【感想・ネタバレ】能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵のレビュー

あらすじ

能「松風」、狂言「木六駄」、説経節「かるかや」ほか、近松門左衛門の世話物やいわゆる三大浄瑠璃といった傑作を、作家の新訳で収める画期的試み。舞台もさらに楽しめる最高の一冊。

解説=池澤夏樹
解題=宮本圭造、阪口弘之、内山美樹子
月報=酒井順子・後藤正文

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Posted by ブクログ

純粋に面白く読めました。
説教節、曽根崎心中、女殺油地獄、菅原伝授手習鑑、
義経千本桜、仮名手本忠臣蔵
それぞれ有名な作品ですが、しっかり読んだことが
今までなかったのですが
現代語訳で非常に読みやすく一気に面白く読めました。

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2018年07月30日

Posted by ブクログ

能も狂言も人形浄瑠璃も見たことないので、
実際にどのような”動き”をするのかは全く想像するしかないのですが。

後書きでは「舞台での人形は本当に死ぬ。首が飛ぶ、崖から落ちればそのまま動かなくなる」とありそれを想像しながら読むと心に迫ります。

【「能・狂言」新訳:岡田利規】
 能「松風」
磯に立つ一本の松の木。
行平中納言の一時の寵愛を受けた二人の女の情念。

 能「卒塔婆小町」
若き日は美しかった。
その昔戯れに扱った男の怨念が憑り付いて、
いまでは卑しく年を取った。

  能「邯鄲」
”邯鄲の夢”の能舞台化。

 狂言「金津(かなづ)」
「はい、こうして登場したのが誰かと言いますと、金津というところに住んでいる人です」
新築したお堂に置くための地蔵を求める金津の住人と、
詐欺師”すっぱ”の悪巧み。
”すっぱ”の子をお地蔵様として金津に送り込んだ!

 狂言「木六駄(きろくだ)」
伯父へのお使い品を使い込んでしまった太郎。
さあどうやって誤魔化す?!

 狂言「月見座頭」
座頭と男は気が合って楽しい時間を過ごすが、
男には相手が盲目と言うことで意地悪心が湧き上がり…。

【「説経節」新訳:伊藤比呂美】
 語り物「かるかや」
刈萱(かるかや)の総領、加藤左衛門重氏は、花見の最中に浮世を離れることを決意し、妻と幼い子供たちを残して出家する。
父を恋う子供たちは、長じて父を探しに出る。
すれ違う親子。
しかし僧門に入った重氏は、現世への思いを断ち切る。
立ち去る父の哀れ、追えない子らの哀れ、待つ身の妻の哀れ。

【人形浄瑠璃 近松門左衛門「曽根崎心中」新訳:いとうせいこう】
天満屋の遊女お初と将来を誓い合った平野屋の手代徳兵衛は、
金銭詐欺にひっかかり身動きが取れなくなってしまう。
弁明は聞かれず、無実にして死罪は免れなかろう。
お初と徳兵衛はあの世への道行を進む…。

  ***
 最後の道行の文章が美しく美しく。
 これは近松門左衛門がすごいのか、
 いとうせいこうがすごいのか。
 舞台で見たらさぞかし胸に迫るだろう。

【人情浄瑠璃 近松門左衛門「女殺油地獄」新訳:いとうせいこう】
油や河内屋の次男与兵衛は、生来の遊興癖、怠け癖とズル賢い気質から借金を重ねる。
向いの小さな油問屋豊島屋(てしまや)の嫁のお吉は娘三人を育てる気風のいい女。
良からぬたくらみを持った与兵衛は、豊島屋へと忍び入る…

 ***
 動きのある文章でテンポよく話も進み、
 お吉の明るさで弾みもつき、
 そんななかで何も考えないかのごとく
 与兵衛の行動がひたすら深みに堕ちていく様相が
 不穏さを見せ続ける。
 激しくしかし密かな家族の愛、
 クライマックス”油殺し”惨劇の迫力、
 そして殺人が露見するミステリー要素…
 これは確かに見事な脚本。

【「菅原伝授手習鑑」新訳:三浦しをん】
 梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん

菅原道真の領地の四郎九郎の三つ子、梅王丸、松王丸、桜丸は、
それぞれ菅原道真、藤原時平、斎世の宮の牛車番。
斎世の宮は道真の娘刈屋姫と駆け落ちし、
時平は道真の筆法伝授を巡り道真を失脚させる。
主人たちの関係が変わった三つ子たちは、それぞれの主人に従うこと気持ちを示す。
梅王丸は道真の流罪先を訪ね、桜丸は自害する。
道真への忠誠を指した梅と桜に対し、あくまでも彼らを追及する松。
しかし松王丸は、誰よりも苛烈な方法で道真への忠誠を示していた。

これらの話がのちの世まで知られているのは、天神さまとなられた菅丞相の御恵みであろう。

 …という、シリアスな話を「少年少女名作文学集」かなんかで読んだのですが、いざ全体版を読んでみたら、以外に軽妙だったりユーモラスだったり色艶っぽかったりという場面も多かった。
悪役時平公が、牛車で大立ち回りを演じる場面などさぞかし迫力であろう。きっと人形の首がクルッとかわって怒髪天を抜くかのような顔面に変わり…などなど頭に浮かんできます。緊迫場面、ゆったりした場面、人間心理の妙、じつにバランスが取れています。

【人形浄瑠璃 ・歌舞伎 「義経千本桜」新訳:いしいしんじ】
壇ノ浦にて平家を滅ぼした義経だが、兄の頼朝に追われることになる。
義経の正室卿の君の犠牲、暴れる武蔵弁慶、義経を慕う静御前、そして忠臣の佐藤忠信。
捕る者逃げる者らの思惑を経て、義経一行は北上する。
海の上で義経以降は、壇ノ浦に沈んだはずの平知盛の襲撃に逢う。
知盛は壇ノ浦を逃げ延び、安徳天皇を擁し再起を図っていた。
宿敵との戦いは、共通の目的を持ち…

清盛の直径でありながら、平一門からはぐれた平維盛は、 正室若葉の内侍はわが子六代との再会を目指し、身を潜めていた。

そしてやはり壇ノ浦から逃れた平教経との邂逅…

後白河法皇から賜った鼓に情を寄せる狐の思慕、
男女、親子、そして主従の情景が絡み合い…

…ということで、「●●は生きていた!」「▲▲は実は※※だった!」などなど、想像を広げまくって自由闊達に書かれた脚本でした。

【人形浄瑠璃・歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」新訳:松井今朝子】
「江戸時代の赤穂事件を足利尊氏の執権高師直に置き換えて上演」ということは聞いていましたが、高師直相手に仇討なんてしたらさすがに歴史を変えすぎないか…?と思っていたのですが…いやあ、筆は強かった、史実なんてかっ飛ばして仇討しちゃいましたよ(笑)


高師直は、塩谷判官の妻”顔世”に恋慕するが、袖にされた恨みを判官にぶつける。
塩谷判官は高師直に切り付け、切腹と家の取り潰しを申し付けられる。
塩谷判官の家老大星由良助は、遊びに興じる振りをして仇討の機会を探る。
由良助の嫡子力弥は、判官の同僚桃井若狭守の加古川本蔵の娘小浪と婚約していたが…

…えーっと、高師直を討ち取ってしまいましたが、今後の歴史をどうするつもりなんだ(笑)。人がエンターテイメントを求める気持ちは史実を超越する(笑)

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2018年03月31日

Posted by ブクログ

どれも訳が素晴らしく、非常に楽しめた。特に能・狂言では現代的な表現がちりばめられていて、思わず笑わずにはいられなかった。
作品の中では説教節の「かるかや」。説教節といえば「小栗判官」や「山椒大夫」を想起するけれど、かるかやもこれらにおとらず壮絶かつ深い内容であった。

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2017年08月16日

Posted by ブクログ

能・狂言(岡田利規)
説教節(伊藤比呂美)
曽根崎心中(いとうせいこう)
女殺油地獄(桜庭一樹)
菅原伝授手習鑑(三浦しをん)
義経千本桜(いしいしんじ)
仮名手本忠臣蔵(松井今朝子)
月報:酒井順子・後藤正文

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2017年04月05日

Posted by ブクログ

能や文楽、歌舞伎に行きたくなった時、読んでおくと筋がわかって理解が深まり、余裕を持って楽しめます。 時代が違うと景色が違い、常識や価値観が違って、なかなかわかりづらいことが多いのですが、どの新訳も面白く、登場人物が生き生きと動き、楽しく読み進めました。 一家に一冊。

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2025年10月01日

Posted by ブクログ

取り付きにくい古典を身近にしてくれる訳者の方に感謝。
曽根崎心中、女殺油地獄、菅原伝授手習鑑、義経千本桜はストーリーも非常に面白い。

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2019年05月19日

Posted by ブクログ

菅原伝授手習鑑 三浦しをん 訳
実際の出来事を後年、娯楽として楽しみながら市井の人間は、知って行ったのだなということがよく感じられる人形浄瑠璃。これが、今、私たちが普通に使う言葉に置き換えられているのだから臨場感あふれるのは当たり前。ここまで持って来てくださった役者三浦しをんさんに感謝。

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2017年08月20日

Posted by ブクログ

タイトルは知っているものの
中身は案外知らない
有名、名作、古典がズラリとそろった
分厚い一冊。

読めるのかな?
と、少し心配しながら手にとったところ
これがさすがに、現代作家にかかると
すいすいと読めてしまう。
ストーリー展開のおもしろさに
「こんな話だったの?」と驚かされたり。

物語に、古い新しいはなく、人の心を
惹きつけるものは、変わりなくおもしろいのだ。
と、古典をもっと読みたくなった。

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2016年12月09日

Posted by ブクログ

能は実際に観た時も分からんかったけど読んでも分からんかった
狂言は面白かった
説経説も面白かった
出家した旦那追いかけ回すなよって思ったけど、私も絶対追いかけ回すタイプ
浄瑠璃は世話物も時代物も人情味があって面白い
時代物の戦闘シーンはやっぱり生で観たらさぞ面白いんじゃないかなって思う
女殺油地獄は胸糞すぎて無理だったでもリズムがすごく良かった

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2022年02月11日

Posted by ブクログ

我が家から五十メートルばかし行ったところに「口の芝居跡」という碑が立っている。その昔、京・大阪の芝居小屋にかける前、全国から伊勢参りに来る旅人目当てに、ここで演じて評判が良ければ大受けまちがいなしとして、試演される芝居小屋だったと聞く。有名な歌舞伎役者もこの芝居小屋の舞台に立ったこともあって、古市は歌舞伎とは縁が深い。『伊勢音頭恋寝刃』の舞台となった油屋跡では町の若い衆によって小屋掛けの地芝居も演じられた。父は坂東庄雀という名を持つ立女形で、「伊勢音頭」ならお紺、七段目ならお軽というのが役どころだった。

芸事の好きな人も多かったのだろう、歌舞伎衣装や大道具小道具を扱う道具方や浄瑠璃、義太夫を語る人もいなければ幕は開かない。ほんの子どもの頃、父に手を引かれて夜道を歩き一軒の家を訪れたことがある。小さい頃のことで、覚えているのは老人が何か唸っていた記憶があるだけだ。浄瑠璃か義太夫か、どこぞのご隠居の趣味につき合わされたわけだが、おぼろげに首実検の話だったと記憶しているのは、幼心に気味悪かったからだろうか。

そんなこともあって、小さい頃から父につき合ってテレビの歌舞伎番組を見るようになった。地方公演があれば劇場にも足を運んだが、『仮名手本忠臣蔵』なら七段目、『義経千本桜』なら鮨屋、『菅原伝授手習鑑』なら寺子屋と、限られた場面しか目にすることができないのが常。有名な場面ばかりをぶつ切れで見せられても、今一つよく分からないのが歌舞伎のお約束、吉野下市の鮨屋の弥助、実は平維盛、といわれても何のことやら。

もともとは通し狂言で演じられてきた演目が、見た目の美しさや、歌舞伎らしいスペクタクル性、人情の機微に触れる口説き場面の有無などから、ひんぱんに演じられる場面とそうでない場面の差が生じ、現在ではいくつかの場面に限って上演される形態が普通になった。国立劇場などでは、現在でも通し狂言がかけられることもある。ただし、全部見ようと思えば一日がかりの観劇になるので、見る方にもそれなりの覚悟が必要になる。

ところが、この巻では人気の高い『仮名手本忠臣蔵』、『義経千本桜』、『菅原伝授手習鑑』の浄瑠璃を初めから終わりまで通して読むことができる。それも人気作家による現代語訳で。何というありがたい企画だろう。通して読めば、吉野の鮨屋が平家の跡継ぎという設定も、それなりにではあるがのみ込むことができる。なにしろ、維盛だけではない。知盛も能登守教経も、実は死んでおらず、生きて潜伏していたという設定なのだ。この辺のいい加減さというかアヴァンギャルドさが歌舞伎(浄瑠璃)ならでは。SFでいうパラレルワールドである。

橋本治がその著『浄瑠璃を読もう』のなかで『仮名手本忠臣蔵』を論じ、お軽という腰の軽い女と、それにすっかり夢中の勘平という若侍の、時と場所をわきまえぬオフィスラブが原因で起きた悲劇と説いている。本を読んだとき、それが今一つよく分からなかったのだが、今回『仮名手本忠臣蔵』を通して読んで、初めてその言わんとするところがよく分かった。

年末になると、テレビでもよく取り上げられる忠臣蔵だが、忠義の臣が主人の恨みを晴らすため、艱難辛苦に耐え、晴れて仇討に成功するという、日本人大好きのストーリーは、小説、映画をはじめ、講談や浪曲などのサイドストーリーを入れてふくらませたもので、『仮名手本忠臣蔵』そのものは、まったくの別物。お軽、勘平、加古川本蔵の娘小浪と大星力弥、天河屋義平とその妻園らの男女の愛が物語の中心になっている。吉良邸ならぬ高師直邸内への討ち入りなどもあっさりとしたもの。

討ち入りの合言葉といえば、「山」「川」だが、実は天河屋の義に感じ入った由良之介が「天」と「河」にしたところ、後世誤ってと伝えられたとか。地名尽くしやら、掛けことば、地口、洒落、かなり際どい性的なくすぐりも入れた浄瑠璃は語り物。それを読み物として読むのは、目からウロコの体験だった。儒教倫理にからめて、あたかも忠義がメインテーマのように持ち上げられがちな忠臣蔵も、浄瑠璃で読んでみると、その内実はもっとおおらかで、猥雑さすら感じさせるエンタテインメント性に溢れている。また、そうでなくては町人に喜ばれるわけもなかったろう。

『義経千本桜』も、「鮨屋」や「寺子屋」では、自分の妻や子の首を切り、主人の身代わりとする場面にばかり目を止めがちだが、空気の読めない弁慶のキレッキレの暴れっぷりに義経主従が閉口する場面や、渡海屋銀平実は平知盛や横川の覚範実は能登守教経の胸のすくような奮闘ぶりがふんだんに用意されていて、明暗のバランスもよく考えられている。

浄瑠璃は他に『曽根崎心中』と『女殺油地獄』を含む。特に後者における主人公与兵衛の描き方は、義理や忠孝といった観念的な倫理観に縛られた当時の浄瑠璃に登場する模範的人物像とは異なり、どうしようもない大阪商人の次男坊を描いて、駄目人間のかなしさをこれでもかとばかりに追求している点で瞠目に値する。真面目に生きようと思ってもそれができない与兵衛のような男は、現代でもそのままで通用しそうだ。人間観察のリアルさが半端ない。

他に能、狂言、説教節を収録する。説教節『かるかや』は、これも小さい頃、高野山の土産にもらった『石堂丸』の絵本を思い出し、当時の切ない気持ちが改めて胸に迫った。大衆に仏教を信心することの大切さを宣伝する目的があっての説教節だが、突然、道心を発した父親のせいで、妻や子の一生が左右される、その理不尽さ。まさに宗教とは阿片だ。伊藤比呂美の訳も出色の出来。文学というと書かれたものにばかり目が行きがちだが、こうして語り芸に光を当ててみたとき、日本文学の底流を成すものとして、その果たしてきた役割の大きさを改めて感じる。

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2016年11月21日

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