市田泉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ好きなYouTuberさんが「海外SF」として紹介していて、表紙も素敵だったので読んでみた。
作者がまさかのシンガーソングライター。音楽の話が多数あって嬉しかった。ラッキー。
1話目はなんだか気持ち悪かったけど、2話目からは大体ずっと好きな世界観だった。
そしてわれらは暗闇の中
記憶が戻る日
いずれすべては海の中に
深淵をあとに歓喜して
孤独な船乗りはだれ一人
風はさまよう
オープン・ロードの聖母様
イッカク
そして(Nマイナス1)人しかいなくなった
が良かった。(ね、本当に大体全部でしょ。)
すごく引き込まれて「で、どうなるの?どうなるの?」と思いながら最後まで読むと、これといって明確なオチがなくて、「…それで?」みたいな作品が多い印象。しかしそういう余白のあるラストは好みだし、そもそもラストまで引き込んでる時点で面白い。
最後の「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」も犯人わからずじまいで終わるのかと思いきや、判明したのでスッキリした。
昔、奥田民生がインタビューで
「人生に分岐点がとか言うじゃないですか、あのときああしてればとか、いまこっちとこっちがあってどうしようかなとか。絶対どっちでもいいと思うんですよ、その人はどっちいっても同じだったと思うんですよ。」
「『どっちの料理ショー』ぐらいのもんなのよ、人生も。あれこれ考えてるけど、なんかおもしろいことがあったときは、そのことを忘れて楽しいわけじゃないですか。だからたいしたことない、そんなことで忘れるぐらいだからたいしたことない料理ショーなわけですよ。」
と言っていて、励まされたのを覚えている。
が、この話はこの発言を覆すものではないだろうか笑
でも、この話の馬の件みたいに、あの時自分がしなかった選択をした別の自分がちゃんといるのなら、それはそれでまぁいいか、と考えることもできる。
考えもしなかったことを考えるきっかけになるよね、SFって。
そして本当、よく思いつくよね、設定。尊敬だわ。
根っからの音楽ファンなので音楽系の話は特に好き。「オープン・ロードの聖母様」はライブ行きたくなった。
「イッカク」誰か映像化してくんないかな。いいロードムービーになりそう。
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Posted by ブクログ
ネタバレ九月生まれのセプテンバーと七月生まれのジュライ。十ヶ月違いの姉妹である二人は、母親すら入り込めないほど互いに強く結ばれていた。学校で起こしたある事件がきっかけで母娘は海辺に立つ〈セトルハウス〉に引っ越してきたが、塞ぎ込んで部屋に籠る母をよそに姉妹は遊ぶ。だが、なにもかも二人一緒の季節は終わりを迎えようとしていた。姉妹の絆と共依存、母と娘たちの物語。
ブッ刺さった。読みながら言葉が全身に突き刺さってきて、その痛みで読むのを何度か中断したくらい。いきなり結末の話をしてしまうが、この小説はジュライにセプテンバーの喪失を克服させない。「これは現実じゃない」とくり返すパートが挟まれるので、現実には大学に行って心機一転新しい人生を歩き始めたのかもしれないが、ジュライの魂はセトルハウスにとどまったまま、セプテンバーに囚われ自己否定し続けている。この終わり方に震えて、ラスト5ページくらいを3回読み返してしまった。
まず巻頭の詩から心奪われたのだが、独特の比喩表現による言い切り型の文体がとにかく魅力的。「わたしは宇宙から切り抜かれた影で、死につつある星々の色に染まっている」「言葉が乳歯だとしたら、セプテンバーはそれを収めた箱」「日々は赤い針で縫われ、血によって綴り合わされている」。破滅的で廃墟のようなイメージを喚起させるのに、セプテンバーを語るジュライの言葉はどれも屈服の甘い陶酔感に満ちていて、その暴力性に読者も引きずり込まれる。
姉妹はいつも「セプテンバーは言う」という、姉が言ったことをなんでも言ったとおりにジュライが実行する遊びをしている。ジュライの言葉はいつもセプテンバーに遮られ、誕生日すら姉と一緒にさせられている。けれどジュライ視点で語られるこの小説を読んでいて、セプテンバーを嫌いになることはない。セプテンバーはいつでもジュライを自殺に追い込むことができる恐ろしい支配力を持っていたが、悪質なイジメに遭ったジュライのために憤って復讐を試みたのもセプテンバーだった。たとえそれが所有物を壊された怒りだったとしても。
姉妹の歪で危険な結びつきの裏には、シングルで二人を育ててきた母・シーラとの没交渉がある。セトルハウスに向かう車中の冒頭から、「母さんが言いたいのはもちろん、わたしたちが生まれてこなかったら、ということ。わたしたちがそもそも生まれてこなかったら」とジュライは考えるのだ。シーラは二人の父親だった男を激しく憎んでおり、その憎しみを感受した姉妹は依存関係から母を締めだした。「自分を必要としない子供たちの母親でいるのは、どういう気分だろう」とジュライが言うとき、本当は自分たちが母から必要とされていないという不安のなかで手を繋いできた姉妹の深い孤独を感じずにいられない。
第一部だけを見れば、セプテンバーの怒りをフォローできず、ジュライの苦しみにも寄り添うことなく黙らせて終わりにしようとしたシーラは毒親である。だが、第二部で語られる彼女の妊娠、出産、子育ては壮絶すぎる。かつての夫・ピーターとはちょうど姉妹と鏡像のような支配関係にあり、彼女はそこを抜けだすのに力を使い果たして疲れ切ってしまったのだと思う。ピーターがどういうクズだったか具体的には語られないのだが、姉妹の歳が十ヶ月しか離れていないことからもドクズであることはわかる。そしてシーラは、容姿も性格もどんどんピーターに似てくるセプテンバーのことを恐れているのだ。
シーラが語るパートは、母親目線でありながら一人っ子から見たきょうだいというものの不可解さ、不気味さ、羨ましさが表現されていて、同じく一人っ子としてとても共感した。そして、「自分の娘が怖い」という感情をこんなにも生々しく描いている小説は稀有なのではないかとも思った。疎ましいのとは違う。この家庭はセプテンバーとその背後にいるピーターの影に恐怖で支配されている。絵本作家のシーラは姉妹をモデルにしたシリーズを描いており、彼女にとってそれは二人を受け入れて愛するための一種のセラピーになっているのだが、姉妹にとっては観察され公に晒されているというストレスの種でしかないというすれ違いも、親子間で生じる地獄としてグサッと刺される部分である。
そして第三部。私はこういう、自分が憧憬や執着を抱く相手になり変わってしまう二重人格者の話が大好きなのだが、今回は本当に痛みしかなくて、しかもジュライはその痛みを母親と上手く共有できていなくてしんどかった。ジュライにとってセプテンバーはシーラ以上に母親だったのだと思う。鬼子母神のように怒り、束縛する存在だったが、ジュライが愛を疑わないでいられた人は唯一セプテンバーだけだった。愛とは支配であるとジュライはセプテンバーに教えられた。それを否定してはジュライも生きていかれないのだ。
ここで話は冒頭に戻るわけだが、普通この手の話は何かしらの癒しや救済を描いて終わるものだ。セプテンバーの喪失を埋めるようにジュライとシーラの絆が深まるとか、新天地での出会いとか。だが、この作品はセプテンバーに魂を乗っ取られ、家に縛りつけられて生きるジュライの慟哭で終わる。これが凄すぎる。母娘にとってあまりにも残酷で救いのない結末だが、セプテンバーをジュライの〈通過儀礼〉にせず、暴力的な支配関係で結ばれていた姉妹をある意味で肯定してくれる閉じ方だと思った。二重人格化を克服しない物語。二重に折り重なった一つの魂。セプテンバーは永久にジュライを縛り続ける。
DVにまで発展した支配関係、現代的なイジメ、ティーンのセックス、自傷などが描かれるので、もしかすると読む人によっては露悪的に感じるかもしれないが、私にはすべてが自然にそうあるように描かれていると感じられた。強固な文体が崇高美(サブライム)の世界観を作り上げていて、とにかく凄いのである。シングルマザー家庭で育った娘特効みたいな物語だとも思っていて、その意味でキャサリン・ハリスンの『キス』やジュディ・バドニッツの「母たちの島」と同じ場所を刺されたのだと思う。女しかいない家で育った人間には、さまざまな過去のトラウマがフラッシュバックする強烈な読書体験である。それでも心のどこかで、私にもセプテンバーがいてほしかったと思ってしまう。お父さんはいなくていいから、セプテンバーがほしかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ13編の短編が収められている。うち3編はやや長め。
ほとんどがSF的な設定となっているが、SFを全面に押し出すのではなく、SF的世界の中における人間の感情や生き方が描かれているという感じ。
丁寧に静かな文体で書かれていてじっくりと浸りながら読める。
特に後半の4編はそれなりの長さがあることもありテーマに深みのある力作でとてもよかった。
1. 一筋に伸びる二車線のハイウェイ
事故で腕を失い機械義手をつけるが内部のチップに使われているソフトウェアがコロラドのハイウェイで使われていたもののリサイクルだったため、自分の腕がハイウェイと一体化したように感じる。手術でチップを交換するが、ハイウェイの記憶は残っている。(19ページ)
2. そしてわれらは暗闇の中
自分には子供がいて育てたことがあるという夢をみる。夢の中の子供はいなくなるが現実に海から現れる。同じような夢を多くの人が共有している。子供たちは海で泳ぎ回っている。(現実に現れたこの子供たちは何だ?)(14ページ)
3. 記憶が戻る日(リメンバリー・デイ)
退役軍人たちは〈ベール〉によって強制的に戦争の記憶を隠されている。世界中の退役軍人なのでよほど大きい戦争だったのだろう。(もしかしたら地球外からの襲来かもしれない)年に一日だけ〈ベール〉が外され、退役軍人たちはパレードの後、〈ベール〉を継続するかどうかの投票をする。そして毎年大差で〈ベール〉を残すことになる。戦争に参加していない人々は戦争のことや軍人だった家族のことがよく分からないまま。(13ページ)
4. いずへすべては海の中に
何かわからないがおそらく地球規模の大災害が起きて、陸地は海に沈みつつあり、人が住めるエリアが減りつつあるらしい。大型船に避難してクルージングしながら生活している人々もいる。そんな船にエンターテイナーとして乗り込むことができたロックスターが、船上の人々に嫌気がさして小型ボートで逃げ出し、遭難したところを、ある女性に救助される。女性は行方不明になった妻を探しながら世捨て人のような生活をしていた。話の筋には関係なさそうだが、ジェンダーの問題が自然に含まれている。(34ページ)
5. 彼女の低いハム音
The Low Hum of Her
ナチスの迫害から逃げるユダヤ人を思わせる家族。祖母はすでに亡くなっているが父がアンドロイドのような祖母をこしらえ、主人公は当初拒否反応を示すが、次第に心を通い合わせていく。未来にも人種差別や迫害はなくならないという暗示だろうか。(12ページ)
6. 死者との対話
Talking with Dead People
殺人事件が起こった家の模型を作り、被害者やその周辺のネット情報を学習させたAIとそれを接続することで、家に話しかけることで被害者自身が事件の真相を語り始める装置ができた。解決する事件もあり、ビジネスは大成功した。しかし、何でも暴きたがる経営者と暴かれるべきではないものとの線引きを弁えている製作者の間に亀裂が生じた。模型は必要なのかという疑問は残る。AIとプライバシーの倫理に関する問題。(21ページ)
7. 時間流民のためのシュウェル・ホーム
The Sewell Home for the Temporally Displaced
最初はリモートビデオ通話をしているのかと思った。次に過去や未来が見えるヘッドセットか何かをしているのかと思った。実は時間の感覚を失うような病のようなものらしい。今が過去か未来か今か分からないし、過去が見えたりする。今起こってることがこれから起こるような気がする。ちょっと想像できない感覚。(5ページ)
8. 深淵をあとに歓喜して
In Joy, Knowing the Abyss Behind
脳梗塞の発作を起こして反応できなくなってからも手だけは無意識に動いて図面を描こうとする。それは誰かを閉じ込める目的で夫がかつて書かされた建物の図面。「軍」「国家の安全」などのキーワードから地球外からの訪問者がいるのではないかと想像されるが詳しくは書かれない。もちろん夫が明かさなかったからである。SF的な世界設定の中で、それに直接触れることのない人々の普通の営みが描かれている。
この話にもこそっとジェンダーが盛り込まれている。(35ページ)
9. 孤独な船乗りは誰一人
No Lonely Seafarer
SFではないがファンタージ要素を含む作品。入江から外海に船を出そうとする船乗りは皆セイレーンの歌を聴いて海に飛び込むかして死んでしまう。子どもなら大丈夫だろうと船長に連れられて船に乗った少年は実は両性具有であった。少年はセイレーンの歌に自らの歌を返しセイレーンに勝利する。んー、よくわからなかった。(27ページ)
10. 風はさまよう
Wind Will Rove
文化の継承と断絶の話。地球を離れた宇宙船の中ですでに4世代目を迎えている。1世代目もまだ残っている。初期にブラックアウトという事故(事件)が起きて、地球から持ってきた音楽、文学、芸術、歴史など文化に関するデータがすべて消えてしまった。覚えている人が物語を再現し、音楽は毎週演奏会を開くことで演奏者のタッチを継承しようとしている。しかし、新たな惑星で新しい人生を切り開くことを目指す若い世代たちは、過去の地球の歴史には価値を見出していない。断絶が起きようとしている。(62ページ)
11. オープン・ロードの聖母様
Our Lady of the Open Road
自動運転車やモビル通信網は発達している一方で公共交通や産業が破綻している社会。人々は自宅で過ごすか自動運転車で点から点へ移動することがほとんどになっている感じ。当然リアルなコンサートはあまり開催されず、自宅や酒場でホログラムコンサートを鑑賞することが主流になっている。そんな中、手動運転によるバンでツアーをしながら各地で小さなライブを行うことにこだわるバンドの話。少数だがちゃんと観客もついている。トラブルだらけだが意地でもリアルなライブにこだわる。(59ページ)
12. イッカク
The Narwhal
なぜかクジラの形をしたトラックに乗って旅をすることになる。田舎町を走るただのロードノベルか?と思って読んでいると後半に意外なSF的展開が待ち受けている。ある田舎町の映画館が何らかのモンスターに襲われたときにこのクジラ型トラックが空を飛んでモンスターを撃退したらしい。改めて読み直すと序盤で有人が読んでいる新聞の一面にはヒーローがニューヨークを救ったような見出しが書かれている。そう、これはスーパーヒーローとモンスターがいる世界の話し。そしてこの物語は、映画化されたような事件の裏で起こっていた、スポットライトが当たらなかった事件の物語。(33ページ)
13. そして(Nマイナス1)人しかいなくなった
And Then There Were (N - One)
並行世界にいる自分の一人が並行世界を行き来するドアを発見し、たくさんの自分を呼び寄せてパーティを開催する。しかし発見者の世界では大きな災害が起こっていて、災害が起こっていない別の世界の自分を殺して入れ替わろうとする。パーティに招待された主人公はすべてを知る立場となり、発見者を告発するか見逃すか悩む。(79ページ) -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み始めた段階で、姉妹の結びつきが限りなく強固なものであることは察せられるのだけれど、ここまでとは。恐れと憎しみ、身を捧げるほどの愛。
10ヶ月違いで生まれた姉に支配され、眠りに飲み込まれて心を病んでいるのかと思っていたら、あの日のショックを受け止めきれないまま日々を過ごしていたのだと分かって、一気に切なくなった。
最初の詩の意味が理解できてくるのが面白かった。ジュライにとって姉はすべてのことに関係してくるから、どこにいても何をしていても姉の姿がチラつくのだ。もはや自分そのものである。
セプテンバーが甲斐甲斐しくジュライのお世話をするから勘違いしそうになるけれど、横からなんでも取り上げていくのは支配に他ならない。けれどすべてを分け合う姉妹に魅力を感じるのも事実。最後の最後まで姉に忠実だったジュライのこと、妹を分身のように扱ったセプテンバーのこと、私は嫌いになれない。セプテンバーもジュライのことを手放せなかったのだろう。 -
Posted by ブクログ
SFってやっぱ面白い、と思わせてくれる16編と盛りだくさんの短編集。文庫も物価高騰のあおりを受けてこんなに高くなったか・・・と思いつつ買ったが、元は取れたと思う。
どの作品も味わい深いのだが、意識を持ったAIは物理的につながりさえできれば、ハード(シャーシ)を乗り換えていけるって設定が興味深い。人間が求めてやまない不死不老をAIなら実現できるという夢。
究極は「罪喰い」の世界で、人間はみな仮想空間(天国)に旅立ち、荒廃した地上にはロボットだけが残る。遺していく記憶を選べるってとこが業だ。
一方で、製品が成長したり、メンターがいたり、ロボット同士のいじめがあったりって世界の作品もあって、自意識を持つようになって社会のなかで生きていこうとすると、AIも人間も変わらないのはそうだよなと思う。
生存権をはじめAIの権利が認められる日が来るのだろうか? -
Posted by ブクログ
朝焼けを迎える宙なのか、それとも夕暮れに向かう海なのか、淡い彩色の装丁に包まれた物語の世界に浸ると空気の組成が少し変わり始める。忍び込んだ異質な空気が肺を満たすとき、追憶の中の未来- 辿り着くことのない、いつかどこか ーがゆらゆらと立ちのぼってくる。
それは旅先で目にした知らないはずの風景に感じる懐かしさと、それと同時に決してその風景に含まれることはない哀しみにも似て、心をさざなみが通り過ぎていく。
失われたものへの哀惜と失ったものを語るときの優しさが、“今”を生きる真っ直ぐな力強さと溶け合って余韻を残す、美しい作品が集められた短編集だった。
『一筋に伸びる二車線のハイウェイ』
オートメーション化された大規模農場の傍らでオールドスタイルな農園を営むアンディは農機具の事故で片腕を失う。義手として最新鋭のロボットアームが取り付けられたのち、腕は、自分は遥か遠くコロラドに伸びる全長九十七キロのアスファルト道だと訴えてくる。
テクノロジーとアイデンティティの危機という古くからのモチーフを用いながら、ここでは生物/機械という断絶を超えて、アンディが夢見る腕に共感していく様子が描かれている。
道はー腕はー目的地を目指して移動する車を見送りながら、同じ場所に留まり続けている。山までずっと見通せるが辿り着かないハイウェイであることに満足している。
アンディもまた、恋人が大学へ行くのを見送り、故郷の小さな町の農場で暮らすことを選択する人間だ。結局のところアンディと道は、存在こそ違え似た魂を持っているのだ。
アンディが恋人のために入れたタトゥーの文字を書き換えるシーンが好きだ。
『オープン・ロードの聖母様』
オンボロバンでツアーを回る中年の女性パンクロッカー。時代が変わっても気骨と信念で吠える。ライブシーンの熱さ!
“私たちは音楽だ。進みつづける“ 最高。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ普段あんまりSFは読まないんだけど、これはかなり好き。最初の「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」から、突然の事故で付けることになったハイテク義手が「自分は道路だ」と脳内で主張してくる…という突拍子もない調子で始まり面白いし、オチが秀逸。
「深淵をあとに歓喜して」の老夫婦の看取りの話も良かったし、「風はさまよう」の、人間と地球が何のかかわりもなくなったら、歴史とは、音楽とはいったいどういうもので、何の意味を持つのか、という重い問いかけに突っ込んでいくのもすごかった。それぞれの短編で設定は全部違うし今の現実とは乖離しているけど、出てくる人間の感情や行動に手でさわれるようなリアリティがあるから面白くなるんだろうな、と思う。この人の作品をもっと読みたくなる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレラノベじゃないので読み易くはない。H・P・ラヴクラフトのように形容詞と形容句が多い文体ながら、その全てに意味がある美しい文章でした。
惹句にあるような、書き留められた文字と、文字を持たぬ口伝の世界の(信仰の)戦いは背景にずっと横たわっていますが、評者にはどちらかと言えば『背景』でした。一人の青年がそれと知らずに恋に落ち、それと知った時には全てが手遅れで。なおも求めて止まぬ天使への焦がれ。
文学なんだしそれでいいじゃない。
作中に引用される句も詩も物語も全部、作者が頑張って考えたのかと思うと気が遠くなります。
歯ごたえ十分で味わい深い名作、という意味で星5つです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレハウルの動く城、シリーズ第3弾!
シリーズの中で最も好みであった
最初はチャーメインのひねくれた感じに好きになるか心配だったけど、途中から物語が華やかになってとても楽しい
不思議な魔法、不思議な家、そして不思議な人達
トントンと叩いて呪文を唱えると朝食が出たり……めちゃくちゃ素敵な魔法の家!
魔法とかあるファンタジー小説ってやっぱり胸が高鳴ってワクワクしてしまう
ハウルシリーズ、登場人物みんな個性的で良いなぁ
チャーメインは箱入り娘で世間知らずでちょっとわがままな感じだけど、ちょっとずつ成長が見られるのがとても良い
そしてやっぱり、ハウルやソフィーも登場!
この夫婦は喧嘩するほど仲が良いなぁ笑 -
Posted by ブクログ
切れがある人物描写が素晴らしい。
人間の嫌な内面を描く作品もあれば、『レディとの旅』のようなほろ苦くずっと心に残りそうな作品もあった。
いわゆるどんでん返しなどもあったりして、作者の懐の深さかうかがえる。
『なんでもない日にピーナッツを持って』や『城の主』『メルヴィル夫人の買い物』のように最後まで展開がわからないものも多く、楽しめた。
『悪の可能性』は人間の邪悪さと、そこからの結果がなかなかぞっとするものがあった。
そういえばこの作品群の中には意地悪なおばあさんがよく出てきましたね。
『おつらいときには』でも、悩んでいる人の相談に乗りたいのではなくて悩んでる人が自分を求めた=自分の手紙で救われたという、偽善どころか自己の承認欲求を満たすためだけに手紙を送るおばあさんが出てくる。
ブラックユーモアに溢れつつも人間のいやらしさがよく出ている人物が多かった。
そしてそういう悪意の中でも、純粋な心のうちに巣食う悪というのだろうか。
『インディアンはテントで暮らす』のような雪崩れ込むようなコントも面白く冴えている。
後半は著者ジャクスン自身のエッセイになっており、これがまた鋭い人物描写の元に軽快に描いていてクスりと笑える内容になっている。
怖かったり、あたたかかったり、読む前に想定しなかったいろんな感想を持つことができました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「イタリアの女たちは両手と全身と魂を使って話し、しかも歌を歌うのだ。」
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※この感想には一部性的表現が含まれます。ご注意ください。
SFが好きだ。
小学生の頃は星新一を、
中〜高校ではラノベやミステリーに浮気しつつも
大学では米文学のSFを専攻した。
SFの、きたるべき未来を先読みしているような
絶望感と、リアルさが好きだ。
SFでは、目的を見失い、軽率に人を愛し、運命に抗おうとする。そんな人間の弱さが好きだ。
その中にかすかに光る、生き残るための希望や、合理的な機械が必要としないこと(愛や、歌や、冗談や、表現)が好きだ。
どんな病原菌や武器よりも、
言葉を封じることは人間にとってつらいことかもしれない。
感情は心の泉が枯れない限り、
溢れ続けるものだから。
あらすじはこうだ。
アメリカのすべての女性に1日100語以上を喋ると
強い電流が流れるワードカウンターがつけられる。
少女は学校でお裁縫、料理、ガーデニングを学び
男性を支える"良い女性"であることを強いられる。
ゲイやレズビアンは強制収容所へ。
喋りすぎた女性、レイプされた女性も、髪を刈られひどい環境で強制労働をさせられる。
そこでは、許された言葉は0語。
そんな中でも、ある程度財力のある男性は
秘密のクラブで女性に対して精液とストレスを発散できる。コンドームなんてものは存在しない。
読んでいて、いろんな感情が渦巻いた。
人権=言葉である
と、強く感じた作品。
言語の違いがどう、
理解し合えるからどう、
という話ではない。
物理的に発言権があるのかないのか。
そこに、生きる
ということが大きく関わっている気がした。
今の日本でも、
女性の価値観については
特に40代後半男性と全く会話ができないことがある。
50代独身でも、結婚相手は子供を産める20〜30歳でしか考えられないと平然と言う人もいる。
そういった狂気を、
手軽に摂取できる形にしたのが、この本である。
心の底ではある意味男性が望んでいる世界、そう錯覚できそうなほど
毒々しくて、
狂った世界で闘う人々が魅力的な物語。
ディストピアは、すぐそこにある。
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Posted by ブクログ
シャーリイ・ジャクスンの描いた日常は白黒のテレビが初めて家にやって来た頃に観た「じゃじゃ馬百万長者」のエピソードのようで、何だか作り物のような手触りがして嘘臭い。でもそこから当時の当たり前や海の向こうの常識なんかを取り去ると、残るものは案外今でもそこら中で起こっている話なんだろうなとは想像する。
じゃじゃ馬百万長者が、当時のアメリカのことや油田で一儲けする話なんてなんにも知らなかった子供にも面白いと思えたのはどうしてだろう。海の向こうとこちらの違いの意味するところも定かでない子供にも面白いと思えたということは、きっと何か本質的なことが笑いの対象になっているからだ。それはきっとイソップのネズミの話に出てくる本質と建前のギャップが生み出す可笑しさ哀しさのようなものなんじゃないか。それが世界中どこにでもある構図なのだと子供の自分が理解するにはクロコダイルダンディーを待つ必要はあったけれども。あるいはそんな差を感じ得たのは、自分がいわゆる右肩上がりの経済の中の新興住宅街に育ったせいで夏休みになれば級友のほとんど両親どちらかの田舎に帰省するのが当たり前という、皆が田舎と町の違いに聡かった母集団にいたせいであるかも知れない。そんなことを考えていたら、若者言葉や流行りの略語にいちいち腹が立つのは、何にも持っていないのに矢鱈と自慢したがる町のネズミに対する感情と根っ子は同じなんだなと気付いた。
シャーリイ・ジャクスンの描く日常には、余所者と地元民の対立の構図、あるいは身内とそれ以外の壁、という話が多いと思う。描かれる物の値段や商習慣、大人や子供の娯楽も随分と時代遅れのようにも見えるけれど、その対立の構図そのものは全く変わっていない。それを全て貧富の格差に押し込むつもりはないけれど、そこには自分達の側にはあって相手側にはない、という認識が生み出す隠れた問題があるのだと思う。そして持つ持たないなんてどうでもいいことの筈なのに、何時の間にかそれが譲れない信条に化けてゆく。持つにせよ持たないにせよ、こちら側は正しくてあちら側が間違っている。そんな理屈が空気を支配する。
何でも持っている筈の町のネズミの生活を色眼鏡無しに観察できる田舎のネズミにしてみたら、町のネズミが本当に幸せなのかどうかは甚だ疑問だった訳で、子供にだってそれが解ってしまう話だからイソップだって書いたのだ。大人になるとそれが段々見えなくなるね。シャーリイ・ジャクスンは大人が読むイソップ童話なのかも知れないね。