柳田邦男のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
昭和に起きた石油危機について書かれた、渾身のルポルタージュ。
素晴らしく濃密な本だった。
40年以上前に書かれた本だが、今読んでも色あせない多くの学びがある。
まず驚いたのは、現在の社会状況と重なる部分が非常に多いこと。
人間の行動なんて、時代や社会が変わっても、そう変わるものではないのかもしれない。
特に大衆がパニックに陥る心理については、多くの共通点があるように思う。
オイルショック下では、多くの企業や役人が、大衆やマスコミに吊るし上げられた。
だが後の検証で、そのほとんどは的外れな批判であることが分かっている。
結局のところ、「諸悪の根源」という手頃な生贄を欲していただけ、というのが真実だろう。
これは大衆の普遍的な心理であることを認識し、大いに反省するべきだ。
また、政治家や官僚、石油会社の人たちの奮闘には心を打たれた。
国が不安定になると、とかく政治や役人は叩かれがちだ。
しかしオイルショックという前例のない危機に対して、国民の生活を守るために、身を粉にして働いた人たちが大勢いた事は事実だ。
何が正解かも分からず、準備する時間もなく、途方もないプレッシャーを感じながら。
そういった困難な状況の中で、何とかアラブ諸国とのタフな交渉を乗り切った点は、評価に値すると思う。
確かに日本側の対応は、100点満点とは言えない。
また、多くの問題を残してしまったことも事実だ。
しかしそれでも、この時に彼らが最低限「対応を間違えなかった」から、その後も豊かな生活が維持できている。
その点について、我々は少なくとも敬意を持つべきではないだろうか。
間違っても、ストレス発散のために、ロクに調べもせず「政治が悪い」と叩いていい存在ではないはずだ。
自分が本書を手に取ったのは、今起きているアメリカ・イラン問題について学ぶためだ。
過去を振り返ることは、未来を知るための貴重な財産になる。
全体的な印象としては、とても丁寧に、公平に取材されていると感じた。
単純に「国民は愚かだ」「マスコミが暴走した」で片付けずに、その先を見つめようとする目は、とても真摯なものだと思う。
また本書には、慧眼とも言うべき、鋭い指摘がいくつも残っている。
・日本人は、まるで資源を持たないのに、エネルギーに関する関心が薄すぎる。
・アメリカが石油備蓄に力を入れるようになれば、いずれエネルギー問題は再びやってくる。
・省エネルギー化や代替エネルギーの開発に、もっと本腰を入れるべきではないか?
これが40年以上前に書かれたものだということには、驚くばかりだ。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」に陥らないために、本書のようなルポルタージュを読むことは、大いに役に立つだろう。 -
Posted by ブクログ
表紙の裏に書かれています。「著者の言葉」
「人間、死んだら終わり」といわれますが、私はそうは思わない。
なぜなら、人の精神性のいのちを映す最後の生き方や言葉は、遺された人の心に生き続け、その人生を膨らませていくからです。
このことを私は「死後生」と呼んでいます。
ここで、般若心経入門―――276文字が語る人生の知恵 松原泰道
147から148頁の一部を紹介
「色不異空」
仏教思想の「空」は、零を意味するシユーニャから派生した抽象名詞「シューニャーター」の訳語で、単に無いとか存在しないとかいう意味ではありまさえん。
むしろ、あるものが目に見え、存在する事実を認めたうえで、さらに考えを発展させて、そのものがいまどうしてここに存在できるのであろうかと、さらに考えを発展させて、そのものがいまどうしてここに存在できるのであろうかと、その道理を明らかにしようとするのが空の思想です。
つまり、存在するものは、そのものだけでけっして存在できるのではない、他との多くのかかわりがあって、はじめてそのものが存在できるのです。
かかわりが無かったら、いかなるものも存在しえないというのを「目に見える存在は空に異ならない(色不異空)」というのです。
このかかわりあいのことの道理を「因縁の法(因果律とも」といいます。
そのことを踏まえ、この本を読んだら、著者のしめしてくれたことがとってもよく理解出来ると思います。
この世に人として生まれ、生きた証をしっかりのこす充実した人生を送る。
肉体は滅びても、しっかり魂はこの世に残っていくのです。
で、この本の内容ですが、
1章 「死後生」という希望の発見
2章 「人生の最終章」は自分で書く
3章 「さよなら」なき別れからどう行きなおすか
4章 わが心に生きる先人たちの「死後生」
5章 5歳児の「死後生」が姉12歳の人生指針に
6章 「生きなおす」ための5つの視点
7章 「傾聴」の進化、祈りへ
8章 「犠牲」――わが息子・洋二郎の「死後生」
9章 「死後生」の証――亡き人との15人の日常会話
10章 「人生の最終章」を支えた言葉たち
息子さんの自殺を機に「人の死」「死ぬ人の思い」なだ「死」に長く関わってこられた著者の言葉を編集した本です。
人生も終盤戦を生きる76歳の私としては、一つ一つの文章が心に響きました。 -
Posted by ブクログ
2005年に起こったJR福知山線の脱線事故。著者の柳田邦男さんは、この事故の事故調査にオブザーバーとして関わると共に、遺族、重傷を負った被害者や家族、医療従事者、専門家等に取材を重ねた。それが詳細に書かれています。
脱線から転覆までわずか10秒。その間に何が起こったのか。遺族や、命は助かったけれども、重傷を負った被害者のその後の苦悩。それらが、読む者にも悲しみや苦しさを感じさせる。
命は助かったけれども、障害を負い、何度も手術を受けなければならなくなった人、心に深い傷を負い、「どうして私が助かってしまったのだろう」と苦しむ人、脳に障害を負ってしまった人。どれだけ多くの人々が事故の後遺症に、身体だけではなく、精神的にも苦しんだことか。本書を読むまでは、そんなことを想像すらできなかった。
さらに、JR西日本のあまりにも酷すぎる対応も浮き彫りに。読んでいてこちらまで憤りを感じる。そんなJR西日本に対して、事故の原因と再発防止を求め、被害者家族が動き、JR西日本の経営姿勢を変えていく。
読んでいるだけでも辛くなる。一方でJR西日本の姿勢には憤りを感じる。
でも、それで終わりではない。
起こらないほうがよかった。けれども、その事故から人との新たな繋がりが生まれたり、あるいは、自分自身を見つめ直す中で今まで見ていた景色が変わっていく体験をしたり、家族が再生したりとそんなこともあった。
『それでも人生にYesと言うために』とのタイトルに相応しい名著。
タイトルは、フランクルの名著『それでも人生にイエスと言う』のオマージュだと思いますが、柳田さんのこの著書を読みながら、フランクルの言葉を想っていました。
人間はあらゆることにもかかわらず-
困窮と死にもかかわらず、
身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、
また強制収容所の運命の下にあったとしても-
人生にイエスということができるのです。
さすがは柳田邦男さん。これも素晴らしいノンフィクションでした。 -
Posted by ブクログ
単行本2冊分ほどありそうな分厚さ。
ひたすら読み進めながら事故の凄惨さを知る。
1〜2章では体験談、その後、細かな描写が描かれている。
5〜6章の企業とのやりとりには熱量まで感じさせられる、忍耐のあるやりとり。
20年経っても風化させない、思い出すことの大切さを学んだ
生きている限り、私の娘への思いは変わることなく、悲しみは消えることはないでしょう。しかし、娘の死の悲しみによって、私が人生を見失うことになれば、娘の生きてきた人生も意味のないものとして、娘の存在を否定することになってしまうのではないかと思います。それでは、私は娘を二度亡くしてしまうことになります。娘のいのちは、私の中で生き続けてい?のです。
この人は、がんばって、がんばって、その結果亡くなったのだから、訪れた死は悲しいことじゃない。ほんまにがんばったんやということを思いながら、手を合わせて見送ろう
事故を経験することは、深刻な喪失体験=負の体験であるにもかかわらず、人間はその負の体験をプラスに転じて、精神性を高める可能性を秘めている。
心を傷つけられた言葉として母親たちが挙げているのは、次のような
「早く忘れて(前向きに生きよう)」
「がんばってね」
「早く元気になってね」
「そんなに悲しんでばかりいたら、ほかの家族が困るんじゃない」
「新しい子が生まれれば、忘れるわよ」
DMORT
Mortuary Operational Response Team=災害時遺族・遺体対応派遣チーム)、NTSB(国家運輸安全委員会)に設置された家族支援局が調整役になって、赤十字や消防、警察、医療、軍などが役割を分担して、大事故直後の混乱する家族に対する情報提供や様々な支援やその後のフォローなどをするシステムが作られたが、DMORTは、その後の潮流の中で、独自のボランタリーな活動として生まれたものだった。
説明を求めた問題とは、
1)日勤教育問題
2)新型ATS - Pの未設置問題
3)電車運行の過密化・高速化の問題
4)経営における安全管理(リスク・マネジメント)問題
の四点だ。
JR西日本のベテランの運転士や技術畑の幹部の中には、ダイヤに遅れが生じた時、区間の最終駅到着の遅延を可能な限り短縮する「回復運転」をいかにうまくこなすか、その腕の見せどころを「男のロマン」と称する気風があった。
被害者(一人称の立場)や社会的弱者とその家族(二人称の立場)に寄り添う視点が必要だと感じる。「これが自分の親、連れ合い、子どもだったら」と考える姿勢である。もちろん、専門家や組織の立場(三人称の立場)に求められる客観性、社会性の視点は失ってはならない。そういう客観的な視点を維持しつつも、被害者、家族に寄り添う対応を探るのを、私は「二・五人称の視点」と名づけている -
Posted by ブクログ
危機管理とは何かを考え続けている。本書で著者が指摘している事は、一つ一つ胸に刺さる。ただ、どうしてこのような失敗を繰り返すのか?という疑問は、結局一つの解はなく、巨大システムの責任を負う者が過去の事例やリスクの大きさに対して謙虚に受け止めて対処する心構えを持ち、行動するか、にかかっている。肝に銘じる。
著者の作品は他も追いかけておきたい。
気になった箇所を書き留める:
- では、線引きなどはしないで、発生確率が「極めてまれ」な事象であっても、すべて防災対策の対象に入れるべきなのかというと、そうではない。事業においてコストなどの現実的な制約は避けられない。問題は、発生確率の大小ではなく、その災害が起きた時の被害の規模なのだ。
<巨大システム時代におけるリスク認識は、たとえ発生頻度が小さくても、一度事故が発生すれば重大な被害が生じるおそれのあるものについては、万全の事故防止策を図るべきだ>
この安全思想は、05年のJR福知山線脱線事故の原因に関する運輸安全委員会の事故調査報告書と、東日本大震災から半年後に中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」(以下、地震・津波専門調査会と略す)がまとめた報告書に(それぞれの文言は少し違うが)明記された名言だ。
1. 制度や既往の取り組みを大きく変えることを嫌う。
2. 財政負担が増えることを安易に拒否の理由にする。
3. 人手を食う新しい仕事を引き受けたがらない。
4. 批判や反対論が湧き上がるのを、社会的混乱の増大ととらえ、そうした事態が生じるのを避けようとする。
5. とくに原発については、住民の不安を増大させるような新たな対応を嫌う。
6. 重要な国策として事業を推進する仕事となると、草花を踏みつぶしていくブルドーザーのように取り組む。
7. 費用対効果の評価、効率主義にこだわり、効果が格好よく見える仕事には、積極的にかかわったり支援したりする。逆に成果が見えにくい仕事には興味を示さない。
8. 「できない」「引き受けたくない」という案件については、滔々とと弁舌をふるう。
- その「人間の被害」の全容を明らかにする調査は、この国のこれからの課題とすべきだ。政府事故調の報告書が、「総括と提言」の章の最後に記している提言文を引用しておきたい。
<未曾有の原子力災害を経験した我が国としてなすべきことは、「人間の被害」の全容について、専門分野別の学術調査と膨大な数の関係者・被害者の証言記録の収集による総合的な調査を行ってこれらを記録にまとめ、被害者の救済・支援復興事業が十分かどうかを検証するとともに、原発事故がもたらす被害がいかに深く広いものであるか、その詳細な事実を未来への教訓として後世に伝えることであろう>
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Posted by ブクログ
JR西日本の福知山線で脱線事故が発生して今年で20年になります。多くの犠牲者、怪我人が発生し、JR西日本の懲罰的な日勤教育などが運転手を追い詰めていたことなどが明らかにされました。
本書前半部では事故に遭いながら命を取り留めた人やその家族からの証言により事故列車に乗車することになった経緯や、救出された経緯を再現、亡くなった方の遺族からの証言によって遺体の身元確認に至る経緯などを辿っています。
そして次に描かれるのは、命を取り留めた人が入院中や、社会復帰に向けての日々に直面した障害や葛藤に触れています。生き残った人は、横倒しになった車内で多数の乗客が折り重なった状況で、自分自身よりも下にいて命を落とした人などに対し、”なぜ自分が生き残ってしまったのか”と自分を責めてしまったり、子供を亡くした親御さんには”子供が苦しんで死んでしまったのに、自分が生きていて良いのか”と自分を責めてしまう思考に陥る人もたくさんおられました。
そういう精神状態から立ち直り、再び生きることに前向きになっていくまでの心境の変化や、それに寄り添う医療関係者の気持ちの揺らぎなどにも多くの紙面を割いています。グリーフケアや医療従事者の心のケアなどへの配慮も、今では当然にように考慮されるようになりましたが、当時はまだまだそこまで社会としても理解が進んでいなかったことがよく分かります。
本書後半部は、事故の原因に迫る遺族グループとJR西日本との協議の経緯をたどります。当初、事故原因については表層的な回答しかしなかったJR西日本ですが、経営陣の交代などを経て、次第に事故の原因を運転手などの現場レベルにとどめず、当時の社風や組織としての安全に対する考え方にまで至るレベルの考察にたどり着きます。懲罰的な”日勤教育”や、運転技量の向上に資するとはとても思えない精神論的な教育が横行し、それを当時の経営陣も現場に丸投げしていました。並行して走る大手私鉄との競争で、過密なダイヤ設定となっており、それが運転手へのプレッシャーになっていた点なども指摘されています。
関西在住の者として、非常に身近な生活圏で発生した大事故でした。飛行機や船とは異なり、通勤・通学で日常的に使用する鉄道で発生した事故だけに、タイミングが違えば自分自身や、家族が事故に巻き込まれていたかもしれない、と真剣に考えた事を思い出されました。事故発生から20年、事故に関して多くの書籍が発刊されたと思いますが、本書は事故を通じて安全や、遺族・犠牲者の心の回復などに深く関わってきた著者による集大成とも呼べる1冊ではないかと感じました。 -
Posted by ブクログ
ちょっとした好奇心から読み始めたんだけど、望外の収穫が得られる良い本だった。
20年以上前の作品だけど人間の根源に関わる普遍的で全ての人が無関係ではいられないテーマで、まったく古さを感じさせない。それどころか、医学が発達するほどジレンマに陥る脳死という問題。
作者の息子さんの人生を追体験するかのような前半と、脳死論の二部構成。
次男の遺した文章を織り交ぜる内容でリアルな人物像が浮かび上がるが、一歩引いた視点でまとめられている。現実には父親として想像を絶する苦悩があっただろうに、ここまで冷静に綴られていることに感服した。それでも我が子への愛情がにじみ出ているのが胸を打つ。同時に、作家というのは因果な商売だなと。芸術家は壁にぶち当たった時にそれを昇華して素晴らしい作品を残すというのを本書で強く感じた。
次男が陥ってしまった不幸な状況、これは時代も大きく関係していると思う。高度成長期を経てバブル絶頂期にいたる過程で、日本人はみな″こうあらねばならない″といういわゆるイケイケな時代に産まれてしまった。現代もそう変わらないとは言え、今なら彼のような天才肌というのか人とは違う感受性の強い子供に多少理解はある社会に変わっているように思う。
科学的考察の後半部については、日本人という民族特有の観点から論じた死生観をからめつつ、作家の目を通した問題提起と彼なりに導き出した答えに概ね同意できた。
単純に知識が広がるだけでなく、自分だけではなかなか到達し得ない、新たなものの見方や考え方の幅が広がる、読書本来の良さが詰まっていると思う。
いのち 永遠にして -
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著者が特定の雑誌に載せたエッセイ風の小論を集めたものに書き下ろしの文章を加えたもの。失敗について、責任者探しをするだけではなく、今後同様の失敗が繰り返されないようにするための調査・分析をすべきである、という主張を軸にしている。考え方のベースにほぼ100%賛同できる。この本は20世紀末に書かれたものだが、2024年である現在に至っても日本の状況は残念ながら大きくは変わっておらず、今だに「正直者が馬鹿をみる」世界のままである。官僚や悪徳経営者たちは今後も蔓延るだろうが、それを変えてくれる猛者の登場を待つだけでなく我々一人ひとりが、「それでいい」という考え方を捨て、新しい価値観に切り替えていかなくてはこの国はよくならないのだろう。
■事件や事故という形で表面化した失敗を調査する取り組み方には、大きく分けて二つの方向がある。一つは、まず「責任者は誰だ」とか「誰がやったのだ」という発想で、失敗に直接かかわった者を処罰したり、監督する地位にある者が辞任したりすることで、一件落着ということになる。もう一つは、失敗を引き起こした原因を、背景要因まで含めて、多数の要因のつながり(連鎖)としてとらえ、それらの諸要因の一つ一つに対して、対策を考えるという取り組み方だ。
■国家のシステムには、憲法や行政法などで決められた枠組みだけでは見えてこない需要な部分がある。政策の意思決定に携わる人々の価値観、職業観、人生観などがからむ部分、とりわけ仕事の仕方に関する、ほとんど暗黙の了解といってよいほどの共通認識の部分だ。そういう共通意識というものは、その国のなかでは普段はあまりにもあたりまえになっているので、気づかれないが、何か大きな事件が起こると、あぶり絵のように浮かび上がってくる。