あらすじ
三井物産に35年間在職し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった“ヤング・ソルジャー”──自らを山猿(マンキー)と称し、欧米流の経営手腕を発揮した高齢のビジネスマンは、誰もが敬遠した不遇のポストにあえて飛び込む。問題の山積する国鉄の改革を通し、明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から“卑ではない”ほんものの人間の堂々たる人生を、著者は克明な取材と温かな視線で描いた。ベストセラー作品を電子書籍化。
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Posted by ブクログ
・もう一度読みたいか:
・仕事に活かせるか:
・プライベートに影響するか:
・読めない漢字の量は:
(1非常に 2多い 3普通 4少し 5無い)
Posted by ブクログ
こういう上司ほしい!組織の上に立つ人、人を使う立場の人には是非読んでいただきたい。
自分はそういう立場にあるわけではないが、真似したい参考にしたいと思えることがいくつもあり、付箋を付けながら読んだ。敵対する立場の人々からも慕われるなんて素晴らしい。(もっとも家族には面倒がられる部分もあったようだが)
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タイトル通りの人。率直で卑屈にならず曲がった事をしない。
自然体でそれを通すには生半可では難しい。よく勉強しよく己を律した人であるからこそ率直にいきれたのかなと思わされた。
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三井物産に35年勤め、戦後78歳にして国鉄総裁になった明治生まれの豪傑の話。昔の商社マンとしての働きも面白いが、パブリックサービスの精神で活躍した国鉄総裁としてのエピソードが先見の明もあり、とても興味深い。特に国会答弁や記者への歯に衣着せぬ物言い、対応は読んでいて痛快。今はいないだろうなあ、こういう人。でも是非現れて欲しい。
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この本は、石田礼助が国鉄総裁に就任した後、国会での初登院で述べた「粗にして野だが卑ではない」という言葉がタイトルになっています。
石田礼助は明治人の一徹さと、30年にわたる海外生活で培われた合理主義を持つ人物でした。
彼は35年間三井物産に勤め、その間に素晴らしい業績を上げました。そして78歳で財界人から初めて国鉄総裁になったのです。彼の人生は、「ヤング・ソルジャー」と称されるほどの勇気と決断力に溢れています。
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代議士たちに「諸君」と呼びかけ、「生来、祖にして野だが卑ではないつもり」と自己紹介し、没後は、「生き方に自信があった」、「天衣無縫にいちばん近かった人」と評された石田禮助の生涯。明治生まれで三井物産代表取締役や国鉄総裁を務めた男の生き様は、文春文庫の「いい男の35冊」に選出されている、間違いなく“いい男”。時代やレベルは違うけど憧れる(再読)。
Posted by ブクログ
「城山三郎」が78歳で国鉄総裁になった「石田礼助」の人生を描いた作品『粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯』を読みました。
「百田尚樹」が出光興産創業者の「出光佐三」をモデルに描いた作品『海賊とよばれた男』に続き、明治生まれの傑物を描いた作品です、、、
「城山三郎」作品は昨年の8月に読んだ『硫黄島に死す』以来なので約1年振りですね。
-----story-------------
三井物産に35年間在職し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった“ヤング・ソルジャー”―。
明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から“卑ではない”ほんものの人間の堂々たる人生を著者は克明な取材と温かな視線で描いた。
ベストセラー作品の待望の文庫化。
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三井物産に35年間在職し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった「石田礼助」の半生記… 「石田礼助」が国鉄総裁に就任した後、国会での初登院で言った「粗にして野だが卑ではない」という言葉がタイトルとなっています、、、
「粗にして野だが卑ではない」という言葉、印象的だし、良い言葉だと思いますね。
■序章
■1 若き兵士の如く
■2 ひとつのロマン
■3 動くものが好き
■4 エイブル・マンは居ないか
■5 「非戦闘員」のクラブ
■6 ミスター鬼瓦
■7 降りかかる火の粉
■8 人生の達人
■9 イッツ・ユア・ビジネス
■10 座頭市がいい
■11 武士の情け
■12 首を切られた気持ち
■13 女房手当
■14 毎日の遺言
■終章
■あとがき
■解説 佐高信
国鉄総裁の起用にあたり、財界人の抜擢に執念を燃やす当時の「池田勇人首相」の強い意向により第5代国鉄総裁に就任し、在任中は、自ら「ヤング・ソルジャー」と称して「公職は奉仕すべきもの、したがって総裁報酬は返上する」と宣言し、当初は月10万円だけ貰っていたそうです… さらに鶴見事故の発生後は、給料を1円も受け取らず、1年あたり洋酒1本を受け取ったとのこと、、、
世のために尽くしたいという信念を貫いた行動だったんでしょうね… 「野心も私心もない、あるのは素心だけ」と言われただけのことはありますね。
「卑」を嫌うが故に、規律の無視や公私混同をのような社会ルールの違反については国鉄幹部にも厳しく指導したらしく… 業者からの接待ゴルフについては、「ゴルフは自分の負担で、自分の時間で、無理のない範囲で楽しむことがルール」と国鉄幹部をたしなめるなど、財界出身ながらも国鉄内部に対して堂々と意見を発したり、、、
国会答弁で「国鉄が今日の様な状態になったのは、諸君(国会議員)たちにも責任がある」とか「人命を預かる鉄道員と、たばこ巻きの専売が同じ給料なのはおかしい」等、「粗にして野」だが、痛烈かつ率直な発言をしたり等、発言を巡るエピソードには事欠かなったようですね… でも、周囲の一般庶民からすると痛快な発言だっただろうなぁ。
また、過去の慣例にとらわれず有能なノンキャリアを重要なポストに登用したり、安全に関する予算を確保したりと、硬直した大組織の変革を進めることにも成功したようです… 簡単にできることではないですよね。
「出光佐三」との接点もあったようで、本書でも気のおけぬ友人として紹介されていました、、、
二人の生き方には共通する、日本人としての誇りや信念があったんだと思いますね… 明治生まれの気骨を持った人たちの生き方って、学ぶべきところがあると思いますね。
自分の生き方や仕事の仕方について考えさせられたし、とても参考になりました… この時代に日本を牽引した人たちのことをもっともっと知りたくなりました。
Posted by ブクログ
国鉄総裁を勤めた石田礼助の生涯を描いた小説。78才の石田は、公共サービスと安全対策に心を砕いた。終章に書かれている、暮らしぶりや簡素な葬儀の話に心を打たれる。
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「昭和の日』に、昭和の傑物の伝記を読み終えた。
日米開戦前の三井物産社長、国鉄第五代総裁、石田禮助の生涯。
戦前、物産ニューヨーク支店長時代、大西洋(太平洋ではなく)横断の海底通信ケーブルの最大ユーザーが三井物産だった、というのは、何だか誇らしい。一方、そこまで世界経済と密着してたのに開戦に流れていったのが、悔やまれる。石田禮助自身は、職を賭して反対し、財界を通じての反対活動もしたようだけど。
国鉄総裁時代の国会答弁のくだりは、痛快で溜飲が下がる。経営者の視点とパブリックサービスに奉仕する精神のバランスが最高だ。
Posted by ブクログ
「この爺さん、いったい何者なのか。」で締められる第一章が秀逸。
その後は、石田禮助という人物の人生のダイジェストという感じです。波乱万丈の人生ですが、一つ一つのエピソードを深く掘り下げて書くことはしていないので、やや淡白な印象がなくはないです。
しかし、石田禮助の魅力は存分に知れますし、ビジネフマンにとっては参考になることも多いかと思います。
Posted by ブクログ
こんな生き方をした人もいたんだなぁ。
質素で頑固な人間で、もし身近にいても気難しくて近付けなかったかもしれない。
それでも参考にしたい生き方ではあった。
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三井物産から旧国鉄の総裁まで歴任した
石田禮助氏の生涯。
タイトルは国会で代議士を前に初登壇した際のコメント
続いて「国鉄が今日のようになったのは、諸君たちにも責任がある」と気骨ある発言。
男です。
Posted by ブクログ
2014.12 記。
サラリーマン小説の書き手としてはやはり城山三郎氏は別格だと思う。
本書の主人公石田礼助は元三井物産社長という生粋の商社マンにして、請われて国鉄総裁に就任。戦後の混乱期、初代総裁が「不審死」するような時代だった。大赤字と非効率経営がはびこるなか、国会で議員を前に「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」と言い放った男。彼の奮闘を描く。
「能率を上げるにはね、全体の統制を乱さない範囲において、独断専行をできるだけ許す」。戦前に満州の大豆投機で稼ぎまくったビジネス感覚を国鉄に持ち込むべく腐心する。それは赤字路線のバスへの切り替えから青函連絡船の安全スペックの引き上げまで、収益の観点からだけ見ればプラスなものとマイナスなものの両方を含んでいた。そこを貫くのは、徹底してリスクを取って金儲けをした経験があってこそパブリックな仕事を徹底できる、という姿勢であった。これは実感としてよく分かる。
今ネット上には「ファッションとしてのワークスタイル」を巡るカタカナだらけの言説が溢れている。が、読み終えてみて、「時代が変わって働き方が変わる」危機感なんて不要だな、と感じる。
カネを稼いだ経験と使命感。これがあれば時代を問わず働く場所はあるよ、と再確認できたことが私にとっての成果であった
Posted by ブクログ
貫名の実家に寄ったときに、お土産としてもらった本。三井物産を退職後、国鉄総裁を勤めた石田禮助という人の伝記。頑固で正義感が強く、良くも悪くも、いかにも昭和初期のやり手という感じがする。今は本当にこういうタイプの人は少なくなってしまっているのではないかと思う。この人の下についてゆきたい、と思わせるのはこういう人間なのだろうと、そういう風に思う。
「おれは大まかだが責任だけはとる、と石田さんはよく言っていた。私心がないから、人を恨んだり嫌ったりということもない。だから、何でも平気でぽんぽん言う。」(p.201)
Posted by ブクログ
石田さんは、国鉄の総裁にまでなった方なのですごい人物なのは分かるが、城山さんがことさら取り上げた理由はいまいち分かりませんでした。ただ、「粗にして野だが卑ではない」という題名はとても好きです
Posted by ブクログ
78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった石田禮助の伝記。戦前三井物産社員として中国やアメリカで活躍したところから当時の部下へのインタビューも交えて話を起こし、パブリック・サービスの精神で国鉄総裁に就任、安全重視と健全経営に向けた改革を進める姿、一方で"ブレイン・ファーマー"として自給自足の農園暮らしを送るなど家族生活の模様も描き出している。
自分のことはマンキー(猿)であると言いながら、"粗にして野だが卑ではない"として、合理的な考えを通し、どんな相手にも直言を辞さなかった生き方には好感が持てる。時代もあるとは思うけれど、こういう筋の通った人が今の世の中にもほしいものだ。
Posted by ブクログ
第5代国鉄総裁石田礼助の生涯。これくらい大きな組織で国会や役所など関係組織も多くともバランスではなく、自分の信念を貫く姿勢が伝わってきました。
Posted by ブクログ
タイトルの言葉が有名。国鉄総裁石田禮助の生涯,伊豆西岸の出身,一橋の前身を卒業し三井物産,大連,シアトル,ロンドン,ニューヨークとほとんど海外で活躍。戦後しばらく経ってから池田勇人首相から国鉄総裁に任命。卑であることを徹底的に嫌う姿がかっこいい。厳しさがある一方で大きな仕事をする人には必ず理解者がおり,愛される側面を必ず持っている。晩年はパブリックサービスをするのだという考えの通りに公益のために自分自身の才を使う。パブリックサービスでは給与をもらわない。功成り名を上げた成功者がこういう構えで社会を支えてくれる社会だったのだろう(いや,本になるくらいだから珍しい存在だったのかもしれぬ)。そんな人になりたい。
Posted by ブクログ
まず初めに「粗にして野だが卑ではない」は多少態度や言葉が粗くても、世のため人のためを最優先に考え、考え方に筋が通っていて卑なことは決してしないということである。
本書は三井物産代表取締役から78歳で国鉄総裁になり84歳の引退までを痛快なエピソードを交えながら記している石田氏の生き様が記されている本である。
石田氏は三井物産時代はシアトル、ニューヨーク、ボンベイ等ほぼ海外勤務であり、新たなビジネスの導入や既存ビジネスの拡大に勤め代表取締役まで上り詰めた功績があり、国鉄時代には職員の給与アップや鉄道の安全面への強化など、組織内に様々な改革を起こした。肩書きだけでは順風満帆なエリートサラリーマンの人生のように思えるが多額な損害を出したり、国鉄総裁就任後に鉄道事故が起こったり失敗エピソードも多々記載されており、実際には真似できないと思うことが多いが、石田氏が実際にどう問題と立ち向かっていたのか精神面ではビジネスパーソンも役立つのではないかと思う。
副社長の価値観の軸にある本ということで読んでみたが「粗にして野だが卑ではない」という考えは信念を持って働くことの大切さを改めて教えてくれる一冊ではないかと思う。
Posted by ブクログ
紙幅の問題があったのかも知れないが、内容・量共にもう一つ物足りない。
石田禮助は正に「粗にして野だが卑ではない」聖人君子ではないと感じただけに、もっと掘り下げた作品に仕上がった可能性を思うと残念。
同じ著者の書いた「わしの眼は十年先が見える」(倉敷紡績・大原美術館の大原孫三郎)がよかっただけになお残念。
東京からの出張帰りに新幹線で読み切る、感じではオススメか。
文教堂淀屋橋店にて購入。
Posted by ブクログ
ずっと読もうと思っていた本です
事の良し悪しは別に、現代の財界人の発言に道理や筋を感じないもので…
石田礼助
明治~昭和を生きたカッコいい男の不器用かつ天衣無縫の仕事ぶりを描いています
もう、物語どうこうではありません
国鉄時代の直近の部下に
「ずいぶん多勢の人に仕えたが、あんなに気持ちのいい人はいない。毎朝、石田さんに会うのがたのしみだった。生涯、あの人ほどの人物にめぐり会うことはないだろう」P162から
周囲から、このように評される人物に私はなれないし、会えてもいない…
(私も言いたい放題系であるが、徹底的に人望がない。 器が小さいんだわ)
くせ者も多かったであろう当時の代議士や記者も礼助の卑でない実直な発言に魅せられていったようです
時代が人物を産むのかもしれませんが、それにしてもねぇ…
まあ、良い心構えを教わった読書となりました
星は★★★(3.0点)
※満点は5点です
伝記というか人物記ですので評点するのは若干違う気もしますが…
卑屈、卑怯なやり様は私の生きざまから駆逐しようとの決意も込めて
きっちり思う点をつけさせてもらいました
Posted by ブクログ
三井物産に35年間在職し、華々しい業績を上げた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になったヤングソルジャーこと石田禮助の生涯。
明治期から昭和初期この時代って、こういう一線を画す大物が多いよなー。
Posted by ブクログ
三井物産に35年間在籍し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった”ヤング・ソルジャー”―明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から”卑でない”ほんものの人間の堂々たる人生を著者は克明な取材と温かな視線で描いた。
「朝、ミスター・イシダが来ると、全員立ち上がらんばかりのふんい気でした。ミスター・イシダは何か明らかに不満があっても、大声を出したりはしない。怒りを内に溜めていて、なぐりはしないけど、こちらはなぐられた感じがした」
石田はとにかくオープンで、ざっくりばらん。多勢の前で、
「おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ」
などと大声で訊く。
クビになるかと思うほどの損を出したときでも、理由を聞いて「なるほど」とうなずき、
「取り戻せるものなら、やってみろ」
肚の中と口にすることは同じ。ストレートに物を言うし、また、そういう人を好む。分かりやすい人であった。
そして「賢明な投資」のためには、
「しじゅう頭を使って天下の形勢をみてなきゃ」
石坂自身も、経団連会長への就任を決めたとき、記者団から動機を訊かれ、菜根譚の一句を引用した。
「人と作るには一点の素心を存することを要す
人と交わるには須く三分の俠気を帯ぶべし」
「あの件は一例だが、石田さんは労使関係を超えて、職員の気持をつかんだ。国鉄総裁というより、人生の達人。そういう感じのものが、みな奮起させた。」
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三井物産に35年間在籍し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった”ヤング・ソルジャー”―明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から”卑でない”ほんものの人間の堂々たる人生を著者は克明な取材と温かな視線で描いた。
「朝、ミスター・イシダが来ると、全員立ち上がらんばかりのふんい気でした。ミスター・イシダは何か明らかに不満があっても、大声を出したりはしない。怒りを内に溜めていて、なぐりはしないけど、こちらはなぐられた感じがした」
石田はとにかくオープンで、ざっくりばらん。多勢の前で、
「おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ」
などと大声で訊く。
クビになるかと思うほどの損を出したときでも、理由を聞いて「なるほど」とうなずき、
「取り戻せるものなら、やってみろ」
肚の中と口にすることは同じ。ストレートに物を言うし、また、そういう人を好む。分かりやすい人であった。
そして「賢明な投資」のためには、
「しじゅう頭を使って天下の形勢をみてなきゃ」
石坂自身も、経団連会長への就任を決めたとき、記者団から動機を訊かれ、菜根譚の一句を引用した。
「人と作るには一点の素心を存することを要す
人と交わるには須く三分の?気を帯ぶべし」
「あの件は一例だが、石田さんは労使関係を超えて、職員の気持をつかんだ。国鉄総裁というより、人生の達人。そういう感じのものが、みな奮起させた。」
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三井物産の社長、会長から、
国鉄総裁を6年勤めた石田豊助の生涯を綴った伝記。
よく言う曲がったことの大嫌いな頑固オヤジ。だが、この人は若いときから海外で過ごし、国際感覚を持って事にあたっていたので、そのぶん大きな功績を残せたのだと思う。
粗にして野だが卑ではない。
あえて、粗や野になる必要はないが、
卑ではない生き方を追求する石田豊助は確かにカッコいい。