城山三郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
大東亜戦争が末期を迎える昭和16年ごろのこと。日本は秘密兵器として、日本陸海軍による「特攻」を実施する。神風特攻隊の二人の指揮官、関行男大尉と中津留達雄大尉は、海軍兵学校70期の同期生だった。同い年で一人っ子同士、おまけに妻帯者と、境遇もよく似た二人は、奇しくも特攻隊の中でも同じ運命をたどることになる。
特攻隊の兵士たちはほとんどが、予科練あがりの二十歳前後の青年兵。本来なら日本の未来を背負うべき年齢の青年兵たちは、自分の運命を知り悩んだという。片道分の燃料と爆弾をつんだだけのゼロ戦で一度飛び立てば、もう二度と生きて帰れないのは誰もがわかっていることだ。戦争状況が悪くなる中、果たして自分たちの死が何の役にたつのだろうかと、泣き、葛藤し、ケンカもしたという。
そんな部下の様子を知りながらも、あえて先導の指揮をとらねばならない指揮官の務め。妻帯者はこの辛い任務になるべくつかせないというのに、なぜか、関と中都留の二人が選ばれている。軍部人事の機密事項だったのか、一種の謎である。
真っ先に出陣した関大尉率いる「神風特攻隊」は見事に役目を果たした。ポツダム宣言を受託した日に飛び立った中都留大尉の特攻隊も帰還せず、二人は軍神となった。残された二人の母に対する世間の仕打ちは冷たかった。「多くの若者を死なせた特攻の指揮官の母」という立場は、子を思って泣きたいのに泣けず、耐え忍ぶしかない、辛い立場だったのだ。
指揮官は部下の見本である。部下が生と死を考えて、苦悶していたように指揮官も苦悶していたことだろう。指揮官だって23歳だ。この若者たちの一途さに頭がさがる。現代に特攻隊のような心意気をもった若者がいるだろうか。技術面や体力面もさることながら、精神面で「特攻隊」のような組織はもう出来ないだろうと思う。
“戦争賛成”という意味ではなく“一途に熱中する”という意味でだが。
日本が一致団結して耐え抜いてきたあの戦争は、自らの国民の命を武器に敵を倒す作戦に出るしかなかった貧弱な小国を想像させられる。どんなに言い繕っても、戦争は多くの人々を死なせ、不幸にし、そして人生を狂わせたのだ。指揮官であろうと、部下であろうと、その身内であろうと…。こんなに大きな犠牲があったことも忘れてはならない。もちろん、この犠牲を無駄にするわけにはいかない。
とても印象深い言葉が最後に載っていた。特攻隊員の藤井大尉のお母さん。百三歳まで生きたお母さんが最期まで言っていた言葉だそうだ。
「そんなことは無いと、わかってるんだけど、それでも何年かかかって帰ってくる気がするの」。
いつまでも待っている…。
これが海の藻屑と消えた軍神の母の本当の姿なのだと思う。 -
Posted by ブクログ
・職人の世界は、効率とは対極のところにある。一見無駄と思えるところにまでこだわるのが職人だ。だが、皮肉なことにその無駄が日本の技術力を支えているのである。
・もちろんコスト意識は大切だ。だが、すべて無駄を排除しようとすると、企業はやせ細ってしまう。
・無駄には、排除していい無駄と必要な無駄がある。効率主義、合理主義一辺倒の経営では、必要な無駄まで切り落としてしまいかねない。実は無駄か否かの判断は非常に難しい。
・あらかじめつくっておいた書類に沿って説明する人を評価していなかった。自分で考え、頭の中で整理して理解していない話などするな、という考えだ。
・経済人としての最大の条件は経営手腕よりも人格にあるという考えの持ち主だった。 -
Posted by ブクログ
数十年前の商社マンの悲哀なストーリー。
高度経済成長が終わり、経済が崩壊し始めた時代が背景。当時も「前途は暗く、混乱はひろがり、生きがいは見つからない」時代であったそうだ。日本はバブルを挟み歴史を繰り返しているのか。
商社が日本経済の牽引役であると世間で見做されているのは当時も現在も同様であるが、現在との違いは「商社が諸悪の根源のように非難され、商社マンが悪者扱いされていた」時代であったこと。その時代に、大日本株式会社の尖兵として戦ってきた男達が役者として登場している。
会社のモットーは、ワタシハ、アリニナレル。ワタシハ、トンボニナレル。シカモ、ワタシハ人間デアル。
現代を生きる商社マンである自分としては…先人たちの獅子奮迅の血と汗と涙と努力の結晶を引継ぎ、発展させていく事を誓わざるを得ない気分になった。まぁ時代は違うわけですが。 -
Posted by ブクログ
渋沢栄一の生涯を描いた歴史小説。上巻は武州血洗島での誕生から、幕末、明治新政府での若き官吏時代に入るまで。
攘夷強硬派→一橋慶喜家臣→フランス留学→明治新政府での大隈からの協力要請
一介の農民が一橋慶喜に取り立てられる件は興味深い。慶喜の周りに開明的な側近、平岡円四郎や原市之進やがいたことはあまり知られていない。彼らが早くに暗殺されていなければ(しかも内ゲバ)、世の中も変わっていたかもしれない。
本書では、渋沢栄一だけのことでなく、幕末維新の全体の動きもよく捉えられていて頭の整理にもなる。
渋沢栄一のような偉人の生い立ちはどのようなものだったのか。
若い時から「建白魔」であり、自分の意見を発信する意欲が強かった。
フランスへの留学が、後世、偉大な実業家になるに大きな影響を与えていたことは間違いない。
(以下引用)
・井上馨が総理になろうとするときであった。明治の元勲たちの中で、井上ひとりがまだ総理になっていなかった。・・・(井上)「渋沢が大蔵大臣にならなければ、引き受けぬ」といった。元老や重臣たちは、入れ代り渋沢説得にのり出した。「きみがやれば井上も総理になれるのだから」と。
(渋沢)「わたしは実業家で通す決心です」
・(渋沢夫人)「お父さんも論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」
論語には夫人の指摘する通り、女性に対する戒めはない。
・平岡もまた、京都へ来て以来、人材登用の必要性をいっそう身にしみて感じていた。薩摩・長州・土佐など、有力諸藩を動かしているのは、いずれも、身分の低い下士上がりの若手たちである。それに比べれば、一橋家も、幕府も、人材らしい人材が居ない。・・・若くて根性があり、頭の切れる若者が、欲しい。その手はじめの一人が、栄一である。
・「天下の権、朝廷に在るべくして在らず、幕府に在り。幕府に在るべくして在らず、一橋に在り。一橋に在るべくして在らず、平岡に在り」と世間にうわさされるほどの人物で、このとき、(平岡円四郎は)四十三歳の働きざかり。
・平岡円四郎も原市之進も、一をきいて十を知る聡明なひとであった。相手の顔色を見ただけで要件がわかるといわれた。先が見えすぎ、ひとの先廻りをする。そのため、かえって、ひとにきらわれるという面もあった。
・(大隈重信が渋沢を大蔵省に招聘する際の言葉)
「新政府がやろうとしていることは、すべて知識も経験もないことばかり。何から手をつけてよいかわからぬのは、きみだけではない。誰もが、わからん。わからん者が智慧を出し合い、これから相談してやって行こうとしている。つまり、われわれみんなが八百万の神々なのだ、きみも、その神々の中の一柱として迎えた」
「知らぬからやめるというなら、みな、やめねばならぬ。やめたら、国はどうなる」 -
Posted by ブクログ
城山三郎と、氏の大学の恩師である山田教授との2人ゼミナールの話を中心に対談形式で話が進んでいく。
この本は城山氏のいつもの経済小説とは違い、人間城山三郎と触れられる興味深い一冊。
学生時代の恩師と、その恩師が亡くなるまで、2人で経済やそれに関連する倫理に関してそれぞれの主張を熱くぶつけ合う。読んでいて非常に羨ましい関係だなと感じた。やはり偉大な師というのは、師であるご本人自体が、非常に人間味溢れていて、謙虚でいて気さく。自分より若くてもその人のことを尊敬し、何かを学び取ろうとされる。だからこちらも師から何かを得ようと必死にぶつかっていく。私にもお会いして色々ご指導頂ける人生の先輩がいらっしゃるので、そういった関係は本当に大事にしたいと思う。