柳田邦男のレビュー一覧
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JR福知山線の脱線事故から20年が経つ。事故の様子、被害にあった方たちのその瞬間の状態、救助に携わった方々の行動、その後の歩み、加害者である鉄道会社の対応などを丁寧にかつ厳しい目でまとめた一冊。かなり分厚く内容も濃い。
当時のニュースで記憶にあるのは、運転手の過失、といったような説明がなされたこと。その後、過密ダイヤとか、事故防止対策の不十分さとかが明らかになったとは思うのだけど、JR側はなんとか個人の責任に収めようと躍起で、会社として謝罪して補償してという姿勢に乏しかったような印象がある。一つの事故がこんなにも多くの人を心身共に苦しめるという事実に改めて驚愕した大切な一冊だ。 -
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精神的な病による息子の自殺と脳死、臓器提供という大きなテーマについて、ノンフィクション作家が自らの体験を基に書き上げた本。読みながら自らの意見を確かめるように、一つ一つの重たいテーマを深く考えさせられる内容だ。特に私は、自死を選ばざるを得なかった状況にまで追い込まれた、あるいは追い込まれずともそう決断するに至った経緯、つまり脳死に至る前の段階で、文書を追う目の焦点が合わなくなり、躓いてしまった。
父である著者がこの息子の書き上げた小説を本書に掲載しており、それはとても完成された未完成(仕組まれた作為)とでもいうような印象だ。父はそれを小説家の影響も多分にあると評し、その通りなのかもしれないが -
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若松英輔さんと平野啓一郎さんの名前があるし、と軽い気持ちで手にした本。そして、長らく積読本。今回、ようやく読み始め、初めて世田谷事件の被害者家族である入江杏さん主催のミシュカの森という会があることを知った。そして、その会の講演をまとめたのがこの本であることも初めて知り、心して読まねば、との気持ちになって読んだ。
平野啓一郎さんの話では、死刑について考えさせられ、東畑開人さんの話では、居場所についてを考えた。特に居場所の話は自分レベルで考えられたと思う。そして、自分にとっての居場所について考えられた。もっと居場所を作らなくては、とも思う。居場所、座っていられる場所。立っている場所は落ち着かず、疎 -
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ネタバレ未解決事件の遺族である入江杏さんが主宰する集まりの場「ミシュカの森」。
そこへ招かれた方々が「悲しみとともにどう生きるか」をテーマに様々に語ったことをまとめた一冊。
六人の方それぞれの悲しみに対する向き合い方に考えさせられたり理解が深まったように感じたり。
第4章東畑開人さんの「アジールとアサイラムとパノプティコン」という話が興味深かった。避難所と収容所。シェルターと管理所。
そしてその後の対談の中で「自分の物語を物語ることによる癒し」という話がなされます。河合隼雄先生が物語によって生きる力や癒しを得られるというようなことをいくつかの著作の中で語られていたことを思い出しました。
読みながら -
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東日本大震災の後、「想定外」という言葉が流布したことを受け、それまでにいろいろな場所に書き溜めた小論、現場を訪問して気づき考えたことなどをまとめた1冊。それぞれの章にどういう狙いでこの章をまとめたのか、という導入部分があり、著者が意思をもって編集しなおしたことがよく判って大変ありがたい。
また、この本では「想定外」という言葉や災害の前提条件は、思考停止や想像力の欠如に陥るだけでなく、それ以上の場合のことを考えることを放棄し神頼みとしてしまうことを憂慮している。そして決して「想定外」などではなく、実際には想定もできるし準備や対策もできることを繰り返し述べている。あとは現場での取材を通して考えたこ -
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ノンフィクション作家は真実を極めるのが仕事だから仕方ないのかもしれないが、柳田さんの自己顕示欲が凄い。絵本好きの教養人とは、ガツガツ感が違うのだ。
なので、夢を売る絵本出版社社長の松居さんと柳田さんの話は、反りが合わない。
絵本の目的について、松居さんは「絵本とは、大人が購入するが、子どもに読んで聞かせるもの」と何度も言っているのに、柳田さんは「絵本は、大人の哲学書」と言っていて、1冊毎にウンチクを語っている。それが、松居さんには鼻につくんだろう。やんわり言い返している。
しかし、それをものともせず、自分の感想を言い続けられる点が、柳田さんの強みなのかもしれない。ノンフィクション作家恐るべし! -
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自分の人生は自分の力で開いてきたような気持ちになっているけれどそれは違う。自分はどれだけ人に支えられて生きてきたのか。数え切れないほどの人々との出会いがあり、支えを受けて今の自分がある。
私が死んだ後も私は誰かの心の中で生きられるかもしれない。だとすれば生と死、生死はひとつながりのもので、死がやってきて肉体は滅びても心はもう一つ別の世界で生き続ける。
精神性の命あるいは心は誰かの中で生き続け次の時代を生きる人々とつながっていくのです。違う世界が心の世界にあって、そうすると私自身も死をあまり恐れず死を受容するのが容易になる。
コロナウイルスで学校に行けない留学できない、理想の自分と大きくかけ -
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戦争と科学(者)、原子力の問題、情報伝達についてなど考えさせるノンフィクション作品。広島原爆、その1か月余り後に襲った枕崎台風の広島での惨害を主に広島地方気象台の職員の側から描いている。当然被害状況が描かれるが、割と冷静な表現になっている。その中からいろいろな問題点が浮かび上がってくるのが特徴か。単行本は1975年のものだが今読んでも決して古びていない。というかむしろ必要だろう。ただ、1975年現在での記述なので若干今の若い人にはわかりにくい部分があるかもしれない。その辺は改訂の必要がありそうではある。
しかし帯文のうち「日本人の熱き心を描く」とか「果敢に立ち向かった男たちの記録」という煽りは -
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自殺により脳死状態となった作者の次男について、家族が脳死を受け入れ、臓器提供を決定するプロセスを書いたノンフィクション。加えて作者の脳死に対する考えを記した論考。三人称の死として科学的に脳死=死亡と捉えることはできても、「二人称」としての家族の死亡を受け入れるには時間が必要になることが当事者目線で書かれている。
ある意味当然のことではあるが、家族の死は単純に科学的に受け入れることはできない。平素科学的な事実に基づいて世の中を見てきたであろう作者が次男の脳死に直面し、その受け取り方の違いをリアルに書いているという点で胸に来るものがあり、貴重な読書体験であった。 -