城山三郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2014.12 記。
サラリーマン小説の書き手としてはやはり城山三郎氏は別格だと思う。
本書の主人公石田礼助は元三井物産社長という生粋の商社マンにして、請われて国鉄総裁に就任。戦後の混乱期、初代総裁が「不審死」するような時代だった。大赤字と非効率経営がはびこるなか、国会で議員を前に「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」と言い放った男。彼の奮闘を描く。
「能率を上げるにはね、全体の統制を乱さない範囲において、独断専行をできるだけ許す」。戦前に満州の大豆投機で稼ぎまくったビジネス感覚を国鉄に持ち込むべく腐心する。それは赤字路線のバスへの切り替えから青函連絡船の安全スペッ -
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・平素から十分、部下についてよく観察し、よく勉強しておかなければならない。どんな育ちで、どういう家庭で、どんな生活をしているか、何を勉強し、何に興味を持ち、どんなつき合いをしているか、等々。できるだけ深く、くわしく知っている必要がある。つまり、部下をまるごとのみこんでおくということで、そうなってしまうと、たとえイヤな部下でも、イヤなやつと思えなくなる。そのとき、部下ははじめて「この上役のためなら」と、本気にいいアイデアを出してくれる
・ひとをほめるときは、思いきって、手放しでほめ上げ、ひとをその気にさせる。だが、注文は容赦なくつける
・どんな仕事に就かされても、どんな土地へ行っても、必ずその行 -
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城山三郎という作家を語れるほど知っているわけでもないが、この人の書くテーマは「志」なのだと思っている。「孤高の」と付け加えても良いのかもしれない。
冒頭、素封家の一人息子大原孫三郎、気が強くわがままいっぱい、東京の学生時代に周囲からいいように金を毟り取られて高利貸しに一万五千円と、時の総理大臣の年収一年半分の借金を積み上げ、その整理に当たった義兄が高利貸しとの交渉中に急逝して悄然と倉敷に帰る場面がさらりと書かれている。
単なるイントロではなく、この時期あっての、後の大原孫三郎と、読み進むうちに理解ができる。
大金をポンポン出すのはカネが有り余っているからだろうと思っていたら、晩年所有の -
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城山三郎 による 大原孫三郎 伝記。社員重視の経営、大原美術館、孤児と貧困の支援に裏打ちされた 善の生き方が描かれている
決断力の強さ
*人の心は水と同じ〜急流でなければ 何事も転回できない
*事業は何より度胸であり、決心である
人に目を向けた経営
*工場内に 職工教育部をつくり 学校教育に見合う勉強
*金は使うためにあるのであって、人は金に使われるためにあるのではない
*会社は 労働者と資本家が共に働き 利益を上げる場所
息子 總一郎氏の創立記念日の挨拶(社員への最期の言葉)が素晴らしい
*会社は〜存在理由があるか〜働く人が生きがい働きがいを感じているか
*職場が人生の全てではないこと -
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明日、死ね。
国家のため、国民のため。皇国の軍人として散れ、と。
いきなり、告げられるのである。
昭和2年生まれの昭和を丸々生き抜いた著者自身の海軍体験を散りばめながら、神風特攻隊として殉じていった海軍兵学校の同期生二人の人生を対比しながら、綴られる一冊。
本書中にも記されているが、茅ヶ崎でかつてサザンオールスターズを誘致して球場でライブを行ったことがある。その際、照明演出のために二射の光線が上下左右、夜を飛び交った。
かつて戦中、この球場は対空砲ではなく対水上の敵機を撃つ為の海軍の高角砲陣地であった。
探照灯である。
遠浅の茅ヶ崎海岸は、米軍の日本本土上陸作戦コースに予想されており、海岸 -
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痛ましい戦争を知らない世代としてはその生々しい描写を読みながらも今の恵まれすぎる生活と比較してなんともいえない気分になる。有り難いという気分もないではないが、それ以上にどんな言い訳を以ってしても戦争という選択肢を選んではいけないし、このような現実の戦争と関わる小説を通して平和の大切さを認識し続けなければならないと感じる。
「草原の敵」での敵少年兵を人殺しの練習に使おうという発想、極限状態で出現する人間の持つ残忍さに寒からしめられる。
最後の「断崖」は戦争絡みであろうと勘ぐりながら読んだので何か肩透かしされた気分で、この本に収録するのは適切でない気がする。