城山三郎のレビュー一覧
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倉敷紡績、クラレの創業家、大原家。明治後期から昭和初期にかけてこの一地方企業を率いた大原孫三郎氏の半生をメインに、その息子である總一郎氏までを描いた城山三郎の小説。孫三郎氏の社会から得た富は全て社会に権限するべきだという「主張(意志)」と、戦乱期にあって会社を守り育てた剛腕経営者としての一面。ほぼ一個人が設立した、世界有数の美術館である大原美術館、今でいうシンクタンクにあたる社会問題研究所、地域に開かれた病院の建設など、業績を上げればキリがない。当時の経済学者が、「財を成したという意味では三井、住友、三菱に劣るが、財を用いて公共に資したという意味では、いかなる事業家よりも偉大であった」と絶賛。なぜ今まで知らなかったのかと思うくらいの大人物。
鍵は「親友」と「家族」。親友を得ることが人生前半の大事業であることは、きっと私たち全員に共通することだろう。時には対立しながらも互いの志を共有し、互いを高めながら、理想実現に向かって切磋琢磨する間柄を「作る」こと。
一方「家族」の方は、妾を囲ったり、宴会好きな孫三郎に対し、息子の總一郎は「清流」と言われるほどの潔癖さ。部下に問われ、「タバコは吸っていいが、吐いてはいかん」という性格がよく出ているユーモア。そんな息子を生涯最高傑作
と言って憚らず、長期海外出張の際には何通も手紙を書き送る父親としての一面。もちろん、社長としての業務命令も欠かさない。「創業家の跡取りに必要なことは、先代の誤りを糺すこと」。これも深く納得。
大原美術館行ってみたいし、他の伝記も読んでみたい。これは多くの人に知ってほしい。 -
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ネタバレ今年は仕事でもプライベートでも「死」と向き合う機会がとても多かったので。
遺族として、共感出来るところがたくさんあったし、読み進める中で母や祖父の事を思い出さずにはいられなかった。
ー死んだ人もたいへんだけど、残された人もたいへんなんじゃないか、という考えが浮かんだ。理不尽な死であればあるほど、遺族の悲しみは消えないし、後遺症も残る。ー
母の死後、残された父を見ているのが辛い。母の死を受け入れるのは辛いが、それ以上に残された父を見ているのが辛い。突然死という理不尽な死だっただけに、後遺症は大きい。
ー最愛の伴侶の死を目前にして、そんな悲しみの極みに、残される者は何ができるのか。
私は容子の手を握って、その時が少しでも遅れるようにと、ただただ祈るばかりであった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分におそわれる。ーふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。ー
父は母の最期どんな気持ちだっただろう。
次女・井上紀子さんの父が遺してくれたものー最後の「黄金の日日」も娘の立場から父母の様子、死を書いていて、共感出来るところがたくさんある。
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指揮官たちの特攻 城山三郎
8月は毎年、戦争に関する本を読むことにしている。今年は、コロナ対応が後手後手に回っていることなどの政治の失敗が先の戦争の体制と酷似している点などが叫ばれ、「やはり日本は戦争をしてはいけない」というムードが流れているように感じる。神風特攻隊などというものは、作戦としては最低の代物であり、パニックに陥った当時の政府にとっての苦し紛れのものであったことが想定される。特に、本書では特攻によって死にゆく若者たちの悲哀を描いている。無論、神風特攻隊によって死にゆく道を取った人々は、しっかりと弔われるべきであり、なお本書を読むと彼ら自身が作戦に不服としながらこの世を去っていったことがわかる。航空のプロたる彼らは、飛行機乗りとして育成されながら、最終的には片道切符の特攻作戦を実行する理不尽さ、悲しみに思いを馳せる。特攻は飛行機といい、プロのパイロットを一瞬にして砂塵にしてしまう極めて非効率な作戦であり、そのコストとリターンを考えれば竹やり作戦よりもタチが悪い。しかし、思うにこれらも平常時だからわかることであり、今回のコロナ禍における緊急時の心理状況をして、現代の私たちもこのような手段を取ってしまう危うさについて認知すべきであろう。パニックに陥ったときにこそ、絶対にとってはならない手段を知るということが重要であり、それこそが歴史を学ぶ意義である。
本書では特攻の最初の犠牲となった関大尉と最後の特攻隊である中津留大尉という同期にスポットライトを当てて、城山氏の体験も交えながら特攻や当時の軍部について述懐するものである。特に中津留大尉の死はつらいものがある。戦争が終わっているにもかかわらず、指揮官の宇垣纏の死に場所探しに突き合わされたという印象がぬぐえない。しかも、これは城山氏の予測ではあるが、戦争終了の米軍のパーティーに突っ込むことを命じられたうえで、あえて米軍のパーティーを避けて近隣の水田に突っ込むという最後は、真珠湾に始まる日本の国際的な戦争の了解事項の無視ということをこれ以上起こしてはならないとする中津留大尉の最後の覚悟であった。城山氏は天皇に戦争責任が及ばぬよう最後に罪状を被った広田首相に重ね合わせ、その矜持を虚しく称賛する。 -
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東急グループ総帥
東急グループ総帥の五島昇氏の生涯が描かれています。とても面白い一冊でした。創業一族の二代目としての葛藤、そして、二代目だからこその生き様を拝読できました。
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近ツリの社史を、前身の日本ツーリスト社長 馬場勇をメインにして描いた、いわゆる経済小説。著者の入念な資料調査と、機微な人間関係のタッチは良かったと思う。ただ個人的には、宮本常一と近ツリの結び付きについて、もう少し話が聞きたかったところではある。
観光研究の教科書では、往々にして、「マスツーリズム」から「サスティナブル・ツーリズム」へなどと、短絡的な言葉遊びが展開されているが、かかる「マスツーリズム」の内実を細かに描出した本に出会ったことがなかった。本書は、戦後から70年代までの国内における旅行業事情、言い換えれば、当時のマスツーリズムの諸相をまざまざと見せつけてくれる一冊であった。
日本ツーリストは、兎にも角にも、事業拡大の道を歩んでおり、まさに青天井の如く事業所設立に力を入れている。企業理念も、企業戦略も何もない、只々、大量生産・大量消費の方式で、力をつけていった企業としても過言ではないだろう。他方で、このマス的な企業方針に傾倒していったのは、交通公社(JTB)に対するやっかみに依るところが大きかったものと思う。国営企業のJTBは、お上のお陰で潰れることはないし、営業の際に信用を勝ち取れる。また、国鉄との結び付きで、旅行商品を生産しやすかったという環境もある。国営企業であるJTBに打ち克つには、なるたけの馬力で、顧客を獲得せねばならない。「国営企業 vs 私企業」という構図のもとで、(負の遺産ともいえる)マス的な観光形態が形成されたのではないかと感じた。その意味で、JTBの功罪は大きいだろう。また、旅行業界の「ブラック化」が進んだのも、この「官民」の闘争の成れの果てとも言えそうである。まあ、近ツリが、社員の家族を巻き込んでまで事業を遂行していたという話は、ちょっと引いたものである。なお、大量生産・大量消費とは雖も、1970年代頃にはSITの兆しが見えていたようで(p. 207)、近ツリが、コンピュータを導入した管理運営を世界に先駆けて実施しているのは興味深い。
「観光」という言葉の使用が、近畿交通社に端を発している話(p. 127)、渡鹿野の置屋のはしりが、これまた近畿交通社であったという話(p. 120)、馬場が学閥を忌避していたにも拘らず、学生バイトは東大生ばかりを雇っていた話、日本ツーリストが「添乗員」経験を重視していた話など、知らない話が多く出てきた。
それにしても、近ツリのバイブルとなっているこの本を、現代の新入社員が読んだらどんな反応を示すのだろうか。過度な精神主義に傾注し、ブラック・パワハラを黙認・礼賛するようなこの本を読めば、現代人は委縮してしまうのではなかろうか。こんな武勇伝を延々と聞かされて、「お前らは甘えてる、俺の時はもっと大変だった!」などと叫ばれたら、もう一溜りもないし、さっさと辞めたくなるに違いない! -
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武州血洗島の一農夫から攘夷の志士。そして実業界の父へ。渋沢栄一の波乱の生涯を追った描いた長編歴史小説。
武州の一農夫渋沢栄一は尊皇の志士から一橋家に取り立てられ幕臣。洋行の後、明治新政府に出仕するまでが上巻。
下巻では、渋沢が明治政府に仕え 銀行の創設や合本会社(現在の株式会社)など民間企業の育成に努める。井上馨、大隈重信、江藤新平、大久保利通、西郷隆盛など登場。渋沢の評伝であると共に明治初期の政治、経済の歴史ともなっている。
三井、三菱などの後に財閥となる商店との戦い。横浜での外国商人との争いなど維新の前後を通じ渋沢の正義感と合理的な行動は変わらない。
やがて野に下り第一銀行の頭取や商工会議所の会頭として企業の育成に励む渋沢。大蔵喜八郎や浅野総一郎など三井、三菱とは別の起業家も現れる。
そんな渋沢を支え続けた妻千代の死で本書は唐突に終わる。もう少し話を続けてほしかったとの印象が残り。ちょっと残念。
一橋家の立場から描いた幕末。政府からは離れた立場から見た明治新政府。他の城山三郎や評伝に負けず劣らず楽しめる作品。
渋沢の功績は数多いが、城山三郎の出身の一橋大も渋沢の創設した学校が前身だとか。
銀行、ビールから紙など渋沢が創設し現在まで続く事業は数知れない。日本実業界に渋沢栄一の存在がなければどうなっていたのだろう。
筆者ならではのエネルギッシュな人物と財界が魅力の作品でした。 -
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現代日本につながる実業界を作った渋沢栄一。武州血洗島出身、幕末は志士であったという。エネルギッシュな渋沢の波乱の生涯を描いた長編歴史小説。
上下巻の上巻。
大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一、日本経済、実業界の創立の立役者。武州中山道の宿場町深谷宿の北の血洗島の豪農の家に1840年に生まれる。
自分にとって渋沢は明治の人。調べてみたところ、意外にも高杉晋作、久坂玄瑞、沖田総司と同世代だった。
本書を読み渋沢も志士だったことを知る。
幕末に開国。攘夷、威信の風は空っ風の吹く関東地方にも及ぶ。栄一ら若者は江戸への遊学や武芸の修行者との出会いを通じ、世の中を変えようと思い至る。
一つ間違えば清川八郎と共に京に上り、新撰組の一員となっていたかもしれない。
栄一たちの計画は高崎城を奪って南下、横浜の外国人居留地を焼き討ちすること。直前で断念し一転逃亡の身となる。京に逃げるために思い付くのが少しだけ面識のあった一橋慶喜の家臣である平岡円四郎。渋沢と従兄の喜作は一橋家に雇われ関東を脱出。討幕の志士が一転、最後の将軍の家臣となる運命の変転が実に興味深い。次第に家中で表し慶喜の弟昭武の随行で渡欧し、明治維新を迎える。
欧米の風俗、制度に触れたことが維新後の渋沢の運命を大きく変える。貴人情を知らずと思われた慶喜の深い愛情、渋沢を抜擢したが暗殺される一橋家家臣の平岡円四郎と原市之進。
渋沢の同志たちの多くは、天狗争乱、戊辰戦争や彰義隊、振武軍などで命を落とす。それは一つ間違えれば渋沢の運命でもあった。
成功者の自伝や伝記を読むと、成功する人は生まれてからまっすぐに進路を取り偉人となったかのように錯覚するが、実際は右に左に大きく触れ、わずかばかりの実力と大きな運が必要であることを強く感じさせる。
面識のなかった大隈重信に抜擢され明治新政府に仕えることとなった渋沢。
上巻はここまで。 -
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幕末維新激動の中、渋沢栄一が武州の一農夫から明治新政府の一員(租税正、今で言えば財務省主税局長)として招かれるに至る迄がこの上巻で描かれる。尊王攘夷に燃え仲間と共に討幕の行動を起こす決意をしその機を常に窺い乍らも世の中は目まぐるしく変化し続け、なかなかその意を遂げる事が出来ない。しかしそんな中でも、栄一は世の中の動きを常にキャッチアップして、初志貫徹する事の武士としての潔さ等に縛られる事なく、今どうすべきかの方向性を柔軟に修正する事が出来る。そんな思考・行動特性が、回りの若くして散っていった仲間に比べて、僥倖とも言える程の境遇に導いて行かれる事に繋がるんだなぁと思う。