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人間の裡に潜む不気味なものを抉り出し、独特の乾いた筆致で書き続けたシャーリイ・ジャクスンは、強烈な悪意がもたらす恐怖から奇妙なユーモアまで幅広い味わいの短編を手がけたことでも知られている。死後に発見された未出版作品と単行本未収録作を集成した作品集Just an Ordinary Dayより、現実と妄想のはざまで何ものかに追われ続ける女の不安と焦燥を描く「逢瀬」、魔術を扱った中世風暗黒ゴシック譚「城の主」、両親を失なった少女の奇妙な振るまいに困惑する主婦が語る「『はい』と一言」など、悪意と妄念、恐怖と哄笑が彩る23編にエッセイ5編を付す。本邦初訳作多数。/収録作=「序文 思い出せること」「スミス夫人の蜜月(バージョン1)」「スミス夫人の蜜月(バージョン2)――新妻殺害のミステリー」「よき妻」「ネズミ」「逢瀬」「お決まりの話題」「なんでもない日にピーナツを持って」「悪の可能性」「行方不明の少女」「偉大な声も静まりぬ」「夏の日の午後」「おつらいときには」「アンダースン夫人」「城の主」「店からのサービス」「貧しいおばあさん」「メルヴィル夫人の買い物」「レディとの旅」「『はい』と一言」「家」「喫煙室」「インディアンはテントで暮らす」「うちのおばあちゃんと猫たち」「男の子たちのパーティ」「不良少年」「車のせいかも」「S・B・フェアチャイルドの思い出」「カブスカウトのデンで一人きり」「エピローグ 名声」
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Posted by ブクログ
切れがある人物描写が素晴らしい。
人間の嫌な内面を描く作品もあれば、『レディとの旅』のようなほろ苦くずっと心に残りそうな作品もあった。
いわゆるどんでん返しなどもあったりして、作者の懐の深さかうかがえる。
『なんでもない日にピーナッツを持って』や『城の主』『メルヴィル夫人の買い物』のように最後まで展開がわからないものも多く、楽しめた。
『悪の可能性』は人間の邪悪さと、そこからの結果がなかなかぞっとするものがあった。
そういえばこの作品群の中には意地悪なおばあさんがよく出てきましたね。
『おつらいときには』でも、悩んでいる人の相談に乗りたいのではなくて悩んでる人が自分を求めた=自分の手紙で救われたという、偽善どころか自己の承認欲求を満たすためだけに手紙を送るおばあさんが出てくる。
ブラックユーモアに溢れつつも人間のいやらしさがよく出ている人物が多かった。
そしてそういう悪意の中でも、純粋な心のうちに巣食う悪というのだろうか。
『インディアンはテントで暮らす』のような雪崩れ込むようなコントも面白く冴えている。
後半は著者ジャクスン自身のエッセイになっており、これがまた鋭い人物描写の元に軽快に描いていてクスりと笑える内容になっている。
怖かったり、あたたかかったり、読む前に想定しなかったいろんな感想を持つことができました。
Posted by ブクログ
シャーリイ・ジャクスンの描いた日常は白黒のテレビが初めて家にやって来た頃に観た「じゃじゃ馬百万長者」のエピソードのようで、何だか作り物のような手触りがして嘘臭い。でもそこから当時の当たり前や海の向こうの常識なんかを取り去ると、残るものは案外今でもそこら中で起こっている話なんだろうなとは想像する。
じゃじゃ馬百万長者が、当時のアメリカのことや油田で一儲けする話なんてなんにも知らなかった子供にも面白いと思えたのはどうしてだろう。海の向こうとこちらの違いの意味するところも定かでない子供にも面白いと思えたということは、きっと何か本質的なことが笑いの対象になっているからだ。それはきっとイソップのネズミの話に出てくる本質と建前のギャップが生み出す可笑しさ哀しさのようなものなんじゃないか。それが世界中どこにでもある構図なのだと子供の自分が理解するにはクロコダイルダンディーを待つ必要はあったけれども。あるいはそんな差を感じ得たのは、自分がいわゆる右肩上がりの経済の中の新興住宅街に育ったせいで夏休みになれば級友のほとんど両親どちらかの田舎に帰省するのが当たり前という、皆が田舎と町の違いに聡かった母集団にいたせいであるかも知れない。そんなことを考えていたら、若者言葉や流行りの略語にいちいち腹が立つのは、何にも持っていないのに矢鱈と自慢したがる町のネズミに対する感情と根っ子は同じなんだなと気付いた。
シャーリイ・ジャクスンの描く日常には、余所者と地元民の対立の構図、あるいは身内とそれ以外の壁、という話が多いと思う。描かれる物の値段や商習慣、大人や子供の娯楽も随分と時代遅れのようにも見えるけれど、その対立の構図そのものは全く変わっていない。それを全て貧富の格差に押し込むつもりはないけれど、そこには自分達の側にはあって相手側にはない、という認識が生み出す隠れた問題があるのだと思う。そして持つ持たないなんてどうでもいいことの筈なのに、何時の間にかそれが譲れない信条に化けてゆく。持つにせよ持たないにせよ、こちら側は正しくてあちら側が間違っている。そんな理屈が空気を支配する。
何でも持っている筈の町のネズミの生活を色眼鏡無しに観察できる田舎のネズミにしてみたら、町のネズミが本当に幸せなのかどうかは甚だ疑問だった訳で、子供にだってそれが解ってしまう話だからイソップだって書いたのだ。大人になるとそれが段々見えなくなるね。シャーリイ・ジャクスンは大人が読むイソップ童話なのかも知れないね。
Posted by ブクログ
短編集と後ろにエッセイが5つ収められている。
エッセイは興味がなかったから読んでない。エッセイはいらないので他の短編をもっと入れて欲しかった。
たまにこういう短編集って読みたくなる。皮肉とユーモア。タイトルからして皮肉でしょう。
『メルヴィル夫人の買い物』はどっちもバランスよく入ってて、笑えるし嫌な気分にもなる。いると思う、こういう人。
『レディとの旅』は和やかな雰囲気が大半であるのに…
『インディアンはテントで暮らす』吹き出す。以下省略のところ。
他の短編もそれぞれユーモアと皮肉のバランスが違う。人それぞれお好みのバランスが見つかるだろう。
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小説・文芸
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