あらすじ
小学生時代から、詳細なスクラップブックを作ってしまうほど、仏像に魅せられてしまったみうらじゅんが、仏友・いとうせいこうを巻き込んで、全国各地を“見仏”をする珍道中が始まった! セクシーな如意輪観音に心を奪われ、千手観音のパフォーマンスに驚愕し、十二神将像の逆立った髪型を考察する。さらに、みやげ物にまで目配りを怠らないという充実ぶり。抱腹絶倒の大ヒットシリーズ、第一弾。
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Posted by ブクログ
懐かしの「見仏記」、角川文庫で、再購入しました。
読みかけ本が、たまっているので、読書感想は、またのちほど……。( うふふ、ページをめくるたびに、嬉しさのあまり 笑みがこぼれる ♡ )
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ずっと馬鹿にしながら、しかし何となくリスペクトしていた、仏像を見る二人。単行本が出たのが93年だから、27年前の記述を読む。興福寺、法隆寺、立石寺などなど。
小学生の時に仏像をスクラップブックにしていたみうらじゅんの天才。
「私はみうらさんの正直さに嫉妬していた。彼はいつでも現在に生きていて、瞬間瞬間に集中することが出来る。観念に逃げ込むことなく、事実を感じとることが出来る」
というようないとうせいこうの言葉による描写とみうらじゅんのイラストで二人の仏像を見る旅を知る。面白かった。ただ寺に行って何となく仏像を見たような気になっていたけれど、それだと単に行っただけであって、何も感じた事にはならないんだと分かり、ハッとした。
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「仏像は ピースな人の 味方でしょ」
「釈迦も仏像見たかったろうね。見たら驚いたと思うよ。これ、俺かよ?って」
いとうせいこう と みうらじゅん の仏友(ブツユウ)による仏浴(仏を浴びる)の旅の記録。
小学校の時から仏像ノートを作っていたくらいに仏像好きの みうらじゅん が絵を描き、いとううせいこう が文章を書いて仏像から色々考えを巡らせている。
二人の仏像を見ての思考は自由自在。
物を見て何かを考える、違う方から見てみる、当時の人の気持ちになって考えてみる。
そのため仏像そのものの作りから、寺と観光の歴史、仏像の大きさによる感じ方の違い、仏像を伝来か由来かで分けてみたり、仏像に本気で恋したり、大きな仏像を見るために足元に寝っ転がったり、仏像を感じるために周りを走ってみたり、日本の地域の仏像の違いの根本を考えたり…。
仏像の地域の違いは、仏教の玄関である福岡、時代最新である京都や奈良、そしてそんな中央都市から見様見真似で伝わった奥州により、伝わり方が違うんじゃないか、と考えるなど、当時の人たちの事情まで想像が膨らんでいる。
お寺の構造や配置、そして仏像の表情や体格やポーズをみて「格好良さ、色っぽさの基準は変わらないね」などと思っている。
これは、仏像の並べ方が現在の音楽グループと同じ並びだったり、説法ってスターのコンサートや民間から生まれたラップだよねと思ったり、現在の特撮の根本こそ仏像じゃないか?と思ったり、当時の金ピカこそ仏像で侘び寂びは不要だよねと思う反面でも現在でも汚しを入れると格好いいから時間が立ってるからこそ良いのか?などと考えているのだが、たしかに何千年経っても人間がバランスが良いとか、粋だなと思うものは変わらないのだろうか。
そして二人が神仏像巡りで感じたことは「六道を司る仏様なら死んだら俺達会えるじゃん。仏って自分のリーダーじゃん、てことは自分自身じゃん」という結論にたどり着いていて、なるほどあの世で会える存在だと思えば仏像は気負ったりせず身近なものだと感じられるかもしれない。
神仏と言われると背筋を伸ばして見たり学んだりしなければいけない気持ちになってしまうのだが、宗教が救いであるなら気持ちをゆったりと自分が気持ち良い見方、感じ方を各自で自由に感じて良いのだろう。
この本では対象が仏像ですが、何かを見てそこから思いを巡らせてゆく、思考遊びが広がってゆく様という意味でも面白い本でした。
さて、この「見仏記」最後の方で「三十三年後にまた三十三間堂で会おう」と約束してこの本は終了している。しかしこの企画が始まったのは1992年。その後見仏記の続きは出るし、テレビ放送もされるし、そうやって仏を浴びつづけてもう30年経つではないか。それなら数年後に「最初の企画の約束通り、三十三年後にに三十三間堂にやってきました!」企画が出るのだろうか。
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ちょうど奈良旅行へ行ってきたばかりだったので読みましたが、旅行行く前に読めば良かったです。でも面白すぎて、とても電車の中では笑いが止まらなくて読めません。笑いだけでなく、真面目なことも書いてあります。オススメです。
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【仏像鑑賞におススメしたい本5選②】ちょっと仏像って気になるかも、でもよくわからないっていう方に、絶対オススメ。「うわーカッコいいー!知り合いに似てる!」なんていう気持ちでも仏像を楽しんでいいんだ、と思わせてくれる「見仏」の記。最近の仏像オタクのバイブルであると同時に、単にエッセイとしても面白い。私のきっかけの一冊でもあり、ぜひ毛嫌いせず手にとってみて欲しい。
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いとうせいこうという人が私の人生に初めて登場したのは教育テレビの「天才ビットくん」という番組だった。それからバラエティ番組などで彼を見かけると、なんとなく親しみを感じたものの、その記憶も時とともに薄れて、私の中で彼は「なんとなくインテリぶっているタレント」に成り下がってしまっていた。この本は、そのことをひどく反省させられる本であった。まずいとうせいこうが描くみうらじゅんがすごく良い。おそらく根底にはみうらじゅんに対する羨望や嫉妬があって、しかしながらどうしようもなく惹かれているんだろうと感じさせる。みうらじゅんの視線をできる限りこちら側に伝えようとかなり気を遣った表現をしつつ、後半では自分と仏像との運命的な出会いについても丁寧に描写している。実に引き込まれる一冊である。
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みうらじゅんの仏像への対峙の仕方も、いとうせいこうの考えすぎじゃない?くらいの読み解き方も面白い。
それ以上にこの二人の関係性が面白い。
この二人の間にあるような愛情って、世の中にたくさんあるのにまず創作の世界に写し取られることないよなーと思った。
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みうらじゅんさんの仏像好きに付き合わされて、いとうせいこうも同じく仏像にハマって行ったと言う、とっても面白い珍道中エッセイ!
これを書かれたのはもう20年近く前と言う事なので、多少情報としては古くなっている部分もあると思うけれど、仏像そのものは変わらないはず!
この本を片手に仏像めぐりをしてみたくなりますした!!
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みうらじゅんの仏像に対するズバ抜けた感性の高さに感服です。
「釈迦が仏像みたら、びっくりするだろうな。これが本当に俺か?」とか。
土産もの屋のサンリオ菌感染のくだりも最高です。
少年時代の仏像スクラップのクオリティの高さも見事。
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小学生の頃から熱狂的な仏像ファンだったみうらじゅんと仏友いとうせいこうが全国の仏(ブツ)を見物しに行脚。みうらじゅん独特のとぼけた感性といとうせいこうの小理屈っぽい表現力が妙にマッチしています。特に仏を海外アーティストに喩えたり、東北仏のパース問題などなど、一見では突飛とも思われる解釈が出てきますが、意外と真面目で説得力のある仮説もあり侮れません。ガイドブックもこれくらい楽しいといいのになぁ、と感じさせる一冊です。
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仏像愛に溢れた紀行記 幼いころから筋金入りの仏像好きのみうらじゅんさん、作家のいとうせいこうさんが、おじさん同士で他愛無い会話をしながら仏像を巡る紀行記。独自の感性で仏像を形容していくさまが面白い。
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どちらかと言うとインドア・文系っぽい感じの中年男性2人が信仰心は全くなく全国の仏像を見て回るエッセイ。
タクシーばっかし使いやがって!
自分の足で信仰のために四国を巡礼するお遍路さんの対極にあるような2人なので、仏像を見ることに特化された稀有でざっくばらんな見仏スタイルが新しく面白かったです。
九州や東北の仏を見に行きたくなったよ。
あと、奈良の五劫院と浄瑠璃寺には近いうちに行こう!
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信仰の対象ではなく、仏像を見る旅。そのスタンスに共感する。室生寺、薬師寺、新薬師寺、東大寺戒壇院、唐招提寺、興福寺、浄瑠璃寺、神護寺、平等院、広隆寺…行ったことあるところが結構重なって、思い出しながら読むとまた見に行きたくなる。
東北の仏像は、京都で見た仏像を記憶で再現するときに、下から見上げて拝んだ記憶で再現しているから遠近法的に頭が小さくなってしまっているんじゃないかとか、仏像をすっかり取り込んで自国の文化のようにしておきながら廃仏毀釈で放り出そうとするあたり、結局日本という国は外からの物を本当に受け入れる気はないんじゃないかとか、考察が結構鋭かった。
仏像に感じるエキゾティシズムとエロティシズム。わかるような。
東寺の月光菩薩と西大寺の文殊菩薩見てみたい。
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映像の見仏記は見ていたけれど、元祖ともいえるこの本は読んだことがなかったので今更ながら。
掲載の京都・奈良の仏像はほぼ見仏したことがあったので、記憶をたどりながら楽しく、ときどき吹き出しながら読んだ。
現在の見仏ブームのはしりともいえる本ですね。
(ちなみにいとうさんと同じく、わたしも大報恩寺の六観音は如意輪がリーダーです)
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みうらじゅんといとうせいこうが仏様を見に行く。
それだけでも、一筋縄でいかないのがわかりますが、当然そうなります。
ただ、この本からわかるのは、仏様をどう見てどう感じるかは、ひとそれぞれでよい、ということでしょう。
仏様の持つ意味はもちろんあるわけですが、それをどのように自分の中で解釈し、消化していくかは個人任せだと思うのです。
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以前から読んでみたかった本。
やっぱり面白かった。自由に感じて、言葉にして仏像を見ていいんだな。
それにしても、みうらじゅんさんの仏像愛には感嘆!
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親孝行編に続き2回目の見・見仏記。
いつの間にかBook Offで仏像写真集を見て癒されてる自分を発見しました。
2人とも見た目と違う「ちょっといい奴」がときたま顔を出してて好感度良し。
2人は仏友(ぶつゆう)。
しかしこの頃いとうさん32歳。今の自分より年下とは・・・。
いいなぁぁぁっ、こういう仕事。
小学生時代にみうらさんが作った仏像記事のスクラップは小学生でこれだけのものを!と感心する一方、純少年の熱気が伝わってきて思わず微笑ましいです。
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古本で購入。
以前からで読んでみたかった本。
小学生の頃から仏〈ブツ〉に強い思い入れを持つみうらじゅんと、同行する仏像素人のいとうせいこう。
この妙に濃い2人組の道中記となれば、ちょいと興味が湧きます。
みうらじゅんの仏像の見方がとにかく変わってる。
(仏に対して)「この人」
「九州に仏像制作文化が根付かなかったのは来日したミュージシャンが成田でライブやらないようなもん」
「この人ジーパン似合うよ」
独特な見方を持った人間は、変だけどおもしろいね。
一方のいとうせいこうは分析とか思索に走る人らしく、そこここで独自の理論を展開する。
「観光としての見仏はいつから始まったのか」なんてのは、確かにちょっと気になるお題だ。
仏像を見たときの反応が真逆なようで、でも実はすごく似てる2人の様子が読んでて楽しい。
こんなよくわからん友達関係もいい。
読んでたらお寺で仏像を見たくなった。
2巻以降も気になるな。
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過去に奈良・京都旅行したときは仏(ブツ)の何を見てきたんだろうか。
寝転がって仏を見上げる。「流行ってるかな~」「グッと来るかねえ」「世界的国宝」「かなり信仰されたね、この人は。だって、黒いもん」「フェノロサいかせていただきます。」
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いとうせいこうとみうらじゅん。仏像を愛してやまないふたりの見仏記。
何冊か仏像の本を読んだけれどこれはまた距離感が絶妙。
まるで友達と一緒に見仏しているような心地よさ。
みうらじゅんの着眼点や言動。せいこうさんの暴走。
専門書では味わえない感覚が楽しくよい読書時間が過ごせました。
「三十三年後の三月三日、三時三十三分、三十三間堂でまた会いましょう。」
というロマン溢れすぎた別れにも大興奮。
でも続いてるからあっさり再会したんでしょうね(笑)
その辺も含め続編が楽しみです。
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見仏記シリーズ大好きだ。いとうせいこう、みうらじゅんと一緒に寺を巡っていると突然2人が巨大化したため私は「大仏サイズ!カッコイイ!」と叫びながらカメラのシャッターを押しまくる、という夢を見たくらい好きだ。
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コアなのにすらすら読めてしまう不思議。仏像に関する知識ゼロで読み始めたのに、すごく楽しかった。みうらじゅんの破天荒な着眼点を、いとうせいこうが絶妙な距離感を保って文章にしたからかしら。寺巡りたいー。仏像メリーゴーランドしたいー。黒くて偉い仏に会いたいー。唐招提寺の千手観音見たいー。
先日阿修羅展に行き、みうらじゅんの「仏像は寺で見るもの」に心底納得。
Posted by ブクログ
仏像(ブツ)を独特な例えで表現したり、とても楽しい本。
お二人の関係性も読んでいて素敵だなとおもいました。
テレビで仏像(新薬師寺)のことをタイムリーにやっていて、本を読み返しながらテレビを見ました。
貸してくれたお友達に、感謝です。
Posted by ブクログ
著者の肩に力が入っている感じで、前半はちょっと読みにくい。最後半くらいからいい具合に力が抜けてきて、読みやすくて楽しい。
最後、あんなセンチメンタルに終わる、はず、だったんだね。
Posted by ブクログ
(01)
仏像を見る際に,どのように既存の文脈から切り離して自分の目の前にあるものを見るか.この難問に著者の二人は取り組んでいる.寺院からのアプローチ,由来や縁起などの創作,フェノロサ,和辻,亀井といった近代の批評,他の観光客や観光産業関係者など,著名な仏像を取り巻く言説を華麗にいなし,かわしつつ,自らのポップやサブカルの文脈に近づけつつも,仏師や仏像そのものの想いや方法をダイレクト(*02)に見る方法に挑戦している.
(02)
そのとき,眼は興奮し,恋愛やエロスなどに類似したフェティシズムの視線によって仏像が捕らえられる.みうら氏は吉祥天に向かい,いとう氏は文殊菩薩に向かったその視線(*03)は,仏像や寺院の造立以来に向けられてきたファンの目線とどのように交差し平行するのだろうか.
著者らの視線は,仏像側にある事情を由来か伝来かで選別し,インドや中国,朝鮮や日本といった仏教の伝来にともなわれた視線も解きほぐし,海の内外や,東北や九州といった都からの辺鄙における事情が仏像にどのように反映されているかを見極めようとする.
(03)
視線の人は,同時に観光の人でもあるが,観光と現代の仏像鑑賞の関係に立ち入らざるをえない.仏像の鑑賞や消費の大衆性と批評性がどのように相互に保管されつつ,日本の仏像見物を盛り上げてきたのか,またある方面で廃れさせてきたのかについても考えさせられる.
本の構成としての文と絵(イラスト)のバランスも絶妙であり,写真に頼らない表現を選択していることも,本書の趣意に即している.
Posted by ブクログ
「見仏記」3
著者 いとうせいこう、みうらじゅん
出版 角川文庫
p10より引用
“実際に仏像が出来た時代から考えれば、
私はガイジンである以外にないのだ。”
作家と漫画家である二人による、
日本のあちこちへ仏像を訪ねて回る一冊。
大仏で有名な東大寺から金色堂の中尊寺まで、
仏像への気持ちがよく表れた文章とイラストで書かれています。
上記の引用は、
奈良を訪ねた時の一文。
確かに歴史に関する資料などを見ていると、
昔の人は今とは全く服装は違いますし、
使う言葉や文字も違うので、
違う国というのもなんとなくそう思います。
イラストと共に仏像についての解説なども書かれているので、
仏像に興味を持ち始めた人の入門として、
良い一冊なのではないでしょうか。
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