城山三郎のレビュー一覧
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皇太子御成婚ぐらいまでは「恋愛結婚ははしたない」という通念=社会常識があった。「正田美智子さんとは恋愛ではなくちゃんと紹介があった」と宮内庁は否定したそうな。まして戦前に奇跡のように巡り会い、双方の親の反対を押し切って結婚した二人。
性格は違う、彼女は「筆で食べて行く」というと文具屋かと思うぐらい文筆業に無知。旅行に行っても観光には関心が無い。著者は 「国交回復していない中国」に入ったことで愛知学芸大教官を辞めた、「毛沢東は長江で水泳に行ったので会えない」と文革開始の歴史的瞬間に遭遇した。
彼女が晩年に追突小事故を起こしたのは脳にがんが転移していたからだった。肝硬変も進行していて定期検診で見過ごしていたのは残念。 -
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本書の主人公である広田弘毅はどこか『男子の本懐』の浜口雄幸にも似た、朴訥として処世術とは無縁の、まさしく城山三郎好みの人物である。冒頭で投げかけられる、なぜ広田が東京裁判において陸軍軍人以外ただ一人の死刑判決を受けることになったのか、という問いの答えも、その「自ら計らわぬ」信念に由来するのだが、その高潔さはわかるにしても、もう少し自らの行為や考えを裁判という公式の場で明らかにしておくことで、歴史として後世に資する材料を残せたのではないかとも思う。(軍部の予算編成について「大元帥の立場から」牽制を受けたことなど、もしも裁判で漏らせば大騒ぎになっただろうが)
山座、幣原、佐分利、松岡、吉田といった外交官達の個性や人間関係も丁寧に描かれており、彼等の人生を見ると大きな歴史の流れの中では個人の運命など「自ら計ら」えないものかもしれないとも感じるが。
広田の死刑判決を聞いて、自身の減刑工作の影響を嗅ぎ取り「クスリが効きすぎたか」と呟いた「大物文官戦犯」の存在や、大命降下の際に天皇直々に「名門を崩すことないように」と釘を刺されたことなど、「宮中」への城山独特の視点が至るところで光る。これも読みどころの一つだ。 -
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大原孫三郎といえばクラボウとクラレに大原美術館だが、活躍の場が東京や大阪ではないため地方の企業家以上の印象を持つ人は少ないだろう。この本は大原孫三郎の篤志家としての一面に焦点を合わせその生涯を追っている。孤児院経営や石井十次との関係、アカの巣窟と化した社会問題研究所の話は断片的に聞いたことはあったが、生涯を通してみるとこういう経緯だったのかと納得できる。真の人助けとは衣食住の提供ではなく、その人が自立出来るようにすること、そしてその信念は一人息子の大原總一郎という最高傑作を生み出した。
ぶっちゃけ若い頃は結構な「アホボン」だし、クラボウ経営や岡山孤児院への寄付も上手くいかないこともしばしば。それでも理想に邁進し悪戦苦闘する孫三郎の話は単なるサクセスストーリーではなく非常に魅力的だ。 -
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人口が減り経済停滞が続く日本はこのまま没落するのではないかという悲観論が溢れている。そして現代は未だかつてない激動の時代だということもよく聞かれる。しかし、歴史をみると、それらの主張がホントなのかと疑問に思う。
官僚たちの夏は60年代の「激動」の時代を描く。奇跡的な復興を遂げ高度成長期にある日本は経済の開放か保護かという難題に直面している。この本ではその際の通産省の官僚たちの財界や政治との、そして省内での闘いが描かれる。
成長期にも成熟期にも衰退期にも課題はある。そしてそれはモグラ叩きのように次から次へと出てくる。きっといつの時代も今が激動だと思っている。そして、政治主導が官僚主導か、解放か保護かはいつの世でも争点だ。今の若者は働かなくなった、勉強しなくなったというのも年長者の常の嘆きだ。変化を嫌う財界は当時は生産調整を忌避し今は労働力不足を忌避するのだろう。今も昔も基本的な構造は何も変わらない。きっと社会なんてそんなものだ。それを気づけるのが歴史を学ぶ意味だと思う。
いつの世にも派閥があり、優秀な人材が尽きることはない。いや、優秀かどうかはその時の主流派が決めることで、時代が変われば尺度が変わるだけなのだろう。政官財が近すぎて互いの独立が薄れているようにも思うが、この本を読んで水面下には気骨ある人材が隠れているのだと信じたくなった。
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大原美術館で購入。
芸術と平和について考えさせられる。
以下引用
・こうした孫三郎のはげしい反対を前に、ついに受け入れ派も折れ、連帯配置ははがれた。倉敷は軍事基地を持たぬ町となり、このさいで空襲を免れた、とも。
・孫三郎は声をはり上げて、
「子孫は先祖の誤りを正すためにあるんじゃ。わしはそう思って、やってきた」
・孫三郎が画家児島虎次郎に命じて印象派の名画を買い集め、大原美術館をつくった話は有名。
昭和7年、国際連盟が満州事変の真相調査のためリットン調査団を派遣してきたが、その団員が倉敷を訪れ、真珠のようなこのコレクションに感動する。クラシキは文化の街、ふとしたことから太平洋戦争中、この団員の意見が容れられて爆撃目標から外される。