市田泉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
どちらかというとジャケ買い。
私の気づかぬうちに竹書房がSFを出すようになっており、またシリーズの装丁がどれもキャッチーで。
とりわけ目を引いた当該作。帯を見れば「SFが読みたい」の海外編ランクイン作ということもあり、ジャケ買いでもそんなに外さないだろうと購入。
スペースオペラや一部のジュブナイル小説を除けば、「あれ、ちょっと待って考えさせて」って読み手に理解に対する一定の努力を強要するのがSF小説なのだけれども(そしてそれがSFのいいところだと思う)、奇想は我々の想像力に対する努力を強要する。「あれ、全然イメージできないからちょっと待って」って。あるいはイメージできないのを明らかにわかっていて、読者を置いてけぼりにして物語を勝手に語っていく。
この短編集もそう。
「は?」で始まって、読み進めて、読み終わった後に「は???」ってなってる。
なんだろう、試されているんだと思うんだけど、そして繰り返し読むことで出てくる味があるんだろうけど、想像力に欠ける私にはなかなかしんどい。
読み返す前にくたびれて「まあ、いいかな」ってなってしまうことも多い。
ただ、この作品、難解なんだけど文章がとてもキレイだから、とりあえずなんとなくは楽しめてしまった。
全編奇想小説なんだけど、奇想の程度が低いものは容易に想像できて、たとえば「平行世界から100人近い自分を集めてカンファレンスを開いたら殺人事件が起きて、捜査する羽目になった」とかは「馬鹿馬鹿しい」と笑える程度の奇想なので普通に楽しめる。
でも大半がそのレベルを超える設定なので、楽しめたのは楽しめたけど、疲労感もそれなり。時間のある若いときにはいいかもしれないなあ。 -
Posted by ブクログ
巨大宇宙SFってなんだ? と思っていたら、スペオペでした。あとがきではスペース・オペラを連呼しているんで、禁句と言うことはないと思うが、背表紙や帯の惹句には、どこにもスペオペとは書いてない。なんとなく不思議。
で、中身の方はニュー・スペース・オペラ以降の、アクションSFが主軸。一昔前のスペオペ・アンソロジーなら、もう少しB級感というか、やさぐれた感じを出してきたような気がするが、これはこれでいい。ただ、これはお約束なのか、どれほどとんがったSFガジェットをてんこ盛りにしていても、人情とか、家族関係なんかは今と変わっていない設定のお話がほとんど。多少の違和感はある。 -
Posted by ブクログ
近未来のアメリカが舞台。女性たちはある人物が大統領となり、そのブレーンによって、文字を読むこと、言葉を発することを禁止される。言葉を発していいのは、1日たったの100語。それを超えると、腕にはめたカウンターがビリビリ。
恐いなと思ったのは、17歳の青年は、学校での講義を通して、その価値観にどっぷり浸かってしまうということ。そして、激しく後悔することになることをやってしまう。幼い少女ソニアは、1日100語しか話せないことをゲームとして受け入れていく。学校では、発した言葉が少ない女の子にご褒美が与えられており、その「ご褒美」を喜んでいる。
大きなとりかえしのつかない選択をしないようにするためには、小さな声、小さな勇気がたくさん必要なのだろう。誰かが自己犠牲を払って異論を唱えたり、「過ち」を正すということを尊いこと、偉大なこととしてはいけない。ひとりひとりが、「自分はこう思う」「よくわからないけど、何か違う気がする」というような言葉を発することができること。発しようとすることが大事なのではないか。
私は、この物語の問題の解決の仕方以外の方法を見つけたい。というより、この解決方法しか選択肢はないという前に踏みとどまれる社会でありたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ設定はシンプルで恐ろしい――アメリカで、「女性」のみ、一日の発語数が100語に制限されてしまう。100語を超過すると、手首に装着したブレスレット状のカウンターが、強力な電流を発する。突飛に思える設定も、「アメリカ」の大統領が行った政策と聞くと、にわかにリアリティを帯びる。
かつて日本にも、女性蔑視は確実に存在した。むろん、現在の日本でも、その不公平性は完全に払拭されたわけではない。むしろ男女間の性差に基づく差別以外に、永田町に蠢く者共が、次々と繰り出す数多くの「差別」が日々噴出するために、相対的に男女差別だけがことさらにクローズアップされなくなっただけだろう。うまい汁を吸えるのは権力者だけ、というのは、いつだって世の習いであるが、権力が一極に集中するアメリカが舞台であれば、読者の誰もが完全に「フィクション」とは思えないまま読み進めていくのではなかろうか。そしてまた、その大国に尻尾を振ることこそが国のまつりごとと考えている我が国の権力者たちも、いつそのようなことをしでかすか、分かったものではない。
だから『声の物語』は、「いま、この時代に読むべきディストピアSF」と評されるのだろう。たしかに女性から、言葉を封じる政策という設定はディストピアそのもののである。上野千鶴子が読んだら卒倒するかもしれない。
しかし、女性から言葉を奪う、という設定は確かにセンセーショナルではあるけれども、医大入試では「女性一律減点」を当たり前のように行い、それに対して本来声を上げるべき国の権力者がダンマリを決め込む国もあるのだ。最高学府の入学式の挨拶で、国のトップクラスのフェミニストが、女性に「強くあれ」と呼びかけなければならない国もある。物語の設定はいささか極端であるがゆえに、本作はディストピア小説と評されるが、似たような出来事は身近なところに転がっている。
ディストピアから抜けだすプロセスは、医学界の専門用語も出てきて少しばかり難解だが、そもそも「ある偶然」が起きなかったら、このプロセスもなく、ディストピアな世界も解消しなかった(と思われる)。この物語の大きな筋を、「偶然性」に依拠してしまったことのみが残念である。やはりこの手の物語は、悪は“絶対に”成敗される展開でこそカタルシスを得られると思うのであるが……。