いとうせいこうのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
NPO団体「国境なき医師団(MFS)」の活動を丹念に取材して書かれたルポルタージュです。
この本の特徴は二つほどあり、一つは難民や貧困の悲惨さがストレートに出ているところにあります。
紛争により住んでいた土地を離れざるを得なかった「難民の方々」。彼らの置かれた悲惨な状況がこれでもか、これでもかと伝わってきます。それは今の日本では到底想像できないことですが、それは明日の私かもしれないし、あなたかもしれない。
その中でも希望を持ち、心優しい姿は胸を打つものがあります。
もう一つは、出てくる登場人物やMFSの周りの人々がとても魅力的に描かれている、ということです。
・60歳を超えて社会に貢献したいと思った電気技師。
・「人のためになりたい」と思う夫を亡くした難民の女性。
・夢を語るMFS責任者。
使命感や共感により、目標や夢に向かって生き生きと活動する様は、できれば自分も関わりたい、と思うほどで魅かれるのでした。
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この本は400ページ以上ありますが、「言葉を紡ぎ出す」というのはこういうことか、と思えるほど印象に残る言葉が多く、先へ先へと読ませる力を持っています。
読むと元気が出る、自分も何かしよう、自分の立っている位置で社会に貢献しようという気になる、そんな本でした。
続編があるとのことですので、こちらも近いうちに読みたいと思います。 -
Posted by ブクログ
読んでよかったです。
心底思います。最後のページをめくった時に涙が止まらなかったです。
なんの感情かわからないけど悔しくて悔しくて、何もしていない自分にも腹が立つし。
これはまだ2023年10月以前の2019年に訪問し、ガザやヨルダンのMSFによる病院を取材したもの。
いとうせいこうさんの本を初めて読んだけれどまあ読みやすいし、なんだろう、人間くささがあって好きです。リアルを伝えてくれる。きっと私も同じ状況になると同じことを思う。
パレスチナの人達はやっぱり強い。
家族を失っても、自分の腕や足、そして皮膚を失っても、生きている方が辛いと思う時でも必死にあがいてあがいて踏ん張って生きている。
そしてそうなっているのはただの民間人だということ。
夢を持った青年や少女、子供たち、これからいろんなことを経験していく子達がこの本の取材がされている時から今もなお未来への道を裂かれていってる。
そんな人達を懸命に助けようとする国境なき医師団の方達には頭が上がりません。ありがとうございます。
パレスチナに未来を。 -
Posted by ブクログ
書店の新書コーナーに置かれているのをたまたま見つけて購入した本書。大変失礼ながら、いとうせいこうさんを存じておらず、今回はガザの話が気になり購入。
「国境なき医師団(MSF)」については、世界各地の紛争地域などで医療活動を行っている団体であることは知っていたが、その理念や実際の活動内容、特に証言活動については本書で初めて知ることになり、大変勉強になった。最初から医師とジャーナリストで立ち上げられた組織ということも初めて知った。
正直、他のNGOや国連機関などとの違いをよく理解していなかったが、完全に中立であり、それを理念として貫徹しているMSFだからこそできる、MSFにしかできない活動なのだと感じた。熱意を持って日々活動されている方々に尊敬の念を抱くと同時に、今後微力ながらサポートしていきたいと感じた。
いとうさんは以前にもMSFについての書籍を出版されているとのことなので、そちらもぜひ読みたいと思う。 -
Posted by ブクログ
i started reading this without knowing what it’s about. realized half way through and i started crying the moment i found out because everything suddenly started to make sense. I’ll def read this again and again just to guess if each of the speaker in the book is dead or alive. great book to read in one or two days.
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Posted by ブクログ
ずっと前に表紙とタイトルに惹かれて買っておいてあった本
東日本大震災に関連して書かれた本とは知らなかったので、今日読めてよかった
生きてると死を厳格に考えすぎてしまうけど、亡くなった人はもしかしたらこの本みたいにみんなでラジオを聞いてるんじゃないかくらいの気持ちになれたらすこしホッとした
作中でも亡くなった人の苦しみは生きてる人には理解できないと言っていたけれど、自分自身子供の頃大火傷をした時、痛いとか苦しいとか思ったのは治りだした頃だったからそういう瞬間はびっくりしてるだけかもしれないなと思うので、亡くなった人が全員痛かっただろうとか想像して新しい痛みをわざわざ作らなくていいと思う -
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原文の一部が載ってるくらいので読みたいと思ったけれど、完全現代語訳。だけど、それぞれ訳された作家さんたちのセンスがキラリと光り、江戸文学のエッセンスがギュッと詰め込まれた、お値打ち品の一冊。
好色一代男
原作: 井原西鶴/ 現代語訳 島田雅彦
七才の時、夜中に子守に連れられてトイレに行った時、足元が危なくないように蝋燭を持って付いていてくれた子守のお姉さんに「その火を消して、そばに来て」。「足元が危ないから、こうしているのに、明かりを消してどうするんです。」と子守。「恋は闇ということを知らないの?」。
この頃から、クレヨンしんちゃん顔負けの天才好色男児、世之介!
八歳の時に、伯母さんの家に暫くお世話になっていた時に、好きだった従兄妹のお姉さんに
「この間、僕があなたの大切な糸巻きを踏んで壊した時に、腹が立ったでしょうに「全然大丈夫よ」と言って怒らなかったのは、何か内緒で僕に打ち明けたいことがあったからじゃないですか?もしそうなら、聞いてあげたいです。」という手紙を自分で書けないから、自分のお習字の先生のお坊さんに書いてもらって、下女を通じて従兄妹のお姉さんに渡した。お陰で、代筆したお坊さんは自分が誤解されて迷惑を被った。
十歳の時には、早くも男色の気も現れ、十一歳の時には遊郭に出入りを始め…。あちこちで綺麗な人と「いつまでもいつまでも一緒にいようね。」と誓いあって、相手に血判を押した誓約書まで書かせるのだけど、世之介のほうこそ一人のひとに落ち着けないんだね。悪気はないんだけど。「子供が出来た」と言われれば逃げちゃうし。
ろくでなしの女たらし。こんな物語でも340年も経ったものだと立派に“古典”として扱われるのか…と思ってふと後書きを読んでみたら、なんとなんとこれは「源氏物語」のパロディで源氏物語五十四帖を世之介の7歳から60歳までの好色遍歴54年になぞらえているらしい。そもそも日本文学というのは、イザナキ・イザナミの頃から色恋が大好きで、戦いと冒険ばかり描いていた「イーリアス」や「オデュッセイア」とは違うんだって。
そういえば、世之介は光源氏に似てるんだ。ただの好色ではなく、生まれつきのイケメンで、おしゃれで、気が優しくて、くどき上手で、男にも女にもモテる人たらしなのだ。親に勘当されてお金が無いときでも、流しの歌手として身を立てながら、相変わらず色恋沙汰を休まない姿は憎めないし、親の遺産が入って大金持ちになったあとは、可哀想な遊女がいると、サッと身請けしてやり里に返してやるなど、男っぷりのいいことするし。吉原や島原で名だたる、当代一と言われた遊女たちの本命も“世之介様”だったし。
中年になってから、いつもの遊び仲間と、あっちの遊女がいい、こっちの遊女がいいと品定をする会話の場面なんかは、源氏物語の「雨夜の品定」そっくり。
最後には、愉快な仲間たちと舟に往年の遊女巡りの思い出の品を詰め込んで、恋風任せで船出して、行方をくらました。その前に「夕日影 朝顔の咲く その下に 六億円分の 光残して」という歌を刻んだ茶臼石に朝顔の蔓を這わせ、その下に埋めた六億円、まだあるのかなあ(京都の東山だそう)。
あとの3遍も凄く良かった。書きたいことはいっぱいあるけれど、時間の都合で、紹介だけ。
雨月物語
原作: 上田秋成/ 現代語訳: 円城塔
通言総籬(つうげんそうまがき)
原作:山東京伝/ 現代語訳: いとうせいこう
春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)原作: 為永春水/ 現代語訳: 島本理生
「通言総籬」は江戸っ子のリズム感がいい。落語を聞いている感じ。イナセ。今、江戸で流行っているファッションやイケてることなどがビンビン伝わってくる。
「春色梅児誉美」は現代の人に分かりやすいように三人称を一人称に変えて訳すという工夫されたらしいが、現代小説と変わらない。泣けるラブストーリーであり、心温まる感動の再会、友情の物語。島本理生さんのオリジナル作品読んだことないけれど、興味が湧いた。
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3.11の被災地を舞台とした、震災「その後」の物語。
その後の物語と言っても「残された人々」の物語ではなく、「残してしまった人々」の物語。
「残してしまった人々の物語」と言っても、過去形ではなく現在形の物語。
現代の我々の生活は、死者達がいなければ無かった。
我々は死者たちによって生かされている。
この手の言い方は数多ある。
しかし、「それと同時に、死者たちもまた我々によって死者たらしめられ、生かされている」という目線は新鮮だった。
そうか、だから僕らは歴史から目を背けてはダメだし、死者たちからのメッセージにアンテナを立ててなければならないんだなあ。
レヴィ・ストロースによれば、世界中で歴史上様々な部族、文化が発見されてきたが、死者を弔うことをしない部族や文化は存在しないのだそうだ。人間が猿から分岐した理由は、言語を操るからでも、道具を使うからでもなく、死者とさえコミュニケーションできる能力によってなのである。それが人間のアイデンティティなのである。
我々現代人は、人間であると言えるであろうか。
この国は、また世界は、人間であることをやめようとしてはいまいか。
死者たちからのメッセージに耳をふさいで、我々はどこへ向かうのか。
…みたいな、なんかそういうことを、小説という形でオブラートでくるんで問題提起しているふりをしながら、確信犯的に、もうバッチリ露出しちゃってる小説。
そのバランス感覚と言語感覚、そして使命感に脱帽。
YouTubeで東京ブロンクス聞こうっと。 -
購入済み
いとうせいこうによる「国境なき医師団」のルポルタージュ第2弾。比較的安全だった第1弾とは異なり、今回は素人が取材できる中ではおそらく最前線のガザを訪れる。そこは日々イスラエル軍の銃撃をうけた若者たちが運び込まれる野戦病院であり、リハビリテーションセンターであった。身体的にも精神的にも元には戻らない傷を負った人々は、それでも笑顔で取材に応えることで、そしていとう氏はそれを飾らない真摯な言葉で伝えることで、この世界の不当と人間の力を訴える。どんな政治的背景があろうとも、武器を持たない人々を一方的に傷つける「正義」は存在しないのだ。
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夢七日
小説や音楽など、いとうせいこう氏の活動を追いかけているけれど、ここまで私小説的にご自身のプライベートな部分を曝け出している作品は非常に珍しいと思った。
夢の話として、執筆当時の社会情勢やおそらく著者が実際に体験したであろうことが何層にも重なってたくさん描かれている。
特に不妊治療のお話は、著者のお子さんの誕生のニュースが読んでいる時期と重なったので、すごくリアルに感じた。奥様へのラブレターのようにも思えました。
夜を昼の國
歌舞伎や人形浄瑠璃のお話として有名なお染久松の心中話をSNS全盛期の現代に置き換えて描くという大胆な発想の物語。
こんな表現の仕方があったのかー!
関西弁の文体で書かれているのが新鮮! -
Posted by ブクログ
ずっと馬鹿にしながら、しかし何となくリスペクトしていた、仏像を見る二人。単行本が出たのが93年だから、27年前の記述を読む。興福寺、法隆寺、立石寺などなど。
小学生の時に仏像をスクラップブックにしていたみうらじゅんの天才。
「私はみうらさんの正直さに嫉妬していた。彼はいつでも現在に生きていて、瞬間瞬間に集中することが出来る。観念に逃げ込むことなく、事実を感じとることが出来る」
というようないとうせいこうの言葉による描写とみうらじゅんのイラストで二人の仏像を見る旅を知る。面白かった。ただ寺に行って何となく仏像を見たような気になっていたけれど、それだと単に行っただけであって、何も感じた事にはならないんだと分かり、ハッとした。 -
Posted by ブクログ
「仏像は ピースな人の 味方でしょ」
「釈迦も仏像見たかったろうね。見たら驚いたと思うよ。これ、俺かよ?って」
いとうせいこう と みうらじゅん の仏友(ブツユウ)による仏浴(仏を浴びる)の旅の記録。
小学校の時から仏像ノートを作っていたくらいに仏像好きの みうらじゅん が絵を描き、いとううせいこう が文章を書いて仏像から色々考えを巡らせている。
二人の仏像を見ての思考は自由自在。
物を見て何かを考える、違う方から見てみる、当時の人の気持ちになって考えてみる。
そのため仏像そのものの作りから、寺と観光の歴史、仏像の大きさによる感じ方の違い、仏像を伝来か由来かで分けてみたり、仏像に本気で恋したり、大きな仏像を見るために足元に寝っ転がったり、仏像を感じるために周りを走ってみたり、日本の地域の仏像の違いの根本を考えたり…。
仏像の地域の違いは、仏教の玄関である福岡、時代最新である京都や奈良、そしてそんな中央都市から見様見真似で伝わった奥州により、伝わり方が違うんじゃないか、と考えるなど、当時の人たちの事情まで想像が膨らんでいる。
お寺の構造や配置、そして仏像の表情や体格やポーズをみて「格好良さ、色っぽさの基準は変わらないね」などと思っている。
これは、仏像の並べ方が現在の音楽グループと同じ並びだったり、説法ってスターのコンサートや民間から生まれたラップだよねと思ったり、現在の特撮の根本こそ仏像じゃないか?と思ったり、当時の金ピカこそ仏像で侘び寂びは不要だよねと思う反面でも現在でも汚しを入れると格好いいから時間が立ってるからこそ良いのか?などと考えているのだが、たしかに何千年経っても人間がバランスが良いとか、粋だなと思うものは変わらないのだろうか。
そして二人が神仏像巡りで感じたことは「六道を司る仏様なら死んだら俺達会えるじゃん。仏って自分のリーダーじゃん、てことは自分自身じゃん」という結論にたどり着いていて、なるほどあの世で会える存在だと思えば仏像は気負ったりせず身近なものだと感じられるかもしれない。
神仏と言われると背筋を伸ばして見たり学んだりしなければいけない気持ちになってしまうのだが、宗教が救いであるなら気持ちをゆったりと自分が気持ち良い見方、感じ方を各自で自由に感じて良いのだろう。
この本では対象が仏像ですが、何かを見てそこから思いを巡らせてゆく、思考遊びが広がってゆく様という意味でも面白い本でした。
さて、この「見仏記」最後の方で「三十三年後にまた三十三間堂で会おう」と約束してこの本は終了している。しかしこの企画が始まったのは1992年。その後見仏記の続きは出るし、テレビ放送もされるし、そうやって仏を浴びつづけてもう30年経つではないか。それなら数年後に「最初の企画の約束通り、三十三年後にに三十三間堂にやってきました!」企画が出るのだろうか。