あらすじ
下駄と靴と片足ずつ履いて――その男は二筋の道を同時に歩んだ。地方の一紡績会社を有数の大企業に伸長させた経営者の道と、社会から得た財はすべて社会に返す、という信念の道。あの治安維持法の時世に社会思想の研究機関を設立、倉敷に東洋一を目指す総合病院、世界に誇る美の殿堂を建て……。ひるむことを知らず夢を見続けた男の、人間形成の跡を辿り反抗の生涯を描き出す雄編。
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倉敷紡績、クラレの創業家、大原家。明治後期から昭和初期にかけてこの一地方企業を率いた大原孫三郎氏の半生をメインに、その息子である總一郎氏までを描いた城山三郎の小説。孫三郎氏の社会から得た富は全て社会に権限するべきだという「主張(意志)」と、戦乱期にあって会社を守り育てた剛腕経営者としての一面。ほぼ一個人が設立した、世界有数の美術館である大原美術館、今でいうシンクタンクにあたる社会問題研究所、地域に開かれた病院の建設など、業績を上げればキリがない。当時の経済学者が、「財を成したという意味では三井、住友、三菱に劣るが、財を用いて公共に資したという意味では、いかなる事業家よりも偉大であった」と絶賛。なぜ今まで知らなかったのかと思うくらいの大人物。
鍵は「親友」と「家族」。親友を得ることが人生前半の大事業であることは、きっと私たち全員に共通することだろう。時には対立しながらも互いの志を共有し、互いを高めながら、理想実現に向かって切磋琢磨する間柄を「作る」こと。
一方「家族」の方は、妾を囲ったり、宴会好きな孫三郎に対し、息子の總一郎は「清流」と言われるほどの潔癖さ。部下に問われ、「タバコは吸っていいが、吐いてはいかん」という性格がよく出ているユーモア。そんな息子を生涯最高傑作
と言って憚らず、長期海外出張の際には何通も手紙を書き送る父親としての一面。もちろん、社長としての業務命令も欠かさない。「創業家の跡取りに必要なことは、先代の誤りを糺すこと」。これも深く納得。
大原美術館行ってみたいし、他の伝記も読んでみたい。これは多くの人に知ってほしい。
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たまたま実家に帰省中に手にとった。
ちょっと悩んでいたときに勇気をもらいました。
今では当たり前と思うことを当時から実践していたとはすごい。
今でもわかっていてもなかなかできない。
正しいと思うことをやり遂げた人は素晴らしいです。
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「わしの一生は、失敗の連続だった」
(=常に現状に甘んじることなく、前を向き、上を目指す自分の意思に対して?)
「わしの一生は、反抗の連続だった」
(=仲間の意見を尊重するあまり?)
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倉敷を訪れると、柔らかい気持ちになる。
この本を読んで、街というよりも大原孫三郎という人に会いに行ったからかもと思う。
大原孫三郎は、社会貢献と人材育成を大事にし、様々なことに挑戦し続ける。その姿に、人としての器の大きさと魅力を感じる。
倉敷をまた訪れたいと思う。
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10年先が見えたのではなく、こういう10年さきの世を作りたいという強い意志が描かれた一冊。
なにがどこまで、事実なのかは気になりつつ。
こういう人間関係、ざっくりこんな考え方、こういう世の中、事実ベースの業績はコレと描写とファクトをより分けつつ読むとより楽しい。
個人的には豪農のボンボンかつ農夫と自分のあいだをうめたがったつながりで比較すると、川上善兵衛は葡萄を残し、大原孫三郎は事業と美術館を残した点が興味深い。
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城山三郎という作家を語れるほど知っているわけでもないが、この人の書くテーマは「志」なのだと思っている。「孤高の」と付け加えても良いのかもしれない。
冒頭、素封家の一人息子大原孫三郎、気が強くわがままいっぱい、東京の学生時代に周囲からいいように金を毟り取られて高利貸しに一万五千円と、時の総理大臣の年収一年半分の借金を積み上げ、その整理に当たった義兄が高利貸しとの交渉中に急逝して悄然と倉敷に帰る場面がさらりと書かれている。
単なるイントロではなく、この時期あっての、後の大原孫三郎と、読み進むうちに理解ができる。
大金をポンポン出すのはカネが有り余っているからだろうと思っていたら、晩年所有の美術品を大量に売り払い多額の借金を返済する下りが出てきた。
ぼくら凡人には到底思いも及びもつかぬスケールの人であった。
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城山三郎 による 大原孫三郎 伝記。社員重視の経営、大原美術館、孤児と貧困の支援に裏打ちされた 善の生き方が描かれている
決断力の強さ
*人の心は水と同じ〜急流でなければ 何事も転回できない
*事業は何より度胸であり、決心である
人に目を向けた経営
*工場内に 職工教育部をつくり 学校教育に見合う勉強
*金は使うためにあるのであって、人は金に使われるためにあるのではない
*会社は 労働者と資本家が共に働き 利益を上げる場所
息子 總一郎氏の創立記念日の挨拶(社員への最期の言葉)が素晴らしい
*会社は〜存在理由があるか〜働く人が生きがい働きがいを感じているか
*職場が人生の全てではないこと〜会社は配慮しなければならない
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「もっと早く読めばよかった」が、最初の感想です。
岡山県出身の自分にとって、大原孫三郎は、昔から知っている名前ではありましたが、何をやったかを知らないまま、ここまで来てしまいました。
が、この本を通して、大原孫三郎の人生を知り、「もっと早く知っておくべきだった」「もっと早く、この本を読んでおくべきだった」と思ったわけです。
経営者には、情熱と知性が必要だとよく言われますが、大原孫三郎は、情熱も知性も、高いレベルで備えていた人物だったようです。
しかし、そのバランスについては、非常に危うい印象を受けました。
概ね、情熱に傾くことが多かったように思います。
が、人生トータルで見ると、バランスのとれた形に納まったように思いました。
だからこそ、様々な偉業を成し遂げることができたのだと思います。
話は変わりますが、実は私、大原美術館に行ったことがありません。
次の帰省の際には、是非、行ってみたいと思います。
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同県人(とはいえ、倉敷と岡山は大きく違うのだが)と言うことと、昔から大原美術館には何度も通ってること、そして、城山三郎と来たら読まないではいられない。
児玉虎次郎との関係は知っていたが、石井十次や清水安三との交流についてはこの本をもって初めて知った。
自分はここまでの大人物にはなれないが、自分の持ち場において何をすべきなのかについて、常に探る態度は是非とも見習いたいものだ。
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倉敷を訪ねて知った、ある経営者の生涯を描いた小説。
高い見識と決断力をもって、会社をそして地域を豊かに発展させた力量は計り知れない。
現在の日本社会は生まれながらに力を持つ者が小さな志しか持たないのか、それとも日本社会の体質がそれを邪魔する小さな社会なのか、富がうまく生かされていいないような気がする。
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大原孫三郎の生涯がすごい。人やお金を惹きつけちゃう人っているよね。惹きつけちゃう人は、なぜか出会いも別れも惹きつけちゃうよね。本書にも出てくるけど、どんなけ使うねん!ってゆう慈善団体への寄付や美術を志す若者への投資は目をみはるものばかり。頼る方も頼る方だけど、出しちゃうんだもの、大原孫三郎。そして、その美術を志す若者、まさかの児島虎次郎!!!そうか、児島虎次郎と繋がってる人か。児島虎次郎関連の書籍を読んでたころ、大原孫三郎って聞いたことあったわ。そーいやそーだわ。倉敷だしね。モネに睡蓮を描いてもらって買い取ってきた話とか感激。おすすめ。
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クラレ創業者、大原孫三郎についての話。仕事で倉敷に関わるようになったので、歴史を学ぶ意味で手に取った本。地方企業でありながら経営者として従業員の生活改善等に取組だ姿勢に非常に共感。サラリーマンとしての生活の向上は、このような人たちのおかげであると感謝する次第。
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放蕩を続けた2代目ボンボンの孫三郎と石井十次の衝撃的な出会い、心酔、すきま風が生まれながらも十次の最期まで支援する。クリスチャン社会事業家が有名なクリスチャン経営者の若い頃に与えた影響の大きさを改めて感じます。十次の夢、ビジョンの圧倒的なスケールの大きさに驚きますが。また、孫三郎の社会責任に関する意識、何とアカ呼ばわりされながらも貫いていく信念は、十次の影響が大きいとはいえ、10年どころか少なくとも50年先を見ていた経営者だと痛感します。
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企業の「メセナ」をいっているのは、儲けがあったとき。
バブルがはじけて、儲けがなくなったら、
そのことは、知らぬ顔。
企業というのは、あくまでも経営者の姿勢にかかっているのですね。
戦争前から、戦争中にかけて、
それを実施した人がいたことは、驚嘆に値する。
そんな大原孫三郎を描いた。
子どもの教育に対して
「すべてが建設でなくてはならぬ、創作でなくてはならぬ。」
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こんなセリフ言ってみたい…なんて思って読み始めると、全然そんな雰囲気すら漂わない少年時代。
人との出会いと、生きている環境がいかにその人を作っているのか。
戦前の日本にいた「真の経営者」。その生き様を描く話。倉敷に行ってみたくなってしまいました。
「経験にとらわれることなく、常に絶えず進歩する人でありたい」という言葉は仕事に慣れ始めたときにこそ、胸に留めておきたい言葉です。
昨年夏行った倉敷は、想像したように素敵な街でした。
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クラレの前身である倉敷紡績の初代社長である大原孫三郎とその息子である總一郎の物語。
10人中5人がいいということはもう遅い、7人がいいと言ったらやらん方がいい、3人くらいがちょうどいい、だれもいいと言わんことはやるな、というのは名言である。
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倉敷の偉人大原孫三郎と、その子、總一郎について。
実家にあったので、何の期待もなく読んだが、面白かった。
大原美術館や、クラレのことは知っていたけど、孤児院運営へのかかわりや、社会問題研究、労働問題研究、農業研究機関までつくって取り組みをした人とは知らなかった。
明治・大正時代の大金持ちの資本家でありながら、従業員と友となり
人間としてともに高め合っていける事業のあり方を、熱意と実行力とスピード感をもって、追求していっているのに凄みを感じた。
ビジョナリーカンパニーを読んで、私が理解し、今もその内容として解釈している「矛盾すると思われる課題は同時に解決する事ができるし、それが出来る会社がビジョナリーカンパニーになりうる」ということの、まさにそれではないかな?
孫三郎やっていることは一言でいえば、ノーブレスオブリージュなんだけど、それより、もうちょっとピュアに、書生っぽく理想を求めている感じ。資金援助する相手を対等に友とみているところ。自分が刺激を求めるところ。
倉敷にとても行きたくなった。
倉敷駅前にある、倉敷チボリ公園がなんだか残念。
仕事で出張したときに駅前しか見なかったから、孫三郎の残した倉敷を見て感じたい。
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倉敷の偉人と呼ばれる大原孫三郎。
地元倉敷の誇りだと思います☆
偉人と呼ばれる大原孫三郎ですが、最初からこのような人ではなく、遊びに散財してしまってどうしようもない人物でもあった。
その中で東京から倉敷に連れ戻されてから、様々な自分の人生の在り方を決めるような人たちと出会っていく。
何事にも真摯に取り組み、腹を割って真剣に話すことが出来る
『本当の友達』
このワードを大原孫三郎は大切にして求めていたものだと言うことが自分の中には大きなメッセージのように感じた一冊です☆
昔の言葉などで少し読むのに時間もかかるかもしれませんがイイ本だと思います♪
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倉敷の大原美術館を訪れて、、その創設者の大原孫三郎氏の思想に触れたくなり、美術館で衝動買いをしてしまいました。
倉敷のガイドさんから聞いたとおり・・ものすごい決断力ですね。
ただ、、彼への賛同者ばかりではなかったのもうなずける決断もチラホラあることが、この本を読んでいて分かりました。
児島虎二郎ファンの私としては・・
「社会から得た財はすべて社会に返す」という思想のもとに、
彼を自費で留学させたり、
現在大原美術館にある絵を自由に購入させたり、、には感動したのですが、、
彼の友人、石井十次氏には個人的には賛同しかねる。。(^_^;)
確かに孤児院を設立することは善だと思うけど、
だからといって理想を追い求めてなんでもやっていいというわけではない気がする。。
そして、そこにお金を出し続ける孫三郎氏の考えもよく分からない。。
・・とはいえ、やはり尊敬すべき点の多い人ですね。
息子の總一郎氏もとても素晴らしい人なんだ、と、勉強になりました。
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大原孫三郎についての一冊。
自分は全く大原孫三郎という人物について知らなかったのだが、この一冊を読むことで、彼の生涯と信念が見えてきて、興味深かった。
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大原孫三郎はいい意味でも悪い意味でも、自分の主張を貫く経営者であった。その象徴的な言葉がある。「 十人の人間の中、五人が賛成するようなことは、たいてい手おくれだ。七、八人がいいと言ったら、もうやめた方がいい。二、三人ぐらいがいいという間に、仕事はやるべきものだ。 」というものだ。リーダーに相応しい人物だと思った。
Posted by ブクログ
大原美術館児島虎次郎記念館にて購入。
岡山から帰りの新幹線で一気読み。
さすが、城山三郎!
描く人物をなんて魅力的にすることか!
孫三郎についても、さりげなく、いろいろあったことを匂わしてはいるけれど、基本は魅力的な人物像となっている。
倉敷の街が戦災を受けず、なぜあれほどまで残ることが出来たのか?
岡山市・倉敷市を訪ねると当然湧く疑問がこの1冊で氷解。
倉敷を歩くことは、結局、大原の足跡を訪ねることでもある。
倉敷散策の前に一読することをオススメしたい。
Posted by ブクログ
クラレ、倉紡、法政大学大原社会問題研究所、
そして何より、倉敷大原美術館。
中国地方の大資本家で大実業家の大原孫三郎の物語。
メセナの精神を大正期に唱えた功績は
倉敷を一大文化都市へと昇華させただけではなく、
日本の産業、財界の在り方にも大きく影響を与えた点にある。
その生涯は信念と情熱に燃え、内にあっては
真の友を求めやがて人を信じ愛しつづけ、
外にあっては、労働環境の整備を第一として
会社と市民の関係を重視するという。
そして文化を愛し育てることに注力している。
日本の片田舎の美術館に、これほどの世界的名画があるという事実。
これって、本当にすごいことだ。