久坂部羊のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレー久坂部羊『老乱』を読んで――認知症になっていく本人は、何を感じているのか
久坂部羊の『老乱』を読んだ。
この小説には、主に三人の人物が登場する。認知症が進んでいく父親と、その息子である夫、そしてその妻だ。夫婦の母親はすでに癌で亡くなっており、父親は一人で自宅生活を続けている。
その父親が、少しずつ認知症になっていく。
小説は、父親の側と、父親を介護することになる夫婦の側、それぞれの視点を行き来しながら進んでいく。
読んでいて最初に気になるのは、やはり介護する側の夫婦の気持ちだった。
親のことを心配しながらも、自分たちの生活がある。父親の言動に腹を立てたり、困惑したり、どう対応すればいいのか悩んだりする。
介護する側の大変さについては、これまでもいろいろなところで語られている。だから、この小説を読み始めたときも、私はどちらかというと夫婦の側に気持ちを置いて読んでいた。
ところが、読み進めるうちに、別のことが気になってきた。
ー 認知症になっていく本人は、一体何を感じているのだろう。ー
この小説では、父親が認知症になっていく過程が、父親自身の感覚や考えを通して描かれている。
本人にとっては、自分がおかしくなっているという自覚がある場合もある。昨日までできていたことができなくなったり、自分では普通に話しているつもりなのに周囲から否定されたり、何かを忘れてしまったことで周りから叱られたりする。
しかし、本人からすれば、それにはそれなりの理由がある。
こちらから見ると「認知症の人の不可解な行動」に見えることでも、本人の中では筋が通っていることがある。
そこを、この小説はかなり考えさせてくれる。
認知症について考えるとき、私はこれまで、どうしても「介護する側は大変だ」という視点に偏っていたように思う。
もちろん、実際の介護が大変であることに変わりはない。
しかし、『老乱』を読んでいると、もう一つの視点が見えてくる。
それは、**「認知症になっていく本人も、自分の身に起きている変化に戸惑いながら生きているのではないか」**ということだ。
自分では普通にしているつもりなのに、周囲の反応が以前とは違ってくる。
何かがおかしいとは感じても、その原因が自分の認知機能の低下だとは分からない。
そして、自分の世界が少しずつ変わっていく。
そんな状態になったとき、高齢者本人は何を考え、何を感じるのだろう。
この小説を読んで、そのことを以前より具体的に想像できるようになった気がする。
『老乱』は、介護する側の苦労を描いた小説であると同時に、**認知症になっていく本人の側に立って考えるきっかけを与えてくれる小説**でもあると思う。
認知症というと、つい「どう介護するか」「どう対応するか」という側から考えてしまう。
でも、その前に、「本人にはどう見えているのだろう」と考えてみる。
この小説を読んで、その視点を持つことの大切さを感じた。
認知症を扱った小説はいろいろあると思うが、『老乱』は、認知症になっていく高齢者本人の気持ちを想像するという意味で、読んでみる価値のある一冊だと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ映画化されていることは知っていたので、本屋で見かけて何気なく手に取ってみました。
想像以上に内容が重いことにビックリしながら読み進めましたが、難しい医学的用語やわかりづらい表現がなかったためか、非常に読みやすかったです!
当方老人介護に少し関わりある仕事をしているため、老人虐待や介護負担の問題など、勉強になることが多く、自分の学びにもなりました。
漆原先生の視点で読むと「善良な」行動や考えでも、
読んで行くうちに色々な人の視点で見ると「嗜虐的」「グロテスク」だとか、、善悪が単純に決められないが故に、ラストの展開は少し悲しい気持ちになってしまいます。
漆原先生の
「自分の知らない自分がいた」というセリフは、とても印象に残りました。 -
Posted by ブクログ
無痛の続編で完結編。現代のコロナウイルスを彷彿させるような内容であり、日本人の病気に対する過剰な防御意識に警鐘を鳴らすような内容だった。今回のように未知の疾患に対して抗おうとすればするほど沼に入ってしまい、病状を悪化させてしまうもいうのは著者の病に関する捉え方、自然治癒に任せて無駄な治療はしないという信念にも共通しており物語としてよく落とし込まれていると感心した。登場人物もユニークで癖の強いものが多く臨場感あふれる展開も楽しく読めた。雑な言い方かもしれないがちょっとした異変に過敏に反応する健康オタクよりも物事にあまり気を留めずに執着しない人が身も心も健康でいられるという教訓を学んだような気がする。
-
Posted by ブクログ
『少しきつい言い方になりますが、相手に求めたり批判的な気持ちになるのは、自分の都合に執着しているせいです。それでは優しい介護はなかなかできません』
介護する側、される側の心情を強烈なリアリティで書いている。読んでいて、「自分はこうなりたくない」「こうは思わないようにしたい」と思いつつも、いざ当事者になったらどうなってしまうのか、自信はない。
祖父は両方とも他界し、祖母は両方ともかなり元気に過ごしている。無論、両親もともに元気である。
それもあって、私は「介護」について第三者的な目線で、どこか他人事として扱いつつあった。現実から目を背けたかった。
だからこそ本屋でこの本を見つけた時に、"全くもって知ろうとしなかったことが、全部かかれてるぞ" という期待半分、恐怖半分で購入した。
結果、購入して読んで良かったと思う。
(重度の)認知症の人は何も分からないというイメージが少なからずあったが、その気持ちを覆してくれた。
ないものとして扱ったりせず、「人」として接することの大切さも知った。
また、毎日少しずつ自分が自分でなくなることの恐怖、絶望。ただでさえ自尊心が傷つくのに、それを家族や周りに詰られる屈辱と羞恥。
そして、自分を育ててくれた親がどんどん弱っていき、自分の知る親じゃなくなっていくような怯え。これは、経験がある作者にしか書けない強烈なリアリティだった。
「介護される側」の恐怖は、この本を読まなくては知らないまま老いさらばえただろう…。
介護について、「まだ先のこと」と考えてしまう我々世代にもぜひ読んで欲しい1冊。
あと嫁の雅美が学童保育のパート先の仲間のことを「単身赴任の妻」とか「家庭内別居中の…」とか、スゴく記号的に捉えていたのが少し怖かった。 -
Posted by ブクログ
すごいタイトルの本だけど、とても興味深かったです。
「死」という言葉はなんだか怖い気がして怯んでしまうけど、死は必ず100%誰にでも訪れるものなんだよね。それなのに私たちは死についてよく知らない。
それは現代の日本社会が死を忌み嫌っているからなのかもしれない。報道もフィクションも耳障りの良いものに偏るので、人がどんな風に最期を迎えるものなのか、知る機会がない。
死は遠くにある怖いものな感じ。でも本来、死ぬことは産まれることと同じく自然なものなわけで。
この本を読んだことで少しだけ心構えというか予習ができた気がする。
筆者が在宅医療のお医者さんで多くの人を看取った経験から書いているので、ものすごく説得力があります。
人が死を迎えるのは1回きりでやり直すことはできない。どんな最期になるのかわからないけど、何も考えていないのとある程度の知識があるのとでは違うと思うんだよね。
上手に最期を迎えられる人もいれば、延命治療で悲惨な最期を迎える人もいて。引き際が難しいんだろうな。そのまま自然な死を迎えられたかもしれないのに、救急車で病院に運んでしまったために、心臓マッサージや挿管などの苦痛を強いられての最期になることもあったり。治療をすべて否定をするわかではないけど、自分だったらそっとして自然に旅立たせてほしいと思う。
気づきがたくさんある本でした。老いも死も受け入れられる境地になれるかはわからないけど、心構えとして読んで良かったです。
(「老い」は衰えていくと考えずに、新しい能力を身につけるという考え方が面白かった。忘却力、ゆっくり力、あきらめ力、受入れ力、感謝力、満足力…なるほどねぇ。悲観的にならずに、ものは考えようだね。) -
Posted by ブクログ
高齢者の方に関わる仕事もしている身としては、色々と考えさせられました…!
今後、高齢者がたくさん増えていく中で、介護問題は本当に大きな問題だと思います。大事な家族だとしても、介護は綺麗な面だけではないので、負担が大きかかったり、当事者も仕方がないことだとしても、迷惑かけてしまってと申し訳ない気持ちになってしまったり…
最初は腕や足を切断するなんて恐ろしいという気持ちでしたが、読み進めていくうちに、しっかり説明し、本人家族も希望している、そして、メリットがあるなら、選択肢としてありなのでは?と実際に思ってしまいました。
主人公については、さまざまさな人間性や一面が描かれており、単純に良い人悪い人と決めつけられる人物ではないなと思いました…! -
Posted by ブクログ
年齢的にも人生の先が短くなりつつあり、実際に死にかけたこともあるので、この種の本はつい手に取ってしまう。
決してスピリチュアルな本ではなく、死を避けることのできない現実として捉え、そこに備えるための実践的な考え方を述べている。
医師でもあり小説家でもある著者の立場から、現代の医療に関する問題点、医師としてのジレンマなどにも触れつつ、最終的には「より良い生き方」を解く本になっている。
文章が上手いためか、内容がすんなり頭に入ってきて、読んでいて一種の安心感が得られる。「やりたい事をやり遂げようと思うな」との主張にはなるほどと思った。
なかなかの良書と感じた。