスキー「地下室の手記」の主人公は空気読みすぎ
9 魯迅の「阿Q正伝」は文学史上もっともプライドが高い男の話
私、「愛人」は面倒な文体に内心呆れて、読みかけてやめました。呆れるというのは全く自己本位な感情でして、映画ともども名作だということがよくわかりませんでした。
その上「地下室の手記」は青空文庫で読んだのですが、これもあまりの憂鬱な内容と主人公がいやな奴過ぎて、読むのをやめました。ただどこがいやなのかという所は、地下室にいて地上に出ない見識、自覚はあるのだという主人公はよしとして、ドストエフスキーも、まぁどちらも作家と作品ながら不愉快満載でした。
奥泉 まぁ大多数の人は、思い込みのセルフイメージと他人から与えられる規定の微細に調整しながら、ある程度、一つの像にまとまって生きていますよね。だけど、地下生活者は違います。
いとう 違うの?
奥泉 自分というものが決定されることがすごく怖い「私」というものが信じられないんです。
いとう それは、自分で規定することが苦しいのではなくて、他者との関係の中で「私」が規定されていくことが苦しいわけ?
奥泉 そう。
とか
また脇注で
全編、逆切れしている中学生みたい…いとう
読みにくさ抜群…いとう
一人称小説は、なんでも地下室に行くと面白い…奥泉
ここなんて奥泉さんの面目躍如かも
例えばこんな風に、私のいやな気分を分析してくれます。
伝記なんて書かれても阿Q本人は読めないのに(笑)…奥泉
会話がおかしく爆笑、「変身」問答も面白かった。
変身
外套・鼻
異邦人 -
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2024年6月にバングラデシュにあるミャンマーからの難民の受け入れ先、世界一広大なロヒンギャ難民キャンプを取材した記録。帰国後、新たな難民が増えたりなど状況の変化を「緊急補足」されていた。
これまで8年間をかけて、ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダ、南スーダン、パレスチナ・ガザ地区、ヨルダンにある「国境なき医師団」の活動を見に行った、いとうせいこうさん、きっかけとジャーナリストでなく作家の視点で伝えたい、という話を聞いて読みたくなった。
どこを読んでも厳しい現実、せいこうさんの写真の表情を見るたびに厳しさが増す。言葉が見つからないなか唯一、本の表紙にもある「キャンプ・ライフ」と題された、可愛らしい刺繍作品があることがホットした。ロヒンギャの手法で縫われたものだが、キャンプの地図を縫う現実を思うと複雑な気持ちにもなった。
序章の「戦争について」と「歴史の傷と向き合うために」歴史学者さんとの対談は特に印象に残った。 -
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DJアークによる、想像力で放送されるラジオ
以下、公式のあらすじ
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深夜二時四十六分。海沿いの小さな町を見下ろす杉の木のてっぺんから、「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聴こえるという、ラジオ番組のオンエアを始めたDJアーク。その理由は―東日本大震災を背景に、生者と死者の新たな関係を描き出しベストセラーとなった著者代表作。
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津波により杉の木の上にひっかかってしまったDJアークは、「想像ラジオ」を放送する
想像ラジオは、リスナーの想像の中で流れるラジオ
語られる内容も、流れる曲もすべてリスナーの想像によって可変
寄せられるお便りやレポートなど、それらは渾然一体となってDJアークの想像ラジオとして放送される
AMでもFMでもなく、イメジネーションを使ったIM
ラジオが聞こえるのはチューニングが合った人だけ
ラジオが聞こえる人と聞こえない人の違いは何か……
死者の気持ちを代弁していると想像をするのは傲慢かどうか?
作中でも「死者の声が聞こえるなんて勝手に言うのは死者への冒涜だ」と言う登場人物がいる
「溺れて水に巻かれて胸をかきむしって海水を飲んで亡くなった人の苦しみは絶対に絶対に、生きている僕らには理解出来ない。聴こえるなんて考えるのはとんでもない思い上がり」
という意見には同意する
私達は亡くなった人の真意を知り得ない
なので想像するしかないし、むしろ想像はできる
戦後生まれの人は、戦争の悲惨さ、特に原爆で亡くなった人達の心境を語る資格はないのか?という疑問
「東日本大震災を知らない世代が『私たちは経験していないから語る資格がない』と思うことがないように書いた」と解説に書かれてあった
経験していない事でも、想像することはできる
その想像が事実とは異なるものでも、想像する行為は無意味ではない
ただ、その想像は個人のものなので、他人に押し付けるものではないと思う
死者は生者の想い出だけに存在するものではなく
お互いに補完しあった存在という考えは私の中にはないものだった
解説では「樹木が小説になった世界」という表現がされている
生きている組織だけの草花に対し、死んでいる組織と生きている組織が共存しているのが「樹木」
「生体と死体が切り分けられない形で、まさに一体となったのが木なのです」という説明で納得できる
まぁ、細かいツッコミを入れるなら、動物でも爪とはある意味でか死んだ細胞だし、生きている体を構成する死んだ細胞は結構あるんだけどね
まぁ、そんな重箱の隅をつつくような野暮と知りつつ
この小説は鎮魂の物語なのだろうなと思った
震災に限らず、生者と死者に別れた人同士を慰める効用があるのではなかろうか -
Posted by ブクログ
いとうせいこうさんの「国境なき医師団(MSF)」の取材ルポです。
スーダンなどの活動地域からの報告は他の著者のMSFの本とは大きくは変わりませんが、本書の特徴としては、日本のスタッフへの活動やインタビューに多くの紙面が割かれている、というところにあります。
また、医師や看護師と言った直接医療にタッチする職種のものもありますが、むしろロジスティック(拠点・物資管理)やアドミニストレーター(人事・経理)など、緊急医療活動を支えるスタッフの記述が多いです。
「私が予算を1ドル節約すると、その1ドルで薬が買えます。」というインタビュー内での言葉が、この組織を支える人の本質を端的にあらわしていると言えるでしょう。
私自身は、読み進めてみるにつれ、MSFの目的を達成するため、思った以上に組織としてしっかりとしているということが分かり、NPOに対する印象が大きく変わりました。
「MSFやこういったNPOの活動には私も参加したいけれども、医師でも看護師でもないし…」といった方は、手に取ってみると良いでしょう。