柳田邦男のレビュー一覧

  • 空白の天気図

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    広島の原爆投下後、その翌月に襲った巨大台風。広島気象台で働く人々の目を通じて知るノンフィクション。状況を伝えようにも手段のないもどかしさ、その後の被害状況を地道に調査し、それが後年私たちに伝わってきたありがたさ。そしてページを多くさかれた広島の原爆投下時、後の生々しさ。ひとつひとつが貴重で重く、今も起こる山津波の被害などにも通じる、広い範囲で残してもらいたい1冊です。

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    2017年12月01日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    ノンフィクション作家、柳田邦夫さんの息子、洋二郎が自死をはかる。これまでの息子との会話から、息子が何を望んでいたか、父親としてどうするべきなのかを考え、臓器移植を決意していく。その決意までの思考を「生と死」「脳死問題」「臓器移植」などをキーワードにして、一人称、二人称、三人称の視点をおりまぜて書かれている。
    私が「脳死」や「臓器提供」について考えたのは、きっと将来の進路を決めた中学生の終わり、高校生の始まりの頃だった気がする。両親に「脳死になったら臓器提供したい」という意思表示をしたところ、反対された覚えがある。いまだに、臓器提供したい気持ちは変わらないが、私はこれから母親の立場になる。果たして、自分の子が「脳死」「臓器提供」という場面になったら、私は賛成するのだろうか。反対するのだろうか。
    このキーワードはもぉ世の中の様々な出来事に埋もれつつあるワード。時代が少し進んだ時に読んでも再考するきっかけを与える本だと思う。

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    2017年07月24日
  • ガン回廊の朝(あした)(上)

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    非常に面白い。
    ほぼ小説のような話の流れで、それでいて黎明期を良く表している。
    舞台が国立なので、多分に常軌を逸している部分はあるが読ませる。
    技術に隔世の感を感じながらも、医学史を読むような興奮がある。
    続編に期待。

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    2016年05月12日
  • 終わらない原発事故と「日本病」

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    福島第一原発事故を始めとする様々な事故や事件で露呈する国や企業の安全管理の脆弱性。それを隠蔽する体質、「いのち」の軽視。こうした今の日本の状況を「日本病」という治癒の兆しの見えない病に集約し、全体俯瞰の視点で描いたドキュメント。

    安全管理を怠り、「いのち」に関わる大事故を引き起こし、さらには事故を隠蔽し、それが露呈した時、立ち行かなくなった大企業…その点、東京電力は国民の血税を大量投入し、政府に守られている。そういう政府も雪だるま式に増え続ける赤字財政に何ら手を打てず、さらなる国民からの集金システムを模索するので精一杯。普通の企業なら、東京電力も政府も、とっくに無くなっているはず。

    今の日本に根深く巣くう「日本病」に効くクスリは無いのか…未来の日本への警鐘…

    考えねば。

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    2016年03月08日
  • 空白の天気図

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    1945年、広島地方気象台の記録。
    被爆直後の9月17日、枕崎台風が広島を襲っていたことを不覚にも初めて知った。
    筆者は、8月6日まで、8月6日、8月6日以降の台員の動きを丁寧にたどる。8月6日の、気象台自身も被害を受けながら欠測なしの観測続行、中央気象台への通知手段探索の奮闘には本当に頭が下がる。市内の惨状の記録は忘れてはならないだろう。また、黒い雨の記録は、後に被災地域の再評価に結実する。
    一方、1ヶ月後の枕崎台風の襲来は、気象台にとって、痛恨事となった。情報の収集・発信共に貧弱な状況での被災が如何に悲惨な結果を生むか。3.11もつながる複合災害の教訓は学び、伝えてゆかなければならない。

    観測し、記録する、気象人の魂を教えていただいた。

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    2016年01月09日
  • 恐怖の2時間18分

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    1979年アメリカのペンシルバニア州スリーマイル島原子力発電所で発生した重大な事故について、その事象の進行を様々な切り口から辿ったノンフィクション。原子力発電所は言うまでもなく大変複雑なシステムなので、メルトダウンに至る事実の経過を正確に記述しようとすると、大変難解になりがちです。しかし、著者の柳田氏は航空機事故や医療事故などシステムとヒューマンエラーとの関わりを長年取材してきただけに、非常に分かりやすく、また正確に事故の全容を記述されています。なぜ原子炉内の水位が低下しているにも関わらず注水を止めてしまうのか、原子炉内の圧力を下げたいのに簡単に下げられないのはなぜか、など一般読者が感じる疑問も本書なら読み進むうちに「なるほど!」とすっと頭に入ってきます。原発事故関連のニュースに接する時、難解な専門用語がたくさん出てきますが、そのような専門用語についても本書を読めば、ほぼその解説が網羅されています。非常に役立つ情報が詰め込まれた一冊です。さすが柳田氏の本だと思います。期待を裏切りません。

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    2015年08月28日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    祖父母が亡くなり,叔母が生死の境を彷徨ってからというもの
    死について真摯に考えることが増えました。そして,姪が産まれてから
    生について考えることが増えました。
    どんなに頑張っても人の命には限りがある。ならば,未来の子孫のために
    私には何が出来るのかということ考え,自らに落としこんで考えるならば
    劣化しない価値あるデータを,生み出すことであろうと,暫定的な解を導いていました。
    それを成し遂げるまでには,自分は死ねないし,まだ取り組み始めに過ぎないとも思っています。

    今回「犠牲 わが息子・脳死の11日」を読んで,考えることがありました。
    自死をした洋次郎さんは,長らく精神を病んでいた。
    精神を病む人は,周りの人にも結構多くいて(研究をする人は心を病む人も多い)
    それは何故かということを考えた時に,視野が狭くなっているからではないか
    と思っていました。特定の物差しで測られる世界に囚われ過ぎているから,精神を
    病む可能性が高いのではないのかと。彼らのことを気にしつつも,彼らの傷と隣り合うと
    自分の精神も引き込まれてしまうことへの恐れがあり,なかなか触れることが出来ない
    といったこともありました。ずっと気になってはいるんです。ふとした時に,彼らのことを
    強く思い出すのです。そして,彼らの発した一言一言を思い出し,それはある面では
    真実であったということも同時に思い出すのです。しかし,それが自分も含めた
    大多数においては筋ではない,という論理から,それを弾き飛ばしてしまう,
    悪く言えば排除してしまうことに微かな違和感も覚えていました。

    それに対して,自分には何が出来るかを再考した時に,未だに答えは出ないのですが,
    1つ思うことには,心を病みがちな友人のことであり,彼女は卓越した表現者であったということでした。
    大学時代に行っていた演劇で,人の心の深層まで沁み入って表現をする必要があるシーン
    がありました。私は深層まで触れこむことがとても怖くて,客観的にしか役に対峙できなかった。
    しかし,彼女は自分自身の心の深層を切り拓いて,役を自分自身に取り込んでいった。
    その演技は,観客への大きな共鳴を産んだ。
    亡くなった洋次郎さんは,そういった性質を持つ人だったように感じました。
    人より感じてしまう,考えてしまう。文学に対して深い洞察を行うことが出来,
    自分自身にも取り込んでしまう。ある種卓越した才能を持つ人には違いなかった。
    しかし,それを外部の人と共有し発信することに対しても,強い恐怖心を抱いており,
    書くことで書き続けることで光を求めようと試みたが,結局死を選んでしまった。

    この本の後半のすごさは,そうして亡くなった洋次郎さんが一時的な心肺の蘇生,脳死状態への移行から死に
    至った経緯に対して,邦男さんは圧倒的な喪失感と悲しみから,
    この私的な体験をなんとか公的な制度に反映させるために奔走したという点にあると思います。
    家族が二人称としての死を体験した時に、それを受容するには時間と物語が必要であったということから
    脳死について以下の様な提案をしています。

    以下引用
    (1)人はだんだんと死んでいくものだという自然の摂理を基本に置き、日本人の従来の死の概念を壊さないようにする。
    つまり、一般的には心停止を持って死とするか、死の「前段階」である脳死の段階で死を受け入れるという人は、脳死での死亡を認められ、従って臓器提供が出来る。
    (2)どの段階での死を選択するかは、あくまでも本人の生前の意志による、生前の意志の確認は、原則として自筆の文書(日記などを含む)によるが、
    文書がない場合は、本人の意見を裏づける二人以上の信頼しうる証言を必要とする。家族の意思ではなく、あくまでも本人の意思を推定するに足る証言である。
    とくに脳死を死とする場合は、本人の意思だけでなく、近親者の同意も必要である。
    引用終わり

    東洋的なファジーな思想を法律に組み込むべきだという大胆な提案。
    結局、脳死は人の死とされ、ばっさりと切る法律になってしまった。家族の同意を取り付けられれば、医療者は臓器を移植できることになってしまった。
    しかしながら、このような問題提起と、行動(講演会や文筆活動)を起こされたことは、とても重要なことではないかと思いました。
    自分自身を振り返ってみても、自分の身に起こった出来事に対して、批判したり、ひどく落ち込むだけではなく、
    現状を変えるための具体的な行動に出る、ということは、非常に重要な事だと感じています。

    そして、この本によって、死生観というものが少し、変わりました。
    早かれ遅かれ人はいずれ死ぬ。そうした時の命の尊さは死にゆく者と今生きているものとで
    どれほど違うものなのか。生き続けることの意味、人称による死の意味の違いについても、深く考えさせられました。
    今、生きる、私達に、何が出来るのだろうか。何をすべきだろうか。どう生きるべきだろうか。
    今も考え続けています。

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    2014年12月11日
  • 事実の読み方

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     高校の現代社会で氏を知り、何冊か読んだが、本書でさらにファンに。ノンフィクションの真を知った気分。かなり古い(30年くらい前)本ではあるが、一切色落ちなし。

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    2014年09月15日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    精神を病んで自死を図り、その後脳死状態になった息子との11日間の記録。
    大きく二部構成になっていて、前半は突然の息子の自死から、彼の臓器移植を決意するまでの過程が丁寧に書かれています。そして後半は脳死について柳田さんの思いが綴られています。

    著者の柳田邦男さんはノンフィクション作家さんだけあって感情を抑えた文章で語られています。それが却って痛々しく辛い。
    25歳の若さで死を選んだ柳田さんの次男洋二郎さんの書いた日記や短編小説がいくつか紹介されていますが、鋭い文章で書かれた短編小説を読むと、ご存命であったら今頃素晴らしい作家さんになられたのではないかと、尚更その死が惜しまれます。
    ホスピスやターミナルケア、グリーフワーク(遺族の喪失感や悲しみのケアをすること)というと、ある程度の年月を生きた人の死に関わるものだと決めつけていましたが、この本では小児病院のホスピスも紹介されています。治癒できない症状を持って生まれてきて、短い生涯を閉じる子供の親にとって、これはとても必要なもの。普及を願います。

    祖母は本人の遺志により献体し、母は死を迎えるまでの数ヶ月間植物状態だった経験から、臓器を含む身体は容器に過ぎない、脳が死んだ時が私が死ぬ時だと思って子どもたちにもそう伝えてきましたが、この本を読んで、例えば私が脳死状態になったとしても、彼らにも私の死と向き合う時間を与えてあげるべきかも知れないと思うようになりました。せめてそうやって遺族の感情と向き合ってケアしてくれる病院を探しておこうと思います。まだ考えはまとまりませんが、「延命措置はいらないからね」と言うだけでは無責任だと考えるようになりました。

    最後の、医師を目指す高校生の読書感想文もとてもよかった。
    いろんなことを考えさせられる本でした。

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    2014年06月11日
  • 零式戦闘機

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    ネタバレ

     かつての日本主力戦闘機であった「零式艦上戦闘機」について書かれた物で、設計者:堀越二郎氏がいかにして日本の主力として君臨した戦闘機を描いたかに焦点を絞って書かれている。
     まず堀越氏は、海軍から新しい艦上戦闘機の計画要求を満たすべく、当時主流の形態であった複葉機設計ではなく、あえて実例の乏しかった単葉機設計を選び七試艦戦を制作した(大判断)。七試艦戦は失敗に終わったものの、堀越氏はその失敗を踏まえて沈殿鋲を採用し、前作の七試艦戦より遥かに流麗な姿をした九六試艦戦を制作した(小判断)。さらに、引き込み足や超々ジュラルミンの採用の下、徹底した軽量化によって零式戦闘機は誕生した。
     このエピソードには、大判断と小判断は優劣の関係ではなく、両方が求められることが含まれる。また、世界最高峰の九六試艦戦を作成した直後にさらなる性能の向上を目指した零式戦闘機の制作を求められたことから、新商品ができても安心するのではなく、次を見据える。
     まさに「凡事徹底」や「商品は3年後には墓場へやれ」といった創業者精神とも大いに関係しているように思えた。

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    2014年06月03日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    「冷たい夏の夕暮れに」、神経症というこころの病を抱えた次男洋二郎が25歳で自死を図り,脳死に至る。その11日間の揺れ動く家族の記録と、そこに生前の彼の日記、遺稿集、友達からの追悼の手紙などをはさみ、彼がどう生きていたのかを浮き彫りにしている。生きていた証しを、父親として丁寧に記している。

    著者は脳死の専門家。<今こそ「科学知識による自己コントロール」という生活信条を実践しなければ>と考える。

    しかし、著者は医療に関する本は数千冊、「脳死と臓器移植に関する本」も数十冊持っているが、「確実に脳死状態に陥っていく息子に対し」それが「ほとんど役に立たないことに気づいた」。

    それは三人称の死ではなく、二人称の死だからである。

    こころの病を持っていた「彼が抱いていた究極の恐怖とは、人間の実存の根源にかかわることで、一人の人間が死ぬと、その人がこの世に生き苦しんだということすら、人々から忘れ去られ、歴史から抹消されてしまうという、絶対的な孤独のことだった」。これをガルシア=マルケスの「百年の孤独」に重ねていた。

    一方、彼は詩人で映画監督のタルコフスキーの映画「サクリファイス(犠牲)」に感動し、「名も知れぬ人間の密やかな自己犠牲」に「こころを惹かれていた」。

    彼は骨髄バンクに登録していた。骨髄移植のドナーである。

    脳死をもって死とするという考え方が多い。ここには臓器移植による要請がある。

    しかし、大事な家族、二人称の死を受け入れるには、最後に静かな時間と場が必要なのだ。物語る時間が必要なのだ。

    そして死はプロセスであり、急いではならない。どこを持って死とするかは本人の意思と近親者の同意によるべきであると、著者は考える。ファジーな死である。

    「脳死患者だからといって、放置するのではなく、私たちは生きている患者さんと同じように最後までお世話します」と医者が言ってくれた。

    「なるべく話しかけてくださいね」と看護師も言ってくれる。「言葉はしゃべらなくても、体が会話してくれる」と家族は思う。

    著者たち家族は彼の意志を叶えるために、骨髄移植の可能性を探るが、それが困難と分かった時点で、可能性のある腎臓移植へ方向転換し、結果的に二人の人に移植は成功する。

    友達は彼のことを、「何事にも悩んだり迷ったりするチャーリー・ブラウンに例えて『チャーリー』と呼んでいた。」

    彼はカフカと阿部公房が好きだった。私と同じだ。
    大江健三郎が好きだったのは違う。大江の文学に救いを求めたのだった。

    大江の作品の中で、エリアーデの「indestructibility(破壊し得ないこと)」という言葉を知り、「自分の生への支えとしようとしていた」のだった。

    この本は、著者の息子の自死に対する、グリーフワーク(悲しみを癒す作業)である。同時にそこで得られた、二人称の死という概念と、脳死、臓器移植という現代的な問題に対する著者の説得力のある体験と深い思索の結晶である。

    こころを揺さぶられる、素晴らしい本である。

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    2014年06月01日
  • 「想定外」の罠 大震災と原発

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    「想像以上」「予想以上」という言葉と共に疑問に思っていた「想定外」という言葉から、各種災害(東日本大震災・チェルノブイリ・スリーマイル島・東海村臨界事故・原爆・阪神淡路大震災など)の原因や元凶、今後の対策に至るまで厳しい追求と的確な提言の書かれた本。著者の柳田邦男の性格がよく現れているとともに、最近の表面だけ取り上げての論評とは一線を画す重みのある内容に感服。特に、タイトルにもなっている「想定外」という言葉の定義を3つにまとめ、それをそれぞれ追求している所が本書の核心かもしれない。
    それともう一つ。柳田にインパクトを与えたビートたけしの発言、「マスコミは5000人死んだ災害が起きたといって騒いでいるが、そうじゃない。一人死んだ災害が5000件同時に起きたんだ」には、ビートたけしが物事に対する鋭い視点を持っていることを改めて認識させられた。彼が映画監督として大成する素地なんだろう。

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    2014年04月23日
  • 「想定外」の罠 大震災と原発

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    東日本大震災に端を発した福島第一原発事故は『想定外』という免罪符により、人的ミスを隠蔽するかのような展開を見せた。過去、50年間に渡り、被災地の現場を歩き、取材を続けた柳田邦男が『想定外』の背景に鋭く斬り込み、日本の本質をも浮き彫りにする。

    第一章の『想定外』の本質を暴いてみせた柳田邦男の考察は見事と言うしかない。

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    2014年03月13日
  • 新・がん50人の勇気

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    新年早々の祖母の姉が亡くなったのと、
    やしきたかじん氏のがんによる死去など、
    もうすぐ40歳なので死に対して少し考えてみました。
    できれば準備をして死にたいものです。

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    2014年01月13日
  • 空白の天気図

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    [焰のち豪雨、その下の人間]原爆が投下された広島をそのわずか一ヶ月後に襲った超大型の「枕崎台風」。気象に関する情報が途絶した広島で、数千名の死者・行方不明者を出したその災害と、2つの災厄にも負けることなく、生活を取り戻し、日常を持続させようと務めた人々の記録です。著者は、「核と災害」をテーマに多くの著作を手がけている柳田邦男。


    8.15という「点」ではなく、その前後の時間軸である「線」、また原爆の直接の影響にとどまらない「面」までをも視野に入れた作品として超一級のノンフィクション作品と言えるのではないでしょうか。30年以上前に著された作品なのですが、危機管理、戦争、気象学、そして道徳的観点からもいまだに一切色褪せることのない価値を有しているように思えました。


    原爆と台風という点にクローズアップしてしまうと、どれだけ悲惨な形相に満ち満ちた本なのだろうと思っていたのですが、本書で特に焦点を当てられているのは、その災厄の中でも必死に地に足をつけて日常を生きた人々の記録。戦時・敗戦時という特別な状況におかれながらも、任された日々の業務をしっかりとこなすことに使命感を覚えた先人たちの姿に、つくづく頭を垂れる思いがしました。

    〜考えて見れば、自分がやって来たさまざまな記録や報告書を残す仕事は、未解決の過去を絶えず現在形に置き換える作業ではなかったか。〜

    復刊してくださりありがとうございます☆5つ

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    2013年09月27日
  • 空白の天気図

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    知られているもの、余り知られていないものを含め、本作は「普通の人達の目線」で「非情な事態」を描く…

    現代の戦争は、「敵対陣営の軍事行動を阻む」ことを名目に、輸送、通信、産業の生産活動、エネルギー供給等々「社会が営まれる基盤そのもの」を破壊し尽くそうとする“総力戦”というものである。それ故に、「気象情報を伝える通信網」のようなものまで戦災で損なわれ、大型台風で「考え難い程の大きな犠牲」が発生してしまった…『空白の天気図』という本作の題名は象徴的だ。“天気図”というようなものは、作中に出て来る“観測精神”のような考え方で必死にデータを集め、毎日間違いなく作成することを常とするモノである。それに“空白”が生じたという意味…深いものが在る…

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    2013年08月31日
  • 空白の天気図

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    ネタバレ

    爆心地から離れていたため全壊は免れたものの、台員たちはほとんどが被爆。悲惨な環境の中でも、「欠測」を出さないために、必死で観測を続ける姿勢が凄まじいプロ根性を感じさせる。巻末の後書きで、実に淡々と、一部では惰性と呼べる部分もあったようなことも記されていて、では、人間が死ぬまで食べることと排泄をすることをやめられないのと同じくらい、観測が生きることとなっていた人たちなのだろうなと感じた。
    そんな必死の観測にもかかわらず、災害によって情報の伝達が遮断され、原爆被災のあとを襲った巨大台風の警報を市民に呼びかけることができず、多くの死傷者を出してしまう。
    データの収集と、何よりもその情報を「活かす」ことができなければ、災害は繰り返すばかりであることを教えられる。
    戦後の混乱の中で、原爆被害と枕崎台風の被害についてのレポートをまとめ、また、『黒い雨』に関しては広い地域にわたって、足で聞き取りをしていった労も大変なものだったと思う。
    この本は、東日本大震災のあとに、再発行されたもの。
    こと「核」に関しては情報が隠匿され、被害が少なく発表される様は記憶に新しい。
    最近は新たな報道も聞かれないけれど、早速風化してしまったのでしょうか?

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    2013年08月13日
  • 恐怖の2時間18分

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    【人間が振り回された朝】周辺の自治体だけでなく、全米、全世界の注目を集めたスリーマイル島の原子力発電所事故。人々をパニックの境地に追い立てたその事故の原因、そして混乱の波及の仕方をドキュメントとして記録した作品です。著者は、飛行機や鉄道などの大型システムが絡む事故を徹底的に追い続けた柳田邦男。


    タイトルだけを見ると、原子力に対して是か非かという本に見えなくもないですが、内容は極めて「危機管理」に特化したもの。合理的に考えられながらもいざというときにまったく役に立たない対策システムの危険性や、小さな不作為が次第に積み重なってとんでもない事故を引き起こす原因となることなどをしっかりと指摘しており、システムと人間の関係性を考える上で有意義な作品でした。


    第二章で描かれる混乱の波及の様子は、あらゆる大規模事故・事件に当てはまると思うのですが、実際に自分がその当事者となっていたら冷静にかつ現実的に対応できるものなのだろうかといろいろと考えさせられるところがありました。スリーマイルの事故では専門家ですらも、今から見ればあり得ないほど誤った判断を下し続けるのですが、「恐怖心」を念頭に置かないと当時の人々の考え方はわからないのかも。

    〜危機管理とは、抽象的な一般論では役に立たない。あくまでも実践的でなければならない。〜

    危機管理って本当に重要なのに学び方が本当に難しい☆5つ

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    2013年04月27日
  • 犠牲 わが息子・脳死の11日

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    読みながら、本当にいろんなことを考えた。
    犠牲という意味。
    この本は、本当にたくさんの角度から読むことができるだろう。
    読む時の心境によって、受け止める場所もどんどん変わってくるだろう。
    そして、読めば読むほど、人生の深みに連れて行ってくれる本でもあると思う。
    柳田さんが、こうして本にしてくださったことを感謝している。

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    2013年04月03日
  • 悲しみの涙は明日を生きる道しるべ [絵本は人生に三度]手帖III

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    これは危険な本。
    この本を読んだら、たくさんの絵本を買い込んで、手元に置き、繰り返し、繰り返し読みたくなるではないか。
    そして、この本も手元に置いて、絵本と交互に読み、じわじわと楽しむ。
    なんとも贅沢な時間が過ごせそうだ。

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    2013年03月23日