昭和20年9月17日。敗戦直後に日本を襲った枕崎台風は、死者不明者3000人超の被害をもたらしたが、そのうち2000人強は広島県だった――。なぜ、広島で被害が膨らんだのか。原爆によって通信も組織も壊滅した状況下、自らも放射線障害に苦しみながら、観測と調査を続けた広島気象台台員たちの闘いを描いた傑作ノンフィクション。「(自分の著作の中で)自分自身で一番好きな作品はどれかと尋ねられれば、迷うことなく『空白の天気図』を挙げるだろう」(柳田邦男)
Posted by ブクログ 2023年04月16日
第2次世界大戦がはじまる前、当時の中央気象台は軍による統制を受けることになり、真珠湾攻撃における気象予報も行った。戦時は人員も拡大し、軍事に資する気象予報を行う。
昭和20年8月1日には、中央気象台が大本営に組み込まれ、大本営気象部となる発令がでるはずだったが、ポツダム宣言の諾否にかかる調整で二の...続きを読む
Posted by ブクログ 2020年08月26日
終戦のあと2年ぐらいに大きな台風被害が日本で出たことはきいたことがあったが、原爆投下の翌月である1945年9月に広島を枕崎台風が襲ったことは、不勉強にして知らなかった。
その意味で、魂のこめられた(=臨場感があって読みたくなる)ノンフィクションとしてこのような記録がのこされたことの意義は非常に大きい...続きを読む
Posted by ブクログ 2017年12月01日
広島の原爆投下後、その翌月に襲った巨大台風。広島気象台で働く人々の目を通じて知るノンフィクション。状況を伝えようにも手段のないもどかしさ、その後の被害状況を地道に調査し、それが後年私たちに伝わってきたありがたさ。そしてページを多くさかれた広島の原爆投下時、後の生々しさ。ひとつひとつが貴重で重く、今も...続きを読む
Posted by ブクログ 2016年01月09日
1945年、広島地方気象台の記録。
被爆直後の9月17日、枕崎台風が広島を襲っていたことを不覚にも初めて知った。
筆者は、8月6日まで、8月6日、8月6日以降の台員の動きを丁寧にたどる。8月6日の、気象台自身も被害を受けながら欠測なしの観測続行、中央気象台への通知手段探索の奮闘には本当に頭が下がる。...続きを読む
Posted by ブクログ 2013年09月27日
[焰のち豪雨、その下の人間]原爆が投下された広島をそのわずか一ヶ月後に襲った超大型の「枕崎台風」。気象に関する情報が途絶した広島で、数千名の死者・行方不明者を出したその災害と、2つの災厄にも負けることなく、生活を取り戻し、日常を持続させようと務めた人々の記録です。著者は、「核と災害」をテーマに多くの...続きを読む
Posted by ブクログ 2013年08月31日
知られているもの、余り知られていないものを含め、本作は「普通の人達の目線」で「非情な事態」を描く…
現代の戦争は、「敵対陣営の軍事行動を阻む」ことを名目に、輸送、通信、産業の生産活動、エネルギー供給等々「社会が営まれる基盤そのもの」を破壊し尽くそうとする“総力戦”というものである。それ故に、「気象...続きを読む
Posted by ブクログ 2012年07月01日
戦後大きな台風が来たのは知っていたが、
ここまで詳しくは知らなかった。
大きな戦争があり被害者としてその場にいる方々が、
職人としか言いようの無い思いや行動、
考え方のおかげで結果や情報が残され後世に伝わっていく。
8月6日からの広島の様子、
今多くの情報や資料として残されている以外のものも
たくさ...続きを読む
Posted by ブクログ 2012年04月29日
1945.8.6の広島原爆
1945.9.17の枕崎台風の広島襲来
1945年の夏に、広島は大きな災厄に立て続けに襲われた。
情報がない時の災厄が如何に大きな被害をもたらすか。その検証ともいえる。
そして、2011.3.11。
津波と原発も、同じではないかという問いかけがなされている。
われわ...続きを読む
Posted by ブクログ 2020年09月11日
良質なノンフィクション。筆者も言っているようにノンフィクションの旬の時期は短いが、この本は長く読み継がれて欲しい。
描れている人もプロフェッショナルなら、柳田さんもプロとして丁寧で熱い仕事をされていると思います。
戦後の日本はこういった人たちの必死の頑張りで復興し発展したのだと思う。我々もしっか...続きを読む